516 わが子の成長はメロン味
師匠といっぱい稽古び、陽が傾き始めたのに気づいて慌てて帰ることに。
「はっはっは! また来いよ!」
「いって……うんー!」
ばしーんと大きな手で、身体についた草や土を払われる。 ちょっと乱暴で痛かったが、男らしさが感じられてそれもまた良し。 ウチじゃ、親父でもそういうことはまずしないからな。
既に俺を迎えに来てダイニングでお茶を楽しんでいたアーンさんにもう少し待ってもらい、セラさんに連れられて風呂場へ。 師匠に転がされてちょっと手足を擦りむいたので、袖をまくり上げ水で軽く洗ってもらってからまたリビングに移動して手当を受ける。 窓から射し込む光には、少しずつ赤みが増してきていた。
ちなみに我が娘は稽古の前に俺の中から飛び出して稽古を見物していたが、今はアーンさんと一緒にいる。
「……はい、これで終わり」
「ありがと」
非常に手慣れた様子で、あっという間に手当が終わった。 多少のすり傷や打ち身は稽古をしていればイヤでもするので、俺も慣れたものだ。
セラさんは救急箱を片づけるとキッチンからお茶を持ってきてくれた。 身体の火照りは既になくなっているものの、代わりにのどが痛いほど乾いていたので助かった。
まだ飲み足りないけど、帰りの道すがら催しても困るのでやめておく。
「気をつけて帰るのよ?」
「うん」
コップを返し、セラさんの言葉にうなずく。
稽古のときは気づかなかったが、また気温が下がってきている。 お茶を飲んだせいもあって寒さを覚え、身体がぶるりと震えた。
セラさんがお茶と一緒に俺の脱いだ上着も持って来てくれたので、すぐに羽織る。 これで帰りの支度も万全だ。
「それと、ジャス君」
「ん?」
セラさんは俺の着たジャケットを整えてくれると、肩に手を置いたまま穏やかな笑みをたたえた顔を近づけてきた。
心配そうな、切なそうな光を宿す蒼い瞳に、俺の顔が映る。
「セーレちゃんのこと、あまり気負わないでね」
「……うん」
「そもそもあなたに責任なんてないし、もし今回うまく説得できなかったとしても大丈夫。 そのときは、セフィやジェド君達と少しずつやっていけばいいんだから。
もちろん、私も協力するから。 ね?」
「うん」
確かに、あの子の依存を直せるなら早い方がいいし、今がタイミング的にベストだろうとは思う。 でも、絶対に今でないといけないということもないのだ。 まだ六歳なんだから。
セーレちゃんはちょっとずつでも確実に成長しているし、高校へ行くようになるまではまだ時間もある。
それにあの子なら、どうしても必要ならば俺から離れることも頑張ってやってくれるだろう。
だから、追い詰めちゃいけない。 あの子も、そして俺自身も。
「うん、だったら安心ね」
セラさんの瞳から心配の色が消える。 するとその瞳がすっと細くなり、俺の視界の上へと移っていく。
天井の明かりがさえぎられ、俺が目を上に向けたら――。
「それじゃあ、また来月逢いましょう」
笑顔と共に、温かいものがおデコに触れた。
――すっかり日は暮れて、闇に覆われた王都を星々が照らす。
一緒に入ろうとおねだりしてくる妹様をなんとかなだめ、別々に風呂に入った俺達は寝る前に日本語のお勉強中である。 夜になると更に冷え込み、肌寒い。
セーレたんの髪はお袋にドライヤーで念入りに乾かしてもらい、教えている俺はパジャマの上から上着を着込んでいた。 煙突掃除が済んでいないので、壁暖房はまだ使えない。
ニアちゃんはハニーの練習帳を覗き込み、書いている最中のひらがなを見て大きな頭を傾けていた。
《なんか、ぐるぐる多いねー》
「はは、そうかもな」
女文字とも言われたひらがなは、確かに曲線が多い。 特に、な行あたりはまさしく「ぐるぐるー」だしな。 ま行もなかなかだが、「ぬねの」の三連続コンボには敵うまい。
って、なんの勝負だよ。
「ん~。 むずかしいの~」
お風呂上がりのいい匂いを漂わせながら、セーレたんが首をひねっている。 フィラスタ文字よりも書きにくいというのもあるが、何より俺の手本が微妙だからな。
今では人に書いて見せることが多いのでそれなりに丁寧に書くようになったけど、前世の俺は乱筆だったし。 本当に正しいひらがなを書けているかと言われれば怪しい。
でも、俺が書く以外にお手本などないのだからどうしようもない。
「えっと、それはねー」
左手で書くのに疲れ、右手に鉛筆を持ち替えたセーレたん。 テーブル越しに向かい合っていて字が逆さまになるため、向こう側に行こうと立ち上がったそのとき。
――タンタン。
ドアを叩くものとは違う、軽いノック音。 というか、方向からして違う。
出入口とは反対の方を見ると、窓の外に人影が……。
「開けてくれー」
「……はいはい」
ドアから出入りする人はたくさんいれど、窓からやってくるヒトは限られている。 部屋の明かりを受けてメガネのレンズが白く光っているが、今更驚くことではない。
妹様はノートを閉じ、俺は立ち上がった目的を変更して窓に向かいながら触手で引っかけを外して開けてやる。
ニアちゃんも顔を上げ、外に浮かんでいる人物に手を上げて挨拶をした。
《あっ、パパだー♪》
「うむ。 こんばんは、だな」
空中で身体を屈め、冷たいそよ風と共に開けた窓をくぐって入ってくるメガネ少女。 碧色のボブの髪は風に動くこともなく、セーラー服の襟を長くしたようにも見える、背中の真ん中ほどしかない暗緑色のマントもひるがえることはない。 降り立つ直前には同系色のブーツを消滅させ、若草色のタイツに包まれた足を絨毯につけた。
「今日もサボリかい?」
「失敬だな。 今日はちゃんと終わらせてきたとも」
「今日は、ねえ」
「うむ!」
寒さにぶるっと背筋を震わせながらツッコミを入れると、彼女は少女らしい胸を張って真横に立つ俺の頭に手を置いた。 ちょうどそうしやすい身長差なのだ。 俺に気を遣ってくれたのか、背後の窓がひとりでに閉まる。
一般の人が聞けば卒倒するだろうやり取りも、俺達にとっては単なる挨拶でしかない。
そして、それは我が妹様も同様だ。
「アルヴィちゃん、こんばんはなの~♪」
「うむ、こんばんはだ」
我が国の守護精霊様が、遊びに来たのだった。
「今日はどうしたのさ」
小さなテーブルの上を片づけ、アルヴィちゃんと向かい合う。
今日はセーレたんもニアちゃんもいるので、俺もあまり言葉づかいを崩さない。
「ほむ、ほへはあわ~」
「……」
相手の方が崩しまくりだった。
珍しく絨毯に座ってもらったのはいいが、茶の代わりだと言わんばかりに触手を要求され、ただいま恵方巻のようにほおばり中である。
俺の隣で妹様がうらやましそーに見ているけれども、今日はもう食べたのであげられません。 ニアちゃんも夕飯で満腹みたいで、パパの食事をテーブルの上でただ眺めている。
「あむあむあむあむ」
「ていうか、ラインでも使えばいいでしょーに」
この場にはセーレたんもいるから生身の声を……なーんてのは理由にはならない。 全員にマナのラインを繋げばいいんだから。
なおテレパシーには、広範囲発信型の「波紋」と個人間直通型の「直線」がある。 ただ話しかけるだけならパルスの方が楽だけど、人間とテレパシーで会話するならラインを繋ぐ必要がある。
しかも今は俺と触手で繋がっている状態だから、俺と話すだけならそれを経由してもいい。
まあ要するに、敢えて食べながら喋ったのはこの人の「ボケ」なのだ。
《今日は甘みが少ないな》
「はいはい」
繋げて一言めがそれかいと思いつつ、成分調整をして甘みを増やす。 みんなに頻繁に食べさせている内に、魔力配分によってどう味が変わるかも分かるようになってきたよ。
ただし、精霊と人間とでは味覚が違うので要注意である。
聖母様が目を細め、頭の上に音符マークが出るようなご機嫌な表情になったのを確認してから声をかけた。
「……で?」
《うむ。 折り入って話があってだな》
「ほう」
話だけなら、我が娘を経由して文字通りの「子機」通話でも事足りるだろうに。 目で先を促すと、彼女は小さくうなずいて話を続けた。
……相変わらず、副音声であむあむ言いながら。
《実はな、ニアを合宿に誘いに来たのだ》
「――は?」
思わずハニワ顔になる俺。 対して、愛娘とハニーは「がっしゅくー?」と声を揃えて可愛らしく小首をかしげた。
聖母様は食べながら首を縦に振る。
《うむ、ニアの勉強が順調でな。 時期の都合もあり、今の内にキリの良い所まで進めておきたいのだ》
「……そうなの?」
「にゅふふー」
テーブルの上の我が娘に問いかけてみると、座ったまま両手を頭の上で合わせ、腰をくねくねさせて謎の踊りを始めた。
なぜインド風の踊りをしているのかは良く分からないが、順調なのは確かなようだ。
《それに、我も娘と過ごす時間を持ちたくてな。 故に、一週間程ニアを借りたく話をしに来たのだよ》
「一週間、か……」
《そうだ》
碧の瞳を細め、慈愛を感じる笑みを見せる父親。 ふと隣を見てみると、セーレちゃんはやや茫然としたような目でくねくねしているニアちゃんを見ていた。
この子もだが、ニアちゃんも産まれて今日まで、たった一度を除いて俺と寝床を共にしてきた。
なのに、我が娘の方が先に数日とはいえそれなりの期間、俺から離れるというのだ。
「……だってさ。 ニアちゃんはどうしたい?」
《合宿、おもしろそー♪》
謎の踊りを続けながら、我が娘は碧の瞳を輝かせて無邪気な笑みを浮かべている。 本人はOKのようだ。
しかもこの国で最も安全なお方、かつ父親の元でお泊まりするとなれば、母親としてNOと言う理由はどこにもない。
「そっかー。 ニアちゃん、スゴイなー!」
《うむ! トゥキも喜ぶぞ》
「にゅふふふふー♪ お兄さん、ひさしぶりー!」
――の、だが。
《それで、セーレちゃんの対抗心に火を点ける手伝いをしてくれる……というワケか》
ねこのようにあごの下をなでて我が娘をほめながら、俺は繋がれたマナのラインではなく自分の触手を通じて彼女へテレパシーを送った。
セーレちゃんは俺の横で、複雑そうな表情でニアちゃんを見つめている。
《無論、それもある》
そして、アルヴィちゃんはそんなセーレちゃんに優しい目差しを送った。 もちろん俺もな。
しかしその目が俺に向くと、今度は少しイタズラっぽい笑みに変わった。
《だがな、我の言った事も本当だぞ? 我も楽しみしておるが、特にトゥキはニアとの時間を作るべく音速を超えて都市間を飛び回っておるからな》
《あー……あのヒトならやりそう》
漆黒のマントをはためかせ、闇夜を超音速で飛び回る渋面の暗黒騎士様か……。 まるでダークヒーローみたいだ。
その正体は、とっても心の優しいお兄さんだが。
あの人が眉間のしわを緩めてかすかな笑みを口元に浮かべるのを想像すると、もうそれだけでOKしたくなるなぁ。
「……一応、ママに確認を取ってくるよ」
《うむ、待っておるぞ》
ひざを立ててからゆっくりと立ち上がり、俺の顔を見上げるセーレたんの頭をなでてから部屋を後にする。
親父は早朝出勤に備えてもう寝ているハズだから、お袋に話を通せばいいだろう。
廊下の冷たさに震えながら一階のリビングに行き、湯上がりで長ーい髪を乾かしているお袋に話をしてみる。 部屋中が石けんの良い香りに包まれ、パジャマ姿のチャロちゃんがキレイな天の川のようにキレイなお袋の髪を傷めないように気をつけながらドライヤーを当てていた。
「もちろん、いいわよ~♪」
思った通り、即答だった。
「……ジャスちゃん、これ飲む?」
「あ、ありがとう」
上着の前を合わせて寒そうにしている俺を見て、お袋は自分が飲んでいたホットのハーブティーを俺にくれた。 隣のイスに座って一口飲むと、のどのイガイガ感が取れてお茶の温かみと共にハーブの安らぐ香りが身体に染み込んでいく。
「ふぅ」
「うふふふ~。 ジャスちゃん、美味しい?」
「うん」
それにしても……相変わらず、お袋の寝間着はセクシーだ。
薄いピンクのネグリジェはノースリーブで、湯上がりでほんのりと桃色になっている肌と非常にマッチしている。 おかげで鎖骨丘陵やめろん渓谷にできた黒い影がコントラストをなし、自然と目が行ってしまう。 肌寒いからかそこに白いナイトガウンを重ねているが、前を閉じていない上に生地が薄いので何も隠れておらず、むしろしなやかな白い腕をより白く妖艶に引き立てていた。
更には、俺の身長くらいある長い金の髪を伸ばして丁寧に梳いてもらい、気持ちよさそうに蒼い瞳を細めて柔らかな笑みを浮かべているのだ。
同性のチャロちゃんでさえ、お袋の姿を斜め後ろから覗くように見てはしっぽと耳とふにゃんと下げ、頬を赤くしてため息をついている程である。
そういうチャロちゃんも、淡い水玉模様のパジャマが可愛らしいけどな。
「それにしても、ニアちゃんは大きくなるのが早いわね~」
「まったくだよ」
俺から産まれたという特異性を抜きにしても、我が娘は生まれつき下級上位クラスという強い力を持つ特別な子である。
そこからの魔力の伸びはあまり感じられないものの、その扱い方と何より精神的な成長はめざましいものがある。 いろんな人と接しながら生活しているのが、成長を促しているのかもしれないな。
ハーブティーをもう一口飲みながら、みんなに可愛がられている我が娘の姿を思い浮かべる。
「ふぅ~。 早く大きくなってくれるのは母親としては嬉しいんだけど、ちょっと複雑な気分――あ」
「……そうね」
自分で口に出しながらはっとして顔を上げると、お袋が儚げに見える笑顔で俺に向かって手を伸ばしてきた。
指先をかすめるように頬をなでられるが、くすぐったいと感じるよりも胸が切なくなった。
「だから、ジャスちゃんにはもっと甘えてほしいわね」
はい、と両手を広げて微笑み、俺を待つお袋。 髪を乾かし終わったチャロちゃんは、温かな笑みを残しドライヤーを持ってリビングを出ていった。
「え、ええっと」
しかし、白い双子のめろん様もオープンなワケで……。
「早く大きくなってくれるのは、ママとしては~」
「……はい」
もはや、観念するより他にない。
俺はカップをテーブルに置き、イスから降りてお袋に近づいた。 ……ええい、ママよー。
そして。
「うふふふふふ~♪」
「むぐぅ」
捕食されました。




