413 ガンバレ男の子!
できれば、今度は指導をしてもらいながらもう一戦……なんて思っていたが、そういう雰囲気でもなくなってしまった。
「お兄ちゃ~ん!」
お袋のそばからてててーと妹様が走ってきて、いまだ寝っ転がっている俺の横にしゃがみ込む。
マールちゃんも心配そうにこちらのことを見ていたが、セーレたんが走り始めるとお仕事モードの笑みに切り換えてレイグさんの方へと歩いていった。
でも、お袋は悠々とティーカップに口をつけ「あら、冷めちゃったわ~。 でも美味しい~」なんて言っている。
「だいじょうぶ~?」
「うん、平気」
ぺたぺたと俺の身体を触って確かめた後、セーレたんは「はあ~っ」と安堵のため息をついた。 そして俺の手を取ってきたので、起き上がるとそのまま再び俺の左側にくっつく。
マリエルさんはいつの間にか立ち上がっていて、俺達のことを眺めて微笑んでいる。
「しかし、さすがだよ……まったく通用しなかった」
コアラ状態の一歩手前となっているマイシスターをなでながら、マリエルさんに賛辞を贈る。
「空中戦にも乗ってこないし。 そうとう変則的な攻撃を仕掛けたつもりだったんだけどなあ」
「くすくす……そんなことはありませんよ。 とても驚かされました」
「全然そうは見えなかったけどなー」
「そこは経験の差ですね」
こうして見上げると花屋のお姉さん、という優しい雰囲気を醸し出しているマリエルさんだが……果たしてどんな訓練をしてきたのやら。
地力で歯が立たないのは分かっていたが、戦術面でもまったく通用しなかった。 そこが痛かったよ。
「それなりに対魔獣戦闘はこなしていますから。 まさか、人相手にその経験が役に立つとは思いませんでした」
「……」
そういや、親父や師匠にも「お前は魔獣か!」ってさんざん言われてたな……。 でも、この人の歩法もいい加減に人間離れしていると思うぞ?
瞬動はまだ分かる。 アレは簡単に言えば「あっち向いてホイ」だから。 相手の油断した隙や予想の裏を突いて、前動作なく一歩目から最高速で動く――そういう技だ。
まあ、言うだけならカンタンなんだけど……実際にやるとなると難しい。 相手の隙は作り出してやれば済む話だが、動き始めの身体運びがどうも。
活性化を使えば、今の俺でもできるんだけど。
セラさんいわく「姿勢はそのままで、重心を落として落ちきる瞬間に、正面に向かって爆発させる」んだとか。 動かないで重心を落とせって……よく分からん。
ちなみに、お袋やセーレたんに聞いても「すと~ん、ぴゅーっ」という答えしか得られない。
「それに比べても、流動とかデタラメだよ……特に最後のとか、目にも留まらなかったし」
「くすくす。 瞬動は隙を突きますけれど、流動は相手に意識をさせないことが重要ですね。
あとは、曲線的な動きも特徴です」
いやいや。 戦いの真っ最中に、相手に自分を意識させないって……どーすればいいんだ、そんなの。
だが、隣の妹様はマリエルさんの言葉に真剣に耳を傾け、うんうんとうなずいている。
「それに、最後のは……お恥ずかしい話ですけれど、まだまだ不完全なんです」
「――は?」
意識させない状態から動いた瞬間、スタート地点に「気配」だけを置いておくことで、相手に「残像」めいたものを残す――という技らしい。
なんなんだ、それは。 人間の技なのか?
「『幻動』という歩法です」
「……」
それに比べたら、私のはただ速いだけの曲線移動ですよ――。
そんな声が俺の鼓膜を優しく揺らしているが、俺の意識の半分以上は真っ白になっている。
……そうですか。 流動だけでも驚異的なことこの上ないのに、その上を行く切り札には更に上があるんですか。
ああ、これが。
これが、「私はあと変身を二回残している」と告げられたときの絶望感なんだなあ……。
ジャス子ちゃんにしか変身できない俺とは、大違いであった。
「ですが、ジャス様は本当に素晴らしかったですよ?
特に最後の攻撃はとても速くて、私もかなり焦りましたから」
「あははは……どうも」
マリエルさんはフォローしてくれたんだろうけど、トップギア直前まで回転数を上げても「焦った」で済ませちゃうんだもんなあ。
でも、流動にはなんとかついていけたのが唯一の救いだ。
午後の日差しは俺を慰めてくれるかのように暖かかったが、レイグさんも来たのでマールちゃんが家の中に案内し、俺達も中へ戻ることとなった。
剣術大好きな叔父さんのことだから、また庭に戻ってくることになるかもしれないが。
どちらにしても、今は俺も休憩したいよ。
「どうぞ」
「ど、どうも」
リビングに戻ってきて、マールちゃんがレイグさんにお茶を淹れる。
叔父さんは例のごとくどもりながら、たどたどしい手つきでティーカップを取って口をつけた。 その様子を、マールちゃんは静かに微笑みながらさり気なく隣で見ている。
ただ立っているだけなんだけど、だからこそプロフェッショナルさを感じる姿だ。
そして。
「はい、お疲れ様でした」
「ありがと」「ありがとう~」
マリエルさんが、テーブルに着いた俺とセーレたんにアイスティーを注いでくれた。 それ自体は、キッチンで夕飯の支度をしているチャロちゃんが前もって用意してくれていたものなんだけどね。
今日はお客さんなのだが「お二人とも素晴らしかったですから」と、申し出てくれたのだ。
まるで初夏のそよ風のような、見ていて気持ちのよくなる所作はさすがの一言に尽きる。 ほんのりと香る、香水かマリエルさん自身のものか分からない爽やかでかすかに甘い香りも、そのイメージをより膨らませる。
俺達に柔らかいまなざしを注いでくれるマリエルさんの姿に、私服なのにメイド服姿を幻視してしまう。 まさに素晴らしい。
《ママー、お砂糖は入れるー?》
《いや、僕はいいよ。 セーレちゃんに入れてあげて》
《はーいっ♪》
さっきまでリソくんの頭の上に座っていたニアちゃんだったが、チャロちゃんがお茶をマリエルさんに渡すのを見て飛んできた。
今はテーブルの上に置かれたシュガーポットからさじを引き抜き、セーレたんのお茶にサラサラとシュガーを入れているところだ。
マールちゃんはセラさんにもお茶を淹れたが、お袋は今回は遠慮した。 ちょっと飲み過ぎたらしい。
「くすくす……こうしてお世話をさせて頂いている方が、私は気分が楽なんです。 ね?」
レイグさんがお茶を飲んでいる間、食い入るようにこちらを見ていたマールちゃんに向けて微笑みかけるマリエルさん。
マールちゃんは肩の力を抜いてかすかな苦笑いを浮かべ、チラリとマリエルさんの顔を見たレイグさんが「ふぐっ!」とむせかけていた。
「あらあら~」
「まったくもう」
叔父さんの向かい側でお袋が普段通りの女神様スマイルをたたえ、セラさんは仕方ないわねぇ、というちょい苦めな笑みを浮かべている。
ちなみに、二人の間にある子供用のイスは空席になっていた。 その主はキッチンで仕込み中のチャロちゃんの隣で、お立ち台に上がって興味深そうに見ている。
「この子は昔から、優しそうな年上の女性に弱いから」
「ちょ!?」
セラさんの暴露に、レイグさんが顔を赤くして焦りまくっている。
そして言葉になっていない声を漏らしながらマールちゃんやマリエルさんに何度も視線を向けているが、お姉さん達は温かな笑みでさらりと流している。
で、年若い叔父さんはますます顔を赤くする。
「うふふふふ~」「あははははっ」
それを見て穏やかに笑っている姉と母親。 相変わらず、弟・息子いじりが容赦ない。
いや……カップから口を離したタイミングでいじっているあたりは、まだ容赦しているのかな。
「ところでクレイグ様、今日はお休みですか?」
「えっ? あー……そ、そうです」
間もなくしてマールちゃんが助け船を出すようにして声をかけ、レイグさんも助かったように丸まっていた背中を伸ばした。
「け、剣の稽古でもと思った、んですが……」
そうしてチラリと目を向けた先には、もう一人のお姉さん。
にこりと微笑み返して叔父さんをまた赤面させているが……こんな優しそうなお姉さんが、まさか俺達と手合わせをしていたとは考えにくいだろうな。 庭に来たのは、終わった後だったみたいだし。
だが、さすが剣術ジャンキ――失礼、大好きなクレイグ叔父さん。 顔を赤くしながらも、私服ロイヤルメイドさんを見る目は鋭い。
「マリエルさん、でしたか。 不躾ですが……タダ者ではないですよね?」
さすがレイグさん。 特に現場を見ていなくても、マリエルさんの実力を感じたらしい。
そして武術絡みになると滑舌がよくなるあたりも、さすがだ。
「くすくす。 そうおっしゃいましても、『滅相もございません』とお答えするしかないのですけれど……」
一方のマリエルさんは、優しく微笑んだままで。
「ですが、それなりには嗜んでいるつもりです」
だが、その言葉にはオルスターマイナとしての誇りが感じられた。
「ふふふ。 だったら、一手お願いしてみたらどうかしら?」
心地よい緊張感に包まれていたリビングの沈黙を、セラさんの楽しそうな声が破る。
「……やめとくよ。 この人、お袋や姉貴に近い匂いがする」
しばらくマリエルさんと見つめ合った後、レイグさんは肩をすくめて首を横に振った。
てっきり、親父や師匠みたいなニヤリ笑いを見せるかなーと思ったんだけど。
「この人と戦るには、ここはちと狭そうだ」
が、その後に見せたレイグさんの笑みは、やっぱり親父達によく似ていた。
――それから。
意外にもセーレたんのリクエストによって、俺達は再び庭へと出てきた。 ま、俺も賛成したんだけどね。
今度はもっとじっくりと、マリエルさんから手ほどきを受けたいと思ったのだ。
今回出てきたのは俺達とマリエルさん、それからレイグさんとセラさんだった。 マールちゃんはさすがに仕事があるからと辞退し、ニアちゃんはキッチンでチャロちゃんの料理を見学中。
そして、お袋はさっきのセラさんのように部屋の窓からリソくんを抱いてこちらを見ており、俺と目が合うと弟くんの手を取って一緒に手を振ってきた。
「にゅわああああ~」
気温もピークを越えてわずかに下がり始めた庭に、ハニーの脱力系掛け声がほわほわ~と響きわたる。
「みるみる動きが良くなっていますね。 素晴らしいです」
小さな身体でまとわりつくようにして手足を繰り出すセーレたんの攻撃を、私服のメイドさんが流れるような動きでかわし、捌いていく。
二人とも長い髪はなびかせても決して振り乱さず、スカートは揺らすことはあれどめくれることはない。 可憐な美少女と大人の女性が歌い舞う姿はとても優雅で、見ていて飽きることがない。
……ただし、ものすごーく高速ではあるが。
「はわ~っ♪」
「くすくす♪」
ツインテールにした妹様もマリエルさんも、すごく楽しそうに踊っている。 どちらも曲線の動きが多いので、入れ替わり立ち替わりしてくるくると回っている。 しばしば高速移動を織り交ぜているのだ。
最初はリズムの合っていなかった二人だが、今はすっかりシンクロしていた。
歩法のすごさと恐ろしさを思い知った俺は、並列思考を駆使して二人の足運びと体重移動に注目しているが……動きが自然なのと、足元がスカートなのもあって相当に分かりづらい。
結局は最後までハッキリと見ることができないまま、セーレたんの息が上がってきてダンスは終了となった。
「マリエルさん、ありがとうございました~」
「どういたしまして。 私も楽しかったですよ」
頭を下げ合う二人に思わず拍手を送ると、二人は微笑み合うとこちらを向いてスカートを摘み上げ、カーテシーを見せた。
俺の隣で、マリエルさんのふくらはぎに目を奪われていた人がいるが……指摘しないでおこう。
どうせ、後でセラさんがいじるだろうから。
「ふふっ。 レイグ君は今、一体誰のどこを見ていたのかしらー?」
「げふんげふん!? え、えっと、あー……なあ、ジャス」
「はいー?」
というか直後だった。 そして露骨にセラさんを避ける口実に声をかけられたが、まあ気にしないでおこう。
……そのつもりはなかったとはいえ、俺だって細くてキレイな脚だなーとは思っていたし。
「お、お前。 あの人……何級か知ってるか?」
「え?」
振り向くと、叔父さんはちょっと顔を赤くしつつも、俺を見る目はけっこう真剣だった。
だから俺も正直に答える。
「格闘と剣は二級って言ってたよ」
「……やっぱりか」
低い声で呻るレイグさん。 今のマリエルさんの動きは本気とは程遠かったが、それでも十分にそのすごさが分かったんだろう。
でも、それだけじゃないんだよなぁ。
「で、槍と魔術は三級らしいよ」
「ぶふっ!?」
叔父さんがむせた。 そりゃそうだろうなー。
自称・苦手らしい分野でも騎士レベルだもん。
「げふっ、げほ……ほ、本当に何者なんだよ」
咳き込みながら聞いてくるレイグさんに、トドメになるんだろうなーと思いながらも正直に答える。
「オルスターマイナだよ」
「オルスァ?!」
リアクションの面白さに、俺はセラさんと一緒に噴き出す。
だけど、マリエルさんがいかにスゴイ人なのか……改めてよく分かった。




