349 オトナのおはなし
なんちゃって女子高生を前にガチガチに緊張しているセラさん、という非常に珍しい光景を目の当たりにして。
五月も半ばを過ぎた精霊の日。 昨日からの小雨は、今日も降ったりやんだりしている。
学校の体育館は武術検定があるとかで使えないため、俺達は家に集まっていた。
「……うん、大丈夫そうだね」
るー君が冷却コースターで冷やしてくれたお茶を、俺はぐいっと飲み干す。
冷たくて美味しいとほめてあげると、るー君は嬉しそうにはにかんだ。
「えへへ……♪」
来週の魔術試験を控え、るー君はいろいろな生活用の魔導具を扱う練習をしている。 学科試験については、先ほど一度確認してみたが問題なかった。
繊細なピンクの髪をなでていると、俺とセーレたんの答案をチェックしてくれているツェリさんが話しかけてきた。 確認が終わったらしい。
「るー様も合格を確信しておりますが、お二人の合格も確信しております」
「ありがとう、ツェリさん」
「ありがとうございます~」
受け取った答案を、妹様と一緒に見てみる。 るー君は魔術の精製補助なしの六級を受けるんだけど、俺達も同じ日に五級と補助ありの二級の同時受験をするのだ。
うんうん。 それにしても、さすがはハニーだ。 全問正解しているな……って、俺は一問間違ってるじゃん!?
なんでと思って問題を見直すと……引っ掛け問題だった。
「うあぁ……見落としてた」
「あらら~」
「ジャスパー様は、意外とうっかりが多いですね」
セーレたんに頭をなでられながら、白銀メイドさんから欠点を指摘された。
そうなんだよなぁ~。 見直したつもりだったが、油断していたようだ。
勉強会になるたびに人口密度が高くなる俺とセーレたんの部屋だが、今日はいつもと少し違っていた。
最近多忙でなかなか会うことがなかったツェリさんがみんなの引率で来てくれたのもそうだけど、風邪気味のチャロちゃんはメイドの仕事も休みになって安静にしている。 本人はわりと元気ではあるものの、この場にはるー君やくりむちゃんがいるので感染してはいけないということで自分の部屋にいるのだ。
それに伴い、マールちゃんも一緒にお休みということになって今日はのんびりと二人で過ごしている。 今日はアナさんに加えてエルネちゃんも来る日だし、セラさんやお袋もいるからね。 たまには二人一緒というのもいいだろう。
ということで、代わりにツェリさんがこの部屋にいてくれているのだ。
「ごめんねツェリさん、のんびりできなくて」
「滅相も御座いません、こちらこそ日頃よりお世話になっておりますので」
「それはお互い様ですよ」
髪が長いと、湿度が高い日にはセットが大変……という話はよく聞くけど、このメイドさんのストレートヘアは相変わらずだ。 つららのように真っ直ぐである。
感心して素直にほめると、なぜか「流石です」とほめ返されてしまった。
俺達が窓の近くで勉強している横の、少し開けたスペースではエミーちゃんが魔力感知を覚えたばかりのわん子ちゃんとニコに、魔導具の使い方を教えている。
「最初はとにかく落ちついて、魔導具にオドを押しつけてみるといいわ」
「あぅ、押しつける……?」
「エミーちゃん、押しつけるってどーやるの?」
「え? ……うーん」
二人は頭の上でハテナをいっぱいにして首をかしげ、エミーちゃんが困った顔をして俺にヘルプを求めてきた。 勉強とは違って感覚的なものだし、まして二人とも少し変わった感じ方をするみたいだしなぁ……。
よしきたと腰を上げようとしたら、ツェリさんが目で俺を制して静かに立ち上がった。 俺は会釈し、セーレたんと一緒にるー君の練習に付き合うことにした。
教師役をツェリさんに任せ、るー君もセーレたんと魔導具で遊びながらお喋りを始めて……俺は手持ち無沙汰になってしまった。
メイドさんの方はせっかくのご厚意だし、あのお姫様達のガールズトークは感性が独特で入りにくい。 それに、たまには俺を挟まないでゆっくり話をするのもいいだろう。
ということで、俺は適当に理由をつけて部屋を抜けてきた。
「……ふぅ」
雨音をBGMにトイレを済ませ、向かいのドアを開けてリビングへ入る。
テーブルには、お袋をはじめメイドさん全員がのんびりとお茶を飲んでくつろいでいた。 入ってきた俺に視線が集まり、みんなは意外そうな表情を浮かべた。
「あら~?」「あら」
「ジャス君、どうしたのっ?」「ジャス様、どうされました?」
お袋はリソ君をひざに乗せて絵本を読んであげていたようで、本を持ったまま小首を傾ける。 肩にはニアちゃんが座っていて、リソ君と一緒に本を見ていたようだ。 俺にちっちゃな手を振ってくれている。
真向かいにはセラさんがいて、お袋と同じように首を横に傾けた。 親子って、さり気ないところで似るよね。
そして、お袋の隣に座っていたエルネちゃんとセラさんの横に座っていたマールちゃんは、ほぼ同時に同じことを言いながらなぜか席を立つ。
チャロちゃんは大きめのハンカチをマスク代わりに巻いてマールちゃんの横にいて、元気そうな黄色い瞳をパチパチさせていた。 顔色はいいみたいだな。
ちなみに、マールちゃんもチャロちゃんも私服だ。 特にチャロちゃんはストールを肩にかけている。
アナさんは奥のキッチンでお湯を沸かしているようだ。 お袋のもう片方の隣には空のティーカップが置いてあるから、そこにアナさんが座っていたのだろう。
親父はツェリさん達が来たのと入れ替わるようにして仕事に行ったから、これで全員だ。
「いやー……ちょっと息抜きにね」
俺だって、そういう気分になることもある。 別にセーレたん達と一緒にいることが負担になっているわけじゃないけど、たまには精神的に抑えている部分を緩めたいときがあるのだ。
大人な世間話から学べることも多いしね。
手のひらを出して立ち上がった二人を制し、続いてその手をニアちゃんに振り返しながらいつもの席に向かう。
振り返って俺を見たアナさんが、俺の分のお茶も用意して持ってきてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがと、アナさん」
輪切りのレモンをカップの縁に挿したホットティーを、俺の前に置いてくれた。 湯気と共にお茶とレモンのいい匂いが立ち上っている。
俺の味覚はまだまだ子供だけど、かといって大人の味がまったくダメというわけじゃない。 例えば、かいわれとか。
俺の好みがわりと大人の方に寄っているのをみんなもよく知っているので、こうしてみんなと一緒のものを普通に出してくれるのだ。
《うーんしょ……っと! はい、ママーっ♪》
「うん、ニアちゃんもありがとねー」
お袋の肩から飛び降りたニアちゃんが、テーブルクロスの上を滑らせてシュガーポットを運んできてくれた。 そこからさじを引き抜いて、聖剣のように高く掲げている。
さすがにレモンだけでは酸っぱいので、シュガーは入れないとね……。 それは我が娘のお役目である。
《ママ、どれくらい入れるー?》
「お任せで」
《分かったー!》
真剣な目で俺の顔を見つめたニアちゃんはアンテナみたいに立った毛をぴこんと動かすと、シュガーポットのふたを開けて俺のカップに入れ始めた。
何杯か入れると、愛娘はさじをホウキみたいに正面に持って俺の顔をまたじーっと見つめ始めたので、俺はにっこり微笑んでカップを左手に取る。
「……ん、ちょうどいいよ」
《やたーっ♪》
多いときも少ないときもあるけど、それはそれで美味しいものだ。 でも、今日はバッチリであった。
右手でなでなでしてあげると、ニアちゃんは頭をかくかくさせながら目を細める。 手のひらを向けると我が娘はさじをポットに挿し、えいやっと飛び乗った。 それから腕を駆け上って俺の右肩に立ち、顔の右側に抱きついた。 もう、可愛くって仕方ないね!
お袋達も、愛娘の愛らしさに頬を緩ませている。
「ところでチャロちゃん、大丈夫?」
「ふぁいっ、少し熱がありますけど、それだけで他には何も」
「そっか」
ちょっと扁桃腺も腫れているんだろうか、いつものキンキン声がなくなって落ち着いたトーンになっている。 しかも、布越しで声がこもり気味だ。
口周りと首回りに布を巻いて完全装備のチャロちゃんは、巻いているハンカチを掛けているせいで白い耳が倒れ気味になっている。
「人間種の風邪も増えているみたいなので、ジャスさま達も気をつけてくださいねー?」
「うん。 この時期は急に寒くなったりするもんねー」
単なる偶然なのか、この国の暦と季節との関係は日本のそれと近いものがある。 六月が近づくと梅雨というほどではないにしても雨が増えるし、ときどき台風に当たることもある。
気象衛星がない代わりに上空から直接雲を見てくれる精霊はいるみたいで、分かりやすい台風は事前に情報が回ってくるのでわりと安心だ。 風邪の流行とか、そういった情報を流してくれるのは保安隊の仕事らしい。
「雨が続くと、洗濯物が乾かないのが困りますよね……」
マールちゃんの言葉にみんなが首を縦に振る。 聞けば、リソ君の部屋の壁にひもを張って今朝洗濯したものを干しているらしくて、だからリソ君もここにいるんだとか。
二階の親父達の寝室も同様らしい。
「で、ですからジャス様は、絶対にお部屋には入らないでくださいね?」
「いや、もちろん入らないけど」
その辺りは当然のエチケットだ。
ただ……お袋だけは俺の前でも構わずに乾いた洗濯物を広げてたたむので、そのせいでどれが誰のかだいたい分かってしまうんだよなぁ。
俺がリソ君と遊んでいるすぐ横で「あら~。 マールちゃんったら、こんな大胆なものを買ったのね~♪」とか言いながら思いっきり広げてるんだもの……。
そんな時に限ってメイドちゃんズは買い物に行ったりしているので、恐らくこの事は二人とも知らないと思う。 ……アナさんは知ってるけど。
しばらく世間話をしていると、エミーちゃんがジュースを取りに下りてきたが、ツェリ先生のおかげで勉強会は進んでいるようで俺は「ごゆっくりどうぞ」とのこと。
それをきっかけにして、エルネちゃんからあのスーパーメイドさんのスーパーな日常話を聞いていると、玄関の方からノッカーを叩く高い音が聞こえてきた。
「あら~、お客様かしら~?」
「私が行ってきますっ」
気を利かせたらしいいちばん年少のメイドお姉ちゃんが、元気に席を立ってリビングを出て行く。 軽やかな動きに、長い茶色の髪がふわりとたなびいた。
ドアを閉める前に、俺にウィンクしていくことも忘れない。
『はーい! どちらさま――』
『――』
遠ざかっていく靴音が消え、ドアの向こうからエルネちゃんの声がかすかに聞こえてくる。 何やらお客さんと話しているようだけど……まあ、じきに分かるだろう。
気にしないで冷めかけたレモンティーを飲んでいると、今度は複数らしい足音が近づいてきてドアが開く。
「あのー、ジャス君……」
「ん?」
お袋じゃなくて俺?
ドアの隙間から顔を出したエルネちゃんは、どうしてか浮かない顔をしている。
「僕にお客さん?」
「うん……」
ドアを掴む手を顔と一緒にちょこんと出して、ワインレッドのメイドさんは小さくうなずく。
ここに通していいものかと思い、お袋に視線で問いかけると優しい微笑みが返ってきた。 ……というか、今お客さんを通せる部屋ってここしかないよな。
アナさんは席を立って自分のティーカップを片づけ始め、私服のメイドちゃんズは背中を伸ばして身だしなみを軽く整えた。 途中からセラさんのひざの上に移動したリソ君は、セラさんにしがみつくようにして眠っている。
「そっか。 入ってもらって……ニアちゃん」
《ほーい》
ニアちゃんには一旦俺のお腹の中に入ってもらい、エルネちゃんとお客さんに入室の許可を出す。
それにしても……誰だろう?
そして、ドアが完全に開く。
エルネちゃんの隣にいたのは――。
「ふふふ。 お久し振り……では、ないわね」
いろんな意味で成長めざましいエルネちゃんよりも、少し背丈の低い女の子。
赤と黒とのコントラストが鮮やかなメイドさんと比べると、その子は黒一色。 髪も夜を思わせるような黒さで――だけど、しなやかなロングヘアはエルネちゃんにも劣らないツヤと長さを誇っている。
学年どころか通っている学校も全然違うが、その年齢差はたった一歳。 そして、知的な雰囲気では逆転しかねないお姉さん。
「近くに来たから、遊びに寄ってみたわ。 ……王子様♪」
他のみんなが首をかしげる中、一人だけ大人っぽい笑みを浮かべているのは。
「ぐふっ。 そ、それはもうやめて。
……マーヤさん」
「ふふふふふっ」
後ろのお姉さんことマーヤさんは、黒い上着についた水滴を払いながら肩を震わせる。
その横で、茶色い髪のメイドさんは。
「……」
形の整った眉を寄せ、じっと立っていた。




