537 母と子の、よくあるスキンシップ
薄い雲が空を覆い、涼しい空気が流れている。
「ふぅ」
ひんやりとした服に袖を通すと、ぶるっと身体が震えた。 しかしそれも一瞬のことで、すぐに服が体温になじんで落ち着きを取り戻す。
「は~い。 リソちゃん、あんよ上げましょうね~」
「あいー」
俺の横では、リソ君がお袋にズボンを穿かせてもらっていた。 低く屈んだお袋の肩に手を乗せ、小さな足を上げている。
上は自分でも着られるようになってきたみたいだけど、長いズボンはまだ苦手のようだ。
足元にはニアちゃんがいて、マイブラザーのお着替えを見上げている。 自分自身は瞬時にドレスアップできるせいか、ニアちゃんは人の着替えをじっと見ていることがよくある。
「ジャスちゃん、身体は何ともない~?」
「うん」
姿見で服を整えながら、お袋の問いかけに答える。 わずかにだるさはあるものの、十分な睡眠が取れたおかげで眠気はない。
「そう、よかったわね~♪」
「……うん」
俺としては、少々不本意なところがあるんだが……。
昨日、幼児園から帰ってきて仮眠を取ったのは良かったんだけど、今度は夜にまた寝つけない状態になっていた。 そこで瞑想や体操などをしていると、お袋がリソ君を連れて二日連続でやってきてくれたのだ。
その前にしていた筋トレのおかげもあるんだろうが、人肌を得てやっと快眠できたという事実に、俺の魂の方はともかく、精神と身体はやはり六歳児だということを改めて再認識された形となった。
彼女は向こうでひとり頑張っているというのに……けっこう情けない気分だ。
なおセーレちゃんは「自立性と主体性を育む」という、俺とセラさんとで話し合って決めたテーマに基づいて生活しているハズである。
俺もいろいろと希望などを口に出したが、結局はセラさんの「私に任せなさい!」という言葉に甘えることにした。 ものすごーく若く見えるけど、母親としてもお袋を育てた経験のある大ベテランだもんな。
セラさん、かなり自信満々だったし。
でも、あの子はちゃん寝られているんだろうか……。
手紙にも書いたけど、俺でさえこんなだからな。
「ジャスちゃん」
姿見の前でぼーっとしていると、鏡の中のお袋が俺に優しい目差しを向けてくれていた。
「心配しなくても、大丈夫よ」
「……そうだね」
お袋の笑顔に、心配の色は見られない。
うん、俺も信じてあげないとダメだよな。
「セーレちゃんが帰ってくるまで、ママとリソちゃんが一緒に寝てあげるわ~♪」
「そっちじゃなくて!?」
その心配じゃないから! 気遣いはありがたいけど、目覚めた時の目の毒具合がハンパじゃないから!
だが振り返って抗議しようにも、ニアちゃんとリソ君は「一緒だねー!」「いっしょー!」と嬉しそうにバンザイしていて、言うに言えない。 お袋も「そうね~」と嬉しそうに言いながらそんな二人をなで始め、ますます言い出せない雰囲気になってきた。
まさか俺……この秋休み、ずっと添い寝されるのか?
「ママ、ジャスちゃんとセーレちゃんとは、ほとんど一緒に寝られなかったから……。
少しの間だけ、ママに甘えさせて?」
「……」
そう言われると弱い……。 俺とセーレたんって、赤ん坊の頃もそれほどお袋と一緒には寝てないんだよな。
二人でお互いに添い寝しあって、それで安定していたところがあるし。
「だめ……?」
無言でいると、お袋は絨毯の上に女の子座りをしている状態で、小首を傾げて甘えるような表情を俺に向けてきた。 蒼い瞳がキラキラしている。
くっ。 その甘え方、セーレたんにそっくりだ――。
「……はい」
ノー、とは言えない俺であった。
「チャーッス!」「チューッス!」
朝食の後しばらくした頃、そんな声を我が家にとどろかせてガタイのいいオニーサン達が二人、やってきた。
お袋が応対し、作業着の男達をリビング兼ダイニングへ連れてくる。
「それでは、よろしくお願いしますね~」
「ウッス!」「オイッス!」
お袋に微笑まれ、若干顔の赤いオニーサン達。 テーブルでお茶を飲んでいた俺達に会釈をすると、いろいろと道具をひっさげてキッチンの方へと歩いていく。
今日は、これからの冬に備えて暖炉の掃除と点検をしてもらうことになっているのだ。
ウチの暖炉は薪と魔力とのハイブリッド式だが、薪は一切使っていない。 なのでススは付着していないものの、ホコリ取りと魔導具の点検は欠かせない。
このヒゲと帽子のオニーサン達には、いつも冬が来る前にウチの暖炉を見てもらっているのである。
……ちなみに兄弟で、見た目はウリ二つである。
「さあリソ様、お部屋に行きましょうね」
「あいーっ」
肩にニアちゃんを乗っけたマールちゃんに連れられ、リソ君は三人でリビングを出ていく。
少し前にやってきたエルネちゃんは、しかし来るなりすぐマールちゃんに頼まれて買い物に出かけていった。
「さあ、ジャスちゃんも」
「うん」
作業中は音やホコリなどが出るので、立ち合う人以外は同じ部屋にはいない方がいい。 ということで、俺もお袋と一緒に出ていくことにする。
ウチの暖炉は二つあり、小さい方はメイドちゃんズの部屋に設置されている。 なので立ち合いはマールちゃんがしてくれることになっていた。
「ありがとね、ママ」
「うふふふふ~」
手を繋いで玄関に向かう。 お袋も最後には作業報告を聞かないといけないから出かけられないので、作業中に俺の稽古に付き合ってもらうようにお願いしていたのだ。
涼しい庭へ出ると、俺とお袋は少し間を空けて向かい合う。
俺の手にはいつもの木刀。 対するお袋は手ぶらに相変わらずのロングワンピースという格好だが、その程度で動きに支障が出ることはない。
「ジャスちゃんとふたりきりって、珍しいわね~」
「だね」
セーレたんとはときどき稽古していたけど、お袋が俺と二人でというのはほとんどない。
だからこそ、俺はけっこうワクワクしていた。
当然ながら実力はセーレたんを上回っているし、演舞みたいなものだったとはいえ、あのマリエルさんと互角を演じたのだ。 俺にも学べるところがいっぱいあるだろう。
軽く身体をほぐし終わり、俺はお袋に向かって木刀を構える。
「いくよ」
「ええ~」
重心と身体の軸を意識しながら、まずは軽くダッシュ。 跳動と呼べるほどのスピードはないが、忍動を使って滑るように動き出す。
お袋はまだ、両手を前で自然に合わせたままにこにこしている。
「ほ……」
腰に構えた木刀を前に突き出……そうとしたときには、既にお袋はその先にいない。 瞬きをしたら、お袋は横に一歩移動していた。 白く長いスカートも、金糸のようなお尻の下まで届く髪もまったく揺れていない。
歩法を使っているのは分かるけど、空気抵抗などは一体どうなっているのか。
仕方がないので、牽制のつもりで木刀を振りそこから次の攻撃へと繋げることに――。
「うふふっ……♪」
お袋が長い髪をなびかせ、木刀と同じ方へと流れていく。 同時に振るった腕を取られ、気がつけばお袋に後ろから抱きしめられるような形になっていた。 背後からほっとするような温もりと花のような香りに包まれ、両耳のあたりから頭の上にかけての部分をふたつのふにょふにょしたモノに挟み込まれる。
更にもう片方の手は俺の脇の下から回され、俺のあごの下を指先でそっとなでられた。
「うっ」
その感触とお袋の底知れない実力に、俺は背中をぶるりと震わせた。
「瞬きをするときは、気をつけないとだめよ~?
それと、牽制にもある程度の力を込めること。 でないと、逆に危ないわ~」
「う、うっす」
首からアゴに繋がる境目を、お袋の中指と薬指が滑らかにつたう。 ゾクゾクするからやめてー。
「うふふふふっ。 それじゃあ、もう一度ね~」
「……おいっす」
い、いかん。 慣れないせいもあってテンポが狂う。
親父やエミーちゃんみたいに、打てば響くというかスピード感のあるやり取りとは正反対で、柳に風的な感じでやることなすことのすべてが流される。
お袋に比べたら、セーレたんやマリエルさんもまだ前者に近いな。
再び距離を取って対峙し、今度は少し間合いに余裕を持たせて剣を振るう。
「うふふっ」
並列思考でお袋にも十分に注意力を割いていると分かるが、俺が木刀を振ろうと力を込めた時点で、お袋は既に剣先の届くギリギリ外に移動している。 だからミリ単位でかすりもしない。
しかも、次の攻撃へ繋げるにはビミョーにやりにくい位置にばかり動いている。
パッと見は、にこやかに踊っているだけなのだが。
「牽制で剣を振るときは、相手に動かれると困る方向に注意してね~」
「うっす!」
身長差から、どうしてもふにょんむにょんとまろやかに踊るソレが視界に入る。 大きい人は走るのもタイヘンだと聞くけど、これほどまでに必要最小限な動きならば何の支障もないだろう。
そういえばお袋って、小さい頃は打撃がメインだったのをじょじょに投げ技や関節技をメインに変えていったって、セラさんから聞いたな。
まさか……そのせいか。 そのせいだったのか。
「ふふ~」
「おっと!」
下半身への注意が疎かになりかけていたら、さり気なーく足を引っ掛けられそうになった。 バックステップと同時に剣を振り上げ、追撃を防ぐ。
「今のはいい動きだったわ~」
「それはどうも……っと!?」
ふぁさっと足元に白い大きな花が咲いたかと思うと、下からしなやかなおみ足が伸びてきてハイキックを見舞われた! お袋のキックなんて、昔親父が蹴られて宙を舞っていたとき以来だぞ……。
思わず目線がそこへ行ってしまうけど、ギリギリのところはキッチリとスカートで隠しているところはさすがだ。
「さあ、次はジャスちゃんが踊る番よ~?」
「ぐっ……!」
長いスカートで巧みに隠しながら、流れるような動きから次々と真っ白な美脚が飛び出す。 俺は気合いを入れて木刀を構え、しかしそれで受けることはせずに体勢を崩さないように気をつけて回避する。
踊る髪とひるがえるスカートが上半身もチラチラと隠すので、たまーに手刀が飛んでくるとヒヤヒヤものである。
これ……上も下も一瞬でも見とれたら、あっと言う暇もなくノックアウトさせられるぞ。
「うふふふふ~」
「くっぬ……!」
十年後のセーレたんを想像させられるような、拳打のラッシュ。 しかしお袋は、あくまでも地に足をつけたまま。 アクロバティックな攻撃は出てこない。
俺は身長差のある相手へのセオリーとして、地に伏せるようにして足払いをかける。
花咲く中心にあるレース地が目に入ったが、気にしている余裕などあるハズがない。 かかと落としを避けて芝を転がり、さらに腰の捻りからバネのように身体を跳ね上げて立ち上がる。
その際、大きめに足を振るって牽制の蹴りを放つことも忘れない。 我ながらカポエラみたいな動きである。
「あら~。 ジャスちゃん、お上手ね~」
「……まあ、ね」
さんざん親父や師匠に転がされたおかげで、起き上がる早さにはそこそこ自信があるのだよ。
自慢にならんが。
「じゃあ、また交代ね~」
「おっす」
お互いの動きが一旦止まり、お袋がほとんど乱れている様子のない服や髪などを整えながら言う。 俺も息を整え、あちこちについた草を払う。
ところでお袋。
「んっ……しょっ♪」
「……」
ブラの位置を直すのはいいんだけど、斜め下から寄せ上げて形を強調するみたいになっているのは勘弁してほしい。
ゆったりしている服の上からでも丸分かりなので……。
途中、外に出てきたオニーサン達が屋根に掛けたハシゴを登る最中に、お袋に見とれて足を踏み外しそうになったのを除けば、稽古も作業も順調に終わった。
これで我が家も、今夜から暖房が使えるな。




