353 メイドさんの新境地?
ぼんやりと光を放つ、色とりどりの無数の粒子。
暗闇に閉ざされた深海を照らすそれらはゆっくりと、しかし絶え間なく次々と、果ての見えない奥底からやってきては遥かな海面を目指すように昇っていく。
『世界の内側に目を向けよ』
俺が異世界の――前世の因子を持つ存在であると看破した、聖母様から城で言われた言葉だ。
それまではなんとなく行っていた瞑想に、一定の方向性と目的を与えられたきっかけでもある。
『ひたすらに潜り続けると良い。
ともすれば……面白いモノが見られるやも知れんぞ?』
今ではほとんど見せないけれど、彼女がヒトではない存在なのだと知覚させられる笑顔。
超越した何かを感じさせる無表情の中に浮かべるアルカイックスマイルは、まさしく神と呼ぶにふさわしいものだった。
《うーん、どこまで続くんだろうなコレ……》
毎日ではないけど、たまに寝る前にやっている瞑想。 毛布の中で全身を絡みつかせて眠っているセーレたんの感触や体温さえ感じなくなり、厚いのか寒いのかも分からない自らの意識――オドの中で、その奥底を目指す果ての知れない長い旅路を進んでいく。
妹様の幸せな温かみを感じる表層から、ニアちゃんの安らいでいる気持ちを感じる浅い層。 それらを抜けると、南海を思わせるカラフルな魔力粒子達の泳ぎ回る海があって、更に潜っていくとだんだんと光の届かない暗闇が周囲を支配する深海層となる。
それでも魔力粒子の魚たちは蛍のように俺をほんのりと温かく照らし、不安になりそうな気持ちを和らげてくれる。 意識の指先を魚に向けると近づいてきて、まるでキスするように突っついてきた。
そもそも、俺達の魔力――オドというのは、一体どこから湧いてくるものなんだろう?
俺達、生物の中には精霊と同じような「核」があり、そこからオドは湧いてくるのだと言われている。
核といっても臓器のようなものではなくて、目には見えないものらしいけど。 だから俺は「魂」のようなものじゃないかなーと、なんとなく考えている。
だって、生物の中にしか核はないらしいからね。
《うぐっ……。 そろそろ限界、かな》
浮力のように俺を海面へと押し返す抵抗が強くなってきて、潜るのが辛くなってきた。
昔は、光の届かない深海層に到達することもできなかったから、かなりの進歩ではあるけど……先はまだまだ深いらしい。
今夜は活性化の練習のせいもあって、ちょっと気合いを入れて潜ってみた。 ……でも、そろそろ潮時のようだ。
急ぐ理由なんてないのだし、今回はこれで終わりにしよう。
《早く帰って寝よう》
本物の深海と違って、潜水病の心配はない。
俺は上を向いて浮力を追い風にすると、魚達をごぼう抜きにして海面を目指した。
――目を開けると、薄明るい部屋の中で俺を見下ろすセーレたんの笑顔があった。
「えへへ~。 お兄ちゃあ~ん♪」
昨夜は楽しい夢でも見たんだろうか。 少しテンションが高い。
瞑想していると、起きたときに全然寝た気がしないのがデメリットだよなぁ。 寝不足は感じないから、実際にはちゃんと寝られてるんだろうけど。
意識がはっきりしているだけに、起きたての身体のだるさが際立つ。
「ん……おはよう」
かすかな光を集めるようにして輝く金糸の髪。 部屋の暗さに深みを増す蒼い瞳には、俺の顔だけが映っている。 俺の視界の中にもこの子の笑顔しか映っていない。 花のような甘い香りが、俺の周囲を包んでいる。
妹様は俺の上に乗っかって、全身を預けている。 適度な重さにちょっと体温は低めで、相変わらず柔らかい。 ……まだお互いに子供だけど、既に男女の差が出てきているよな。
あと、お互いの顔が非常に近いのだが、それは特に気にしない。 俺の口のニオイは大丈夫みたいだなーと、ぼんやりと思ったくらいだ。
周りに女の子が多いので、その辺は普段から気を遣うようにしている。
「お兄ちゃん……」
「ん」
間もなくして、お互いの距離はゼロになった。
マールちゃんが起こしに来て、着替えた俺達はリビングに下りた。 窓の外はうっすらと明るくなっていて、晴れてきたと同時に夜明けがだんだんと早くなってきていることを感じさせる。 寒さも感じず、過ごしやすい気温だ。
今朝は傘を持たずに学校へ行けるだろう。
「それにしても、面白かったわねえ~」「きゅんとしちゃいましたよねー♪」
既に集まっている一同におはようの挨拶をし、キッチンを少し借りて顔を洗う。 横から漂ってくる美味しそうな匂いがたまらない。 俺の表情で分かっちゃったようで、タオルを渡してくれたマールちゃんがくすりと笑う。
朝食の支度はもう終わっているらしく、席に着いているセラさんの横にチャロちゃんが行き立ったまま楽しそうにお喋りをしていた。 昨日観に行ったという、芝居についてだ。
前世の感覚がまだある俺としては、芝居というとお金と時間に余裕のあるマダムが観に行くものっていうイメージがあるんだけどな。
今朝の話題は、その芝居一色になりそうだな。
「ふむ、城の若い女性達の間でも話題になっていたな……」
「へー、そうなんだ」
明るい食卓を囲んでいる最中、親父が新しいパンに手を伸ばしながら呟いた。 親父もそれなりに知っているらしい。
聞いてみれば、その芝居は今月から始まって少し話題になっているんだとか。 使節祭の屋台を見に来た若い女性が、異国から来た商人の青年に一目惚れをした……というストーリーらしい。 二転三転する急展開がすごくドキドキしてそれがイイ! とチャロちゃんは言うけれど、その内容を聞いているとあまりに急展開すぎていて俺の頭がついていけない。
「実は、主人公の女の子はこの国の宮廷の戦乙女で……!」
チャロちゃんが白い耳としっぽを立て、オレンジがかった黄色い瞳を輝かせている。 それにしてもその女の人……アルヴィちゃんの世話、さぞ大変だろうなー。
すべてのメイドさんの憧れといわれる職業だけど、俺にしてみれば気苦労が絶えなさそう、というイメージである。
俺は初耳だが、マールちゃんとお袋は昨夜あたりに何度も聞かされたんだろう。 二人ともうなずきながら聞いている。 親父もあらましは知っていそうな様子で、女性陣の話を聞き流していた。
セーレたんもはむはむと可愛らしくパンを食べながら耳を傾け、ニアちゃんはテーブルの上でちゅるちゅると触手を食べながら聞いている。
「そして男性は、実は常に死と隣り合わせの魔獣ハンターなのよねぇ」
ぴっと人差し指をチャロちゃんに向け、セラさんが内容の続きを語る。
ハンターって……どこぞの冒険者みたいな職業だな。 そんな仕事が本当にあるとは。
「そうですっ! それで、二人はお祭りで賑やかな大通りで出会って、そして同じこと考えるんですよねー♪」
「そうそう」
再びセラさんの後を引き継いで話し始めるチャロちゃん。 そのテンションは高まる一方である。 セラさんはそれに比べれば冷静だけど、蒼い目はキラキラと子供みたいに輝かせている。
職業の特殊さはともかく、出会いのきっかけ自体はよくありそうなラブストーリーだな。 だけど、むしろ王道だからこそいいのかもしれないな。
それから二人は顔を見合わせると、ほぼ同時に登場人物のセリフを口にした。
「『この男性の、見事な筋肉の付き方……きっと、名のある大剣の使い手に違いないわ!』って♪」
「『この女性の、静かで隙のない足運び……彼女はきっと、高度な戦闘訓練を受けているに違いない!』って」
「……へ?」
ラブストーリーじゃないの!? なんか、すぐにでも剣を抜いてぶつかり合いそうなほどに熱いんですけど!
「そして、街中で始まる剣と剣のぶつかり合いっ!」
おい、本当におっぱじめたぞ!?
「あの殺陣も、なかなか素晴らしかったわ……」
セラさんは、役者さんの腕前すら測っていた。
「でも、すぐに保安隊の人がやってきて、二人とも土下座して謝るんですよねー」
街中で土下座って……。
「土下座しながら目を合わせて微笑む二人。 そして、罰金を支払うときに触れ合う手と手……絆の生まれた瞬間ね」
共犯としてのなー。
……機会はないだろうけど、俺はその芝居を観に行かない方がよさそうだ。 行ったら、きっと俺はツッコミの鬼と化すに違いない。
今でもツッコみたくて仕方ないのに……。
ふと気になって親父を見てみると、肩を震わせながらテーブルの上でゴツイ拳を握っていた。 親父もツッコミをガマンしているらしい。
みんなが盛り上がっているところにうかつなツッコミを入れると、総スカンを食らうことがあるからなぁ……。
(親父……きっと、職場でもツッコむの耐えてたんだろうなぁ)
(ジャスよ……お前もか。 お前もツッコみたくて仕方ないんだな!)
そんな親父を目が合い、俺達は互いの思いを正確に汲み取り合った。
対して、お袋達は。
「それは、ドキッとするわね~」
ドキッの意味が違うと思うんだけどなぁ。
「ね~、リソちゃん?」
「あいーっ!」
女性陣の熱気を受けてはしゃいでいたリソ君は、お袋になでなでされて喜んでいた。
ぜひともそのまま、何も知らない君でいてほしい。
「お兄ちゃん……♪」
隣の妹様は、なぜか俺の目を見つめながら俺の左手を握ってきた。 握り返すと嬉しそうにはにかむ。
その純粋さ、癒されるねぇ。
それから最後のニアちゃんは……俺に振り返って虹彩のないヒスイのような瞳を向けながら、透き通ったテレパシーを送ってきた。
《でも、たくさん人のいるところで剣を抜いたら、フツーは捕まるんだよねー?》
「……うん。 そうだねー」
この中で最年少の精霊ちゃんは、とても冷静でした。
なお、チャロちゃんとセラさんの内、どっちがどっちを誘って観に行ったのかは言うまでもない。
「このお芝居の売り文句は、『恋のつばぜり合い』なんですよー♪」
「物理的に?」
さすがにツッコんだ。




