586 慣れって恐ろしい、というお話。
隅に小さな鉢が置いてあったりして、とても温かみのある我が家の玄関。
しかしこの女性がたたずんでいるだけで、それがまるで厳かな神殿か宮殿の中にでもいるかのような錯覚を覚える――んだろうなあ、知らない人は。
話し込んでみると面白い人なんだけどなー。
「るー様とリリ様はこちらです」
「およ?」
ちょっと見つめていただけなのに俺の言わんとしたことを察したツェリさんは、足元に中華テーブルでも仕込んでいるのかと思うほどの滑らかさで回れ右をし、後ろを向いた。 ……というか、リリちゃんも来てるんだ。
マールちゃんですら、わずかに見上げるほどの長身。 その頂上からまっすぐに流れ落ちる銀色の後ろ髪が、今日もキラキラと輝いていてとてもキレイであった。
肩に我が娘を乗せ隣にはマールちゃんを連れて、俺は突き当たりの見えている廊下を進む。 さほど長くないのですぐ行き当たり、勝手知ったるツェリさんは迷うことなく左の扉を選んだ。
ちなみに赤くはない。
ここで右のトイレや正面の脱衣場のドアを開けられなかったことに安堵しつつ、俺達はせっかくなのでリビング兼ダイニングへと足を踏み入れた。
まあ仮に開けたとしても、トイレは二重扉なのでラブコメ的な展開はあり得ないし、風呂もまだ沸かしてないから誰かが着替えている可能性もほぼない。
……と思っていて、洗濯後の濡れた脚を拭いている最中のお袋やメイドちゃんズに出くわしたことがあるんだけど。
「お」
リビングに入ると、テーブルの席に二人並び、小さな両手でコップを持ちジュースを飲んでいるうさ耳姉妹――兄妹を発見。 リリちゃんの隣にはリソ君もいる。
お揃いのドレスを着た、二人の朱い瞳が俺を捉える。
「ひ――……。 ひ、久し……ぶ、り」
軽く上げようとした手が招き猫状態で一瞬固まったが、すぐに動かして二人に手のひらを向けながら声をかける。
久しぶりの朱き魔眼……しかもダブルは、ちょーっとばかりキツかった。
「あ」「みゅっ」
可愛らしい声を上げたるー君とリリちゃん。 至宝の瞳をきらめかせ、同時にコップを置くとイスから降りて、とととーとテーブルを回ってこちらにやってきた。
ふわふわと浮いてなびく柔らかなピンクの髪が踊り、白くて長いうさ耳が揺れ、ひざ丈のフリル付きスカートがなびく。
『わあーっ♪』
そして左右からソプラノのステレオボイスを同時に奏でながら、赤い目を細めた二人がぽふりと抱きついてきた。
肩に乗っていた我が娘は軽く跳んで、俺の頭の上へと移る。
「ただいまっ」「ただいまあーっ」
「お、おうふ……」
俺の胸くらいまでしかないリリちゃんは綿のように軽く、半重力体質のるー君は俺より少し低いくらいだが同じくらい軽い。
しかもいちごミルクのような甘~い香りが俺を包み、まるでピンク色の綿菓子に挟まれてしまったようである。 無論ベタベタなどするワケがなく、二人の後ろに回して無意識になで始めていた髪はサラサラのふわっふわである。 極上のシルクなんぞ目ではない。
ニアちゃんが「おかえりーっ」と声をかけ、二人が顔を上げて再び「ただいまっ」と声をハモらせる。
「お、お帰り……」
「うんっ」「みゅん♪」
視線が下がり、至近距離にある四つのまあるい紅玉の中心に俺の顔が映る。 ようやく笑顔を作って挨拶を返せば、その瞳を嬉しそうに細めビスクドールのような顔に笑みを浮かべた。 で、小さな手にきゅっと力を入れて更に抱きついてくる。
……あーもう。 少しずつ慣れてきたが、俺がまだドキドキしているのは二人にバレてるんだろうなぁ。
周りに可愛い子や美人はいっぱいいれど、ラピヨーネ姉妹の魅力には生物として逆らえないところがある。
『す、すごい……』
心臓の音が収まってくると、ふと外部から誰かの声が聞こえてきた。
そこで自分がリビングにいることを思い出してテーブルに目を向けると、いつも通りにお袋が座ってにこにこしており、キッチンではアナさんが恐らく俺達の分のお茶を淹れてくれていた。
だけど声の主はそのどちらでもなく――。
なぜか席には着かず、お袋の斜め後ろで隠れるように立っていたマチルダお姉さんであった。
「なんで座ってないの?」
「む、無理。 一緒に座るなんて無理……」
お姉さんは強く目を瞑ったまま、垂れ下がった鹿耳をでんでん太鼓みたいに振り回した。 顔はもちろん、短い毛に覆われたその耳まで赤くなっているのが分かる。
別に隣の席でなくてもいいんだけど、同じテーブルに着くこと自体が無理らしい。
目を合わせただけで吸い込まれそうな魅力を持つ小悪魔なるー君と、身も心も蕩けそうになってしまう天使のリリちゃん。
最初の遭遇がいきなり二人同時では、それもやむを得ないか……。
長女のリティシアさんじゃなくて、よかったね。 あの女性はこんなモンじゃないから。
「んー」
「はいはい」
いつの間にかるー君が目を閉じて顔を近づけていたので、背中に指先をつーと滑らせて身体を震わせている間にさり気なく離す。 相変わらず、CMに起用できそうなくらいにツヤツヤで桃色のキレイな唇である。
更にお兄ちゃんの真似をして背伸びしながら目を閉じていたリリちゃんには、俺の方からおデコにキスをしてあげる。 目をパチパチさせ、白い頬がかすかに赤くなっていくのが可愛い。
しかし、一方でるー君が柔らかそうなほっぺをぷくーと膨らませて拗ねていたので、「仕方ないなー」とその頬に不意打ちで口づけてみた。
「るぅっ!?」
はっはっはー、目を丸くして驚いてる驚いてる――って。
今、なんのためらいもなかった俺は果たしてこれでいいのか?
「……っ!?」
金魚のごとく、真っ赤になって口をパクパクさせているお姉さんのリアクションは見なかったことにしておき、「ニアもキスするー!」とはしゃいでいる我が娘をるーリリ兄妹に向かって解き放つ。
で、今更ながら彼がこの場にいないことに気づいた。 マティさんはココにいるのに。
チャロちゃんとエミーちゃんも見当たらないが、買い物にでも行っているのだろうか。
「あれ? リック君はどこに?」
この二人だったらアリね……という呟きが聞こえたような気がするけど、やはり聞かなかったことにしてお姉さんに尋ねる。
お袋は「そうね~」と言って微笑み、アナさんも何とも言えない笑みを浮かべながらお茶を持ってきた。 たくさんちゅっちゅされたるー君とリリちゃんは、満足げに仲よく元の席へと戻っていった。 そしてリリちゃんがリソ君のほっぺにもキスをすると、マイブラザーは無邪気に喜んでいた。
さーて、ニアちゃんもシュガースプーンを持ってスタンバっているし……俺も座るか。
その前に。
「マールちゃーん」
「――はっ」
ずーっと後ろで固まったままだったマールちゃんの手を引いて、意識を引き戻しておく。 るー君とリリちゃんを見たマールちゃんはすぐに自分がどうなっていたのか解ったようで、姿勢を正して二人に「お、お帰りなさいっ」と言うと、届いた手紙を俺に渡してからテキストの入ったカバンを俺の部屋に置いてくるため、一旦リビングを出て行った。
ちなみに同じく背後で空気になっていたハズのツェリさんは、いつの間にか小さなご主人様達の背後に控えていた。
……今更、驚くまい。
「あ、ああ。 あいつね」
俺がマールちゃんと話している間に落ち着きを取り戻したマティお姉さんは、チラリとラピヨーネ兄妹の方を見ては頬を赤らめながらも質問に答えてくれた。
「あ、あたしが気がついたときには、もういなくなってたんだけど……」
「えっ」
なにその神隠し?
目が点になった俺を見て、マティさんは「あははー」と苦笑いを挟んでから言葉を続けた。
「あたしと一緒に気を失って、あいつはそのまま倒れちゃったらしくて……。
今は、隣の部屋で寝てるわ」
「……なるほど」
お姉さんはまだ女の子だから、比較的すぐに我に返ったけど――弟くんはダメだった、というワケか。 ちなみに、チャロちゃんとエミーちゃんが看病? してくれているらしい。
俺は美少女すぎるそっくり姉妹に目をやり、お茶を飲みながら深々とうなずいた。
「それにしても、ビックリしたよ」
来たのはほんの少し前だったというるー君一行、俺達はリビングで手紙を読みながら話を聞いていた。
白銀メイドさんもお客様なので席に着いてもらい、戻ってきたマールちゃんはアナさんと交代してお茶の係に着いた。 アナさんはりっくんの様子を見に行ってから、中断していたお仕事の続きをすると言っていた。
いつもながら助かります。
「やっぱり、王都とはぜんぜん違うね」
「そうなんだー」
『この手紙を読んでいる頃、ボク達はジャス君のお家の前にいるでしょう』
そーんな、どこかの花子さんみたいな書き出しの手紙を読んでから、家の前どころか中にいたるー君に旅行の話を聞く。
この国の最北端にあるエインヘルは、セスルーム以上に魔獣からの襲撃数の多い要塞都市として有名である。
もともとこの国の祖先達は東の山脈を越えてやってきたので、東側のセスルームはわりと容易に街を作れたものの、北側については王都だけでなく既にあったセスルームや鉱山都市のセーフリームが挟撃されるのを防ぐためにも、ムリヤリ進軍して前線基地を作ったという歴史がある。
「でも、雰囲気は明るかったよ」
「へえー」
教科書などを読んだイメージから、てっきり軍人さんばっかりのお堅い所なのかと思っていたけど……王都に近い南側はけっこう普通の街なんだそうだ。
だけどセスルームはもちろん、この王都だって同様に「外」に近い方は軍の施設だらけなので、今となっては他の街とそれほど変わらないのかもしれないな。
「それに……ふふ。 リィちゃんがすごく人気だったよ?」
そう言って、珍しくるー君がはにかみ混じりの嬉しそうな笑みを見せた。 小悪魔成分のない純粋な笑顔に、不覚にもまた胸が高鳴る――って、い、いかん!
ブランクのせいで抗体が弱くなっているのか?
「げふんげふん! ……う、うむ、そうか。 それは何よりだな」
言ってから、まるで娘にデレデレな父親みたいなセリフだなと思ったが、我が娘にデレデレというのは間違っていないのでぐぅの音も出ない。 むしろGood。
だがちょっと恥ずかしくなって周りを見てみると、マールちゃんもお袋も温かな笑みを浮かべており、リソ君はなんとリリちゃんの可愛らしいおててを相手にスパーリングをしていた。 だけどちゃーんと手加減しているようで、リリちゃんはまったく痛そう様子もなく楽しそうに手のひらを向けていた。
二人の無邪気な戯れは、見ているだけで幸せになってくるな。
それにしても……まだ幼いからか同じ天使属性だからかは判らないが、マイブラザーはリリちゃんのチャームの影響をまったく受けていないな。 いまだにお袋にしがみつきながら眺めているマティお姉さんは、溶けてなくなってしまいそうな顔をしてふにゃふにゃになっているというのに。
もしもお袋が支えてなければ、とっくに倒れているだろう。
「っていうか、リーちゃんって?」
サラッと流しかけたけど、るーちゃんの親戚だろうか? 知らない名前である。
話の合間にジュースを飲んでいたるーちゃんが、カップに口をつけたまま赤い瞳を瞬かせる。 は、という小さな吐息がまた可愛いなオイ。
「リーリンちゃんだよ?」
小首を傾げると、垂れ下がった白いうさ耳がイヤリングのように揺れた。
天下の人気女優さんを「ちゃん」づけだよ……。 さすがは御曹司。
だけど、軽い? イタズラはしても礼儀はちゃんとしているこのコが、大人相手に「ちゃん」づけとは珍しい。
「そ、そっかー。 すごく仲よくなったんだな」
「うんっ♪」「みゅーっ♪」
リリちゃんもこっちを向き、姉妹二人で朱く輝く瞳を細めて本当に嬉しそうな笑顔を見せた。 ……ぐふっ、またクラッとしかけた。
それに、なんだか前よりもずいぶんとお喋りが流暢になっているし、ちょっと歳の差はあるだろうけどいい友達もできたみたいで。
この子達にとって、とても実りの多い秋休みになったようだな。
『はぇ。 ……もぅらめぇ』
うんうんとうなずいていると、お袋のいる方から魂の抜けたような声がして――ガタン、とイスが動く音が。
「マティさんっ!?」
「あらまあ~?」
見ると、マティお姉さんがお袋の身体に寄りかかって完全に気を失っていた。 白いめろんに半分埋もれた彼女の顔は、とても本望そうではあるけど……放って置くワケにもいかない。
驚いたマールちゃんが慌てて駆け寄り、俺も席を立つ。
「大丈夫、マティさん?」
「……えへぇ~♪」
ダメだこりゃ。
一般人には、刺激が強すぎたようだ。
たまたまこっちの様子を見に来てくれたエミーちゃんに事態を告げ、安らかな笑顔でお眠りのマティさんをお袋とマールちゃんが隣の部屋へと運ぶ。
そして、まだ目を覚ましていなかったリック君の隣に寝かせた。 彼もまた「一片の悔いなし!」と言わんばかりの、緩みまくった寝顔をしている。
並べてみると、けっこう似てるな……。
「――マチルダ様にも異常は御座いません。 暫くすれば、お二方とも目を覚まされるかと」
誰かがるーちゃん達の魅力にノックダウンされるなんて、よくあること。 俺が見た限りでも大丈夫そうではあったものの、いちおうツェリさんに診てもらった。
医術に心得があるかどうかなんて、聞くまでもない。 ひよこのオスメスだって見分けられるだろう。
「よかった」
俺はため息をつき、横でるーちゃんもかすかに安堵の笑みを見せた。
あまりぞろぞろと大人数でいても仕方がないということで、心配そうにしていたリリちゃんは、リソ君と一緒に二階の俺の部屋で遊んでいてもらっている。 エミーちゃんとニアちゃんがついてくれているので安心だ。
メイドちゃんズもアナさんだけに家事を任せるワケにもいかず、それぞれの仕事に戻りつつ、二人が目を覚ましたときにとキッチンでハーブティーを用意してくれてた。
なので本来はリソ君の部屋であるココには、他にお袋がいるだけである。
「そういえば……」
「はい」
ベッドの横で俺の呟きに反応したのは、やはり資格マニアの白銀メイドさんであった。 ……マニアかどうかは知らんけど。
ちなみにお袋はひざ立ちになり、後ろからるーちゃんに抱きつくようにして「よかったわね~」と頭をなでなでしながら、ベッドで眠る姉弟を見守っている。
「いえね。 あんまりぐっすり眠って、明日の都外便は大丈夫なのかなーって」
言うなれば、深夜バスみたいなもんだからな。 今寝すぎて夜に寝られなくなると、ちと辛いんじゃないだろうか。
俺の指摘にお袋も、るーちゃんの肩にあごを乗せて「そうね~」と言っている。
「マチルダ様とエリック様は、明日王都を出立なさるのですか?」
「うん」
ベッドに腰掛けて二人を診ていたツェリさんが、俺に顔を向けた。
爽やかなのに、どこかしら甘さを含む香りが俺の鼻をくすぐる。 これもまた久しぶりだな。
窓の外や部屋の明かりを受けて輝く銀髪をなんとなく見ていると、ツェリさんは一瞬考えるような素振り――といっても無表情なんだけど、まあとにかくそんな感じの後で。
「では、目を覚まして頂いた方がよろしいですね」
と言い、幸せそうに眠る鹿耳姉弟のおデコに、長くて細い指先を軽ーく触れさせた。
すると。
「――んん?」
「ふぁ……」
二人のまぶたが震え始め、ゆっくりと眠たそうな目を開いた。
……このメイドさん、気功も使えるのか?
「あれ……? オレ、いつの間に寝てたんだ?
――って、なんで姉ちゃんがッ!?」
大きな伸びをしながら起きたリック君は、隣にお姉さんがいることに気づいて激しくビビっていた。
一方、お姉さんはというと。
「ふぁぁ~……なんだか、とてもいい夢を見た気がするわぁ。
……って、いやあああああああああーーーーーーっ!?」
「どブヘーッ!?」
色っぽい細目に弟くんの顔を捉えた直後、思いっきり見開くと絹を裂くような悲鳴と共に雷光の肘打ちを叩き込んだ。 しかもアゴを突き上げるようにして。
身体が浮き上がり、ベッドの向こうへと落ちていくリック君の姿が、とてもゆっくりに見える。
やがてV字に開いた両足だけを残し、ドシャアッと重たい音が鳴った。
「げふぅ」
「な、なんでアンタが寝てんのよ! ……あれ? ジャス君とセフィさんも、なんでここに?
それに――」
「お、おはようマティさん」
「お早う御座います」
取りあえず挨拶しておくと、ツェリさんもベッドから立ち上がって深々と頭を下げた。
目を丸くしていたるー君もお辞儀をし、肩にあごを乗せていたお袋も「おはようマティちゃん~」と挨拶をする。
「お、おはようございます……?」
そしてお姉さんも、たぐり寄せていた毛布を放して素早く髪や身なりを整えると、戸惑った様子ながらもぺこりと一礼。
……というか、誰もリック君のことは気にしないの? かなりイイ角度で入ってたぞ。
「あ痛へへへ……」
と思っていたら、足を絨毯に降ろしたリック君がすぐに立ち上がった。
で、思いっきり打ち抜かれたアゴに手を添えて。
「あが。 あんがー。 ……ん、直った」
コキッと軽妙な音を立てて横に動かすと、あっという間に復活した。
「ったく、何すんだよ姉ちゃん」
「あ、ごめん」
何事もなく話をしている姉弟を見て、俺とるー君は。
「……すごいな」
「うん」
二人で顔を見合わせ、ゆっくりとうなずいたのであった。




