311 正しいお金の使い方
初めての魔力感知と活性化で、わん子ちゃんは疲れてぐったりとなってしまったが満足そうだった。
メイドちゃんズを呼んで帰るまで俺のベッドに寝かせてもらい、ニコの練習にもつき合う。 枕の感触が気に入ったのか、くりむちゃんは嬉しそうな顔でしきりに枕に頬ずりしていた。
「うーん……」
「ま、焦らずにじっくりと頑張れ、な?」
自分の隣でいきなりすごいものを見せられたせいだろう、ニコは明らかに集中力を欠いている。
《ごはんー! ごーはーんー!》
《はいはい……ニアちゃんも、よくやってくれたね。 えらいぞー》
《んふーっ♪》
テーブルの縁に腰掛けたまま足をバタバタさせる我が娘を呼び寄せ、人差し指を差し出す。 ニアちゃんは俺の手に両手両足を絡ませてがっちりホールドすると、俺の指を咥えてちゅーちゅーし始めた。
たぶんニコには見えないと思うが、これなら触手をあげているようには見えないだろう。
美味しそうに、だがけっこうな速さでちゅーちゅーしている娘に温かい気持ちとかすかな脱力感を覚えながら、両手の拳を強く握り込み苦悩するニコを見守る。
「うー、ああーっ……むおーぅ!」
「落ちつけって」
だんだんと顔が赤くなってきたお猿さんをたしなめる。 血管が切れるぞ? ……もしくは、何かが出る。
ナニが出るのかは知らんが。
「ほれ、ニアちゃんでも眺めて癒されるのだ」
「おおー……」
俺の手と手首にしがみつく我が娘を、腕ごと持ち上げて見せる。
つま先の下まで流れる、ニアちゃんの長い翠色の髪。 ニコに頭から背中あたりまでをなでさせていると、赤く血走りそうだった眼が優しい藍色に変わっていく。
「もっと静かに落ち着いて、自分の中から聞こえてくる音に耳を澄ましてみ?
たぶんだけど、お前の場合はそうした方がいいと思う」
「ふへ~……え? あ、うん」
リラックスしすぎて若干エクトプラズムが出かかっていたようだが、要するに疲れているのだ。
《ちゅーちゅー……んふっ♪ おいひいよーっ》
「ほれほれ、可愛いだろ? 可愛いだろー」
「ふへ~っ、ほへ~っ」
吸いついている人差し指の先を小刻みに動かすと、三頭身の頭がかくんかくんと前後に揺れる。
それでも離さない愛娘の姿に、ニコは目尻を下げて萌えまくっていた。
るー君の練習も終わったようで。
エルリアさんが迎えに来たので、今日の勉強会はこれでおしまいだ。
すっかり熟睡していたらしい、ちょっと髪の乱れたわん子ちゃんがしょぼしょぼした目を擦りながらバイバイする。 るー君が手櫛で整えてあげていたのが微笑ましかった。
念のためということでマールちゃんが付き添って送ることになり、俺は妹様やエミーちゃん・エルネちゃん姉妹とみんなを見送った。
「……ふぅ」
自然と口から溜め息が漏れる。 ちゅーちゅーされたせいもあるだろうけど、俺も初めての体験をして少しはしゃいでいたようだ。
「お兄ちゃん」「じゃーす君っ」
自分で自分の肩を揉んでいると、セーレたんとエルネちゃんから声をかけられた。
「んー?」
「今日の夜は」「私は帰る前に」
首を傾ける俺に、二人の声が重なる。
『アレ、忘れないでね~?』
「……」
はいはい、分かってますよー? 今日は二人の番だったね。
今日もいっぱい頑張ってくれたし、俺ももうひと頑張りしちゃいますよ?
ほんのりと頬をピンク色にして微笑む二人に首肯していると、それ以上に顔を赤くしたエミーちゃんが慌てたように一歩二歩と後ずさる。
「わっ、わたしはもう少しお手伝いしてくる!」
「エミーちゃんも後で、肩揉んであげようか?」
「へっ?」
マッサージがパワーアップして精神的にもだんだんと悟りの域に達してきた俺は、エミーちゃんにも気軽に声をかける。 アレに比べれば、肩など気楽なものである。
すると、最初エミーちゃんは両方の手のひらを向けて首を振っていたが。
「ええっと、えっと……あのっ。
…………お、お願い、して。 いいか……な」
「ん」
エミーちゃんは長い髪を広げて回れ右をすると、早足で廊下を奥に向かって歩いていく。 それにセーレたんも続き、二人はダイニング兼キッチンへ入っていった。
二人がドアの向こうに消えていくと、エルネちゃんは俺の右手を握ってきた。
――週の明けた次の日。 灰色の雲もどこかへ消え去り、空はスッキリと晴れ渡っていた。
学校はないけれど、今日も俺は予定に追われる一日を過ごす。
「さあ、行きましょうか~?」
「はーい」
《はーいっ!》
お袋と手を繋ぎ、俺と体内インストール済みのニアちゃんとで返事をする。 今日の目的は、朝から中央南区の役所通りへ行って俺の個籍証明書をもらって銀行口座を作ることだ。
……なんか、日本にいた時とあんまり変わらんね。 剣も魔法もある世界とは思えんよ。
通っている学校を通り過ぎてこの二等区の東端まで行った先に中央南の駅区画があって、そこに区役所もあるらしい。 更に北へ行けばこの王都最大の中央大通りに繋がっていて、繁華街が目の前だ。
前に制服ファッションなどを買いに行ったけど……あそこの混雑っぷりは、マジですごいよ?
「……行ってらっしゃい、なの」
今日はお見送りの妹様が親父に頭をなでられながら、まるで売られていく子牛のような目で俺を見つめている。 全身から瘴気にも似た重々しいオーラを漂わせ、陽光の下で輝いているはずの金髪もくすんで見える。
「う、うん……逝ってきます」
そんな顔で見送られたら、気分的には「行く」じゃなくて「逝く」だな……。
学校を往復する倍くらいの距離を歩くことになるだろうけど、それでも歩いていくのが基本だ。 となれば、半日かほとんど一日がかりの用事となる。
せっかく親父が休みなんだから、今日はエミーちゃんも一緒に稽古んでもらった方がいいだろう。
「行ってらっしゃい」
セーレたんの横にいるエミーちゃんも、ハニーの沈みっぷりには苦笑気味だ。
「うん。 ……セーレちゃんをよろしく」
御使い絡みの用事のときは俺一人か、親父やお袋と出かけることも増えるだろう。 セーレたんには慣れてもらわないとね。
これも、自立のいいきっかけになるだろう。
「パパもよろしくねー」
「俺はついでかッ!」
顔を引き攣らせている親父だが……昨夜出かけるって言ったら、セーレたんと一緒に肩を落としてたのは誰だったっけ?
涙目の妹様のほっぺに行ってきますのチューをして、俺とお袋は家を出た。
繋いだ手を振りながら、てくてくと石畳を歩く。 朝の忙しい時間帯をすぎて、住宅街はほっと一息ついたような雰囲気に包まれていた。
「いい天気ね~♪」
「そうだねー」
我が家では、ちゃんと毎日夕食後に一家団らんの時間がある。 親父は仕事の都合でいたりいなかったりだけど、家や学校で何があったとか、そういう話はよくしている。
なのでこういうときには普段の話はあまりなく、話題は自然と道中で見聞きしたものが中心となる。 通りかかった家の庭の木が大きいとか、道で遊んでいる子供達は兄弟かなー、とか。
あとは……。
「ジャスちゃんも、もう大人になっちゃうのね~……」
「形だけは、ね」
俺の贈ったヘアコサージュを頭の後ろにつけ、折り返してなお腰の下まで伸びる長い金髪を風に揺らして、お袋が寂しそうに微笑む。
子爵になっただけならともかく御使いにもなってしまった俺は、国の制度上は職業を持った「成人」として扱われることになる。 国から、生活保障も含めた「給料」が出るからねぇ。
身に余る待遇だと思うんだけど、聖母様が言うにはそれだけの価値が俺のオド能力にはあるようで。 ……ならば、できる限りその期待に応えるのが俺の役目であり仕事だろう。
「僕がパパとママの子供だということは、何も変わらないよ」
「……ふふふっ。 そうね~♪」
《ニアも、パパとママの子供だよー?》
《あははは、そうだなー》
俺は右手でお腹をなで、繋いでいる左手に力を込める。
ニアちゃんは中で俺のオドに頬ずりをし、お袋は優しく握り返して笑った。
――区役所で窓口の人に驚かれて別室に通されるという、まるでどこぞのAランク冒険者になったような待遇を受けて身分証明書を受け取った。
透明な樹脂か何かでコーティングされた銀板のカードに俺の顔写真や個人情報が記載されていたけど、見る角度によって写真の顔の角度も変わることに驚いた。 アーンさんが来たときに、やたら横長い魔導具カメラで撮られたのがこれだったんだな……。
ちなみに、ほとんどの身分証明は御使いのネックレスで代用できるらしい。
しかしそれよりもビックリしたのが、補助金兼給料の方だった。
「お年玉みたいだな……」
「……オトシダマ?」
俺の呟きに、お袋が可愛らしく小首をかしげる。
銀行に出すための、補助金の口座振り込み書。 役所でもらったその額面を見て俺は驚愕した。
心の中で、何度「ひゃーくせんまん」とケタを数えたことか。 ……これでも、五等級だから通常の半額らしいのだが。
「だ、大事に使おう……」
「うふふふふっ」
贅沢をしなければ毎月これだけで生活できるという、まさに生活補助金。 子供の小遣いとは額が違いすぎる。
あまりの多さに家に入れると言ったがお袋は頑として首を縦に振らず、アルヴィちゃんに抗議半分にテレパシーを送ってみて「研究費にでも充てたらどうだ?」と言われ……それで一応の溜飲が下がったのだ。
役所から出た足でそのまま銀行へ向かい、受付のお姉さんのキレイな目を真ん丸にすると俺の口座を開設してもらった。 それからさっそく残高が増えた預金を少し下ろし、今はこうして帰宅の途についている。 ニアちゃんは退屈のあまり、いつの間にかお昼寝に入っていた。
太陽の位置はまだ高い。 もう少しのんびりしても、日が傾くまでには余裕を持って家に帰れるだろう。
「ところでジャスちゃん、そのお金はどうするのかしら~?」
お使い以外で手にした、初めての大金。 子供にすればすごい大金だけど、大人からすればそれほどでもない金額のお札を一枚、財布がないのでそのままポケットに入れている。
……指で何度も感触を確かめ、ポケットに突っ込んだ手を抜くことができない。
「うん、実はね」
自分で稼いだという気分とは程遠いが……それはまあ、これから働くということでひとつ。 記憶を掘り返しながら見覚えのある家並みをたどり、俺はとある場所へと向かう。
初めて家族以外からもらった「給料」、その使い道はもう決めてある。
いよいよ記憶にハッキリと残っている場所を見つけた俺は、お袋の手を引いてそこを指差した。
「この前、セーレちゃんと一緒に行ったんだけどね――」
そこはこぢんまりとした、白く塗られた喫茶店。 壁の足元に沿って小さい花が植えられた鉢が並んでいて、入口の近くには折りたたみ式の木の看板がある。
手書きで店の名前と、本日のおすすめらしいメニューが紙に書いて張られていた。 ここのマスターの、優しそうな人柄がうかがえる筆跡だ。
「ここが……? まあ、本当に素敵ね~♪」
真っ先に浮かんだのは、家族のみんなの笑顔。
それを現実のものにするため、俺はお袋をエスコートして白い木のドアを開けた。 細い金属の棒を束ねた、風鈴のような音が鳴る。
「いらっしゃいませ――おや?」
「こんにちは、マスター」
明るく落ち着いた雰囲気の店内に、あちこちに置かれた鉢植えの花がほんのりと香る。
今回も窓際のテーブル席を勧められ、俺達は向かい合って腰を下ろす。 暖かい日差しの中で柔らかい笑みを浮かべるお袋は、本当にキレイだった。
「今日は、僕のおごりだからね?」
「うふふふ……はいっ♪」
――ちなみに、ここのスイーツはテイクアウトもOKである。




