387 0時の鐘は聞こえない
俺が家に入るまで見送ってくれるらしいマリエルさんに手を振り、セーレたんをくっつけた俺は家の中に入った。
左腕にかかる重みと感触に安心してしまう俺は、やっぱりけっこうなシスコンらしい。
「ふぅ」
生まれ育った我が家に帰ってきて、気づけば溜め息が漏れていた。 そして深呼吸。
馬車の中で少し寝たので眠気がマシになっているが、全身に軽いだるさを感じ自分の疲労具合を自覚する。 ま、疲れていない方がおかしいよな。
「こんなに遅くまで、本当にお疲れさまでしたー」
前を先導するように歩いているチャロちゃんが、振り返って笑いかけてくれる。 白いしっぽがゆったりとに左右に揺れていて、なんだか癒される。
「すぐお風呂にされますか? もしお腹が空いているようでしたら何か作りますけど。 それとも……もうお休みになります?」
マールちゃんは俺の右側について、背中に手を添えて支えるようにしながら微笑みかけてくれる。 ほっとする笑顔だね。
いろいろ気遣ってくれるのは嬉しいのだけど……まるで新婚さんのようなセリフである。
「んー、どうしよ」
特に小腹も空いてないし、というか城から料理をもらってきてるしなー。
それで荷物のことを思い出したが、お袋とセラさんがまだ外にいるようなので、たぶんマリエルさんから受け取っているのだろう。 隣のお姫さまはご機嫌だけど少し眠そうな目を俺に向けていて、さっきからずっと俺の腕に全身を擦りつけてくるので歩きにくい。
それはともかく、俺としてはひとっ風呂浴びたいところだ。 せっかく沸かしてくれたんだし。
「お風呂にするよ。 悪いけど、セーレちゃんはもう少し待っててね」
「ひゃっ……うん」
俺の肩にほおをすりすりしている妹様の反対側のほっぺに手を当て、軽くなでる。 指先が耳に触れてちょっとばかりくすぐったかったようだ。 ハニーはすぐにでもベッドインしたいだろうなーと思っていたんだけど、意外とすんなりうなずいた。
思い出しついでに、料理を持って帰ってきたことをメイドちゃんズに言っておく。
「わあ、それは楽しみですっ! ありがとうございますー♪」
「ありがとうございます♪ お城の料理……すごく楽しみですね」
チャロちゃんもマールちゃんも喜んでくれた。 単純に喜んでいるのではなく、食べて参考する気満々な表情をしているところがメイドさんらしいや。
一方でマイシスターからは特にリアクションはなく、目を瞑って自分から俺の手にほっぺをすりすりしていた。
そうしている間に廊下の突き当たりまで来たので、立ち止まって最後にほっぺをくすぐる。
「やんっ」
「はい、おしまい。 じゃあお風呂入ってくるね」
「……はぁい」
玄関の方を見るとお袋とセラさんが手に荷物を持って入ってきたので、俺は二人に軽く手を振りながら脱衣場のドアを開けて中へと入った。
身体を洗っていると俺の腹からニアちゃんの寝起き顔がにゅ~っと出てきてビックリしたが、ついでに洗った。
くすぐったがってジタバタするニアちゃんと石けんの泡で手が滑るのに苦労したが、なんとか洗いきって湯船に浸かる。 座ると肩が出てしまうので、寝そべって半分浮きながら全身をお湯に浸す。
ニアちゃんも俺のマネをして湯船を漂い始め、一緒にもわもわとした湯気が立ちこめる風呂場をぼーっと眺めて過ごす。
一日の疲れが溶け出していくようで、極楽極楽。
『ふぃ~。 極楽、極楽ぅ~』
《ごくらくごくらくー》
めっきり使わなくなった日本語で呟くと、愛娘もマネをした。
――と、ここまではよかったんだが。
「ジャス様、お聞きしたいことがあるのですけど」
「ん?」
我が娘を再び体内に入れ、風呂から上がってリビングでホットレモネード風のジュースを飲んでいると、俺の部屋にいたらしいマールちゃんが何かを手にしてやって来た。 お袋とチャロちゃんと俺、三人の視線がマールちゃんへと集まる。
ちなみにセラさんはリソ君の部屋に戻ってもう寝たようで、セーレたんは俺の部屋でスタンバイ中らしい。
「これは……一体、どこでどうされたのかな、と」
なぜか遠慮がちに、それでいてちょっと不機嫌そうに口を尖らせて俺へ広げて見せたのは。
「……あ」
口紅のついたハンカチ。
うっすらと……しかし明らかなレモン型が、真っ白なハンカチに残っていた。
「あらあら~?」
「うわっ! ……落ちにくいんですよねぇ、それ」
お袋は小首をかしげてにこにこ笑顔を俺に向け、チャロちゃんは驚きながらも洗濯の心配をしていた。
「それに……ジャス様の服、香水の匂いがついていました。
……しかも複数」
「へ?」
口紅はともかく、そんなことも分かるの?
たしかに、パーティでお姉様方と話をするときに距離がすごく近かったり、なでなでされたことも何度かあったけど。
「うふふふ~。 さすがね~?」
「あはははは……」
お袋の笑みと首の角度が深くなり、チャロちゃんは苦笑いを浮かべる。
「ジャス様ぁ……」
そしてマールちゃんの表情は、だんだんと悲しげになっていく……。 ヤバイヤバイ、誤解だ! 早く理由を話さないと!
ってなんで俺は今、まるで会社の上司にムリヤリおねーちゃんのいる飲み屋に誘われて、夜遅く帰ってきた新婚のダンナみたいな気分になってるんだ?
てか、お袋もチャロちゃんも、おおよその理由は察してるよね?
「いや、だからね? それは――」
俺は言い訳……ではなく、本当のことを説明する。
口紅はヒミングレア大使のルーベラさんが気絶したときに敷いてあげたときのものだし、香水はお菓子担当でいろんなご婦人を相手にしたからだ。
やましいことなんてどこにもないし、ましてやまだ俺は初学生なんだからあろうハズもない。
マールちゃんは納得してくれたようだが、「あり得ない」という意見には眉をひそめられてしまった。
「そんなことはありません! 確かにジャス様はまだ六歳ですけど、大人も顔負けなほどにしっかりしていらっしゃいますし……。
それに格好もよくて多才でもいらっしゃいますから、今から目をつける女性は決して少なくないはずです!」
「そうかなぁ……?」
「そうです!」
ハンカチごと両手を握って力説するマールちゃん。
さすがにそれは、青田買いにもほどがあるだろうと思うのだが。
「そんなことはないわよ~♪」
「いえ、わりとよくあるんですよ?」
「……」
俺の反論は、お袋とチャロちゃんにまで否定された。
最後まで俺の主張は受け入れてもらえないまま、歯を磨いてマイハニーの待つベッドルームへと向かう。
自分の部屋ではあるけどきっちりノックしてからドアを開けると、セーレたんが靴を脱ぐところで待っていた。
「お兄ちゃん、おかえり~っ♪」
「あはは、ただいまー」
本日二度目になる、ただいまの挨拶と抱擁を交わす。
俺の胸に飛び込んできた妹様は、押しつけていた顔を上げると鼻が触れ合いそうな距離で嬉しそうに笑った。
「えへへへへ~」
「よしよし。 ……じゃ、寝ようか」
「うんっ!」
寝る前なのにテンションが上がってしまったセーレたんだけど、布団に潜ればすぐに寝るだろう。 俺もリビングでのやり取りでさっきまで目が覚めていたが、ベッドに入って体を横たえると急に眠たくなってきた。
壁にある明かりのパネルに触手を伸ばし、チャージしてあった魔力を抜いて部屋を暗くする。
めくっていた布団を戻し俺達の上に掛けると、妹様はいつものように布団の中へ……潜らない。
「うふふふふ~」
真っ暗になった部屋のベッドの中。 風呂上がりの石けんと……甘い花のような、セーレたんの香りに包まれる。
俺の脇の上に頭を乗せ、甘えん坊のお姫様は俺の方に身体を向けて抱きついてきた。 俺は横に伸ばしていた左腕を内側に曲げ、姫様を包む。
「やれやれ、セーレちゃんは甘えん坊だなあ」
「んふふ~」
俺の胸の横に顔を擦りつけるマイシスター。 この子もこの子だが、それを喜んでいる俺も俺だった。
結局はどっちもどっちか……と考えていると、セーレたんは俺に巻きつけていた手足に力を入れ、身体全体を乗り上げてきた。 体格差は小さくそれなりに重くはあるけど、決して嫌ではない重み。 温かくて柔らかく、自分の身体と比べるともう既に違いが出てきている。
こうして一緒に寝られるのも、あとどれくらいだろうね。
「お兄ちゃん」
「ん~?」
部屋が暗くても、蒼く澄んだ瞳はかすかな星明かりを受けてキラキラと輝く。 俺は手を伸ばし、少し乱れてしまった妹の髪を手で直してやる。 髪もやはり、星明かりを受けて光っている。
鼻先が触れ合いそうな距離で微笑み合うと、なおも彼女の顔が近づいてきた。
……鼻どころか、その下にあるものどうしが触れ合う。
「えへへ」
おはようとお休みのときだけ限定の、いつもの挨拶。 もう何度繰り返してきたかも分からないが、妹に飽きる様子はまったく見られない。
その後も何度か繰り返すと、ハニーは満足したらしい様子で俺の胸を枕にした。 片手を彼女の腰に回して落っこちないようにする。
妹様は俺の胸板に頬をすり寄せ、息を深くゆっくりと吸っては吐いている。 腰に回した手でぽんぽんと優しく叩くと、「んふっ」と小さな声を漏らした。
「さあ、もう寝よう」
「……うん」
金色の髪で彼女の顔が完全に見えなくなったのを確認してから、俺も目を閉じる。
心地よい彼女の感触に押されるようにして、俺の意識は静かで安らかな闇の底に沈んでいった。




