426 スケールの大きな話
人間は有史以来、常に空を飛ぶ夢を見続けてきた。
その夢を実現するため、人類は何やら叫びながら飛び降りるところから始め、さすがにそれではムリとようやく悟ってからは、長い年月をかけて機械を発明することで実現を果たしたわけなんだけど――。
「……すっげー」
俺達は今、生身のままで空を飛んでいる。 精霊という、ファンタジーな存在の力によって。
しかもそれが、俺の娘だというんだから……人生、どうなるかなんて本当に分からないものだ。
《そうなのー?》
その当人が、俺の肩の上でこちらを見て大きな頭を傾けている。 虹彩ができてより人間に近づいた碧の瞳に、口をぽかーんと開けた俺の顔が映り込む。
確かに前回にも一度飛んではいるが、それは単純に空を上下しただけ。 こうして実際に「飛行」していると、本当に空を飛んでいるんだという実感が湧いてくる。
ただし、生身だったらありそうな風の抵抗はまったく感じない。 ニアちゃんのシャボン結界によって護られているからだ。
……だからこそ俺は、半袖の服のままでゴーグルもなしに飛んでいられるんだけどな。
「うん。 本当にすごいよ」
《ふーん?》
俺が首を下に向けると、横で我が娘も、俺の視線を追いかけるように下を向いた。
周囲には俺達の進路や視界を妨げるものは何もなく、街並みがはるか眼下を流れていく。 飛んでいる鳥さえも見下ろす俺に、個別の人間の区別などつけようもない。 まともに分かるのは、大通りの列車ぐらいか。 三本の矢のごとく、特に大きな通りが東西にまっすぐ伸びている。
大小の通りによって区切られた区画には地味な色の屋根が敷き詰められていて、中には大きな建築物や広めの敷地も見られる。 中央部には巨大建築物の集まった区画もある。 政治や経済の中心地だ。 さすがに何十階もの高層ビルはないが、数階建て程度ならザラにある。
ところどころに緑もあり、南や東の方には広大な農地らしいものも見える。 遠くを見渡せば正面には山々、北側や背後となる東には水平線が空との境界を引いている。
だけど王都内には、山や川どころか、目立った地形の起伏らしいものさえどこにも見当たらない。
それは地形に沿って自然発生的にできたものではなく、まさに計画的に造られた都市の姿だった。
「これを、あの聖母様と初代国王は千年近く前に作ったっていうのか……」
《――うん、そうだよ。 もっとも、僕の知る当時とはずいぶん違うけどね》
感嘆混じりの呟きに、前方からテレパシーが飛んできた。 目を向けると、数メートル先の空を飛ぶ、グレーのシルクハットにスーツ姿の男の子――アーンさんが、前傾姿勢で飛びながら全身をこちらに向けていた。
精霊である彼には身体を風から護る結界は必要なく、サラサラの坊ちゃん刈りの髪をこちら側になびかせている。 青みがかった銀糸のような髪が絶え間なく波打つ様子は、彼の身体の造形が非常に細かいことを示している。
《えっ、そうなんですか?》
シャボン結界は空気の流れを制御するため、音の通りも悪くなる。 アーンさんには関係なさそうだが、俺も彼の繋いでくれたマナのラインを使いテレパシーで話しかけた。
《うん。 だけど、少なくても数百年前はここまで人も建物も多くなかったよ。
当時のこの辺りは、すべてが農地でね……》
俺よりも年下に見える男の子が、小さな両手を広げて何世紀も前の王都について語る。
瑠璃色の瞳が当時を懐かしむように細められ、彼が本当に当時この場所で生きていたことを思わせる。
《初代国王様は、千年後のこの国がこうなることを見越して、王都を造り衛星都市の構想を後世に伝えたと言われているね》
「……」
あまりにスケールの大きな話に、俺は声も出せなくなってしまった。 知識としては頭にあっても、こうして実際のものを見せつけられると全然違う。
ヒトでありながら、あの聖母様と対等に付き合っていたという初代国王様。 そんな彼もやはり、普通の人間とはスケールのケタが違っていた。
無言で視線を落とし、近年になって造られ始めたという大型の建物群――〈四等区〉を眺める。 王都の人口増加に対し、国は最新の建築技術を使って、一戸建てではない代わりに税金の安い集合住宅の造成を始めたのだという。
それさえも計画通りだというんだから……なんかもう、スゴイとしか言いようがないよな。
《あはははは。 ……さあ、見えてきたよ》
涼しげな顔で笑うアーンさんに顔を上げ、彼が手で指し示す方角を見る。 四等区を越えて目立つ建造物の少ないその先には、屋上に目立つマークのついている建物があった。
その屋上で、いくつかの小さな影が離着陸しているのが見える。
《あれが……》
《そう、あれが入管だよ。 国民はもちろん、個籍登録をしている精霊も、街を出入りするときには必ずあそこで申請をするんだ。
姫も覚えておいてね》
《ほーい!》《分かりました》
定期便の場合はその手続きも一緒にやってくれるらしいから、入管の建物を見たのは俺も初めてだ。
ちなみに入管は、レイグ叔父さんが所属している警備隊の管轄である。
《お願いするよ。 ……出ていったっきり、行方不明になられると困るからね》
それでも、捜索依頼は絶えないんだけどね――。
そう言って、アーンさんは涼しげに微笑んだ。
――ヘリポートみたいな屋上に降り立ち、建物に入った俺達は申請を行った。
といってもややこしい手続きはなく、御使いのネックレスを職員の人に見せて行き先と大ざっぱな到着予定を告げ、書類にサインをするだけ。 理由を言う必要もなければ、保護者の同意さえも必要ない。
他にも項目があったみたいだけど、すべて職員の人が書いてくれた。
「えっ、契約者……だったんですか」
「へ? ……はい、そうですけど」
首に掛けているネックレスを向けて魔力を込めると、職員の男性はいたく驚いていた。
だけど、その理由は。
「いやー、完璧に魔力を隠していらっしゃるから、てっきり精霊の方かと」
「……あー」
そっちの方だったらしい。 小さな子供が三人だけで来たから、俺のことも精霊だと思われていたようだ。 先に手続きを済ませたアーンさんが、俺の横で笑っている。
ちなみにニアちゃんは、いっぱい文字の練習をしていた成果を存分に発揮。 小さな身体でカウンターに降り立ち、両手でペンを抱えて一生懸命書いている様子に、担当の男性だけでなく周りの人達もみんな顔をほころばせていた。
「ところで、オリオールというと、もしかして……」
「あ、ご存じですか?」
「やっぱり、あのクレイグ・オリオールの」
「はい、僕の叔父さんです」
「ほー」
なんと、この職員さんはレイグ叔父さんのことを知っているらしい。
「いやー、あいつ……って言ったら失礼か。 新人研修の時に、すごく綺麗な女性型の精霊に話しかけられた途端に真っ赤になってブッ倒れて……それでよく覚えていたんだよ」
「……ああー」
《オジサンらしいねー》
「ぷっ!」
フレンドリーな口調になった職員さんから飛び出したエピソードに、俺とニアちゃんはビミョーな表情になる。 横ではアーンさんは噴き出し、肩を震わせて顔をそむけていた。
キレイなお姉さんにとことん弱い人だ。
「はははははっ。 キミはそうでなくて何よりだね」
「あはははは……どーも」
《きゅふーん♪》
サインを書き終わった我が娘をなでなでしていると、俺は職員さんからそんなことを言われたのだった。
渇いたのどを水筒のお茶で潤し、俺達は王都の外に向かって飛び立った。
そのとき、屋上のヘリポート――ならぬ精霊ポート? で、女性型の精霊さんとすれ違って挨拶をした。 アーンさんの知り合いだったらしい。
キレイというか可愛らしいヒトだったが、俺はもちろんぶっ倒れなかった。
そして。
「やっぱり、広いなぁ」
頑丈そうな壁の向こうに広がる、果てしない緑の大地。 大河と言っても過言ではないフレス川が、俺の視界の右下から進行方向へ――東の方へと若干南向きに続いている。 水面がキラキラと輝いていて、とてもキレイだ。
実は「壁外」といっても、衛星都市に囲まれている「内地」については危険度が少ない。
壁のすぐ外側には大きな軍の基地や演習場らしいものがあり、川沿いに伸びるセスルームへの街道とやや北東に続く鉱山都市・セーフリームへの街道だけでなく、広大な農場が自然とのバランスを保ちながらもあちこちに造られているのが目立つ。 水路も張り巡らされていて、日本ではとてもお目にかかれない風景だ。
そんな中、トラクター的なものらしい農業機械に乗って、農地のあちらこちらをのんびりと走り回っている人達がいる。
《危ないって言うわりに、壁の外にも人がいっぱいいるよねー》
「うん、そうだね」
昔は王都内にあったという農地も多くが壁外に移され、軍によって管理・生産されている内地の大規模農場。
十万人以上の兵力があるという軍が国の防衛と同じくらいに重要視している仕事とは、この壁外農地での農業とラアン海での漁業だったりするのだ。
数百万もの国民の胃袋を支えるためにはそれだけの供給源が必要で、それを凶暴な野生動物や魔獣の闊歩するこの世界で確保・維持するには個人や民間レベルでは絶対に無理。 ……とまあ、そういう理由なのである。
もちろん木材や衣料の原材料となる植物の生産もしているし、肉類については畜産だけでなく、訓練ついでに行う狩猟によっても賄われている。
マナの濃い土地は動植物も豊かで、精霊の幼体である妖精や魔獣の発生も増える。
魔獣の多くは人間には牙を剥くが、動物にとっては脅威であると同時に頼れる守護者でもある。 知性が高くて強力な魔獣はその土地の「主」のような存在になり、土地のバランスを取っているという。
妖精も動植物の育成を促していると言われていて、生態系に貢献している。
だからこそこの国も他の三大国家も、妖精や魔獣を脅威としながらも「滅ぼしてしまえ!」という強硬な意見は出てこないのだ。
《ふーん。 世界って、うまくできてるんだねー》
「まったくだよ」
ニアちゃんからの質問にいろいろ答えていると、なんだか学校の授業みたいになってしまった。
初学校ではそこまで詳しく習わない、高校や大学院に通じる授業。 または研究テーマだった。
《じゃあ……人間は、どんな役目をしてるんだろうねー?》
「……」
精霊たる我が娘が、純粋な瞳を向けてくる。 俺の脳裏に浮かんだのは、前世で見た環境破壊の映像の数々。
何と言えばいいのか、俺は答えに窮してしまった……。
《――人間は「かき回す者」だ、という意見があるね》
そのとき。 言葉をくれたのは、ヒトならざるものだった。
《人間がオドを生み出して世界にマナを放出している量は、他の生物と比べるとかなり多いんだ。
もちろん、個人差はあるけどね》
《……そうなんですか?》
《うん》
遠くの草原で動物らしき小さな群が見える中、少年の姿をした精霊が教えてくれる。
《人間がいると周囲のマナが活性化される。 ただし増え過ぎると「淀み」が増えて、人間自身も自然を壊し始める。
すると魔獣や僕達のような精霊が増えて、人間を抑制するんだ。
その過程や終わった後で、増えた僕達も抑制されていくんだけどね》
「……」
それって、つまり――し、合うから?
……でも、アーンさんは何でもないことのように笑う。
《あはははは。 でも、人間が世界と上手くバランスを取ってくれるなら、僕達はこれからも手を取り続けていけるはずだよ。
例えば、魔導具で平和的にオドを消費してくれるとか……ね》
《……心に留めておくようにします》
この世界の人類は、前世よりも明らかに少ない。
でも、これから同じ道を歩いていくのだとしたら――そういう未来もあり得るのか。
俺の顔を覗き込んで、「どうしたのー?」と無邪気な瞳を向けてくれる、この娘のためにも。
《あはははは。 まあ、そんなに気にしないで。 すぐにどうにかなるという訳ではないから》
《……はい》
この世界の人間達は、まだうまくバランスを取っているように見える。
でも、それに慢心していてはいけない。 俺一人だけが気にしていても仕方のないことだけど、まずは自分自身が気に留めておかないと。
《よく分かんないけど、ママとニアだったら大丈夫だよーっ!》
《あはははは、そうだね》
《うん、ママとニアちゃんなら大丈夫だ!》
《うわーいっ♪》
蒼く澄みわたる空とどこまでも緑の続く大地の狭間で、俺達は笑う。
この美しい世界と、心優しい隣人達。
いつまでも手を取り合っていけるように、俺もできることをしないとな。
じゃあ、具体的に何ができるのかって言われると……困ってしまうんだけど。
ま、俺ができることをやればいいのだ。




