567 小さなお客さまたち
とっくに夜が空けているはずの空には暗い雲がかかり、いまだ街を薄い闇で覆っている。
水の匂いを感じる湿った空気は、雨が近いことを示していた。
「……こんな日でもやってるんだな」
トレーナーを一枚重ね、寒さ対策をした俺。 その肩に我が娘を乗せて、シートに覆われた角地を見上げる。
天気の悪い、しかも早朝にもかかわらず、シートの中では道場兼住宅の改修工事が行われているようだった。 とはいえ住宅街はいたって静かなままであり、上空から精霊が資材を搬入出しているのとシート越しに時折何かが光って見えるくらいしか、工事の様子をうかがい知ることはできない。
ニアちゃんが身体を光らせて挨拶の信号を送ると、上空の精霊さんからも親しげな光の点滅が返ってきた。 俺も「お疲れさま」の意味を込め、タコっぽい精霊さんに手を振っておく。
「それ、私たちも同じだと思うわよ?」
俺の横から話しかけてくるのは、髪を下ろしたままのエミーちゃんである。
今日はいつもより少しだけオシャレ度の高い、ブラウスとスカートの組み合わせだ。 胸元には、細い赤のリボンが結わえられている。
普段から赤と黒をメインにしているのはエルネちゃんと一緒だが、この娘は黒の方をより多めに使う傾向がある。 それが、一段と大人っぽく見える理由にもなってるんだよな。
ちなみにエミーちゃんは俺のように重ね着していないが、少し生地の厚い服だから大丈夫だと言っていた。
「あはは……ま、そうなんだけどさ」
夜勤でいない親父の寝室で、俺はリソ君の体温と、花とミルクっぽいのが混じったいい匂いに癒されながらぐっすりと寝ていたのだが、予定よりも早く目が覚めてしまった。
外を見ると真っ暗で肌寒かったものの、やがてお腹の中のニアちゃんも起き出してきたので天気予報を聞いてみたところ――。
『雨が降るのはお昼前くらいかな? ……あれ、お昼超えるかも? た、たぶんですけど』
という、いつもながら自信がまったくなさそうだが……そのわりに的中率の高いお姉さんなので、今日も信じてジョギングに出ることにしたのである。
ニアちゃんがいれば、たとえ途中で降ってきたとしても大丈夫だしな。
で、家を出ようとしたところへアナさんとエミーちゃんがいつもより早くやって来て、今に至るというワケだ。
「それに、寝ぼけ眼でご対面、というのもなあ」
「ジャスって、そういうところ気にするわよね」
エミーちゃんが優しい表情でくすくすと笑う。 だって、久しぶりの再会なんだもの。
既に我が家には、セスルームからのお客様――俺の従兄弟に当たる、マチルダちゃんとエリック君がいるハズなのである。
姉弟は、夜中の内にお袋が王都の東端にある発着場から連れて帰ってきて、今も旅の疲れから、それぞれリソ君と俺の部屋でお休み中だと思われる。 こっちの生活で必要な物は先に届いているので、道中に必要な手荷物だけで来ているハズだ。
ちなみにお袋も、リソ君を抱き枕にしていた俺を更に抱き枕にして半裸で眠っていたのだが、疲れているようだったので起きようとしていたのをムリヤリ寝かしつけてきた。
なんてコトはない。 眠たそうな瞳を閉じて「おはよう」と近づいてくる唇の隙間に、アメ玉を一個突っ込むだけの簡単なお仕事である。
これできっと、次に目を覚ましたときには疲れもスッキリと取れているだろう。
『――今日も鍛錬か。 感心なことだな』
小休止も終わってそろそろ帰ろうとしていたところ、少し遠くから声をかけられた。
見ると、閑静な住宅街のとある家の前に、しなやかなシルエットが立っていた。
「あっ、せんせーだよー」
「だな」
ニアちゃんにはハッキリ見えているみたいだが、俺は声で分かった。
わずかに明るくなってはきたものの、まだ「暗い」という範囲からは抜け出していないご町内。 そんな中にたたずむ影は女性らしい曲線を描いていて、スリムなスーツが黒いこともあって「女剣士」というよりは「くのいち」っぽいかもしれない。 でも、手に持った傘のシルエットはサーベルのようであった。
そんな人影が、バネのようにカールしている黒いポニーテールを揺らしながら近づいてくる。
俺の担任の、アズミーリ先生だ。 ……エミーちゃんはクラスが違うけどな。
『先生、おはようございます』「まーすっ」
特に意識もせず、完璧に声が重なった俺とエミーちゃん。 ニアちゃんとは少しテンポがズレたが、それでもおおむねハモった。
頭を上げた後、三人で顔を見合わせて笑みを交わす。
先生は「ああ」と軽く手を上げ、切れ長の目を細めた。
「君は、カプティーニとも仲がいいのだな」
「まあ――」「幼なじみですから」
今度は俺の言おうとしたところにエミーちゃんが被せてきた。 ……わざとだな? ちょっと得意げに笑ってるし。
ふふん、とでも言いたげに見えるその表情は、やはりエルネちゃんに似ている。
「ニアも仲よしー!」
「ははっ、そうですね」
腕を伸ばして主張する我が娘に、先生がカッコイイ笑みを浮かべて答えた。
そうだよねーと頭をなでなでしながら、俺は話を切り換える。
「そういえば先生、誕生日おめでとうございます」
本当は昨日だったハズだが、そうなのだ。
「……知っていたのか」
「はい、有名ですし」
「はは……」
しばし言葉を詰まらせた先生は、嬉しいというよりも乾き気味の笑みを見せた。
少女マンガに出てくる美男子っぽい先生は、特に女子に大人気だからなぁ。 俺もそんな子達がきゃっきゃと話しているのを聞いて、先生の誕生日を知ったのだから。
隣のエミーちゃんも「あっ」と声を上げているから、相当に有名なんだろう。
「ところでシャル……先生は?」
うっかり「ちゃん」と言いかけたが、何とか踏みとどまって尋ねる。
副担任のシャルちゃんは、この先生の家で間借りしているのだ。
「今日は私だけ出勤だ。 シャルはまだ、よく眠っているよ」
「大変なんですね」
「……まあ、な」
意図的に「担任の先生」という主語を省いてみると、女史はしみじみとうなずいてポニーテールを上下に揺らした。 まさかとは思ったけど……秋休み中でも、わざわざ先生にお祝いを言いに来る女生徒がいるような感じだな。 いや、いたのか。
お祝いだけだったのかな? という疑問は、当然ながら口にしないでおく。
なお、ああ見えて、ちびっ子なシャルちゃん先生の方が家事は得意らしい。 だがそんなところも、モテる要素になってるんだろうなー。
「そろそろ降りそうだな。 早く帰った方がいい」
『はい』「はーいっ♪」
ふっと空を見上げた先生が、俺達に忠告をくれる。
予報ではまだ大丈夫らしいけど、俺達は先生の言うことを聞いて素直に返事をした。
「さて、そろそろか」
「そろそろね」
エミーちゃんとそんな言葉を交わしながら、石畳を小走りで帰る。
心臓のドキドキは走ったためのそれではなく、再会への期待と、ちょっぴりの不安。 俺達は去年、一緒に向こうへ行ったときに会っているが、それっきりだもんな。
エミーちゃんもハッキリとは覚えていないらしいが……二人は果たして、俺達のことを覚えてくれているかどうか。
ニアちゃんは初対面なので、「どんなヒトなんだろーねー」と楽しそうに頭を揺らしながらの帰宅となった。
『たっだいまー!』「ただいま帰りました」
今度は俺とニアちゃんの声が完全に重なり、丁寧な口調のエミーちゃんが少しズレる。
玄関を開けると、紺色のメイド服をまとったマールちゃんが出迎えてくれた。 聞けば違うらしいんだけど、ずーっとそこで待っていたのかと思うくらいに、ジャストタイミングで待ってくれていることが多い。
「お帰りなさいませ。 ……お二人とも、リビングでお待ちですよ」
時計は見ていないが、もう外にはお掃除やご出勤の人達が出てきている時間帯である。
親父も帰ってきたそうだが、姉弟に挨拶だけしてすぐに寝室へ向かったとのこと。 まあ、この時期だから仕方がない。 今夜も夜勤らしいしな。
「……行こうか」
「そうね」
俺とエミーちゃんが微笑み合い、マールちゃんとも目を合わせる。 そして、全員の視線が俺の肩の上に。
ウチに可愛らしい精霊さんがいることは、母親のカステさんから聞かされているハズなんだけど……ビックリするんだろうなぁ。
――席が二つ増えたリビングのテーブルに、見慣れない小さなお客さんが並んで座っている。
小さい、とはいっても年上だけどな。
お袋も席についていて、しかしアナさんも加えたメイドさんトリオは座らず、壁際に並んでにこにこしていた。 顔を見せながらも、すぐにお茶のお代わりに動ける位置である。
「すげぇ……マジかよ」
カステさんと同じ、赤っぽい色の髪に黄色い瞳。 そして、ぴょこんと斜め上に伸びている長い菱形の――鹿の耳だ。
ともすると、かのエルフっぽくも見えるそれは緊張しているのか、動かない首の代わりように右へ左へとしきりに向きを変えている。
テーブルに飛び乗ってご挨拶をした我が娘を見ると、髪を短く刈り上げた男の子が目を丸くした。 俺の記憶よりもちょっぴり成長した、だけど相変わらずヤンチャそうな顔。 耳は落ち着きなく、上下にも動いている。
俺よりもひとつ年上の――いや、夏生まれらしいから二歳差か? エリック君である。
「……こら、失礼なこと言わないっ」
「ぎっ!?」
すると、横に座っていたお姉さんが正面を向いたまま視線だけを彼の方に向けた。 次の瞬間、顔をしかめて飛び上がらんばかりに身体を震わせる弟くん。
……どうやら、太ももあたりをつねられたらしい。
ところで、お姉さんの方は髪を伸ばしたみたいだな。 確かおかっぱみたいな髪型をしていた記憶があるんだけど、今は肩にかかって前後に分かれるくらいの長さになっている。
やっぱり、マチルダさんの方が大人っぽくなっている印象だ。 エルネちゃんよりもひとつ年下だが、もう社会に出ているらしいので引けを取らず落ち着いた感じがする。
本来は、同じ歳のマーヤさんと比べるべきだが……あの人は、俺から見ても例外だし。
「あくしゅ、あくしゅー」
「うわっ……かわいいっ♪」
だけど、可愛いものが好きらしいところはみんな同じか。 最初は恐る恐るニアちゃんと指握手を始めたマチルダさんは、すぐにその黄色い瞳をキラキラと輝かせる。
恐縮気味に倒れていた耳も、今はぴくぴくと上下に踊らせていた。
彼女のもう片方の隣にはリソ君の席が横付けされていて、俺達が来るまで可愛がっていたようだ。 リソ君の方にも頻繁に目を向けて、「かわいいー、かわいいー♪」と手を伸ばしている。
なでられているマイブラザーも「おねー、おねー」と喜んでおり、早くも懐いているご様子。
次に、エリック君も指握手をしたが――。
「よ、よぉ……。 ひ、ひひひひさしびり、だな」
びりって……。
彼はずっと緊張気味で、その興味の目線は我が娘よりも俺の隣へチラチラと注がれていた。
「ふふっ。 はい、そうですね」
顔を真っ赤にしてて噛みまくりのエリック君に対して、年下のハズのエミーちゃんはわずかな緊張を露ほども見せず、お姉さん的な優しい微笑みで応えた。
当時はエミーちゃんもかなりガチガチだったような気がするけど、今や完全に逆転しているな。
弟イジリの好きなマチルダお姉さんが、「うりうりー」と横からひじでつつく。
「それにしても……ジャスパー君もだけど、エミーリアちゃんは特に大人っぽくなったよねえ」
「そう、ですか?」
ちびっ子コンビを除き、俺も含めた全員が首を縦に振っている中、本人だけが首を傾げた。 特にエリック君は、首が取れそうなくらいガクガクとうなずいている。
ところで、ニアちゃんよりも先に改めて自己紹介をし合ったのだが、二人とも俺達のことは覚えてくれていたようだ。 けっこう嬉しい。
「それはもう! そのブラウスも、大人っぽくてよく似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます……」
マチルダさんの話が着ている服に及ぶと、ここでやっとエミーちゃんが照れ笑いを浮かべた。
一瞬「なんで?」と思ったけど、たぶんエルネちゃんのお下がりだからだろう。 エミーちゃんって、けっこうお姉ちゃんのことを尊敬してるからな。
温かな気持ちになっていると、マチルダさんの口から思いもしなかった言葉が。
「セレスティアちゃんもモノ凄かったけど……エミーリアちゃんもけっこうなモンよねえ」
「……ぇ」
震度四の揺れが、我が家を襲った。 ……というか、揺れているのは俺だ。
るー君達に続いて、この子達も会っていたらしい。
それにしても、近頃のエミーちゃんの成長っぷりは、ずっと側にいる俺でも目を瞠るモノがあると思っているのに――。
そんなこの娘を見てもなお、セーレたんは「もの凄い」と形容されるのか?
「ジャスパー君……気になるぅ?」
「や、あ、あの」
弟くんをイジっていたときと同じ目が、俺の方に向いた。
こ、この、弱いところを確実に見抜いた上で、楽しげにツンツンと突っついてくる感じ……かなりクるものがあるな。 エリック君よ、笑ってゴメン。
隠す余裕もなく動揺しまくっていると、マチルダさんは眉尻を下げて申し訳なさそうに微笑んだ。
「……ごめん。 聞かないことにしているんだってね。
あの子もそうとうにお兄ちゃん子だった覚えがあるけど、ジャスパー君もなんだよね。
でも、それを自分から直そうって言ったんでしょ? えらいよ」
「え、あ、いや」
なんか、いろいろとバレてる……。 いやまあ、たぶんセラさんも必要だと思ったから話したんだろうけど。
だが大人ならともかく、歳の近い子に心からの優しい笑顔でほめられるのは……かなり気恥ずかしい。
「おっ? お前、顔が赤く――」「バカにしないのっ!」
「おごっ!?」
エリック君が俺を見てニヤニヤし始めたところ、横からえぐり込むようなエルボーが炸裂。 脇腹を押さえ、テーブルに突っ伏す。 ……うわ、痛ったそー。
するとニアちゃんがテーブルの上から駆け寄り、「だいじょぶー?」と頭のつむじをツンツンし始めた。
お袋とメイドさんトリオは口を挟まず、俺達の様子を微笑ましげに見守っている。
「まっ、とにかく!
……このバカともども、しばらくの間よろしくね?」
マチルダさんはそう言ってにこりと笑い――突っ伏すエリック君の頭を、更に上から押さえつけた。 ゴンッと音が鳴り、うめき声と共に跳ねた彼の耳がぐったりと倒れる。
容赦ないね、お姉さん……。
どこの世でも、弟というモノは決して姉には敵わないようである。
「よ、よろしくお願いします……」
ぺこりと頭を下げる俺。 一瞬目の合ったエミーちゃんも、彼の心配は一旦横に置いて頭を下げた。
弟イジリは激しいが、いい子にしていれば優しくしてくれそうだし。
「ふふふっ♪ もう……お世話になるのはこっちの方なんだから、そんなに固くならないでよ~」
お姉さんはリソ君の方へ顔を向け、楽しげに「ねー?」と声をハモらせている。
「ねーねー、だいじょぶー?」
「ぐ、ぐふぅ……」
そしてエリック君は、ますますニアちゃんにつむじをツンツンされていた。
なかなか、楽しい日々になりそうである。




