646 ドッグもキャットもスマイル
紺色の空にうっすらと光が差す、夜明けの町中。 石畳の道を、白い息をリズミカルに吐きながら軽快に駆ける。
生前であればクリスマスで冬休みになっている日であるが、今の俺にとってはただ学校がないだけの平日である。
今日もいつも通り。
「はっ、はっ」
早起きして外を掃除しているご近所さんと挨拶を交わしながら走っていると、冷えていた身体がいい感じに温まっていく。
そういや、小学校くらいの頃は冬になると毎年校外マラソンさせられたよなー。
不意に遠い日のことを思い出し、懐かしい気分に――。
「……ははっ」
そんな、ノスタルジーな気分に浸っている俺が今まさに初学生をしているんだけど、どうよ?
と、ミョーな因果に笑いが漏れた。
「どうか、なさいっ……まし、た?」
「ううん」
俺の隣を走るセーレたんも小首を傾げているが、後ろから呼吸も合間に話しかけてきたのはマールちゃんである。
なかなか都合が合わなくて一緒にジョギングできることは少ないというのに、今朝はわざわざそれ用に買ったらしい細身のパンツを履いて付き合ってくれている。 あんまり詳しくないけど、前世じゃサブリナパンツ……とか呼ぶんだったっけ? 誰だ、サブリナって。
でも、脚が細くて長いマールちゃんにすごく似合っているなあ。 走りながら振り返ると、今日は休みだけどジョギングのために髪を束ね、それを左右に揺らして軽やかに走っている姿が目に入る。
「たまに……走ると……はっ、はっ。 気持ち……いい……です、ねっ」
走って血行が良くなり、かすかに頬を赤くしているマールちゃん。 横のハニーもそうだし、俺もきっとそうだろう。
だが、セーターのふくらみが上下に揺れるのはマールちゃんだけである。
「うんっ、ぽかぽかになるね~♪」
セーレたんはスカートのまま、なるべく脚を上げずに走っている。 脚にスカートが巻き付くことはなく、長い髪も走っているわりにはそれほどなびかない。 ……空気抵抗はどうなってるんだ?
俺も歩法の練習を兼ねて滑るように走っているが、この子やお袋の走法はよく分からん。
適度に腹が減ったところで、朝ご飯を頂く。
「うまうま」
軽く炙ったパンが美味い。 しかも今日はスリットを入れた中に味付けして焼いた野菜やソーセージなどを挟む、ちょっとしたホットドッグである。
マスタードやケチャップみたいなソースはまったくないけど、むしろこのままの方が素材の味が感じられてイイね。 あっさり味の野菜スープもイイ。
ジャンキーなのも恋しく思わないではないが……生まれてこの方ずーっとヘルシーな食生活をしてきたので、今となってはこっちの方が好みだ。
「あはっ、よかったですー♪」
一緒に食卓を囲みつつ満面の笑顔を見せているのは、メイド服姿のチャロちゃんである。
昨日、レイグさんと出かけた先で食べたのがコレだったそうで、今朝はソレをちょっぴり自己流にアレンジしたらしい。
自分の休みを潰して、なぜか凹んでいたレイグ叔父さんの気晴らしに付き合ってあげたというチャロ「お姉ちゃん」。 だが実際には繁華街をウィンドウショッピングに引っ張り回したようで、昨日の夕方には本人がいちばんハイテンションになって帰ってきた。
当のレイグさんは、途中で別れた来たために俺達は見ていないのだが……まあ、想像はつく。
確実にライフはゼロになっていただろう。
「で、あいつは何故落ち込んでいたんだ?」
大きな口を開けて具だくさんのホットドッグを完食した親父が、口を拭いてからチャロちゃんに尋ねる。 が、返ってきたのは「さあー?」という首を傾げたリアクション。
それを聞いて、並んで席に着いているマールちゃんも首を横にした。
「うふふ~。 そうなの~」
お袋は向かいのメイドちゃんズ――片方は私服の二人を見て微笑み、隣のリソ君の頭を優しくなでた。
ウチのブラザーはまだお口が小さいので、輪切りにしたパンを炙って具を乗せたものを食べている。 なお、具乗せ係はニアちゃんである。
「とおーっ」
二股のフォークでソーセージを刺しているのが、まるで川で泳いでいる魚を捕っているみたいでワイルド可愛い。
「……ありゃ」
狙いが外れて、たまにソーセージがお皿から飛び出してくる辺りが特に。
テーブルに転がったヤツはお袋がフォークで取り、そのまま親父に「あ~ん」と食べさせていた。 朝からラブラブである。
「レイグちゃんは元気になったかしら~?」
「え、ええっとー。
……ぐったりしてました」
お袋からの問いかけに、やっぱり予想通りの答えが返ってきた。 ちょっぴり苦笑いなチャロちゃんの返答に、食卓が笑いに包まれる。
だけど、それはそれで気晴らしになったんじゃなかろうか?
『行ってきまあ~す♪』
蒼い瞳と金の髪を持つ姉妹が仲よく手を繋き、柔らかな日差しの中へと歩いていく。 ……セーレたんが少しずつ大きくなってきたおかげで、ますます親娘に見えなくなってきたな。
今日は二人が道場の掃除当番。 しかも先日ご近所さんから打診された道場開放について、昨日のうちに親父とお袋から返事をしてくれた。 でもそのときは取りあえずOKを伝えただけで、細かいことについては今日、ご近所さんを呼んで詰めるらしい。
だったら、いちおうオーナーである俺も同席した方がいいのかなーとも思ったけど……お袋が「任せて~」と言っていたのでそうすることにした。 それに、俺にも予定があるしな。
ちなみにニアちゃんは近所のお家に呼ばれ、遊びに行っている。
「んじゃ、行きますか」
「おー!」
時間まで、久し振りにチャロちゃんと、出勤してきたアナさんのお手伝いをした後。 玄関先で小さな手を握ると、マイブラザーは空いている方の手を突き上げた。
キラキラときらめく髪はまるでシルクのようで、さすが黄金の家系である。
「ふふふっ」
一緒に出てきたマールちゃんが笑みをこぼしている。 ジョギングウェアからロングスカートのお姉さんファッションに着替え、空色の髪は横のところを一房ずつ取って後ろに回して軽く編んでいる。
そして、首には俺の贈ったチョーカー。 OFFの日に使ってもらうのはいいんだが……若干、浮いて見えなくもない。
「はい、リソ様」
「あーい」
空いていた方の手もマールちゃんが繋ぎ、これで美人なお姉さんと小さな子供二人が横に並んだ。
リソ君の髪がけっこう伸びてきたので、少し前にマールちゃんが自分の髪を切りに行ったついでに予約を取ってくれたのだ。 俺も前髪が目にかかるようになってうっとうしかったので、ついでに。
俺の予約は取ってないけど、今日は休みだし多少待つことになっても気にしない。
「ほら、風邪引かないようにな」
「うー」
緩んでいたブラザーのマフラーを軽く整えて、いざ出発である。
「……けっこう時間がかかっちゃったな」
軽くなった髪に指を通しながら、境界通りにある行きつけの美容院を後にする。 お昼の鐘は、俺が切ってもらっている間に鳴り終わってしまった。
先に終わったリソ君が退屈するかと心配していたのだが、マールちゃんや店のお姉さん、それから他のお客さんまで相手をしてくれたので全然大丈夫だった。
今も俺とマールちゃんの間で元気いっぱいである。
「せっかくの休みなのに、ありがとね」
「いえ、楽しかったですよ」
そよ風が吹いてふわ~と舞うリソ君の髪の向こうで、マールちゃんも髪をなびかせてふんわりと微笑んだ。
朝から俺達に付き合いっぱなしで、コレじゃ仕事の日とそれほど変わらなくなってしまったように思うのだが、まったく気にした様子はない。
「じゃ、おやつ食べに行こうか」
「はいっ」
マールちゃんに髪を整えてもらいながら、隣でブラザーも「おやちゅー!」と喜ぶ。
繋いだ両手を上下に振って、とてもご機嫌だ。
「今日はマールちゃんの分も僕が出すね」
「えっ? でも」
「いいのいいの、今日のお礼だから。 それに……」
もともと今日は外で食べる予定だったしな。 お金もお袋から、散髪代と一緒にもらっている。
金額からして、マールちゃんのおやつ代も含まれているっぽいが……そこから出すつもりはない。
「マールちゃんのご主人様だからね」
ちょっと格好つけすぎかなーと思いながらも、そう言って笑ってみせる。 あいにくと月末で手持ちが心許ないので、お袋のお金で立て替えた後で銀行に寄ることになりそうだけどなー。
やっぱり、どこかでオチがついてしまう俺である。
「……はいっ♪」
でもまあ、マールちゃんが満面の笑みを咲かせてくれたから、結果オーライだ。
――小さな広場沿いにある小じゃれたお店でスイーツを堪能し、すぐそばの銀行で預金を下ろして帰途に就く。 ついでだから来月分を下ろしていく、と言い訳して。
でも、窓口に呼ばれて立ち上がった俺の後ろでマールちゃんがこっそり笑っているのがかすかに聞こえたから……バレていたかもしれん。
そもそも、毎月俺の代わりに俺のお金を下ろしているのは彼女である。
「ふふふっ♪」
「……」
モロバレじゃねえか……。
早くも傾き始めた太陽。 その黄色い光を浴びながら、マールちゃんは静かに微笑んでいた。
三人で手を繋いで帰ってくると、先に帰ってきていたマイシスターからお便りをもらった。
残念ながら、ハニーからのラブレターではない。
「精霊さんから届いたの~」
「おっ、ありがとう」
オシャレというか可愛らしい封筒で、既にセラさんからだと分かる。 最初は普通の封筒だったのだが、メール感覚で雑談混じりのやりとりを交わしている間に、だんだんこんな封筒になってきた。
っていうか、履歴書サイズでもこんな封筒があるんだな……。 しかも、けっこうな枚数が中に入っていそうな感じ。
それはともかくとして、わりと凝り性なところのあるセラさんらしい。
もちろん本来の目的は、毎月一回のマッサージ出張の日程合わせである。 普通の郵便だと届くのに数日かかるので、今では精霊便を使うのが当たり前になっている。
たまーにトゥキお兄さんが配達員に扮してやってくる、一般人にとってはヒジョーに心臓に悪い精霊便だった。
「先にご覧になってはいかがでしょう?」
「そうだね」
マールちゃんからの提案にうなずく。
外が夕方らしくなってきたが、夕飯の時間はまだまだ先である。
「さあ、リソ様は奥様にキレイに『ちょっきん』したのをお見せしましょうね」
「あい、ちょっきーん!」
その間にマールちゃんはリソ君と手を繋いだまま、廊下を歩いていく。 それを玄関で見送っていると、セーレたんがすすーっと俺の目の前に近づいてきた。
小さな両手を、胸の前で合わせている。
「お兄さまも……もっとかっこよくなりました」
「お、おお」
のけ反りそうなほどの至近距離。 しかも、目がすっごくキラキラしてる。
そこまでかなーと内心で首を傾げつつも、両肩に手を置いてお礼を言う。
「ありがとな」
「ふわあ~……♪」
俺、いつの間にか魔眼にでも目覚めたのか……?
んなアホなーと密かにセルフツッコミを入れて、俺はセーレたんを連れて廊下を歩き始めた。
手紙を読む前に、まずは手洗いとうがいである。
「――ふむ」
ハニーが持ってきてくれたお茶を飲みながら、部屋でひとり手紙を読む。 我が娘もすぐ後に帰ってきたが、今は下で男前になったブラザーと遊んでいる。
内容はほとんどが雑談。 しかも俺が前にシャレで入れた顔文字をマネし始めて、とても孫が三人もいる人が書いたとは思えないほど可愛らしい文章になっていた。
セラさんの、口元を猫のようにしてニヤニヤしながら筆を走らせる姿が目に浮かび、自然と頬が緩む。
「ほっほう」
手紙には、セラさんだけでなくカステさんやローザさん達の近況も書いてある。 これはマッサージの効果をつぶさに見に行けない俺の代わって教えてくれる意味もあって、俺の研究に役立っている。
やはり効果は時間が経つとだんだん薄れてしまうようだが、回数を重ねるとその薄れ具合が少しマシになるようだ。
カステさんは家事と工房のお弟子さん達の世話にと大忙しなのに以前ほど疲れなくなったそうで、ひどい腰痛で起き上がれない日もあったというローザさんにいたっては、今や普通に通いのメイドさんの仕事ができるようになり、増えたお給料で新しい服をいろいろ買い始めたらしい。
あと、クラお姉さんについては――食堂で特定のお客さん相手にウキウキと働く様子が詳細にレポートされていた。
セラさん、こっそり見に行ったのか……。
「ふふん」
俺は俺の方で、帰ってきたセーレたんの頑張り具合とか、リソ君がある程度自分でお着替えできるようになったとか……。
「神子様のように働く」という慣用句さえ存在しているトゥキお兄さんが、これからは不定期に休むと宣言したことが新聞に載るなどして各界を騒がせたのが、実はニアちゃんの「たまには遊んでよー」という一言が原因だったとか。
まあそういった近況やその他もろもろを書き連ね、それに対するレスもいっぱい書いてくれてあるのを読み進めていく。 さすがにネットでやり取りするのに比べるとライブ感は劣るけど、ノリ的にはそれに近いものがある。
とはいえ紙代も送料もバカにならないので、その分、一回の量がかなりスゴイ。 窓の外がかなり暗くなってきたのを感じながら読んでいくと、やがて最後っぽい話題に入っていく。
「……え?」
その内容に、思わず目を見開く。
が、次第に口元が上向きになっていく。
「ほうほう、それはそれは……」
年末年始は式典とかで忙しいから、最初っから頭の中から除外していたが。
それなら……アリかも?
「ふーむ」
親父は明日くらいから、月締め業務で忙しくなる。
その代わり、今日は早めに帰ってくるらしいから……後で聞いてみるか。
「ふっふっふー」
そこに置いてある姿見の前にあったら、きっと今の俺はセラさんみたいな顔になっていることだろう。




