568 カレとカノジョの事情
「これから、よろしくお願いね~」
お互いの顔合わせが終わったリビング。 お袋の締めの言葉に、マチルダさん・エリック君姉弟が小さく頭を下げる。
既に卒業しているお姉さんはいいとして、エリック君はまだ初学一年生である。 なので、滞在は二週間程度の予定だ。
「じゃあ、さっそくご飯にしましょうか~♪」
お袋が胸の前で、ぱふりと手を合わせる。
ひと息ついて空気が緩んでいるが、今日という一日はこれからなのだ。 我が家はいつも通りの活動を始める。
既に家で食べてきたアナさんとエミーちゃんが給仕に立ち、メイドちゃんズは席に座って朝食タイム。 俺はいつものお誕生日席に移り、俺のいたところにはマールちゃんが腰を下ろした。
窓の外はちょっと暗いけど、リビングの雰囲気は明るい。
「もぐもぐ……んまっ! むぐっ……もぐ」
エリック君が細長い菱形の鹿耳を垂らし、喋るのも惜しいとばかりに次から次へと食べ物を口に放り込んでいる。
とても上品とは言えないけど、最低限のマナーは守っているのでそれほど下品とも感じない……実に男の子らしい食いっぷりであった。
「はぐはぐはぐ」
一方、そのお姉さんを挟んだ向こう側でも、リソ君が美味しそうにご飯を食べている。 ちょっとお口の周りを汚しちゃったりするものの、この子もずいぶんと上手に食べるようになったなー。
最初はチラチラと頻繁に気にしていたマチルダお姉さんも、今は安心して自分の食事をしながら、時折リソ君の食べる様子を見ては目を細めていた。
「リソベル君、上手に食べるのね……」
「……ごくっ。 にへーっ♪」
「ああっもう、かわいいーっ!」
お姉ちゃんと目が合うと、ちゃんと口の中のものをゴックンしてから歯を見せて笑うマイブラザー。
マチルダさんは腰をよじって喜んだ。 俺もちょっと腰が動いたよ。
「それに比べて……」
で、次にお姉さんの視線はハーブラザーの方へ。
「……」
目が合ったエリック君は一瞬動きを止めて眉をハの字にすると、またすぐに食事を再開した。
俺達の視線がお姉さんに集まり、ふっと静かになる食卓。 だがやはり同意見のようで、注意はしなかった。 アナさんやお袋も、何も言わないしな。
俺も心の中で同意していると――。
「……よく似てるわね」
『ぷっ!?』
その小さな呟きに、思わず噴き出しかけた! ず、ずっと俺も思っていたことを――って、鼻の奥になんか入った!
真正面から見ていたチャロちゃんも同じように噴き出しかけ、手で口を覆って涙目になって咳き込んでいる。 マールちゃんも俺に背中を向けるように横を向いて、ぷるぷると肩とポニーテールを震わせていた。
「うふふふふ~♪ そうね~」
しかし、お袋はさすがであった。 優雅に微笑み、ニアちゃんにお砂糖を入れてもらったばかりのティーカップを傾ける。 ちなみにたまたまエリック君の背後にいたエミーちゃんは、素早く台所の方を向いて声を出さないようにして笑っていた。
だがお袋にお茶を注いでいたアナさんは、三人の向かい側にいたので露骨に顔を逸らすことができず、笑うまいと堪える頬が微妙にひくついていた。
そして我が娘は、食べっぷりそっくりブラザーズに背を向けていてその場面を目撃できず、肩にティースプーンを担いだまま大きな頭を傾けている。
「えっ? なに、なにー?」
《いやね、リソ君とエリック君の食べっぷりがよく似てたなーって話》
かっくんかっくんと左右に首を揺らす我が娘に、俺は咳き込みながらテーブルの上を漂うマナ粒子を介して教えてあげた。 が、当の本人達は周囲の大爆笑に食べる手を止めて目をパチクリさせている。
……あ、やっと鼻の違和感が取れた。 地味に痛かったぞ。
《ええーっ、そうなのー? 見たい見たいーっ》
《だったら、じっと見ててごらん? たぶん、今からでも見られるから》
《にゅふっ……じゃ、見てるー》
テレパシーで俺にそう言うと、ニアちゃんはシュガーポットにスプーンを挿し、自分の背よりも長い碧の髪を引きずってとことことテーブルの中心へ。
で、姉弟とリソ君の方を向いてその場で腰を下ろし、女の子座りになって観察モードになった。 先程とは違う意味で頭を横に揺らし、まだかなまだかなーと二人のことを見つめる。
いきなり無言で自分の真正面に座り込んだ……ように見えたであろうマチルダさんが、笑いを引っ込めておずおずと尋ねる。
「え、ええと……ど、どうしたんですか、スフィニア様?」
「ニアでいいよー。 ……にゅふふ、気にしないでー」
「は、はあ」
垂れ気味になっていたお姉さんの鹿耳が、一段と下がる。
しかし間もなく、ニアちゃんが手を叩きながら「ホントだ、似てるーっ♪」と声を上げると、彼女もまた噴き出しそうになって肩と耳を震わせたのだった。
「――もう、毎日が大変で大変で」
「そうなの~」
いつもより遅かった食事も一段落つき、マチルダお姉さんの話にお袋が相づちを打っている。 親父と結婚してすぐに王都へ来たお袋はエリック君とは初対面であり、マチルダさんには会ったことがあるそうだが物心がつく前で、本人はまったく覚えていなかった。
となると当然、話題の種は二人の向こうでの生活のこと。
父親のエドガーさん――つまり俺の親父のお兄さんは家具職人で、奥さんであるカステルミさんのお父さんが、その工房の親方を勤めている。 お祖父さんは、もう一線からは退いているらしいけど。
そして工房にはお弟子さんが何人かいるそうで、マチルダさんはお母さんと一緒に、工房の掃除やみんなの食事・洗濯などの手伝いをしているんだとか。
男ばかりの職人の世界か……そりゃ、大変だわ。
「うっぷ……食いすぎた」
そして、学校の合間に仕事を教わったり雑用をさせられたりしているというエリック君。 イスの背もたれに身体を預け満足げに自分のお腹をなでている様子は、なんともオッサンっぽい。
対して我がブラザーは、ジュースをちびちびと飲みながら、ときどき上目遣いにキラキラとした瞳を向けてくる。 我が娘と一緒に。
……うん、食後のデザートをご所望なんですよね? もうちょっと待っててくれな。
「厳しそうだもんねー」
食後のお茶を飲みながら、俺も相づちを打つ。 テーブルの上は既に片づけられ、チャロちゃんとエミーちゃんがキッチンでその洗い物をしている。 マチルダさんが手伝いを申し出たが、お袋がそれを止めてこうして話を聞いているのだ。
なお、アナさんとマールちゃんはここにはいない。 アナさんは他の部屋の掃除中で、マールちゃんは――あ、もうこんな時間か。
チラッと時計を見たところで、計ったようにリビングのドアがノックされた。 顔を出したのはマールちゃんである。
「ジャス様、そろそろ……」
「うん」
呼ばれた俺は、残っていたお茶を飲み干して席を立つ。 ちびっ子コンビが「えっ」と目を丸くしてるけど……だいじょーぶだいじょーぶ。 忘れてないからね?
「んー?」「ジャス君、どうかしたの?」
リック君は相変わらずお腹をさすりながら食後の気だるそうな視線を俺に向け、マティお姉さんも耳をぴくりと動かして声をかけてくる。
ゆっくりと時間をかけた食事と食後によって、二人の態度もずいぶんと柔らかくなった。 愛称で呼んでくれるようにもなったし。
だから俺も気楽に応えた。
「うん、今から仕事にねー」
今日は幼児園に行く日だからな。 食後のお喋りが始まってすぐ、マールちゃんがアイコンタクトで「私が支度をしておきますね」と席を立ってくれたおかげで、俺はこうして彼女の話を聞くことができたのだ。
ありがとうの気持ちを込めて微笑みかけると、マールちゃんも嬉しそうな笑みを返してくれた。
「は?」「……仕事?」
ああ、そういえばまだ話してなかったっけ……。
兄妹揃って同じように耳を上下させるのを見てちょっぴり笑みをこぼしていると、俺の背後に立ったマールちゃんが説明してくれる。
「はい。 秋休みの間だけなのですけど、ジャスパー様は週に二日、幼児園で勉強を教えていらっしゃるのですよ」
『……』
二人がぽかーんと口を半開きにしている。
「う、ウソだろ……?」
「お母さんのアレ、本当だったんだ……納得だわ」
片方の頬をひくひくさせている弟くんに対し、お姉さんは何やら合点のいったような顔をしてため息をついている。
「ね、姉ちゃん? アレって何だよ?」
「お母さんがね、この子にあんたの勉強を教えてもらいなさいって言ってたのよ」
「ゲッ、聞いてないよ!?」
マチルダさんの発言にエリック君がビックリしている。 カステさん、どうも彼には勉強の件をナイショにしていたらしい。
お袋はうふふふ~と楽しそうに笑い、洗い物をしているチャロちゃんも振り返って「あららー」という表情をしていた。
「そりゃあんた、そんなこと言っても絶対嫌がるに決まってるじゃん。 だからあんたの重たい勉強道具、ぜーんぶあたしの荷物に入れさせられたのよ?」
「うっげえ……」
だんだんと地の言葉遣いが出てきたっぽいお姉さんに、弟は露骨に顔をしかめている。
そして、彼のイヤそ~な視線は俺の方にも。
「だってコイツ、年下――」
「学年は上なんだけど?」
「ごふっ!」
お姉さんの突き刺すようなひと言に、リック君はイスの上で膨らんだお腹を押さえてよろめいた。
完全敗北である。
「ほら、前にお母さんが持ってきた本は、珍しく自分でもやってたじゃない? あれであんたも、算数は少し分かるようになったぜーって得意げにしてたんだから、もうひと頑張りしてみなさいよ」
「や、アレはさ……」
おっ? その本ってまさか、先月俺が向こうへ行ったときに、セラさんが渡した参考書のことかな? だったら嬉しいねー。
背後のマールちゃんも「よかったですね」と言うように俺の肩に手を置いてくれる。 俺もその手に自分の手を重ね、同意の気持ちを伝える。 ニアちゃんは直接「ママ、よかったねー」とテレパシーをくれ、お袋も優しい笑顔を俺に向けてくれていた。
そうしてみんなでほっこりしていると、タオルで手を拭いたエミーちゃんが彼の後ろへやってきた。
「あら……エリック君は、勉強きらい?」
「うえっ!? あ、ああ……」
驚いて背筋の伸びたエリック君が、後ろを向いてたどたどしい応えを返している。
俺よりも背の高いエミーちゃんは、二つ年上のエリック君と比べるとちょうどいいくらいの身長差になる。 それに加えて落ち着いているから、彼からすれば同い歳の女の子のように見えても不思議はないだろう。
「わたしは、好きだけど」
「えっ」
エリック君の長い耳が跳ね上がった。
「特にジャスは……優しくていねいに教えてくれるから、すごく楽しいわよ?」
「……お、おぉ……」
上を向いた耳が、少しずつ垂れていく。 本当に勉強が嫌いなんだなあ。
まあ子供としてはそれが普通だから、悪いとは思わないけどさ。
でも最低限はやらないとダメだし、特にこの子の場合は二度目の落第をしちゃうかどうかの瀬戸際だ。 二週間じゃできることも限られるが、なんとか勉強の足がかりくらいはつけてあげないと。
「ジャス様、お時間が……」
マールちゃんに優しく肩を叩かれ、俺は我に返った。 まだちょっとは余裕があるけど、確かにあまり時間がない。
細かいことは帰ってから考えることにして、俺は席を立つ。
「ニアちゃん、今日は一緒に来る?」
「いくいくー♪」
声をかけると、我が娘が半透明の羽を広げて俺の肩に飛び乗った。
初めて飛ぶのを見た姉弟が、その羽とキラキラと尾を引くように中できらめく光の粒を見て嘆声を漏らしている。
「リソ君もアレあげるから、おいでー」
「あいーっ!」
ついでに、退屈してちょっと不機嫌顔になっていたマイブラザーにも手招き。 一瞬にして、ぱああっと輝くような笑顔を見せる。
それから「ニアもニアもー」と可愛くおねだりしてくる我が娘にもうなずき、イスの上でジタバタしているマイブラザーを連れてくるようにお願いする。
再び宙を舞ったニアちゃんがリソ君の頭に乗っかると、まるでクレーンゲームのようにその身体が浮き上がった。 大人しくミューティレートされるリソ君を見て、再び目を丸くする鹿耳姉弟。
「それじゃあ、マティちゃんとリックちゃんには、今の内に荷物の確認をしてもらいましょうか~。
何か足りないものがあったら、買いに行かなくてはいけないものね~」
「あっ、はい」「そ、そうですね……」
ぽんと手を叩くお袋に促され、二人も我に返ったように返事をした。
洗い物の終わったチャロちゃんがリック君の後ろにつき、エミーちゃんはマティさんの後ろへ移る。 届いている荷物を勝手に開けるわけにもいかないから、本人に確かめてもらわないといけないもんな。
「待たせちゃってゴメンねマールちゃん。 じゃ、行こうか」
「はい、ジャス様」
「はーい、おにーさーん♪」「あいーっ!」
俺が先頭になってドアへと向かい、すぐ後ろにニアちゃんと頭を掴まれてぶらーんぶらーんしているリソ君、そしてマールちゃんが続く。
後ろから「す、すごい光景ね……」とマティさんが呟くのが聞こえたが、ウチではわりといつものことである。
……さあ、今日も頑張りますか。




