659 こどもはかわいい(他意なし)
夜。 俺はリビングで、風呂上がりの一杯を飲んでいた。
もちろんお茶である。
同じテーブルにはお袋もいて、長ーい髪をチャロちゃんにドライヤーで乾かしてもらって気持ちよさそうにしている。
部屋中に立ちこめる湯上がりの石けんの香りと、お袋のメリハリのつきすぎる肢体を包むネグリジェ姿が相変わらず刺激的だ。
「はぁ……♪」
艶やかな唇から声の混じった吐息を漏らす、冬の若奥様。
慣れているのでクラクラはしないけど、ドキッとはする。
「じゃ、お願い」
「ほーい」
俺はカップを置いてひと息つくとテーブルの上に立っている我が娘に声をかけた。 頭のてっぺんからぴよーんと伸びるアンテナっ毛が左右に揺れる。
目で追っていると眠くなりそうである。
「お呼び出しを申し上げまーす!」
「……」
なんで、デパートの店内放送風?
おかげでちょっと目が覚めた。
「パパー、パパー、いましたらすぐに出てくださ――」
『――ん、どうした?』
ニアちゃんセリフが途中で遮られ、同じ口から別の声が聞こえてきた。 端から見ているとなんだか新しい芸風の腹話術みたいだが、これはれっきとしたテレパシー通信である。
ちなみに今回は、お袋も会話に加わるのでハンズフリー。
とても多機能な娘である。
「アルヴィ様、お世話になっております~♪」
『うむ』
お袋が話しかけるとニアちゃんは腰に手を当てて身体の向きを変え、まんまるおめめをキリリと鋭くして大きくうなずいた。
別に、声に合わせてポーズを取る必要はないのだが、本人が楽しそうなので何も言わない。
それに可愛いし。
「あの~、明後日の件なのですが~」
既に大まかな予定は伝えてあるが、いよいよ細かいことが確定したので、それをお袋の口から伝えてもらう。
ちなみに親父はさっき帰ってきて、夕飯を食べた後にマイブラザーと入浴中。 セーレたんはリソ君の部屋に行き、マールちゃんもそれに付き合っている。
……いやはや、旅行の段取りって大変だねえ。
行き帰りの手段については解決したものの、次に問題だったのが泊まる場所についてだ。 なにしろ、ニアちゃんも入れると八人もいるから師匠の家に全員はムリだし、ローザさんの家には余っているベッドがないので分かれるのもダメ。
宿を取って分かれるっていう手もあるけど……ホテル代がバカにならない上に師匠達の家から微妙に遠い。
ということで、いっそのこと最初から二組に分けてしまおうということになった。
具体的には、初日に親父とお袋が行って二泊し、三日目にチャロちゃんとマールちゃんが入れ替わって二泊、という合計五日間の日程である。 なお俺も含むちびっ子四人は、行きは親父とお袋にくっついて帰りはメイドちゃんと一緒。 つまり四泊五日になる。
親父の休みに合わせつつ、たまには夫婦で水入らず。 また普段は一緒に休みが取れないメイドちゃんズも、仲良く一緒にのんびりできる時間が作れる。 そして俺達子供も、バタバタせずに里帰りを満喫できる……とまあ、そんな魂胆だ。
五日間もの滞在を許してくれる師匠やセラさんにはもちろんだが、三往復分の足を提供してくれるアルヴィちゃんにも感謝しなければ。
と、思っていたんだけど。
ここで、ちょっと予定外なことが発生した。
「セーレの出発も、後にしていただいていいでしょうか~?」
『……む?』
お袋からのお願いに、アルヴィちゃん――のマネをしているニアちゃんが、大きな頭を傾けた。
実は、今回の里帰りで師匠とセラさんあげるプレゼントが間に合わないらしい。 風呂から上がってすぐにリソ君の部屋を覗いてみたけど、今夜も頑張って編んでいた。 もちろん、リソ君の遊び相手や家の手伝い、受験勉強なんかもこなした上でだ。
まだ編み物も二回目なんだし、そりゃあ間に合わないよなーって思う。
だからメイドちゃんズも何度か「お手伝いはいいですから編み物を優先して」と言っていたし、俺も「間に合わない分は向こうで完成させても」って言ったんだけど……。
二組に分かれて行くと聞いて「それなら、ちゃんとできあがってから持っていきたい!」とお願いされてしまった。
ほわ~んとしているように見えて、そういうところは意外と頑固だ。
「……さーて」
用件が終わって雑談を始めたお袋を横目に、俺はお茶をくいっと飲み干し、カップを持って席を立つ。
そしてお立ち台に乗って自分のカップを洗い、コンロに置いてあったティーポットを取って水を足す。 お茶の葉や、ハチミツなどもすぐ横に置いてあった。
「ふーんふふーん」
楽しそうなお喋りの声を背後に聞きながら、お茶の準備をする俺。
ほとんど自分で淹れることはないんだけど……まあ、なんとか。
「んー……」
念のため色や香りを確かめ、味見もしてみる。 まあまあだった。
最後まで、「手伝おうか?」という声はかからなかった。
次の日の朝、気持ちのいい太陽の光と青空を見て窓を開け――たらやっぱり寒かったので、ちょっとだけ開けて空気を入れ換えた。
火を使わない魔導の暖房とはいえ、気温が上がれば相対的に湿度は下がるし、ときどき換気しないと空気が悪くなる。
だけど、一酸化炭素中毒の心配がないのは大きなメリットだよなー。
そんなことを考えながら、俺は幼児園へ行くためにテキストなどをせっせとカバンに詰め込んでいた。
「むぐぅー」
「あ、ゴメン」
おおっと、うっかりペンケースと一緒にニアちゃんも詰め込んじゃった。
「わーいっ♪」
しかし出そうと思ったら、カバンの上からひょこっと顔を出してそのまま収まってしまう。 気に入ったらしい。
そういや、前世で小型犬をカバンに入れて散歩させている人がいるのをTVで見たことがあるような……。
「……」
アレって、全然散歩になってないよな?
犬、歩いてねーし。
「そのまま行く?」
「きゅふーん」
犬というかカバンのストラップ的な感じになってしまった我が娘だけれども、まいっかーというコトでそのまま連れて行こう。
庭で遊んでいるのを見なかったので、出る途中でリソ君の部屋へ顔を出してみると。
「リソくん、動かないで~」
「うー」
まっすぐ立たせたブラザーに、セーレたんが上から服を合わせていた。 その横でお袋がにこにこしながら見守っている。
周囲に置かれている服やら下着やらを見るに、どうやら向こうへ持っていく着替えを吟味しているご様子。
師匠とこの庭とかで遊んで汚れるだろうことを考えると、少し多めに持って行った方がいいだろうしな。
が、身体を動かしたい王子様にとって、着せ替えはあんまり楽しくないようで。
「やー! あそうー!」
「あ~ん」
合わせようとする服からはみ出ようと、リソ君は手足を踊らせていた。 何かのゴールキーパーのような動きである。
でも、それで困ってしまうのはお姉ちゃん。
……服を持って動きについていこうとしているのを見ると、それはそれで楽しそうにも見えるのだが。
そしてお姉ちゃんは、そんなワガママボーイを沈める方法を熟知していた。
「だめ~」
「あうっ」
ハニーがひざ立ちになってガバッとハグをすると、途端にリソ君は大人しくなった。
我が娘のミューティレーションといい、彼は捕まるとだいたい神妙になる。
見事なお縄頂戴であった。
「お兄ちゃん、お出かけ~?」
「……」
靴を脱いで中に入る。 振り返ったセーレたんが、蒼い瞳を瞬かせる。 ブラザーもお姉ちゃんの横から顔を出し、同じ色の目で俺を見た。
俺はまっすぐ近づいてカバンをお袋に預けると、ハニーの後ろから二人まとめてハグした。
「うん、行ってくるぞー!」
「きゃ~♪」
「わー♪」
俺の手が短いので、とても一周はできないけれども。
クワガタみたいに両腕で挟むと、二人は黄色い声を上げて喜んでくれた。
ホントにもう可愛いなあー! と、しばらく三人でくねくねしていると。
「あら~、ママにはしてくれないの~?」
「……」
カバンを絨毯に置いたお袋が、両手を広げていた。
「ぎゅうううう~っ♪」
「……むぎゅ」
捕まって大人しくなるのは、なにも弟君だけではなかった。
ハグでハグを洗う壮絶なバトルが繰り広げられた後、俺は予定よりも遅れて幼児園へ。
我が娘は園児達と戯れたがっていたためすぐに解き放ち、俺はヴェオラ園長さんに誘われ一人カウンターの奥へと入る。 ドロシーさんは既に授業に出ているようで、よく通るハスキーボイスが廊下の奥から聞こえてくる。 さすがは現役の舞台女優さんだ。
ちなみに旦那さんは、年少クラスで子供達と遊んでいるらしい。
きゃーきゃーと楽しそうな子供達の声が壁の向こうから聞こえてきて、その距離以上にちょっと遠い、ノスタルジックな感じを覚えた。
「さあ、座って」
「ほーい」
小さな応接スペースに、園長さんと向かい合って腰掛ける。 冬場のヴェオラさんはお団子にしている髪を解き、肩にストールを掛けているのがトレードマークだ。 今はひざに掛けたけど。
「はい、どうぞ」
「あ、ども」
しばらくすると、エルネちゃんと同じくらいの、エプロンを着けた女の子がお茶を持ってきてくれた。 バイトの子だ。
幼児園というのは、子供を預けに来た親御さんの中から手の空いている人が面倒を見るというシステムによって、コストを削減して利用料を安くしている。
だが仕事は当然ながらそれだけではないので、ドロシーさん以外にもバイトの人が何人かいるのだ。 メインの業務は夕方からの掃除らしくて、俺がバイトの人を見ることはあまりないんだけど。
ちなみに俺が今日初めて会ったこの子は、この幼児園のOGらしい。
つまりは先輩だ。
「ふぅ~ん、へえぇ~」
「……」
な、なんか、すんごい見られてる……。
さすがに覗き込んでくるようなことはされないのだが、ヴェオラさんの隣でまじまじと観察されると困ってしまう。
興味に輝く女の子の笑顔。 特に瞳がキレイで、思わず目を逸らす。
「あはっ♪ パッと見マジメそーだけど、かわいいっ」
「でしょう?」
あのー……園長さん? 何が「でしょう?」なんでせう。
二人はニヤニヤ顔でうなずき合っていた。
「――という感じね」
「へえー」
ほどなくしてバイトの女の子は仕事に戻り、俺は園長さんと話をする。
だけどテキストについてはもう十分に評判など聞き尽くしちゃった感があるので、今やもっぱら園児達がどうしたとか、最近の俺が何をしていたとか、ごくごくフツーの雑談である。 もちろん、明後日からの里帰りについても。
ヴェオラさんとは、すっかりお茶飲み友達的な関係になってしまった。
「あ」「あら」
お昼の鐘が聞こえ、俺と園長さんの声がハモる。 来るのが遅かったせいもあるが、ついつい長居をしてしまった。
そろそろ帰らねば。
「じゃあ、そろそろ」
「そう?」
お昼に誘われたけど、家でみんなが待っているので遠慮する。
そしてカウンターに出るとあごひげがダンディな旦那さんと顔を合わせたので、軽く挨拶をして年中クラスへ。
ニアちゃんはまだ中にいるようだ。
「失礼しまー……」
俺はノックをして声をかけ、ドアをスライドさせて部屋の中に――。
「ひいいっ!?」
目の前の光景に、思わずしゃっくりじみた悲鳴が漏れた。
――白い服を着て、長い黒髪をバッサ~と絨毯に広げている、四つん這いの女性。
後ろから前へとめくり上がった髪のせいで顔は見えず、代わりに細く青白い首とうなじを晒している。
まさしく、例のホラー映画の再現であった。
「わーい!」
しかもその背中の上に、ウチのニアちゃんが座って楽しそうにバンザイしている……。
ジャパニーズホラーとファンタジーな妖精さんとが仲良くコラボしているという、あまりにもシュールで意味不明な光景が展開されていた。
「フフフ……久し振りね」
「ど、どうも」
顔を上げ、俺に話しかけてくる闇色の人。 ……というか、例のショタお姉さんであった。
それにマーヤさんのお母さんでもあり、精霊のアーンさんと結婚している御使いの大先輩でもある。
「半ズボンではないのね」
「……寒いですから」
まだまだ年齢的には履いててもおかしくないのだが、精神的にちょっと抵抗あるしな。
少々困った嗜好、というか性癖をお持ちの人だけど……ボランティアで幼児園や孤児院を回っている、とてもいい人でもある。
いまだバクバク言っている心臓を胸の上から抑えながらため息をついていると、奥の方からピンク色のお姫様がとことことやってきて、俺に抱きついた。
「みゅーん♪ おにーちゃ」
「お、おおおおお……♪」
朱くまあるい瞳で見上げてくるのは、るー君の妹のリリちゃん。
ショタお姉さんのインパクトが強すぎて、リリちゃんがいたことに気づかなかった……。
というか部屋を見渡してみると、他の子供達やお母さん達と一緒におやつを食べる準備をしていたらしい。 その中にメイドのエーデルさんもいて手を振ってくれたので、「ども」と会釈しておく。
緊張していた全身から力がふにゃりと抜けきると、リリちゃんは俺に抱きついたまま白いうさ耳をぴくぴくさせて話しかけてくれた。
「おにーちゃも、たべる?」
「え、いや……」
誘ってくれるのは嬉しいけど、家で用意してくれるしなあ……。
「……いやー?」
「うっ」
で、でも、ちょっと摘むくらいならいいか?
さすがに、この子にうるうると清らかな目差しを向けられると、断ることが罪にさえ思えてくる。
今度は罪悪感に胸を痛めていると、ショタお姉さんが四つん這いのまま黒髪を引きずりながら近づいてきた。
その背中に乗っている我が娘も、「どうするのー?」といった視線を向けてくる。
「少しでいいから、お食べぇ……」
「……はい」
ま、ここまで誘われて顔を見せただけで帰るのもなんだし、少しだけなら……。
それにしても、ファンシーとホラーとのギャップが途轍もないなー。
慣れて落ち着いてきた心臓を押さえながら、俺はおもむろに首を縦に振ったのであった。




