237 食後の運動はほどほどに。
「恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」
気がつくと、昼になっていた。
エルネちゃんにはぱふぱふされて、リリちゃんにはくっつかれ。 それを園児達にからかわれたり、やっかんで彼女達の死角から背中を叩かれたり。
ニコと同じつもり? ――で絡んでくるヤンチャ共をエルネちゃんと一緒に躾け直して、去年飛び級講座で好評だった科学なお話を語って聞かせると、今度は若いお母さん方にいい子いい子されて。
……白銀メイドさんは、最後まで見てるだけだったし。
昼の鐘が鳴って、子供達がおやつをもらいにお母さん達のところへ流れた隙に、やっと顔を出しに来てくれたお袋にしがみつくようにして部屋を飛び出してきた次第だ。
「ああん、もっと一緒にいたかったのに……」
「みゅーっ。 みゅーん……」
しょんぼりする二人には頭をなでて、再会の約束をした。
リリちゃんと一緒にエルネちゃんにもなでなでしてしまったが、本人はいたく嬉しそうだったので良しとしよう。
「疲れたんだか、癒されたんだか」
「うふふふふっ。 ジャスちゃんは、どこに行っても人気者ね~」
青さが濃くなったような空の下、お袋と手を繋いで家路を歩く。 道行く人は少なく、代わりに小さな公園やオープンテラスの喫茶店でのんびりしている人達を見かけた。
「あはははは……まあでも楽しかったし、遊びに行ってよかったよ」
幼児園を出る前に、園長さんの旦那さんにも会った。 年長クラスで園児達に揉まれていたようで、穏やかな笑みにちょっと疲れが見えていた。
ダンディーなあごヒゲには、さんざんいじくり回されたような形跡が……。
お互いに顔を見た瞬間に何があったかを悟ってしまって、「お疲れさま」と言い合ったよ。 俺の髪も、いつの間にかかき乱されてぐっちゃぐちゃになっていた。
「うふふふふふ~♪」
お袋は家に着くまで俺の手を優しく握ったまま、もう片手で何度も頭をなでて髪を直してくれた。
「ただいまー」
『お帰りなさーーーい♪』
家の玄関のドアを開けるとすぐに、可愛らしいメイドさん三人に出迎えられた。
マールちゃんは、わざわざそのために髪型をツインテールに変えて待っていたらしい。 ……いや、可愛かったけどさ。
「お兄ちゃんお兄ちゃん! おやつ、できたの~!」
「わりとよくできたと思うの……早く食べてほしいな」
「二人の力作ですよ♪ まだ温かいですから、お早く召し上がってください」
セーレたんとエミーちゃんに両手を引かれ、後ろからはマールちゃんに背中を押されて廊下を進む。
リビング兼ダイニングに入ると、リソ君とアナさん、そして起きてきた親父も席に着いていた。
「おにー!」
「お帰りなさい」
「おお、意外と遅かったな」
小さなパティシエ達には、そのまま席に誘導されたけど。
「待って待って。 僕も早く食べたいけど、まずは手を洗ってからな」
「あっ!? ……は~い♪」
「あ……そうだったわね」
「はいはい、二人も一緒に洗いに行くよー」
まだ洗ってない俺の手をしっかり握った二人も、一緒にキッチンへ引っ張っていく。 もちろんお袋も。
俺達用のお立ち台に上って、魔導式の蛇口に魔力を込めて水を出す。 捻るところがないため、一見するとセンサー式の水道みたいでなかなかスタイリッシュだ。
少し冷たい水で手を洗うと、疲れも少し取れたような気になった。
「はい、お兄ちゃん♪」
「わたしとセーレだけで、作ったのよ」
「ほう……これは」
今度こそ二人に席に導かれ、目の前のテーブルに置かれたおやつ。
それは、形も見事なドーナツだった。
「本当に、よくできてるね……」
キレイな浮き輪型をしたドーナツ。 恐らくは焼いたんだろう。 適度なきつね色をした表面は全体的にほんのりとピンクがかっていて、更には粉砂糖で白く化粧が施されていた。
照れた女の子のようにも見えるそれは、まさに俺の感嘆の声を聞いて頬を染めている二人のようだった。
「すごく可愛らしくて、美味しそうだね」
「ふゎ、きゃああ~~~~ん♪」
「あ、あぅぅ……♪」
正直な感想を口にすると、小さなレディ達はドーナツよりも赤くなった。
「私も、そんなことを言われてみたいです……」
「マールちゃんはいつも可愛いよ? もう大人だから、可愛いって言われるのはどうかなと思ってあんまり言わないけど」
精神年齢的に近いせいかもしれないけど、マールちゃんってパッと見は大人っぽいのに、可愛らしいところがいっぱいあるんだよね。
「そ、そんなことないです! むしろ毎日言ってほしいくらいですからっ!」
「ま、毎日は勘弁して」
明るい場所だと黄色っぽく見える栗色の瞳を、キラキラと輝かせるマールちゃん。
でもそれじゃ、まるで俺が口説いてるみたいになってしまうじゃないか……。
「……残念です」
「ははは……また今度ね」
軽く拗ねてみせるマールちゃん。 ……俺には、そんなプレイボーイな度胸はないのですよ。
「うふふふふっ♪ 女はいくつになっても、好きな人に可愛いって言ってほしいものよ~」
「そうなのか? むぅ……」
「……私は、こっ恥ずかしいからやめてほしいわ」
黄色というかピンク色に近いオーラを振りまいている女の子たちに対して、お袋達はそれぞれの席で落ち着いていた。
親父とアナさんは、若干気難しそうな顔をしてるが。
「さあ、みんな早く席に着いて、まだ温かいうちにいただきましょう~」
「は~い♪」「あ、はい」
「はい、そうですね」
お袋の一声で、三者三様にくねくねしていた女の子達も席に座る。 いつの間にかアイスティーも人数分用意されていた。
そして、夕食前には帰ってくるらしいチャロちゃんを除いたおやつタイムが始まった。
「ふぉ……美味しい!」
俺はフォークに刺して、小さなドーナツを三分の一ほどかじって驚いた! もっと甘々かと思っていたが、これが意外とそうでもない。
クリーム……いや、チーズ系か? 超がつくほどのしっとりした生地は舌触りも滑らかで、チーズのコクにイチゴっぽいベリー系の爽やかな酸味が砂糖系の甘みをあまり感じさせない。 代わりに果物のほんのりとした甘みが、チーズの風味と溶け合って口の中に隅々まで染みわたる。 まだ温かいのがこれまたいい。
だけども一方で、お菓子としての強い甘さがもっとほしくなるところなんだけど、それを補ってくれるのが表面の粉砂糖だ。 軽い雪化粧が適度な甘さをもたらして、かじった瞬間の幸福感を増幅してくれる。
本当だったら、手で直接つまんで食べて、その後に指についた砂糖を舐めたいくらいだね。 ちょっとはしたないけど。
――ってなんか俺、まるでグルメリポーターみたいだな。 だんだん舌が回るようになってきた気がする。
「おいひぃの~♪」
「んふ……おいしい♪」
「あみゃーい!」
作ったご本人達も我らが弟くんも、幸せそうな笑顔でうっとりしている。
「うん、本当によくできてますね……。 焼き加減もちょうどです」
「紅茶にもよく合うわ。 ……お店で出しても良いレベルじゃないかしら」
指導役だったんだろう、マールちゃんとアナさんも驚き半分で満足そうにうなずいている。
「これは、すごいわね~♪」
「……」
お袋は子供のように蒼い瞳を煌めかせ、親父は唯一粉砂糖を振っていないドーナツを口いっぱいに詰め込んでいた。
いや……これは本当にうまい。 これぞ本格的なおやつ、といった感じだ。
だけど、チャロちゃんはホントに残念だな。 これを食べられないなんて――。
「大丈夫ですよジャス様。 チャロの分は取ってありますから」
「……そっか。 よかった」
これで胸につかえるものは一切なくなった。
初めはものすごい勢いで食べていた俺達だけど、最後の方は惜しむようにして少しずつ味わって食べたのだった。
「――さて、そろそろ始めるか」
いつもよりゆっくりとおやつタイムを楽しんで、やっと出てきた緑の庭。 親父が嬉しそうな顔で、長い木剣を肩に担いでいる。
正直言うと、セーレたんとエミーちゃんをもっとなでながらまったりとしていたかったんだけど……約束だもんな。 稽古と聞いてエミーちゃんの目つきが鋭くなって、真面目な妹様もおずおずと俺から離れた。
俺も気合いを入れねば。
「……よっし。 お願いします!」
「おお! ジャスよ……気合が入ってるな」
ニヤリと白い歯を見せた親父が、木剣を立てて正眼に構える。
俺も左手に木刀を持って、右手を軽く柄に添えた。
「うん、お兄ちゃんとしての意地がね……いくよっ!」
この前、セーレたんと組み手したとき。
嬉しそうだった彼女の手前、表には出さなかったけどさ……本当は悔しかったんだよ!
いくら天才の妹様が相手だったとはいえ、可愛い女の子の前で無様を晒すのは男のプライドが許さん。 まだまだ、負けたくはないのだ!
「ああ、どこからでも来い」
「はああああああああーーーーっ!」
最初は、純粋な身体能力だけで攻める。 身体と勘の鈍りを取り戻そうとしてる俺を、親父は何も言わず木剣を受けることで応えてくれた。
「……ふむ。 そろそろじゃないか?」
「そうだ……ねっ!!」
パンツから放り出したシャツの裾、尾てい骨の少し上あたりから触手を出す。
それを攻撃で親父の目を逸らしてから地面にくっつけ、視界からすっ飛ぶようにいきなりの横移動!
「うおっ!? 相変わらず面白いことを……?」
だけど、そんなのは首を横に向ければいいわけで。 ……と、親父は思ったハズ。
だが残念! 俺は飛んだと同時に右手からもアンカーを出して、家の壁にくっつけて斜め上に飛んでいるのだ!
「うひっ……!?」
初めてやってみたけど、コレ怖えぇ!? 身体の動きとは無関係に飛び、高速で迫ってくる壁は、まるで交通事故のような恐怖感だ。
全身に風圧を受けながら、俺は慌てて大股を開き家の白壁に這いつくばる。 右手も壁に接着しているので、端から見ればまるでヤモリみたいになっているだろう。
「……なっ! 壁ぇ!?」
「てやああーーーーーっ!」
俺を見失っていた親父がようやく気づくが、その時には既に、しっぽと右手の触手でカタパルト射出済み。 三角飛びの要領で親父に特攻を仕掛ける!
……活性化で壁を蹴ろうかとも一瞬思ったけど、壁が壊れたら困るので二点カタパルトを選んだ。 一点だと腰が死ぬのは体験済みなので、二ヶ所に分散させたら何とかなった。
体勢と空気抵抗のせいで木刀を振りかぶることはできない。 なので腰を捻って右肩の方へ木刀を回し、硬化魔術をかけて薙ぎ払う!
「おまっ、なんつー無茶を――!」
「くらえええええーーーーーーっ!!」
驚いて硬直した親父は、そのまま木剣を立てて俺の攻撃を受け止めるつもりのようだ。 俺の背丈以上の木剣から、黄色いオーラが立ち上る。
俺も木刀から黄色い尾を引きながら、捻った腰をバネに、両手で右から左へ木刀をフルスイング!
「ぐああああああああっ!?」
車が電柱にぶつかったような衝撃音を立てて、俺と親父の間で黄色い閃光が爆発する。
そして反作用が2人の身体を引き離し、親父は正眼に構えたまま芝生を削りながら後ろへ下がっていく。 一方の俺は運動エネルギーを親父にぶつけきって、わずかに後ろに下がったもののほぼその場にふわりと足を降ろした。
「……ふぃいい~」
息と共に全身から力が抜ける。 今になってから、汗が額から噴き出てきのでシャツの袖で拭った。
地面にできた茶色い二本の轍の先を見ると、一メートルくらい先で止まった親父ががっくりと肩と木刀を下げ、足を開いたまま立っていた。
――さすがは親父。 あんなデタラメ攻撃を受けきるなんて、もはや人間のなせる業じゃないな。
顔を下げたままの親父に、俺はここからの賞賛を送る。
「すっごいなぁ、さすがはパ――」
「お前は魔獣かああああああーーーーーーっ!?」
顔を上げたと思ったら、親父からすんごいツッコミがっ!?
「は、はい……?」
「おまっ、アレ……人間の動きじゃないぞ! ほとんど魔獣じゃねぇか!!」
「はぁ」
そんな魔獣、マジでいるんだ。 すっげー。
「つーか、その攻撃力も対人レベルじゃねぇよ! 俺も魔獣かっ!!」
「いやー」
似たようなもんじゃないの? それに親父、見事受けきったじゃん。
「それにお前……俺が受け止めなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「へ? ああ」
ひょっとして、それでわざと受けてくれた?
右手は解除したけど、俺のしっぽは壁についたままだから、避けられたらそれでブレーキをかけるつもりだった。 スライムで足を保護しつつね。
更に場合によっては、スイングでくるくる回った身体にしっぽを巻きつけて、着地後にはそれを引っ張って逆回転の「あ~れ~」スピン攻撃! なんてプランもあったんだけど……。
俺が手の内を明かすと、親父はへなへなーと座り込んでしまった。
「な、なんつー発想だ……」
「あははー♪」
それでも、親父の方が全然すごいじゃないか。 やっぱり、基礎的な能力がそれだけしっかりしてるんだな。
俺も奇策ばっかりに頼らず、もっとそういうところを地道に鍛えないとダメだな……そう思った。
一旦休憩となり、親父は家の中へ入るのか玄関に向かって歩いていく。
すると、庭のテーブル席で見物していたセーレたんとエミーちゃんが席を立ち、こちらに小走りで近づいてきた。
「お兄ちゃん、すごくかっこよかったの~♪」
「なんて言ったらいいんだろう……とにかく、すごかった」
全身にうっすらと汗をかいているにもかかわらず、妹様は俺に抱きついてキラキラと輝く蒼い瞳を俺に向けてくる。
「いやあ、ありがとう。 ……でも、汗がつくから離れようか?」
「えへへへへっ……。 い・や♪」
離れるどころか、セーレたんは俺の胸元に顔を埋めてきた! それはさすがに恥ずかしいんだけど……俺の背中に回った両手は、まったく緩む気配がない。
「すごいけど……ねえ、ジャス?」
俺の二の腕の袖を掴んで、エミーちゃんがくいくいと引っ張る。
妹様のすぐ横に来た彼女は、少しうつむいて俺と同じくらいの高さから憂うような上目遣いで俺を見た。 ちょっと、ドキッとする表情だ。
「ん? な、なに?」
「あれ……」
エミーちゃんはもう片手で、とある方向を指し示す。 俺がそれを確認すると、更にもう一方向。
俺の頬が引き攣り始めるのを見て、彼女は黒い瞳に憂いの色を濃くした。
「どうするの? あれ」
「え、えっと……」
家の白い壁の、一階と二階の間くらいの高さに残る、子供の黒い靴跡。
そして庭には、春の新しい緑を無残に耕した、二本の茶色い轍。
「い、今から直すよ――パパと一緒に」
「私も手伝うわ」
「わたしも手伝うの~!」
「……ありがとうな」
俺は、庭の角を曲がって行こうとしていた親父を触手で捕まえる。
休憩時間は清掃と園芸作業に費やされ、その後の稽古は大人しいものになりましたとさ。




