313 それは、天にも昇るような
「セラさ~んっ♪」
温かな日光の降り注ぐ廊下を、セーレたんが弟くんと手を繋いで駆け寄っていく。
「ふふふふっ。 本当に大きくなったわねー」
俺達のおばあちゃん――改め、謎の花柄仮面さんは腰に抱きつく孫達の顔を、頭から被った袋の端っこを指に引っ掛けて上から覗き、嬉しそうな声で笑った。
首から上のシュールさにさえ目を瞑れば、とても心温まる光景である。
ちなみにマールちゃんは、セラさんの姿に目を丸くしながらも俺と妹様のカバンを持って二階に上がっていった。 ……若干、早足だったが。
「でもジャス君は、私に抱きついてくれないのね?」
俺もやぶさかではないのだが……。
「いや、先にそれ取ろ――」
「嫌」
「と――」
「イヤっ!」
「……」
とりつく島もないとは、このことか。
ふるふると左右に揺れる手提げカバンを、妹様と弟君がつぶらな蒼い瞳で見上げている。 困ってお袋に視線で助けを求めるも、お袋は軽く握った手を口に添えて肩を震わせているだけだ。
……なーんとなく、お袋の様子が普段よりも子供っぽいように見えるのは気のせいだろうか。
「どうして隠してるの?」
わけが分からないが、頑なに嫌がられるのならば仕方がない。
せめて理由をきいてみると、その途端に布袋がシャキーンとしわを伸ばした。
「どうしてじゃないわよっ!?
聖母様に呼ばれたとか初学校を飛び級したとかいろいろとんでもない手紙が来たと思ったら、最近は言葉を濁してばっかりなんだもの! 心配になるわお肌はますます荒れるわでヘソクリを使い切ってあの人のおかずを減らしてまで化粧品を買い漁っても大した効果はないわ、秋まで待てなくてビックリさせてあげようと思ってこっち来たらこの子達の肌のツヤはナニっ!? セフィもマールちゃんもチャロちゃんもゆで卵を剥いたどころの肌ツヤじゃないわよあり得ないわ! しかもセーレちゃんやリソちゃんまで!! いくら若くてもあんなのあり得ないわよ理不尽よ不公平よこっちはこの間とうとう四十の大台に乗っちゃったというのに! 私もツヤツヤになりたいわよ気持ち良くなりたいわよなんでジャス君こっちに住んでるのよこっち来なさいよいいから私にもしてえええええええええーーーーーっ!!」
「…………」
ダンダン! と足を踏み鳴らして俺に近づきながら、いつ息継ぎしてるんだと不安になるくらいの勢いでかろうじて聞き取れるかどうかの超早口でまくし立てるお姉様。
あまりの気迫に、セーレたんもリソくんも目を真ん丸にしてセラさんから後ずさりして離れた。 お袋は顔を背けて丸めた背中を震わせ、波打つ滝のような金髪をキラキラと輝やかせていた。
「はあ、はあ、はあっ……!」
俺の眼前まで迫った花柄の布袋が、くぐもった呼吸と共にぷくーぺこーとかすかに膨らんだり凹んだりしている。
……その暑くて苦しいほどの気持ちが、とてもよく伝わってきた。
「そ、そうだったんだ……ごめんね?」
「はあ、はあ……い、いえ。 私の方こそ、ごめんなさいね……」
廊下にひざをついて訴えかけてきたセラさんに身を寄せると、少しずつ呼吸と共に気分も落ち着いてきたらしいセラさんが謝る。 優しく両腕を回して俺の身体を抱きしめた。
一年振りのセラさんの身体はしなやか柔らかでしかも熱く、まだ少し荒い息づかいが袋を通して耳元に聞こえてくる。 お袋によく似た甘い花のような香りが、俺の五感をふんわりと包み込んでいる。
俺がセラさんの肩にあごを乗せている向こうで、セーレたんがリソくんの手をぎゅっと握って心配そうに俺を見ていた。 アイコンタクトで「大丈夫だよ」と伝えてあげると、安心したように微笑んだ。
そしてお袋はいつの間に笑い収まったのか、俺と目が合うと優しい微笑みを浮かべて意味ありげにうなずいた。 いつもの女神様スマイルだったが……目尻がキラリと光っていて、とてもキレイではあるんだけど台無しだった。
「――セラさん、行こ」
「え?」
セラさんに回していた手で、背中をぽんぽんと叩く。
抱き合う身体はそのままに、セラさんは顔だけを離して可愛らしく小首、ならぬ花柄の小袋をかしげた。 ……ちょっと笑いそうになったが、ここはガマンだ。
「ほら、マッサージするんでしょ? ……上、行こう」
「ぁ……」
袋にさえぎられた小さな声が、かろうじて聞こえた。
いろいろな気持ちが混じっていたようだけど、セスルームから俺のことを心配して来てくれたことには違いないのだ。 俺も向こうに行くとしても秋休みまではムリだろうと思っていたから、セラさんと会えたことはとても嬉しい。
この様子だと師匠――ヴィンさんは来てないみたいだけど、あの人も向こうで城勤めをしているのだから仕方がない。
……だから、セラさんのご要望には誠意をもってお応えしたいと思う。
「さあ、立って」
優しく抱擁を解いて身体を離し、お姉様に立つように促す。
俺はスラックスについた細かい砂やホコリを払うと、自分の手にもついたそれをポケットのハンカチで拭ってからセラさんに手を差し出す。
「……ええ」
「僕の部屋に行こう。
セーレちゃん、悪いんだけど……しばらく下にいてね」
「うん……」
ちょっと不満そうだけど、セーレたんは素直にうなずいた。 後でフォローしてあげないとな。
急に力の抜けたセラさんの手を引いて階段を上がると、二階に上がったところでマールちゃんが所作なさげに立っていた。
俺は学校のカバンを持っていってくれたお礼を改めて言うと、そのまま通り過ぎて部屋に行こうとしたんだが……。
「セラ様」
「どうしたの?」
なぜか真剣な表情になったマールちゃんが、セラさんに声をかけた。
「できるだけ、優しいマッサージにされることをお勧めします」
「え? 私は、激しい方が好みなんだけど……」
「……セラ様、お耳を」
チラリと俺の顔を見ると、マールちゃんはかすかに頬を赤くしてセラさんを俺の部屋の前まで引っ張っていき、布袋の側面に唇を寄せた。
俺には聞かれたくない内容みたいなので、俺はその場で終わるのを待つ。
「――……んです」
「……そ、そんなに?」
「はい。 ですから――」
たまに俺の方をチラチラと見ながら、二人の内緒話は続く。 なんか、セラさんの身体が震え始めたんだけど……大丈夫なんだろうか?
その後も話はしばらく続き、セラさんが何度かうなずいたところでようやく終わったようだ。
「ジャス様、お待たせしました」
「ううん」
マールちゃんは俺に軽く頭を下げ、俺の部屋のドアを開けてくれた。
どうしてか、セラさんが一際大きく身体を震わせる。
「私はここにいますので、何かありましたらお呼びくださいね」
「え? うん」
何かって……。
たぶんセラさんは定期便で来たんだろうし、普通に旅の疲れをじーっくりと解きほぐしてから眠ってもらおうと思ってたんだけど。
「じゃ、ジャス君……く、くれぐれも、お手柔らかに……ね?」
「う、うん」
エスコートしようとまた手を握ろうとしたら、セラさんは胸の前で両手を握り締めて袋を左右に振った。 背中まで伸びる金色の髪が左右に揺れる。
マールちゃん、一体どんなことを話したのか。 今セラさん、「ひっ!?」って言ったぞ。
「……行こうか」
「や、優しくね? 優しくお願い……します、ね?」
震えながらなぜか敬語になってしまっているセラさんを手で促し、部屋の中に入ってもらう。
俺も靴を脱いで中に入ると、マールちゃんは「頑張ってください」という謎のメッセージをセラさんに伝えて扉を閉めた。
――昼の鐘が鳴ってから、だいたい半時ほどが過ぎた。
「すぅ……すぅ……」
布袋を外したツヤツヤのセラさんが、ベッドの中でとても気持ちよさそうに眠っている。
先ほど開け放った窓から白い光と暖かい風が入り、汗の引いたセラさんの前髪をさらりとなでた。
「うぅん……うふふふふ……」
セラさんの口から、幸せそうな声が漏れる。
まるで体内のありとあらゆる悪いものを出し切ったような、清々しい笑顔を浮かべていた。
「よくお眠りですね」
洗濯物を手に持って、マールちゃんが微笑む。
「うん。 ……ありがとね?」
「いえ、いいんですよ」
マールちゃんがさっき、セラさんに何を話したのか――その謎が解けた。
「まさか、あんなにすごい反応するなんて……」
「……いえ、無理もないと思います」
セラさんの「全身スライムパック・特に顔を重点的に」というリクエストにお応えして、それでも被った袋を外したがらないので下の隙間から流し込んだら……これ以上はやめておこう。
実際のマッサージは五分くらいで終わり、すぐにセラさんは疲れきって眠りについた。
それから測ったようにマールちゃんがノックをして入ってくると、俺を手早く部屋から出して後処理を始めたのだ。
……で、その結果が今のセラさんだ。
マールちゃんはセラさんが被っていた布袋や、肌色やら紅やらがいっぱいついて湿ったタオルや着ていた服を腕に抱え、セラさんは肩まで毛布を被って一年振りの素顔を晒し、気持ちよさそうに眠っている。
「んんぅ……あぁ……っ♪」
セラさんは頬を緩めて可愛らしい声を漏らしながら、時折身体をもぞもぞさせている。
とてもじゃないが、二十歳の娘と三人の孫がいるようには見えない。
「ふぅ~。 ……ま、いっか」
肺に貯め込んだ空気をゆっくりと、長く吐き出す。
俺の心臓にとっては非常によろしくない光景を見せつけられてしまったが……今更といえば今更である。
みんなが望んで、そして幸せそうな笑顔を見せてくれるのならば、俺もやりがいがあるというものだ。
自分の中で納得してうなずいていると、マールちゃんがポニーテールを揺らして首を傾けた。
「ジャス様?」
「ううん、なんでもないよー。
起こさないように、僕達は下に行こうか」
「はい、そうですね」
二人で笑みを交わしていると、窓の方から親しみのある魔力の気配と声なき声が聞こえてきた。
《マぁ~~~~~マぁ~~~~~~~っ♪》
「ぉ?」
翠色に輝く羽根から光の粒をこぼしながら、小さな女の子が俺めがけて真っ直ぐ飛んできた。
青い天上の世界から、俺の精霊様がようやくお帰りなさったらしい。
《ただいまーーっ! それから、おっかえりーっ!》
軽く右肩を突き出すと、ニアちゃんは迷わず飛び乗って俺の顔に横からくっついた。
《うん、おかえりただいま!》
俺は学校から、この娘はパパの青空教室から。
ただいまとお帰りを言い合って、俺達は互いのほっぺと全身をすりすりした。
「ふふふ……ニアちゃん、今日は遅かったですね」
「だよねー。 今日はどうしたの?」
一緒にニアちゃんの頭をなで始めたマールちゃんの言葉に、俺も疑問を乗せて問いかける。
我が娘はマールちゃんにも聞こえるように、声をやや大きめにして答えてくれた。
《うん! あのねー、パパがおしゃべりしようって言うから、お空を散歩しながらお喋りしてたのー!
きのう、ニアがママのお役に立ったんだよーって言ったら、すごく喜んでたっ♪》
「そっかそっかー」
「よかったですね」
《きゅふふーん♪》
真横で顔は見えないものの、二人がかりのなですりに我が娘がとても喜んでいることは、手に取るように伝わってくる。
って、実際には肩に乗ってるんだけどなー。
《ねーねー、ママぁー》
「んー?」
《あそこで寝てる人、だーれ?》
「へ? ……ああ。 あの人はね、ママのママの――」
そ、そういえば……。
セラさんって、ニアちゃんにとっては「ひいおばあちゃん」だった!
ヒトではなく精霊だけど、ひ孫ができたんだよこの人……。
俺はお袋によく似た、だけど明るい表情が印象的なお姉さんを見る。
とても素敵でキレイで、ちょっぴりセクシーな寝顔だった。
「んぁぁ……そ、それ以上はぁ……♪」
早く、この事実を教えてあげないとな。
――セラさんは、気絶しないといいなぁ。




