608 この世は因果であると申します
窓から見えるのはどんより空。
しかし、俺の気分は晴れやかなものであった。
「……」
新築のような香りの漂う部屋で、俺は絨毯に腰を下ろし、みんなの様子を眺めていた。
「うーん……こう?」
「ええ、合ってる」
ニコが頭を掻きながら悩んで答えをひねり出すと、それを隣で確認したエミーちゃんがお姉さん然とした笑みを浮かべて頭をなで、乱れた髪を直してあげる。 すると、ニコはとても無邪気で嬉しそうな顔を見せた。
誕生日的には、エミーちゃんの方が年下になるんだけどな。
「ふふっ、その調子で次のページまで進めて」
「いよっし、分かったー!」
うまくニコのテンションを上げて勉強をやらせることに成功すると、エミーちゃんはにっこりと微笑む。 そして、開いていた本に向き直って自身の勉強を再開しながらも、時折ニコの様子を確認している。
鹿耳姉弟のりっくんのときにも思ったけど、ヤル気にムラのある子をその気にさせることにかけては、既に俺なんかよりも上手かもしれん。
さすが、我らが幼なじみーズの「お姉さん」である。
「うっ……」
俺の視線に気づくと、エミーちゃんは途端に頬を赤くしてうつむき、読んでいた本で顔を隠した。 はっはっは、可愛いなあ~。
それでもじーっと見つめていると、本の上からそっと覗かせた目とまたぶつかって――っと、これ以上はやめておこう。 肩がぷるぷるし始めた。
一方、その向かい側では。
「……ん?」
くりむちゃんが柔らかそうな毛並みの黒い耳をぴくぴくさせながら、自分のノートを見て小首を傾げている。
チラリと覗いてみると、どうやら政治や行政などの組織図のようだ。 あちこちに相関関係の矢印を書きすぎて、余計に分からなくなっているらしい。
それを横から見て、るー君が寄り添いアドバイスをする。
「細かいところは気にしなくていいよ?」
「いいの?」
教科書の図にはいろいろ書いてあるが、俺も同感。 高校になるともう少し詳しいところまで覚えないといけないが、俺だってその程度だ。
「うん、お兄ちゃんもそう言ってたの~」
わん子ちゃんのもう片側で、セーレたんがうなずく。 ちなみにこの子は、全部丸暗記しちゃった。
あれこれ考えるより、取りあえず覚えた方が楽なんだってさ……。
「ねえ、セーレちゃん」
「なぁに?」
るー君がくりむちゃんの背中の後ろから顔を出して声をかけ、呼ばれたマイシスターはくりむちゃんのしっぽを踏まないように気をつけながら、立てひざでるー君のところに行く。
二人とも小さいので、背の高いわん子ちゃんを挟むとお互いがほとんど見えないのだ。
セーレたんはるー君の丸い肩にあごを置くようにしてノートを覗き込み、垂れ下がった白いうさ耳にささやくようにしてアドバイスを始めた。 たまにくすぐったそうに片目を細めていて、斜め向かいから見ていると美少女二人が頬を寄せ合い戯れているみたいで、ものすごーく目の保養になる。 無論、素直に言うことを聞いて相関図を書き直し始めたくりむちゃんもである。
真向かいのニコも顔を上げて見とれていたが、横から笑顔のエミーちゃんに肩を叩かれると「ひぃっ!?」と板バネを弾いたように背筋を伸ばし、すぐ視線をノートへ落とした。
……とてもよく教育されている。
「ははっ」
しかし、こうして新しい勉強部屋でみんなが熱心に勉強しているのを見ると……借りてよかったなーと改めて思う。
家から勉強道具を持ってこないといけないという面倒はあるが、それらを持ってココまで歩いてくるのも「よし、やるぞ!」という気になるし、それもまたいい気分転換になる。
でもいずれ、この部屋にも参考書を充実させたいものだ。
「あ……」
にんまりしながら果汁水を飲もうとしたら、ポットが空になってしまった。 俺の声に気づいたエミーちゃんとセーレたんが同時に顔を上げたが、俺はそれを手で制して立ち上がる。
ちょうどいいから、下のリビングでエルリアさんにチョーカーの相談をしよう。 マールちゃんもいるから、細かい要望も聞いてもらえるだろうしな――。
と思いながらドアに近づくと、その向こう側から気配と共にノックの音が。
『勉強中に失礼します。 ジュースのお代わりをお持ちしました』
「お、おう」
なんというジャストタイミング。
マールちゃん、すげえ。
――翌日の土の日は、起きたときから雨がザーザー。 まだ夜なのかと思ってしまった。
俺が傘を持ちハニーが明かりを持つのは、雨が降った日のお決まりである。 歩くときは懐中電灯型を使い、立ち止まったときには光球を打ち上げる魔石をポケットから取り出す。
更には服の下に隠れたネックレスもあるから、暗い道でもこの子がいれば、明るいことこの上ない。
今日も明るい女性陣に見送られ、俺達は元気に家を出た。 特にマールちゃんはご機嫌である。
「お兄ちゃん、どうかした?」
下の手元から漏れる明かりが、セーレちゃんの色白な顔と蒼い瞳をぼんやりとライトアップしている。
頭上には絶え間なく叩き続ける雨音と、世界から切り取るような傘の屋根。 周囲は暗闇に包まれ、吸い込む空気は冷たい。 だけど左手は常に温かく、柔らかい。
目の前には俺達の進むべき道が、細い光の筋によってハッキリと示されている。
「……いや、なんでも」
小さな星を宿したまっすぐな視線に、俺は言葉を飲み込んだ。
二時間目の魔術の時間。 地下にある体育館は、外の雨など気にも留めない。
ただし、一年生の三組から五組が壁の向こうで武術の授業をしているので、オモチャ箱をひっくり返したような声がひっきりなしに聞こえてくるけどな。
でもまあ、今日に限らずよくあることである。
「いよっしゃああああああ! 練習するぜ野郎共ぉおおおおおーーーーーっ!!」
『はあああーーーい!』
隣からの声が一瞬止まるほどの大声で呼びかける、一組の絶叫先生。 そろそろ名前を忘れそ――あれ、本当に出てこないぞ?
対して返事をする生徒達は、これから始まる魔導具の練習にワクワクした顔の子もいるものの、おおむね冷静なものであった。 「野郎じゃないんですけどー」という女子のツッコミもなく、せいぜい部屋の隅っこで魔力感知をしていた子達が少しビックリしたくらいである。
フーリエ先生なんて、フローリングに座って精神集中している子供達の中で寝てるもんな……。
「はーい!」
ぺちんと小さな手を叩く音に、俺をはじめとした十人弱の子供達が目を向ける。 その先には、リス耳を倒したシャルちゃん先生がいた。
よく聞こえそうな耳なだけに、こういった騒がしい環境だとちょっと大変そうだ。
「わたし達は、向こうで練習するよー!」
『はーーいっ』
秋休み明けの再編により、習熟度別のグループ分けがずいぶんと変わってしまった。 基礎段階を終え、魔導具の練習に進む子達が増えた。
しかしアズミーリ女史による活性化の練習組ができたため、いちばん進んでいる俺達のグループはそっちに流れて逆に激減。 それでも絶叫先生が担当している練習組は増えたため、俺達も一緒にフラヴリースで遊ぶ……練習するには場所が足りなくなってしまった。
ということで、既に六級以上を取っている俺達は久しぶりに射撃練習をすることになったのである。
「ふふっ。 向こうが気になるなら、王子様も受ければいいのに」
「誰が王子様ですか」
真剣にアズミーリ先生の説明を受けている生徒達を見ていると、後ろからマーヤさんに暴走ネタでイジられてしまった。
シャルちゃん先生について行こうとしていた子達も振り返り、くすくすと笑っている。 ニート君は相変わらず、圧倒的な風格で腕組みをしてうなずいているが。 ……って、お前も同意なのかよ!
ちなみにマーヤお姉さん、本日はまた一段と黒一色で上下を固めていた。 つややかな黒いドレスの生地は「烏の濡れ羽色」という表現がピッタリであり、まるで若き未亡人のような、なんも妖しい魅力を漂わせていらっしゃる。
雨音も聞こえず、ひんやりと湿った空気さえ熱気に変える、子供達がひしめく体育館に未亡人が一人。
……ミスマッチ感がハンパない。
「お兄さまが、王子さま……♪」
「……」
俺の隣で、それこそお姫様のような可愛らしい女の子が俺の顔を見てうっとりしている。 お姉様はますます口元を緩めた。
しかも、るーちゃんまでやってきてセーレたんの隣に並び、朱い瞳をキラキラさせて見つめてくる始末。
「ふふふっ」
朱い舌の先をチラリと見せて、な。
まったく、一体どうやったらそんなに目を輝かせることができるんだか……。
「はいはい、王子さまですよー」
それでも可愛いので、取りあえず二人とも頭をなでなでしておいた。
……そしてなぜか、マーヤさんもなでることになった。
「らんらんら~ん♪」
厚いコンクリートに囲まれた、長細いブースの並ぶ訓練場。
真剣な表情で先の的に向かって魔導具を撃つ生徒達の中で、セーレたんだけはとても嬉しそうにくるくると踊りながら、両手に持った魔導具を撃ちまくっている。
魔導具には連射制限がかかっているため、どちらかというと踊りの方がメインのようにさえ見える。
「ぴゅ~ん!」
「すげえ……」
びしっとポーズを決めたを思ったら、その場で魔導具を二つとも手放した妹様。 自然落下を始めるそれらを、長い髪とスカートをなびかせて一回転してから両手をクロスさせながら掴み、左右を持ち替えてまた踊りながら撃ち始めた。 その間、動きに淀みなどは一切ない。
なんて器用な子だ。 しかもカッコいい。
「……ま、いっか」
俺は俺で久々に撃ちまくろうと気を取り直し、隣のブースに戻る。
それから備え付けのテーブルに置いていた筒状の魔導具を手に取ると、ケータイを複数操るヤリ手のビジネスマンのごとくそれぞれ首の左右に挟み、更に別の二本を手に持ってババンがバンと撃ちまくる。
発射音がまったくないからこそ、できる芸当であった。
「いやっふー!」
『二人とも、器用ですねえ……』
後ろの少し離れたところから声をかけられ、振り返ろう……として途中でストップ。
危ない危ない。 たとえ魔力をこめなくても、相手に発射口を向けるのは御法度である。 ひとまず手に持っていたのはテーブルに置き、首の二本を取って肩を上下させてほぐす。
これ、面白いけどムチャクチャ肩と首にクるわ……。 それに、下手に動くと落っことしそうになるし。
肩をすくめて電車ごっこ、もしくは「小さく前にならえ」の体勢にならざるを得ない。
……ぶっちゃけ、あまりイケてなかった。
「そうですか?」
ようやく振り返ると、いたのはやはりシャルちゃん先生。 苦笑いしていた。
でも、手以外の場所からでも使えるようにするのって、上級者にとっては必要なテクニックですよね? 特に俺は触手も同じだから、必須と言ってもいいくらいだ。
ちなみにひざの裏に挟んで懐中電灯を使う練習もしたことがあるけど、太ももに挟んで撃つ練習はやめた。
前に、部屋でこっそりとズボンを脱いで根元に挟んでいたところをお袋に見られて、すっごく気まずい思いをしたことがあるからな……。
「ところで」
俺が嫌なトラウマを掘り起こして沈んでいると、先生は俺の隣にやってきてぺたりとブースの壁に背中をくっつけた。 といっても、ふわふわの大きなしっぽを挟んでだが。
ああ、背中のコンクリートが冷たくて気持ちイイや。
「セーレちゃんもジャス君も、明日四級を受けるんですよねー?」
「ああ、はい」
シャルちゃん先生を見上げてうなずく。 そう、ついに明日なんだよなー。
「……さすが二人とも。 いつも通りですねぇ」
「ええ、まあ」
わたしのときは、しっぽまでガチガチに緊張していたんですけど……と、先生はちょっぴり苦笑い。
でもすぐに、童顔ではあるけどやはり先生らしい、すごく優しい笑みを浮かべた。
「あはっ、頑張ってくださいねー♪」
「ありがと、先生」
ぽんと肩を叩かれながらもらったエールに、俺も笑顔で応えた。
実は多少は緊張していたんだけど、それも先生の可愛い笑みを見せてもらったら解れちゃったよ。
ふうと大きく息を吐き、俺は少し反動をつけて壁から背中を離した。 さて、本番前の最後の練習、もうちょっとやりましょうかねー。
そうして真横にあるテーブルから魔導具を取ろうとしたら、先生に両肩を掴まれた。
「あれ、少し凝ってますよ? さっきのは、もうやらない方がいいですねー」
「あふんっ!」
思わずヘンな声が出た。 自覚はあったが、俺もちょっと肩が凝っていたようだ。
だって、最後の方は首が攣りそうになってたからなぁ。
じゃあやめろよ、って話なんだが。
「ちょっと揉んであげますねー」
「おおっふ……」
シャルちゃん先生の小さな手が、ふにふにと俺の肩こりを揉みほぐす。
けっこう気持ちがイイ。
「あはっ♪ 先生、けっこう上手でしょー?」
「おぅ、おぅ、おぅ」
続いてたんとん、たんとん、と左右交互に叩かれ、その度に声が途切れる。
家でもアズミーリ先生にやってあげているそうで……なんか、その様子が目に浮かぶようだ。
まるで親娘みたいなんだろうなーなんて、思ってはいないぞ?
「あははっ、面白い顔ですねー」
「ほへーっ」
練習も忘れ、思いっきり解されてしまった俺であった。




