236 さすがなひとびと
週が明けて、火の日。
エアスプレーを振ったような薄い雲は、ヴェールとなって王都の青空を白く覆っている。
「ん? セーレ、今日は特に機嫌がいいじゃないか」
「んふふふふふ~♪」
本日の朝のメインディッシュは白身魚のムニエルだ。 表面のカリカリとバターの風味がとても美味しい。
夜勤から帰ってきたオヤジが、幸せオーラ全開な妹様を見て一言。 でも、セーレたんは頬を緩ませるばかりで答えない。 幸せ一人占めって感じだ。
食事の場でなければ、きっと腰をくねくねさせているんじゃないかな。
「昨日今日と、学校がない分いっぱいジャスさまに甘えられましたからねー」
代わりに、テーブルを挟んで親父の向かい側にいるチャロちゃんが答える。 今日は休みの日なので私服だ。
さっきから上目遣いで俺のことをチラ見しては、一層笑みを深めている妹様の謎が解けて、親父は合点がいったと首を縦に振った。
「なるほどな。 ……フッ、本来は親の役目なんだがなぁ」
「あらあら~。 ジャスちゃんに妬いているんですか~?」
苦笑いする親父に、お袋が微笑みながら軽い茶々を入れる。
「そう……だな。 うん、羨ましいぞ!」
「へ」
俺に向かって親父がうなずく。 あれ、流すんだろうと思ってたら乗ってきたぞ?
「うふふふふふ~。 ですけど、セーレちゃんはもう胸がいっぱいみたいですから、あなたはジャスちゃんに甘えてもらえばどうです?」
「ん、ではそうするか……何かないのか、ジャス?」
「はぇ?」
予想外なパスが飛んできて、俺は妙な声が出てしまった。
い、いきなりそげなこつ言われてんも……。
「え、えっと……それじゃあ、剣の稽古とか」
「おいおい、剣でしごかれるのがお前の甘えなのか? ……俺の新人の部下みたいな奴だな」
「……」
最後の呟きが、なんかグサリと来た! 「お前、意外と脳筋なのな」と、親父はふむふむとうなずいて納得顔をしていた。
いや、それは違うよ!? 一昨日のくりむちゃんの話を聞いて、この世界の子って思った以上に身体能力高そうだから!
「いや、ちが――」
「よし、いいだろう! 思いっきりぶつけてくるといい!」
「ぐあっ」
ニヤリと口元を吊り上げ、己の胸を叩く親父。 ……もしかして、分かっててやってないか?
ちくしょう、まさか親父にからかわれるとは……なんかむかつくー!
「いいよ、思いっきり叩きつけてやるから! セーレちゃんも一緒にやろう?」
「んにゃ? ……うんっ♪」
「おいおい、二人がかりはやめてくれよ?」
「さあ、どうしようかな~?」
「ふふふふふ~」
反撃に転じた俺と親父のやり取りを、お袋とメイドちゃんズが楽しそうに見ている。
さすがに帰ってきたばかりの親父をいじめ――もとい、付き合ってもらうのは可哀相なので、一眠りしてもらって午後からということになった。
俺もちょっと出かけようかなと思ってたし、その方が都合がいいしね。
アナさんがエミーちゃんを連れて出勤してきて、俺は家を出ることにする。
初めはセーレたんもエミーちゃんもついて行きたいと言っていたけど、俺の「おやつ、楽しみにしてるからね」の一言で一転した。
「がんばって作るの~♪」「ふふ、任せて!」
両手をぐっと握ってやる気を見せる二人にエールを送り、俺は一人でのんびり散歩がてら――。
「ふふふ~♪ ジャスちゃんと二人だけでお散歩って、初めてじゃないかしら~」
「そうだね」
――とはいかず。
さすがに一人だけでは何かあってはと、お袋がついて来てくれることになった。 少し距離があるので、リソ君も家でお留守番だ。 ニアちゃんも同じく。
お袋と手を繋いで、少し前まで頻繁に歩いていた道を歩く。 石畳に重なる桜の花びらが道行く人々の靴音を柔らかくしてくれる。 俺達は時折すれ違う近所の人にご挨拶しながら、のんびりと足を進めた。
薄青色の桜の花びらは、この二、三日でかなり散ってしまったようだ。 涼しい風に乗って流れる爽やかな香りは素晴らしいんだけど、掃除をしているメイドさんや奥さん達はちょっと面倒くさそうにしていた。
俺ん家の周りはほぼキレイに掃除されていたけど、今朝はマールちゃんが掃いてくれたのかな?
「今日は涼しくて、お散歩にはちょうどいいわね~」
適度に光を通す、白いヴェールを仰ぎ見てお袋が言う。 高空を漂う煙のような雲は、けっこう速そうな気流に乗って一方向へ流れていた。
初めてのお袋との二人きりの散歩は、その流れとは対照的にゆったりと。
そういや、あれって何雲っていうんだっけ……巻層雲? フィラスタ語では、なんて言うんだろうね。
「うん。 ……お掃除する人も、涼しくて助かったかもね」
「ふふふっ。 そうね~」
散ってしまった桜の代わりをしているような空を、俺も見上げる。 お袋の澄んだ瞳と視線が合い、互いに笑みを交わす。
優しく俺の右手を包むお袋の手が、より優しくなったような気がした。
――取り立てて会話がなくても、普段からよく話をしている俺達にはこの穏やかな沈黙さえも心地よく。
セーレたんとはまた違う手を通じたコミュニケーションを楽しんでいると、もう目的の場所は目の前だった。 楽しそうな子供達のかすかな声が、建物から少し離れた俺達にも聞こえてくる。
敷地内に桜をより多く植えている平屋の建物。 入口には『ローフォニカ幼児園』と書かれた看板が掛かっていた。
「おはようございます~♪」
「おはようございまーす!」
早くも懐かしさを感じる入口をくぐり、玄関の受付カウンターに向かって元気に声をかける。 壁際に置かれた子供用のベンチもそのままだ。
朝の通園ラッシュの時間を少し過ぎた玄関に人気はなく、奥の部屋からの賑やかな声がBGMとなっていた。
「はーい! ……あら♪」
程なくしてカウンターから現れた紫色の髪の女の人は、俺達を見ると驚きと共に嬉しそうな表情を見せてくれた。
「ご無沙汰しております~」
「オリオールさん、お久しぶりですねー!」
キレイな紫色の髪を背中に流すヴェオラさん。 春バージョンだね。
お袋とカウンター越しに、キツツキみたいに頭を下げ合う姿は非常に日本的だ。 金髪と紫髪で、見た目は全然違うけど。
「あはははは……来ちゃいました」
「ジャス君先生なら、いつでも大歓迎ですよ~」
通っていた時みたいに、新妻園長さんは小さく手を振ってくれる。
アポなしで来ちゃったので大丈夫かなーと思ったけど、歓迎してくれてよかったよ。 ヴェオラさんも元気そうだ。
「ということは、ニコは実は歓迎されてないんだ?」
「えっ? ……あははははっ! そ、そんなことないですよー?」
冗談を飛ばしてみると、園長さんは口元を手で隠しながら肩を震わせた。 園児達にも人気があるようだし、幼児園としても助かっているようだ。
さすがニコ、園児と対等な立場で遊べる男である。 ……言っておくが、ほめ言葉だよ?
「ならいいんですけどねー。 ところで、それ……使ってくれてるんですね」
「あっ♪ 気づいてくれました?」
俺の目線の先にあるもの。 ヴェオラさんが左耳の上につけている髪飾り――ビーククリップだ。
細長いピンセット型のそれには白い花がついていて、露出させているヴェオラさんの耳の上で小さなアクセントになっていた。
「よくお似合いですわね~♪」
「ありがとうございます! ほとんどの服に合うので重宝してるんですよ。
……これも、ジャス君先生のおかげです」
俺達に見えるように、少し頭を傾けてくれている園長さん。 俺が卒園式でプレゼントしたものをこうして普段から使ってくれてるんだと分かって、俺も嬉しくなった。
「ところで、今日は遊びに来てくださったんですか? それともご用事で?」
お袋の顔も見ながらだけど、半分以上は俺に対しての問いかけ。
お察しの通り、用事があるのは俺の方なので俺が答える。
「はい、ほとんどは遊びに……なんですけど、来月からのことで様子を見に」
「あはっ、やっぱり」
これまたお察し通りだったようで。
去年、俺とるーちゃんとこの白銀メイドさんとでやった飛び級講座。 今年は園長さんからのオファーと、出版予定の参考書とほぼ同じ内容を使ってみてもらおうということで、来月からまた講座が始まるのだ。
とはいっても、俺はいろいろあって忙しいので、授業は専らツェリ先生や園長さんにお願いすることになるんだけど。
「まあ、ここでお話しするのもなんですので、どうぞ」
ヴェオラさんに勧められ、俺とお袋はカウンター脇から中に入っていった。
「――実を言うと、『教室』はもう満杯なんですよね」
「え?」「あら、それは~」
接客用のソファーに案内されて、テーブルにお茶まで用意してくれたヴェオラさんから、初っぱなから衝撃的なお言葉が。 小さく口を開けたまま、俺とお袋は顔を見合わせた。
いやだって、開講が決まったのってついこの間のことだよ? 半月経ったかどうか、といったところだ。
「教室自体は、もっと前から決まっていましたからね。 そこにジャス君先生の参加が決まったって言ったら、もうあっという間に埋まっちゃいました♪」
「おおう……」
そこまで期待されてしまうと、嬉しいのを通り越してプレッシャーだよなぁ。 ましてや、今回俺は直接関わらないわけだし。
飛び級ではなくて、一年生としての入学後のための教室だってことになってるハズなんだけど……お母さん方は「あわよくば」って感じなんだろうな。
「あはははは……お陰さまで、私も彼も、授業のサポートをするための勉強でいっぱいいっぱいです」
新婚なのに夫婦で夜な夜な勉強会ですよーと、冗談交じりに苦笑いを浮かべる園長さん。 お袋は「あらあら~」と笑ってるけど、俺はどうリアクションをすればいいのよ……。
お袋と一緒にソファーに座ってるから、イスごとひっくり返ることもできませんよ?
若い奥さん達の話題が子供にはちと入りづらいものに移り変わり、俺はそそくさと応接スペースを後にした。 俺の背中にくすくす笑いを投げかけてくれるお二人だけどさ……俺がまだ六歳だって分かってる?
なまじ内容が理解できてしまうだけに、前世で学生だった俺には夫婦の話題は赤裸々すぎます。
「はあ……さて」
赤くなって裸足で逃げ出したセキララな俺は、とある教室の戸の前でクールダウンしていた。
引き戸の向こう側は賑やかで、中でもたまーに聞こえる黄色い歓声がよく目立つ。 ……子供のではなく、たぶんお母さん方の。
その理由についてはもう分かっているので、俺はそれについては特に気にせず引き戸を開けた。
「あら?」「まあ!」「だれー?」「ニコくん……じゃない?」
「誰だったかしら?」「ほら、あの飛び級の」「ああ!」
開けた途端、教室が静かになってみんなの視線が俺に集まる。 そして、子供達やお姉様方のいろんな声が聞こえてくる。
俺はそれほど顔を出してたわけじゃないし、何より一緒だったセーレたんの方がよく目立つもんねぇ。 それに俺と同じ歳といえば、みんなはニコの方が断然よく知っているだろうから尚更だろう。
――と、思っていたのだけど。
「あああーーーーーーーっ!?」
「みゅーーーーーーーっ♪」
特別音程の高い女の子達の声をきっかけに、教室は再び騒がしくなってしまった。
「きゃあーーーっ! ジャス君だああああーーーっ♪ どうして!? なんで来てくれたのーっ!?」
「みゅーーーーっ♪ みゅーーーーん♪」
その一人は、年中クラスの子供達よりは断然年上、だけどお母さん方よりはずっと年下。 なにより、ワインレッドのメイド服がよく目立つ女の子。
それからもう一人は、同じ歳の園児達の中でも特に小柄な幼女。 だけどそれ以上に、きゅーっと抱きしめたくなるような可愛さをふりふりドレスが更に引き立てている。
教室の中でも際だって華やかな二人が揃って俺に向かって走ってきて、そのままの勢いで俺の首と胴に抱きついてきた!
「わぷっ!?」
昨日家で会ったばかりのエルネちゃんは俺の頭を抱え込んで、日光を反射するほどのツヤツヤなほっぺを俺のおデコに擦りつけてくる。 さ、さすが、触手マッサージをした翌日なだけのことはあるぜ……。 果物系の甘い香りと大胆なスキンシップにドキドキしてきた。
一方、淡い黄色のドレスが菜の花畑のような美幼女は、俺のアバラの辺りに愛くるしいお顔と長くて白い耳を擦りつけて、みゅーみゅーと鳴いている。 そのキュートさに、俺も思わず叫びたくなってしまうほどだ! その仕草と高い体温に、俺の胸がきゅんきゅんする。
抱きしめられて、息もまともにできないし……心臓もどうにかなりそうだ……。
「あ、あも、ほろほろ、離え……」
エルネちゃんと一緒に、魔性の魅力で俺の心臓をイノセントに殺しにかかる、ピンクの髪の天使ちゃん。
彼女はもちろん、るー君の妹であるリリちゃんである。
「あんっ、くすぐった……わあっ、ごめん!?」
「みゅーっ?」
酸欠で意識が遠のき、俺の身体がガクガクと震え始めたところで、ようやく気づいてくれたエルネちゃんが離れてくれた。 リリちゃんはしがみついたままだけど……すりすりはやめてくれたので、心臓はかなり落ち着いてきた。
そしてリリちゃんは、るー君以上にまあるく澄んだ『朱の聖眼』で見上げてくる。 いい感じで心臓がきゅんきゅんして、身体の隅々にまで酸素が回ってきた。 救われた気分になるよ。 ……心臓マッサージ的な意味で。
頭をなでてあげると、小さなうさちゃんは目を細めて「みゅーん」と鳴いた。 かわええなぁ~。
「お会いした回数は少ないにも関わらず、ニコラス様よりもずっとリリ様のお心を掴まれているジャスパー様。
――流石です」
気配を殺していたのか、まったく存在に気がつかなかったツェリさんが、突然俺の背後から謎の賛辞を送ってきた。
あなたの方こそ、そんなに目立つメイド服を着ているのに全然気づかせないなんて……さすがです。




