323 時が来るのを待ちましょう
休日でも活気のある食堂でおやつを楽しみ、帰宅するとニアちゃんが文字通り飛んできた。
《まああーーーーまあーーーーーーーっ♪》
「あふぁふぁふぁふぁ……よふぃよふぃ」
正面から顔にへばり付いてきたので、少々喋りにくいが……それだけ寂しかったのだろう。 可愛いねぇ、まったく。
それにしても、水遊びでもしたんだろうか? 全身がしっとりと湿っていて、石けんのいい香りがした。
――そして、翌朝。
俺とセーレたんは学校がないにも関わらず、早めの時間からマールちゃんに用意してもらった服に着替える。
《ママーっ! ニアはお着替え終わったよー♪」
シャツのボタンを留めていると、我が娘が目の前で羽根を出して宙に浮き、自分の全身を見せるようにしてゆっくりと横に回っていた。
「おっ? ……おおーっ!」
《どう? どう? 似合ってるー?》
回転を止めると、ライトグリーンのイブニングドレス調の格好をしたニアちゃんが長いスカートを摘み上げてカーテシーを見せてくれる。 やや薄めのスカートが朝日に透けて、中のレオタード部分や脚のシルエットがうっすらと見えている。
一方で上半身は腕も胸元から上も肌を露出していて、父親からもらったネックレスの石がV字の白い素肌の上でキラリと輝いた。
凝っているようでデザインそのものはシンプルなこのドレス――なんと、ニアちゃんが自分のオドで作ったお手製コスチュームなのだ。
「うん、とっても可愛いぞー!」
《きゅふふふーん♪》
思ったままにほめてあげると、ニアちゃんはスカートから手を離して自分のほっぺを挟み、いやんいやんと身体をくねらせた。 ……セーレたんによく似たリアクションだな。
服のわりに色っぽさにはイマイチ欠けるものの、全身からかすかに光を放っている姿は、まさに妖精のごとき可憐さである。
俺の頬は自然と緩み、愛娘の素晴らしさに満足して何度も何度もうなずいていると――。
「今日は、特に大変ですね」
「まあ、仕方ないよ」
背後から、妹様の着替えを手伝っているマールちゃんに話しかけられ、俺は振り向かずに答える。 ……振り向いたら、それこそ大変だ。
今日は、俺は朝から幼児園に行って既に始まっている「授業」の様子を少し見学して、お昼には帰ってきてシャルちゃん先生の家庭訪問を迎えないといけない。 ちょっと忙しいのだ。
ちなみにマールちゃんは着替えの手伝いといっても、実際の役目は身だしなみのチェックだけである。 一人では着づらい服でもない限り、今更着替え自体を手助けする必要はない。
マールちゃんのアドバイスに、セーレたんが素直にお返事しているのが聞こえてくる。 日に日に女の子らしくなってきて、なによりである。
「ところで――」
「やっ!」
俺の言わんとしていることが分かったようで、言い出す前からセーレたんから甘えるような声色で否定の言葉が飛んできた。
明らかな意思表示に、俺の声が途切れる。
「……」
「セーレ様ももう少しすれば、ご自分の方からおっしゃるようになると思いますよ?」
「……だといいんだけどね」
少し前から何度か言っているので、マールちゃんにもすぐ分かったみたいだ。
お風呂はよほどのことがない限り一緒に入ることのなくなった妹様だが、着替えについてはいまだに俺が部屋を出ようとすると嫌がる。 これまでは手伝ってくれるメイドちゃんズの手間のことも考えて言わないようにしていたけど、そろそろ気にしてもいいと思うんだけどなぁ。
部屋分けと同様に、お袋達はセーレたんが自分から言い出すのを待っているようだ。
「孤児院の子達もそうでしたから……はい、できましたよ」
「ありがとなの! ……お兄ちゃんっ♪」
「あいよっ」
期待するような声に振り向くと、そこにはいつもよりちょっぴりおめかしした妹様が立っていた。
こちらもスカートは長めで、白いフリフリが段を作っている。 こういうお姫様系ファッションは着こなしが難しいと思うんだけど、セーレたんはナチュラルに似合うね。 俺がプレゼントした、リボン型の白い髪飾りもよく合っている。
そんなハニーにそっくりなお袋はともかく……女の子でさえないのに、ヘタをするとそれ以上に似合ってしまう子も身近にはいるが。
「どう……かな?」
上目遣いに、期待と不安を混ぜたような表情で俺を見つめるマイシスター。
そんなに心配しなくても、俺のセリフはもう決まっている。
「うん。 最高に可愛いよ」
「……えへへっ♪」
どんな花も色あせるようなその笑顔が加わると、更にね。
《ええーっ!? ニアには『最高』って言ってくれなかったあー!》
「ごめんごめん。 もちろん、ニアちゃんも最高だぞー!
マールちゃんはいつもの服だけど、それも最高に似合ってるしね」
《やったあああーっ♪》
「えっ!? わ、私もですかっ!! ……あは♪」
うんうん。 やっぱり、女の子には笑顔がいちばんだよ。
この上なく上機嫌なマールちゃんと手を繋ぎ、俺は二人で幼児園への道を歩く。 そよ風の吹く青空の下、空色のポニーテールがしっぽのように揺れている。
セーレたんはまた普段着に着替え直して、今はチャロちゃんやお袋やセラさん、そこに出勤してきたアナさんとエミーちゃんも加わって家庭訪問の準備に勤しんでいるはずだ。 特にセラさんは「そろそろ、何か仕事をしないと落ち着かないわー」って言ってたし。
ニアちゃんも当然お留守番。 堂々と連れて一緒に外を歩けるようになるのは、もう少し先になるだろう。
「……ふふふふふっ」
「あはははっ」
俺と目が合うたびに笑顔をあふれさせるマールちゃんの姿に、俺も自然と笑顔が漏れた。
「ごめんくださーい!」「こんにちはー!」
幼児園に着くと、明るい廊下の奥からわいわいと子供達の元気そうな声が聞こえてくる。 ついこの間まで俺も通っていたのに、もうずいぶん昔のことのように思えて懐かしい。
子供達に負けじと入口のカウンターの向こうに大きな声をかけると、「はーい!」とこれまた女の人の声が元気に返ってきた。
「はいはいはい……あっ!? お久しぶりですね!」
出てきてくれたのは、新婚のヴェオラ園長さん。 紫のストレートヘアを風になびかせて歩いてきた。
カウンター越しに、マールちゃんとぺこりと頭を下げ合って挨拶する。
「あれ? ヴェオラさん、髪切った?」
「あ……さすがジャス君先生。 気づいた?」
何がさすがなのかは分からないが、笑顔で手で後ろ髪をかき上げて見せてくれた。
数センチほど短くしたようで、軽くなって前よりも少し活発そうに見えるね。 なにより、表情が明るいせいだろうけど。
「彼でさえ、私が切ってきたのを知ってるのに『あれ、どこを切ってきたんだい?』、だもの……もう」
「ああー……」
よく聞くね、そーゆー話。 さすがに少し整えた程度じゃ、俺も言われるまで気づかないこともあるけど。
ちなみに旦那さんは、家で洗濯と掃除を終えてからこっちに来るらしい。 分担してるんだね。 ダンディーなあごヒゲの人だけど、いかにも優しそうな人だからエプロンがすごく似合いそうだ。
「でしょう? ふふふ……笑っちゃうくらいに似合うわよ?」
働く新妻さんも、同じことを思っていたようだ。 三人で声を出して笑う。
「ところで今日は……ああ、『教室』を見に来られたんですね?」
園長さんがぽんと手を合わせる。 話が早くて助かります。
「うん。 お昼から用事があるから、ちょっと顔を出しに来ただけなんだけど」
「今日は学校はないんでしょ? それなのに、いろいろ忙しいのね」
「あはははは」
みんなからそう言われるけど、午後はけっこう余裕あるんだけどなあ。
……あ。 でもなんだかんだ言って、のんびりはしていないな。 自分の勉強をしたり掃除を手伝ったり、あるいはニアちゃんやリソ君と遊んだりと、何かしらやっている。
我ながら、落ち着きのない子供だと思う。
「元気そうだからいいんだけどね……あ、奥へどうぞ? お茶を入れますね。
それとも……リリちゃんに会ってきます? もう来てますよ」
半分はマールちゃんにも向けているからだろう、言葉に半分丁寧語が混じっている園長さん。
リリちゃんの話はちょうど昨日出てきたばかりだが、そういえばリリちゃん本人にはしばらく会ってないな。 ……顔を見に行ってみようか。
「ジャス様、行っていらしたらどうですか? リリちゃんも喜びますよ」
マールちゃんは、家に行ったときにたまに会ってるんだよね……って、これは俺にはナイショなんだよな。 知らんぷり知らんぷり。
「うん、それじゃ行ってくるよー」
カウンターの奥に入っていくヴェオラさんとマールちゃんに手を振り、俺は年中クラスへと足を向けた。
「……うわぁ」
エルネちゃんが昨日ポロッと零していたが……本当にスゴイことになっていた。
「かわいいー♪」「かわいいわぁ~」
「ああーん♪ もう、たまんないわぁ!」「はぁはぁ、はぁはぁ……」
園児もお母さん達も一緒になって、みんなが部屋の真ん中で列を作り、順番に小さなうさ耳幼女に近づいては思う存分になでなで、すりすりしていた。
いつものワインレッドのメイド服を着たエルネちゃん管理の下、リリちゃんファンのみなさんは今日もお行儀良く萌えていらっしゃる。
「みゅっ! ……みゅーん♪」
『きゃああああああああああっ♪』
みんな、なで方には最深の注意を払っているようで。 たんぽぽの綿毛にでも触るかのような微妙な手つきにリリちゃんが身じろぎすると、触っている本人はもちろんのこと、周りに集まる若いお母さん方や子供達からも黄色い歓声が起こる。
そして、目を細めてくすぐったそうにしているリリちゃんに萌えたお母さんが、人差し指を立てて更にくりくりとあちこちを触る。
「みゅうっ! みゅわっ! みゃあ~ん!」
『きゃああああーーーーーーーーっ!!』
身体をくねくねさせ、顔を真っ赤にしながらも一生懸命にガマンしているリリちゃんに、絶叫にも似た声が周りから起こる。
いや。 確かにものすんごく可愛いけどさ、もうそろそろやめてあげ――。
「ふああああああああああっ!」
――と思った矢先。
くすぐっていたお母さんの方が、まるで自分がくすぐられていたみたいに声を上げながら全身を震わせると、その場にぱたりと倒れてしまった。
「……すみませーん、誰か」
お尻を突き出したまま、絨毯の上に伏せてしまった誰かのお母さん。 その顔は見えないが、さぞ晴れやかなのだろう。
エルネちゃんは慣れた様子で軽く肩を揺すると、すぐに周りの人に声をかけた。 すると何人かのお母さん方が立ち上がり、倒れたお姉さんをひっくり返して脇の下や脚を持って持ち上げて保護者席へと運んでいく。
しかも倒れた人がいなくなって空いたスペースには、次に並んでいた小さな女の子が「くすぐったかったねー。 よくがんばったねー」と言いながら、まだ顔の赤いリリちゃんの頭を慈しむようになでていた。
……どうやら、この程度はよくあることらしい。
倒れたお姉さんの行き先を見たら、保護者席のソファーには他にも満足げな表情を浮かべて眠っている他のお母さんや男の子、女の子が既に三人いた。
そこでは、るー君とこのメイドさんでエルネちゃんの先輩でもあるエーデルさんが介抱していた。 チャロちゃんくらいの小さな身体でソファーの前にしゃがんで、眠っている人たちの顔をハンカチか何かで拭いている。
「よっし♪ ……あ」
キレイに拭けたようで、エーデルさんは黄緑色のツインテールと、メイド服の上からでも分かるくらいの豊かな胸をぷよんと揺らして立ち上がって……俺の存在に気がついた。
「ジャスさま、お久しぶりですっ!」
「お久しぶりー」
持っているハンカチを振って挨拶してくれるエーデルさん。 たしか、チャロちゃんより一つ下だったよね。
「今日はツェリ様にお会いに? それともリリちゃんですかぁ?」
「両方かな。 ……もちろん、エーデルさんにも会えて嬉しいよ?」
「あはははっ♪ またまた~」
エーデルさんは俺の所まで来てくれると、屈んで俺の頭をなでた。 ……そして俺の目の前には、服を持ち上げて揺れる大きなモノが。
「ツェリさんは、もう向こうに?」
さっと見回してみたが、メイドさん先生はこの部屋にはいなかった。 カウンターの奥にもいなかったし、既に年長クラスの方にいるのかと思って聞いてみたら。
「いえっ。 家のお仕事が終わってからいらっしゃいますので。
……さあ、ジャスさまもリリさまにお会いしてあげてください♪」
見ると、エルネちゃんがリリちゃんのちっちゃなおててを取って二人で俺に手を振っていた。
それで周りの人たちも俺に気づいたようで、「見たことある人だー」だの「ニコじゃないねー」だの、あるいは「こども先生さんね?」だのといった声が聞こえてくる。
俺は二人に手を振り返しながら、みんなにも挨拶をしながら近づいて――。
「はい、ボクも列に並びましょうね?」
「え? ……あー、はい」
列の最後尾にいたお母さんに注意されてしまった……。 エルネちゃんが苦笑いを浮かべて、口パクで『ゴメンね?』と言っている。
「……みゅーん」
「あ、あと十三人……」
俺がリリちゃんをなでてあげられるのは、まだまだ先になりそうだ。




