619 きになるあのコ(略してきのこ)
少しずつ明るみ始めた空。 暗闇の多く残る住宅街の石畳に、冷たい風が吹き抜けていく。
「おおっ、寒ぅ……」
わずかに白む息をかき消し、縮みそうな身体を思いっきり天に向かって伸ばす。
ピンと張った指のはるか先に、いくつもの星が瞬いていた。
「うん、寒いね~」
そう言いながらも、マイシスターは長い髪をクリスマスツリーのようにキラキラさせて微笑むばかり。
俺よりも早く目を覚まし、朝のお手伝いを済ませてきたこの子は既にいつも通りだ。
「明日はもっと冷え込むらしいけど……」
手足をブラブラさせながら視線を向ける。 妹様は本当にいつも通りである。
もう一人の娘は、明らかに違うというのに。
「……」
ジョギングをしに一足早くウチに来たエミーちゃんは、さっきからハニーの後ろに隠れるようにしながら準備体操をし、俺と目が合うたびに慌てて顔を横に向けるのを繰り返している。
まだ走ってもいないのに、全力でゴールした後のような顔色であった。
「ふーぅ」
準備体操を終え、大きく息を吐きながら考える。 候補は二つ。
予習のときは俺も恥ずかしかったから、聞かれてもなるべくアカデミックに説明して理屈だけは理解したエミーちゃん。 しかし具体的なアレコレや、更にはセルフサービスなアレなども耳にして、いまだ顔から火が出るような思いをしているのだろうということ。
恥ずかしがり屋なこの娘なら十分にありえる。
そして、もうひとつは……。
「やっぱり、気になる?」
「……」
自分より小さなセーレたんに隠れ、顔を半分だけ出してこくりとうなずく。
エルネお姉ちゃんの、就職についてだ。
「しっかりと考えてから返事をするよ」
「……うん」
俺の返答に、また小さく首を動かす。 もう半分以上は決まっているようなものだが、それは本人へ最初に言うべきだ。
「大丈夫だよ~」
腰にしがみつくエミーちゃんを見下ろし、セーレたんは穏やかに微笑み、彼女の頭を抱えるような体勢でなで始める。
いつもはエミーちゃんの方が年上のように見える――誕生日的にはその通りなんだけど、今日はセーレたんの方がお姉ちゃんのように見えたのだった。
完全に空が明るくなり、朝食と支度を済ませた俺達はそろそろ道場に行くことにする。 エミーちゃんは珍しく何も食べて来なかったらしいので、今日は一緒に食べた。
向こうでは、先にマールちゃんが行って勉強会の準備を進めてくれている。
「行ってらっしゃ~い♪」
「馬車に気をつけてな」
玄関で、お袋と親父が並んで俺達三人を見送ってくれた。 今日は仕事のない親父は、大会に向けてお袋を相手に軽く稽古するらしい。
だったら道場の方がいいのではと勧めたのだが、親父は「そこまでの事じゃないから良い」と首を横に振った。 ニアちゃんとリソ君も今日はこっちで、リリちゃんが来たら稽古もそこそこに五人で遊ぶんだって。
くっ、楽しそうだな……。
「行ってきまーす」
いつもながら、並んで立つとお姫様と騎士のような二人に手を振りながら家を出る。 今日は俺が先頭で、ハニーはまだちょっと恥ずかしそうにうつむくエミーちゃんと手を繋いでついてきた。
色合いは百合とバラのように対照的だけど、とても仲のいい二人である。
……敢えてその花を例えに出したことに、他意はない。
ご近所さんと挨拶を交わしながら、道場に到着。
やっぱり、日が昇ると暖かくなるね。 風が吹くと寒いんだけど。
「寒いのにゴメンね?」
「いえ、大丈夫ですよ」
他に誰もいない道場の住居部は冷えきっていた。 だけどマールちゃんは「全然寒くありませんから」と、にこやかに微笑んだ。 その首元には、少し野暮ったいくらいに大きめの首――チョーカーが巻かれている。
狭い玄関を通り、美少女コンビは順番に俺を追い抜いて先にリビングに入っていった。 きっとセーレたんは暖炉に魔力を入れに、そしてエミーちゃんはお茶を淹れるお手伝いをしてくれるのだろう。
俺も靴下越しに感じるカーペットの踏み心地にほっとしながら、マールちゃんに促されて中に入った。
温かいお茶を飲んでひと息ついてから勉強部屋の確認をしていると、ほどなくしていつものメンバーがやってきた。
すぐに階段を下りて出迎える。
「リソ君は向こうにいるからね」
「みゅっ?」
もこもこの服が可愛いリリちゃんには、リソ君が向こうの家にいることを伝える。 抱きついて甘えてくれるのは嬉しいのだが、ここはグッと堪えて引率してきたエルリアさんにそのまま連れて行ってもらう。
あああー。 振り返って寂しそうな目を向けてくれるリリちゃんに、後ろ髪が引きちぎられる思いだ……。
「よしよし……」
すると、厚着のくりむちゃんが後ろから俺の頭をなでてくれた。 ほっこりする。
「ふぁうっ」
お礼に俺も、柔らかそうな犬耳を触ってあげよう。
「――さて、そろそろ始める?」
勉強部屋に持ってきてもらったティーポットからお茶が振る舞われ、落ち着いてからみんなに声をかけてみた。
しかし、思っていたほどではないにしても、やっぱりいつもと比べるとわずかに雰囲気がぎこちない。 特にニコが大人しいものだから、なおさらそう感じてしまう。
みんなが遠慮がちな視線をあちこちに送っていて、マイペースなマイシスターは別としても、落ち着いているのはるーちゃんくらいであった。
小さな両手でカップを持ち、ミルクいっぱいのホットティーを飲んで「あふぅ」とため息をついている。 朱い瞳が幸せそうに細くなる。
着ている服もお人形さんみたいで……いつもながら、犯罪的な可愛さであった。
「え、えっと、聞きたいことがあるんだけどー」
「ん?」
と、その大人しかったニコが遠慮がちに手を挙げた。 俺への質問かと思って目を向けてみると……ニコの視線の先にはるーちゃんが。
我が妹様は斜め横で相変わらずにこにこしているが、他のみんなも固唾の飲むようにして、目をパチパチと瞬かせているるーちゃんを見つめていた。
「なに?」
ことりとテーブルにカップを置き、小首を傾げるお姫様。 静かに揺れるうさ耳とピンク色の髪は、いつ見ても柔らかそうである。
「る、るー君ってさあ」
「うん」
どこか緊張した面持ちの彼に、るーちゃんはまさしくドールのような澄まし顔でうなずく。
よく分からないけど、なんか俺までちょっと緊張してきた。
そして。
「るー君って……、ほんとーに男の子?」
「るっ?」
「……」
るーちゃんが反対側に首を傾け、垂れたうさ耳が再び揺れる。 それにしても、やっぱりみんなも実は興味あったんだな……。
二人の顔を交互に見ている。
「ふふ、どっちだろうね?」
そう言いながら、るーちゃんは唇に人差し指を当てて笑った。 真ん前から照明でも当てているようにさえ見える白い肌に、髪と瞳、そして唇の赤い色彩がよく映える。
まあ……たとえ一〇〇人に聞いても、この子を見て「オトコ」だと答えられる人は一人もおるまい。
いたら尊敬する。
「ジャス君とセーレちゃんは、知っているよね?」
「ま、まあ……」
「うんっ」
あれ? 確か、入学前の合宿のときに風呂に――ああ、るー君は別に入ったんだっけ?
でないとニコが倒れるだろうって。
「生物学的には間違いない」
腕を組み、重々しくうなずく俺。
可愛いぞうさんをアカデミックに表現してみた。
「ほへえー」
前に混浴したことがあると言うと、なぜかニコに尊敬の目差しを向けられた。
その隣で、くりむちゃんが「いいな……」と呟いているのが口の形で分かった。 そして、エミーちゃんは俺達三人の顔を順番に見て顔を真っ赤にしている。
各自、イロイロとツッコミどころが満載のリアクションなんだが……ココは流しておく。
「じゃあ、男の子と女の子、どっちの方が好きー?」
「ふぅむ……」
更にニコが斬り込むと、るーちゃんは唇に当てていた指先にキスするようにして考え始めた。
なんともビミョーな上目遣いといい、さすがにココまで行くと「狙ってやっている」感が相当にあるのだが……それでも十二分に可愛いし、しかもそれがすごく様になっていて違和感がない。
どう言えばいいのか……そう。 プロのモデルが、いかにもモデルみたいなポーズをしている感じだ。
だからこそ、妙な意識を持たずに付き合えるんだよな。
「そうだねえ。 まだ、よく分からないけど……」
仕草は芝居がかっていても、ちゃんと真面目に考えているるーちゃん。 ニコだって、るーちゃんのポーズを見て赤くはなっているが冗談で質問したワケではないのは見れば分かる。
みんなの視線が集まる中、るーちゃんはしばし言葉を途切れさせると、唇に当てていた手をきゅっと握って。
「でも。 みんなのことは、大好きだよっ♪」
と、花の咲くような笑顔でそう言ったのだった。
「……」
静まり返る勉強部屋。
その言葉の嬉しさと……笑顔の可愛らしさに、思わずクラッとしてしまったけど。 ちょっと危なかった。
ちなみにエミーちゃんもわん子ちゃんも、頬を染めてぽーっとしていた。
「……ぐふっ」
「に、ニコおおおおーーーーっ!?」
そしてニコは、一片の悔いもなさそうな晴れやかな表情で倒れたのだった。
――ニコはそのまま熟睡を始めたので、みんなで隣の部屋へ運んだ。
ちょうど勉強が一段落つき、おやつタイムになった頃に起きてきたのはさすがであった。
「さあ、掃除しましょうか」
『はああーいっ』「おー!」
エミーちゃんの音頭で、みんなが元気に手を挙げる。 特にニコは元気いっぱいである。
「みなさん、いつもありがとうございます」
勉強会の後の掃除はいまや恒例行事となっているが、本当に助かっている。 マールちゃん自身も掃除道具を手に、頭を下げていた。
ほとんど汚れないので大した手間ではないのだが、それでも放っておくと隅っこなどにホコリが溜まる。 少しずつやっているらしいけど、大変だよなあ……。
ただ、ニコの寝ていた休息用の部屋だけは使用頻度が高いので、そこはマールちゃんが念入りに掃除するそうだ。
夕方になったらアナさんが来るしな……。
俺は庭の担当になったので、あってないも同然の枯れ草をささっと掃いてから、よく手入れされた壁際の花壇の前でしゃがんでいた。
「……おっ、本当に芽が出てる」
触ると冷たい焦げ茶色の土を、下から持ち上げている箇所がぽつりぽつり。 お袋が教えてくれたんだけど……こんな気温でも、ちゃんと発芽するんだな。
乗っかっている土がいかにも重そうだが、こういうのはヘタにいじらない方がいいだろうと思い、しゃがんでよーく見ないと分からない土の盛り上がりを前にして、俺は頬を緩めてニヤニヤしていた。
「ははは、大きくなれよ~」
伸ばした人差し指を、触れない代わりに空中で頭をなでるように動かしながら話しかける。
以前は、お袋が庭に植えて「芽が出たの~♪」とセーレたんが報告してくれる聞いても、「へえ、そうかー」くらいにしか思わなかったんだが……。
俺も変わったねえ。
「ふふふっ、ジャス様はお優しいですね」
振り返って見上げると、マールちゃんが嬉しそうな顔をして立っていた。
どうも俺の独り言を聞かれてしまったようで、ちょっぴり気恥ずかしく思いながらもヘーゼンとしたフリをして立ち上がる。
「……うぐ」
「あっ」
思った以上に長くしゃがんでいたようで、少しフラついてしまった。 すかさずマールちゃんが後ろから支えてくれる。
何度か両足を踏みしめると治ってきたので、ありがとうと言ってから離れて……くれない。
ま、いっか。 あったかいし。
「ジャス様って、前よりもお花が好きになられました?」
「へ? ……ああ」
さすがマールちゃん、鋭い……。 特にこの「雪の花」は、俺がお袋にプレゼントしたものだし。
それに。
「そういえばニアちゃんも、こうやって僕のお腹から産まれてきたなーって」
アレは発芽というよりも「羽化」という感じで、キレイだったなぁ。
「そ、そうですか……」
マールちゃんが苦笑いしている……。 でもまあ、常人の口からは決して出てこないセリフであろうコトは俺にでも分かる。
相手がマールちゃんだからこそ口にしたまでだ。
「……」
間があいて、俺は再び花壇に目を落とす。 さっきの今で何が変わっているワケでもないんだが、不思議と飽きない。
マールちゃんも何も言わず、俺の肩に両手を置いて身体をくっつけたまま同じように花壇を見下ろしている。
「ふふっ」
頭が胸に当たらないように振り返って見ると、優しい笑みを浮かべてくれる。
午後の穏やかな日射しが壁を超え、背の高い彼女の笑顔を照らしていた。
「……」
うん。 こうして、たまにのんびりするのもいいな。
エミーちゃんが呼びに来るまで、俺達は静かに花壇の土をじーっと見ていた。




