652 あしたはどっちだ?
薄い灰色の雲に覆われた、昼下がりのセスルーム。
リビングへと戻ってきたセラフィーナはテーブルに着くと、受け取ったばかりの封筒をそっと置いた。 小さくひと呼吸すると、飲みかけのティーカップから立ち上るかすかな香りが鼻腔を満たし、気分が落ち着く。
「……ふぅ」
まれにとんでもないお方が届けに来る手紙。 さすがに三度も経験すれば咄嗟に笑みを浮かべられるほどには慣れてきたが、それでも心臓に悪いことに変わりなく、ほっとした。
わりと図太い神経をしている自覚のあるセラだったが、それ以上に度胸の据わっている娘と……その娘の産んだ孫の破天荒さには、勝てる気がしないのだった。
「さて、っと」
ふと、カップの足元の皿に掛けてあったスプーンが目に入る。 レターナイフを取るのにまた立つのも面倒だったので、それを手に取る。 紅茶の滴が残っていたので口に含み、引き抜いた指に絡めて軽く二、三回転。 柄の先で封を切った。
それからスプーンを皿に戻し、封筒から手紙を取り出して読み始める。
「ふふっ」
蒼い視線を紙の上に滑らせると、セラは艶やかな赤い唇にアーチを描く。
独特の癖があり、ちょっと達筆とは言い難い文字で「みんな、行きたいって喜んでた。よかったよー」と、なんとも年相応で可愛らしい文章が書かれていた。
少し冷めてしまった紅茶に口をつけ、その先の文字を追っていく。
「……」
結婚してから初めて、娘の一家が可愛い孫達と一緒に帰ってくる。 祖父母であれば、誰だって頬を緩めずにはいられないことだ。
しかし……それを主導しているのは自分ではなく、また娘でも婿でもない。 形としては自分と娘とが話し合ってはいるものの、その間を見事に取り持っているのは六歳の孫息子である。
孫達を「連れて」帰ってくるのではなく、むしろ実質的には「連れられて」帰ってくることに、思わず苦笑せずにはいられなかった。
現に。
「ふーん」
手紙の続きには、今回の帰省に伴う問題点について、子供らしい文体で書かれている。 ちなみに、既におおよその問題は解決しているか、それなりの代替案を立ててある。
しかし彼は、それ以上の方法が取れないか模索を続けているらしい。
「……あの子、将来ハゲないかしら」
家系としては大丈夫なはずなんだけど……。
そこで、自分は一体六歳の子供に何を心配しているんだろうと思い、セラは口をつけようとしたカップを止め、肩を震わせた。
夜のように暗い空から、ひらひらと雪が落ちてくる。
地面が白く染まることはなさそうだが、吐く息は真っ白に染まっている。
「じゃ、行ってきまーす」
「行ってきまあ~す♪」
だが、俺もセーレたんも、寒さなど気にもせずに手を振って家を出る。
十分に寒さ対策をしているのもあるけど……。
「お兄ちゃ~ん」
「ん?」
呼ばれて首を左に向ける。
魔導灯――魔力で光る懐中電灯を片手に、マイハニーが闇を払うような笑みを浮かべていた。
「みんなで旅行、楽しみだね~♪」
「そうだな」
何度も行ったことがあるところとはいえ、初めての家族全員での旅行である。
俺もまた、遠足か修学旅行に行くような気分に胸を躍らせていた。
「おはようございまーす」
「ございます~」
明かりを持って立つ地域のお姉さん達と挨拶を交わし、校門をくぐるとやはり明かりを持って生徒達を迎えてくれる先生や職員さん達に挨拶しながら校内へ。
今日も賑やかなクラスメート達は、いつも通りに遊んでいるのがザッと見て半分弱。 もう半分は、お互いに本やノートを突き合わせ、あるいは一人でテスト勉強に励んでいる。
だが遊んでいる子達はもう諦めたのかというとそうではなく、特に勉強しなくても自信があるのか、授業が終わってからどこかで勉強するのだろう。
なので、教室の雰囲気はちょっと硬めであった。
「フッ。 本試験でヤマを張るなんざ、効率が悪すぎる。 本試験の問題を見て、追試にヤマを張るのが賢いやり方だぜ!」
「ふむ。 確かにお前は、進級試験の時にはその作戦で通った。
だが去年は、まったく違う問題が出たと言っていたよな?」
「……あ。 あ、いや、こっ、今年は大丈夫だ!」
「本当か?」
「……」
「……」
通りかかった席で、男子二人が黙り込んでいた。 今月の本試験に間に合わないなら追試でもいいから、すぐに勉強を始めた方がいいと思うぞ……?
まあ、俺が言わなくてもそうなりそうな空気だったので、何も言わずに席に着く。 セーレたんは可愛らしく小首を傾げたまま自分の席へ行き、さっそくいつものお友達とお喋りを始めた。
「おはよー」
「ええ」
黒髪のマーヤお姉さんには、黒いセーラー服がよく似合う。
更に黒い表紙の本を読んでいて、俺の声に目線を上げて応えてくれた。
「なに読んでるの?」
「推理小説」
「へー」
それはまた、渋い趣味をお持ちで……。
「犯人は解ってしまったけれど、なかなか面白いわ。 語り部が犯人なのよ」
「ほー」
なんでも、たまたま事件に居合わせただけの関係者――に見せかけた、犯人視点での話らしい。
叙述トリックってヤツだ。
「じわじわと追い詰められていく犯人の心理描写が秀逸よ」
「……おー」
それはそれは、お姉さんが好きそうな描写でありんす。
「読む?」
「うん」
間髪入れずにうなずく。 読み終わった後で貸してくれるという意味だ。 チャロちゃんの相変わらずハジけまくったラインナップも面白いが、マーヤさんの黒いラインナップも面白い。
……セーレたんには読ませられない、という意味では変わらんがなー。
そんな黒い本をお姉さんが机の中に入れたところで、俺も和やかな雑談モードに入る。
「帰ることになったよ」
「よかったじゃない」
マーヤさんが瑠璃色の瞳を細め、微笑んでくれる。 ま、いろいろと問題がある……というか、まだ完全にプランがまとまってないんだけど。
でも、日程や大人数がどうやって泊まるかについてはメドがついている。
あとは――。
「足を、どうしようかなーって」
目下、俺がイチバン問題にしているがコレだった。
すぐに思いつくのは定期便だが、まず今から全員分のチケットが取れるかどうか分からないのがひとつ。 もしもムリだったら、二つか三つの組に分かれて行くことになるし。
それに……片道に半日かかってしまう、っていうのがどうにも痛い。 行き帰りの道のりを楽しむのも旅の醍醐味だとはいうけど、今回は日程の幅が決まっているからなあ。
単純に往復だけで一日減るだけじゃなく、半日も馬車に揺られることで溜まった疲れを取るのにも時間を使ってしまう。
かなり、もったいない。
「ふぅん」
話を聞くと、マーヤさんは机に頬杖をついた。 長い黒髪がサラリと流れ、俺の目の前で漏らした吐息がなんとも悩ましい。
「だったら、精霊便で行けばいいんじゃない?」
「あー……」
どこかの王妃様っぽい言い方だけど、その意見はごもっとも。 精霊便は人も運んでくれるので、そうすればまさしく「ひとっ飛び」だ。
まーそれなりに料金はかかるんだろうけど、俺の分は我が娘に頼めばタダで済むからちょっとは節約できるし。
……だが、実はそれ以前の問題がある。
「飛ぶのが怖いって言う人がねー」
「あら」
お父さんと飛んだ経験があるのか、お姉さんは頬杖をついたまま首を傾けた。
親父とお袋はOKしてくれたし、普段から飛んでいるリソ君はなんとも思っていないご様子。 だけどセーレたんは他人に命を預ける感覚が怖いらしく、チャロちゃんとマールちゃんはいつも俺が空に上がってゴマ粒みたいに小さくなっていくのを見て、「自分がああなるなんて絶対ムリ!」と思っていたようだ。
二人とも、真っ青になった顔をぶんぶんと横に振っていた。
「勿体ないわね……。 その、ごま粒を見下ろすのが楽しいのに」
「……」
お姉さん、黒いです。
黒ゴマですー。
学校が終わり、雪のやんだ道を歩いて帰る。
今日は武術の授業が特に盛り上がった。 男女に別れ、じゃんけんをして勝った方がソフト棒で相手を叩き、相手は防御するか避けるというゲームである。 テスト勉強のストレス解消には、うってつけだったと思う。
子供どうしてでの勝ち抜き戦も面白かったが、最後の先生どうしの頂上決戦が超盛り上がった。 アズミーリ先生と絶叫先生、両方ともマジだったからな。
ちなみに女子の部はマーヤさんとマイシスターとが最後まで決着つかず、男子の部で優勝したのは……るー君である。 涙目で見上げてくるあのコを、いったい誰が叩けるというのか……。
俺はデコピンしたのだが、棒を使わなかったという理由で失格となった。
……ま、使ったら失格どころか滅殺だったろうけど。
「あっ、おふぁふぇひ……はふはふ」
「どーもー」
今日は水の日とくれば、帰ったらほっぺをパンパンに膨らませた食いしん坊編集さんが待っているのは自明であった。
そのステイさんが機関車のように口から湯気を吐きながら、メガネを曇らせて熱そうに頬張っていたのはふかしイモ。 中の甘~い糖分がふかされたことによって黄金色と化し、更にバターによってまろやかなコクと塩気をトロットロにコーティングされた、寒い日にはそれはもうたまらないスイーツである。
テーブルには、ティーカップを片手にステイさんの食べっぷりを見てにこにこしているお袋と、やっぱりほっぺを膨らましてお芋を食べているリソ君。 そして奥のキッチンには、凶悪な黄金を量産し続けているチャロちゃんと、鍋の上で謎の踊りを踊っているニアちゃんがいた。
「うふふふ~、お帰りなさ~い」
「ジャスさまセーレさまっ、もうすぐできますからねー♪」
「わああああ~~~っ♪」
お袋は俺達に小さく手を振り、チャロちゃんは木の串を手に代わりにしっぽを振ってお出迎え。 セーレたんが音もなく手を叩いて喜び、早足で手を洗いにキッチンへと歩いていく。
なお、マールちゃんは俺達のカバンを持って二階に上がっている。
「お隣さんにいただいたのよ~」
「そうなんだー」
セーレたんが手を洗っているのを待っていると、お袋が教えてくれた。
横ではブラザーが、バターを塗ってもらったおイモに一心不乱にかじりついている。 可愛い。
「さあ、できましたよー!」
「おおー」
リソ君の食べっぷりにほっこりしていると、それと同じくらいほっこりとしたおイモがやってきた。 チャロちゃんが鍋から皿に移したおイモをマイシスターが持ってきて、ニアちゃんもまた固形バターを突き刺したフォークを持ってテーブルに飛び乗った。
「お兄ちゃんも、手を洗って~」
「ああ、そうだね」
「やりやりー!」
セーレたんが置いた皿の隣で、我が娘がなかなか見事な槍捌きを見せ始めた。 振り回しすぎて、フォークの先に刺したバターを飛ばさないといいのだが。
「ふーっ」
あー、いい匂いだ……。
俺もいい加減腹が減ってるし、早いとこご相伴にあずかるとしよう。
おやつを食べながら楽しく雑談をし、小腹が落ち着いたらマールちゃんとステイさんと三人で二階で仕事の話。
で、編集さんが帰った後もそのままの勢いでマンガの原作を書いていると、気がつけば外はもう薄暗くなっていた。
あっという間の一日である。
「ふぃー」
日もどっぷりと暮れて、歯磨きを終えた俺は我が娘を肩に乗せて階段を上がる。 後はもう寝るだけだ。
午前の間にお袋が定期便について確認に行ってくれたらしいけど、早めに予約を取ってくれるなら客車用の馬車を追加して席を取ってくれるとのこと。 だがそれは特別扱してくれたのではなく、予約が多いときにはそうやってキャパを増やすらしい。
もちろん、いくらでもってワケじゃないが。
「……うーむ」
やっぱりマーヤさんの言う通り、飛んでいくのがイチバン手っ取り早いんだよなー。
でも、嫌がるセーレたん達をムリヤリ運ぶワケにはいかないし、じゃあ運ぶ間だけぐっすり眠っていただくってのも――どこかの「大統領でもぶん殴ってみせる人」じゃあるまいし、なあ?
ちなみに、気持ちよ~く眠ってもらう方法はあるけど。
……と。
頭の半分で考え事をしながら部屋のドアを開けた俺は、その場で固まった。
「わー」
耳元で我が娘が声を上げるのを、右から左へと聞き流す。
俺の目には今、かなりシュールなモノが映っていた。
――ベッドから、なんとも艶めかしい女性の脚が、にょっきりと生えていた。
「……」
なんだコレは……。
生えているのがプールであれば単なるシンクロナイズドスイミングだし、池であれば単なるどこかの山奥の村の殺人事件である。 ところが、生えているのは俺のベッドである。
まさか、ベッドが何かに進化したワケでもあるまい。
「~♪」
自転車のペダルをこいでいる途中のようなポーズをしている脚。 その、まっすぐ伸ばしている方の足が、くいくいっと上下に動いた。
どうやら、こっちに来いって意味らしい。
「……はぁぁぁぁ」
なんか、どっと疲れた……。
半透明の羽を出して「わーい」と飛び立った我が娘を見送り、俺はのそのそと靴を脱いで部屋に上がった。
「ほれ、早く来んか」
「へいへい」
脚が喋った。 ……なーんてコトはなく、喋ったのは濃い緑色のストッキングを履いた脚の持ち主である。
トンボのように足の先に留まった我が娘を見ながら、俺はその隣に腰を下ろした。
ベッドや布団を透過して脚だけ飛び出しているのは、間近で見るとますますシュールだ。
「良い足があるぞ」
「……」
うん。 ま、そういう意味なんだろうなーって思ったよ。
キレイな脚であることは確かだし。
「んふふ、そうだろうそうだろう♪」
俺の心を読んだけしからん脚が、つま先にニアちゃんを乗っけたまま四分の一の円を描いてベッドに倒れる。
と同時に、見えなかった上半身が起き上がってきて、枕元に置いてあった金縁の伊達メガネを耳に掛けた。
レンズ越しの碧の瞳が俺の顔を見ると、セクシー聖母様は唇に得意げな笑みを浮かべた。
「んで、その心は?」
「暇だ」
「なるほど」
つまり、仕事させられるのがイヤだと。
「その様な事はないぞ! 視察予定の場所もあるでな」
「ふーん」
それも嘘ではないんだろうなー。 だけど、年末だから城にいると何かと仕事させられそうだからイヤ、っていうのも事実だろう。
とはいえ、逃げても俺達は里帰りしていて道場にゃ誰もいないし、暇だーと。
「んふっ、流石は我の嫁だな♪」
「誰が嫁だ」
で、なんで脚を俺の腰に絡めてくる? はしたないぞー。
ちなみに我が娘は父親の脚をたどってとことこと走り、今は呼吸をしないお腹の上で「引っ張れー」と綱引きのジェスチャーをしている。
いつもながら楽しい子だ。
「全員が乗れ、且つ速い乗り物を用意できるぞ? しかも、無料でだ」
「……」
まさしく「渡りに船」ってか。 確かにありがたいけど。
「んで、代わりに何を?」
「何もない。 セスルームを救った英雄の帰郷なのだ、細やかな餞だよ」
「……そっか」
だったら、ありがたく頂戴するとしようか。
それだけじゃ済まない気もバンバンするけど……ま、大丈夫だろう。 明日にでも、お袋達に話してみるか。
きっとビックリするだろう。
「ところで」
「ん?」
「……いつになったら、放してくれんの?」
「さあな」
足癖の悪い精霊様は、横から俺の腰に絡めたまま放してくれない。
俺、そろそろ寝たいんだけどー。
「んふふふふふ。 ならば、解いて見せよ」
「ほう……?」
寝っ転がってお腹に娘を乗っけている夫に向けて、ニヤリと唇を歪める。 ちょうど俺の手元に、クロスしたおみ足があるんだけどなあー?
しかし、俺の意図を読んだアルヴィちゃんもまた余裕の笑みを浮かべる。
「ふん、我に擽りなど効く筈――ひぃん!?」
「ほう? くすぐりが何だって?」
「ひぃぁあ!?」
指先から出した細~い触手でくすぐりながら、またも笑う。
確かに、普通の指なら無意味だろうが……コッチの方は、それなりに効くようだな?
「ま、待て! 其方、わっ、我の身体に――ひぃっ!?」
「ふっふっふー」
マッサージの応用だよ。
敵意を持った「干渉」なら効かないだろうけど、あくまでも「マッサージ」だから……ねえ?
このタイツだって、こいつの身体の一部だ。 裸足をくすぐるのとなんら変わらない。
「はっ、放せ! 放――ひぇぇぇん!?」
「やーだねー」
「お、オドが染み込んで、く……ふぅあああんっ!」
「わーっ、ママが勝ってるーっ♪」
「にゅっふふーん」
思いっきり背中をのけ反らせ、あの聖母様がびくびくと震えている。 マイドーターもお喜びだ。
……さあ。 足のお礼は、その足でたっぷりと受け取ってくれー♪
「ひぃああぁあーーー!?」
「はっはっはー!」
言うまでもなく。
……すぐ後に、俺は「お礼のお礼」をたっぷりと受け取らされた。




