542 メールもいいけど手紙もね?
見上げれば、いまだ濃紺色の空に星がきらめくのが見える夜明けの時間。
暗い部屋の中、ベッドから起き出した小さな影がゆっくりと入口に向かって歩き始める。 柔らかで小さな足裏からはひんやりとした靴の感触、そして寝起きには肌寒い空気がパジャマをまとう身体に絡みつき、長い髪を持つ影は両腕で自身を抱きしめて小さく震えた。
やがて部屋の端にたどり着くと、壁の金属パネルに片手を添えて明かりを点ける。 それで暖かくなったわけではないが、少女は安心したかのようにほっとため息をついた。
「……」
金色の髪の少女は、少し眠そうな暗い瞳で金属パネルを見上げる。
手には三つ折りにされた縦長の紙。 中の文面をしたためた彼であれば、ベッドで自分の肩を抱きながらでもこの明かりを灯すことができる。
少し前までは当たり前のように見ていたそのことが、実はとても特別なことであったのだと、少女は改めて気づかされた。
「『四日目の夜を迎えたセーレちゃんへ』」
再びベッドに戻って腰掛けると、彼女は手紙を開いて昨夜読んだばかりの内容を読み始める。 文字を追わなくても何が書かれているかは覚えているが、それでも指でなぞりながら丁寧に読んでいく。
染み込んだインクの向こうに、彼の温もりを探すように。
「……」
三度読み返し、彼女は上げた顔を窓に向けた。 カーテンに覆われた窓の向こうは、少しだけ明るくなっていた。
それを見つめる少女の瞳も、少しだけ明るくなっていた。
「今日も、頑張るからね」
――目覚めれば天文台。 いや、ドーム球場が二つ並んでいる。
重力の影響を受けずにキレイな円弧を描くそれらは、まさにビッグエッグであった。
あたりには濃密なフローラル系の香りが満ちあふれている。 球場には上から布団がふんわりと掛けられ、薄暗い部屋の中で緩やかに上下していた。 その下には金色の川が流れている。
屋根のてっぺんが見えていないことだけが救いであった。
「うふふふ……おはよう」
「……おはよ」
隣に目を向ければ、球場のオーナーである金色の少女が優しい目差しを俺に向けていた。 かすかな夜明けの光を捉えた蒼い瞳がきらめき、その中に俺の顔を映している。
密着させられている身体からは、温もりと果てしない柔らかさが伝わってくる。 それだけでも十二分に、彼女が今どういう格好をしているのかが窺えた。
自分の髪をストールかマフラーのごとく両肩に流しているのは、背中の下に敷いてしまうと首を動かしたときに引っ張られて痛いから、と言っていた。 そのおかげで、目に入る肌色が減っているのが幸いであった。
かえってエロチックさを増しているような気もするけど。
目覚めたら横に裸の美少女。 映画くらいでしかお目にかかれない夢のシチュエーションがまさに目の前にあるのだが――この女性は何を隠そう、俺の母親である。 ちょっとくらいは隠してもらえると助かるのだが、これでも寝る前はちゃんと着ているんだよな……。
なお、ベッドの中にいるのは俺とお袋だけではない。 まろやかなアルプス山脈の向こう側では、マイブラザーも寝息を立てているハズである。
「今日も、よく眠れた?」
「……おかげさまで」
お袋はいつから目が覚めていたんだろうか。 眠気のなさそうなパッチリとした目を細め、女神のような優しい笑みを向けてくれる。
フツーならばまともに眠れるワケのない状況なんだろうけど、わりとすぐに慣れるとぐっすり眠れるようになった。 ドキドキしながらもそれ以上に安らぎを覚えるのは、やはり母親だからなんだろう。
それでも気恥ずかしいのだけは、どーにもならんが。
「うふふっ、ママもよく眠れたわ~」
「それはよかった」
あの子は今ごろ一人で寝起きしているだろうに、俺はこうして川の字になっていていいのだろうか……。 そういう気持ちもあるにはあるが、お袋やリソ君の嬉しそうな顔を見てしまうと「ヤッパリひとりで」などとは言えなくなってしまう。
まあ、そもそも俺のお腹の中ではニアちゃんも眠っているワケで、俺が本当にひとりで寝るのはよほどのことがない限りはないんだけど。
お袋が仰向けだった身体を動かし、上半身をよじって俺の方に向く。 肌と布団との間に隙間ができ、流していた髪が下に落ちる。
……おおっと、これ以上見るのは危険だ。
目を閉じてお袋が顔を近づけてくるのを、俺は静かに受け入れた。
着替えてみんなで一階に下り、あの子だけがいないテーブルで朝食を取る。
親父はその後少しのんびりしてから城へ向かい、ニアちゃんは父親やおにーさんのところへ遊びに行った。 向かう場所は同じでも、その目的は大違いである。
今日はお袋が台所に立ち、マールちゃんはそれぞれの部屋から洗濯物の回収をしに出ていった。 チャロちゃんは俺にお茶を淹れてくれた後、リソ君を連れて一階の部屋に行った。 この後、二人でご近所さんの家へ遊びに行くらしい。
そろそろエルネちゃんが来ると思うけど、今日は俺も家の手伝いをしようか。 そう思っていると、まさにそのエルネちゃんが元気よく挨拶をしながらやってきた。
「おっはよーございまあーーーすっ♪」
「あら~、おはよう~」「おはよう、エルネちゃん」
よく晴れた外は明るいけど、エルネちゃんが来るとなおいっそう家の中が明るくなるな。
肩にカバンをかけ、私服姿のエルネちゃんがダイニングに入ってくる。 もう片方の手には封筒を持っていた。
「セフィさん、お手紙が届きましたよっ」
「あら~、ありがとう~」
エルネちゃんは俺の後ろを通り抜け、タオルで手を拭いたお袋に封筒を渡した。 二通あるようだけど、なぜか片方だけ。
それから残りの封筒を持ったまま、スカートをひるがえして絶対領域を見せながら俺のところに戻って来る。
「はい、こっちはジャス君に」
「へ? ……あ、うん」
イスの後ろから抱きつくようにして、俺に封筒を差し出される。 確かに、見ると俺宛てになっていた。
触った感じからすると、どうやら手紙が入っているようだ。
「あ、ありがと」
「んふー♪ じゃ、着替えてくるね。 ……ジャス君も、一緒に来る?」
「行きません」
「えーっ」
形のいい眉をハの字にして、いかにも残念そうな顔をするお姉ちゃん。 でも「うん、行こうか」って真顔で返すと、ものすごく慌てるんだけどな。
すぐに笑顔に戻ったエルネちゃんは、ドサクサに紛れて俺の身体をまさぐってから「すぐ戻って来るねー」と言い残し賑やかに出ていった。
「うふふふふ~。 ジャスちゃんのは、どこから~?」
「えっと……んん?」
既に洗い物も終わったらしいお袋が、自分のカップを持って俺の斜め向かいに腰を下ろした。 チャロちゃんが置いていってくれたポットからティーを注ぐ。
経由した郵便局を示すハンコを見ると、なんとヘイズルから。 フレス川の河口近く、この王都のすぐ南西にある街だけど、行ったこともなければ知り合いもいないハズ。
首をひねるながら封筒の裏を見ると――。
「おおっ、るー君からだ」
あまりに流麗な筆跡で気づかなかったが、衛星都市めぐりの旅をしているるー君からであった。 たぶん、宛先はツェリさんが書いたんだろう。
お茶を飲もうとしていた手を止め、お袋がにっこりと微笑む。
「あらまあ~♪ こっちは、カステルミお義姉様のところからよ~」
「え」
これまた意外なところから……。 確かに、見せてくれた送り元にはそう書いてあった。
「読んでみましょうか~」
「そうだね」
お袋の方はいったいどうして送られてきたのか分からないが、まあ俺が知るべきことなら教えてくれるだろう。 俺は俺で、るー君からの手紙を読むことにする。
のり付けされた封筒を手でめくり、中身を出して目を通す。
手紙には、見慣れた丸っこい文字が書き連ねられていた。 相変わらず、文字さえも女の子っぽい。
――こんにちは。 ジャス君にお手紙を書くのは二回目かな?
お元気ですか?
「あはは」
かしこまった書き方に、思わず頬が緩む。
そういえば、前に勉強の課題として一度書いてもらったことがあったな。
――ボクは元気です。 でも、会社の人はいっぱい倒れました。
「オイ」
何をしているんだキミは! 相変わらずだな……。
――そうすると、姉さまに怒られてしまいました。
『倒れてケガをしたら危ないから、どうせするのなら倒れないように気絶させなさい』って。
どうやるのって聞いてみたら、ツェリ達でやって見せてくれました。 さすが姉さまです。
「……」
思わず頬が引き攣った。 り、リティシアさん……。
あのお姉様にかかると、さすがの銀髪メイドさん達でもひとたまりもないらしい。
――ヘイズルに来たのはボクもリリも初めてでしたけど、あまり王都と変わらなかったです。
でも、初めて見た川はとても大きくてキラキラしていて、海はもっともっと大きくてビックリしました。
あと、海は波があって、においが変な感じでした。 海の風は髪によくないそうなので、ちょっとイヤでした。
「変……ま、そう感じるかもね」
そういや、俺もこっちに生まれてからは間近で海を見たことはないな。 上空からだったらあるけど。
確か海の波って風で起こるんだったか。 だけど潮の満ち引きは月の潮汐力が関わっていたハズだから、小さいとはいえ月が二つあるこの星だったらどんな感じなんだろうな?
――ジャス君は今、セーレちゃんがひとりだと思いますけど、大丈夫だと思います。
でも帰ってきたら、セーレちゃんとリリも一緒に、みんなで遊びましょう。
リュシアンより。
「頑張ってるんだなあ……」
あまり詳しくは書かれていないけど、いろいろやっているみたいだな。 ……しなくていいコトもしているようだが。
経験を積んで成長してくれるのは嬉しいものの、斜め方向に育たないように祈りたい。
緑の女神様にお願いするとむしろそっち方向で全力に叶えてくれそうなので、誰か違う神様にお願いしよう。 代わりに見た目は暗黒騎士みたいだけど優しいおにーさんにお祈りしておけば、もしかしたら家事万能で家庭的な子に育つかもしれない。
……ますます女の子っぽくなるではないか。
「ジャースーくんっ♪」
「わぁお」
果たしてどちらがいいのかと真剣に考えていると、いつものワインレッドのメイド服に着替えてきたエルネちゃんに、また後ろから抱きつかれた。
思わず、欧米人のような声が漏れてしまったではないか。
「るー君からの手紙、どんなことが書いてあったの?」
「うん、旅行先で海を見たよーって話」
「へえ……」
なぜか胸を揉まれながら答えると、エルネちゃんは耳元でミョーに色っぽいため息の混じった相づちを打つ。
「私も、海って見たことないなあ」
「そうなの?」
「うん」
半島に造られた王都ではあるけど、海からの襲撃に備えて整備されているから海辺はなかなか入ることができないらしい。 しかも、半島の西端は軍の基地で占められているし。
いちおう港町と呼べるところに住んでいても、俺やエルネちゃんみたいに海を間近に見たことがないという人は少なくないんだろう。
っていうかさ。
「……そ、そろそろ、揉むのやめてくれない?」
「えーっ、いいじゃない?」
よくないよ! けっこうくすぐったい上に、揉み方がミョーにイヤラシイしさ。
「うーん……服の上からじゃ、よく分かんないなあー」
人差し指の先で俺の胸をクリクリしながら、君は一体ナニを探しているのか。
いい加減、ゾクゾクしてきたからやめなさい。
「ジャスちゃん、エルネちゃん」
身をよじって抵抗していると、同じようにカステさんからの手紙を読んでいたお袋が声をかけてきた。
「ぅえ?」「はーい」
「お義姉様からのお手紙なんだけれど……」
「うん」「おねえさま?」
「ええ。 セスルームにいらっしゃる、パパのお兄さんのお嫁さんよ~」
カステさんのことを知らなかったらしいエルネちゃんに、お袋が説明をする。
それから俺達に手紙の内容を教えてくれた。
「それでね~? お義姉様には、エルネちゃんよりも少し下くらいのお子さんが二人いるのだけど」
「うん」「はい」
確かに、姉のマチルダちゃんはエルネちゃんのひとつ下くらいだったか。 で、弟のエリック君が俺の二つくらい上だったよな。
二人はカステさんに連れられてたまーにセラさんの家にも遊びに行っているみたいだから、ひょっとしたら向こうでセーレちゃんとも遊んでいるかもしれないな。
……と思っていたら、俺が想像もしていなかったこと発言がお袋の口から飛び出した。
「そのふたりをね?
お義姉様が、来月の使節祭を見にこちらに来させたいけどいい? って、書かれているのよ~」
「え……」「えっ?」
あの姉弟、こっちにくるの?




