204 出会い頭の事故かしら?
ふと窓の外を見ると、桜の木のつぼみがひとつ開いて薄青色の花を咲かせているのを見つけた。
とうとう、春が来たようだ。
「おっ」
思わず俺が声を上げたのを聞いて、寝ていたベッドの乱れを直していたセーレたんが反応する。
「んゃ? どうしたのお兄ちゃん」
そして、わざわざ俺のところまで来てくれたハニー。 後ろから俺の左肩の上にあごを置く。
彼女の花のような甘い香りがふわっと鼻腔をくすぐり、俺は背中に温もりを感じながら窓の外のそれを指差した。
「ほら、見てみな? ……咲いてるだろう」
「えっ、どこどこ……あっ!」
見つけたセーレたんの表情にも花が咲く。 この世界でいちばん好きな花はあの桜だけど、どちらがいいと聞かれれば迷わずこっちの妹だと答えるね。
「な? もうすっかり春になったっていうことだな」
「うんっ……ふふっ♪」
後ろから俺の腰に両手を回し、頬と頬を合わせる妹様。 その手は俺のウェストポーチ――ニアちゃんの寝床に触れている。 その手の上に俺も手を重ねると、彼女は身体全体をより密着させた。
二階の窓から入ってくる風は涼しくて美味しい。 もうしばらくすれば、その風に桜の爽やかな香りが混じることだろう。
そして、その頃には新しい生活が俺達を待っている。
「学校、もうすぐだな」
「うんっ!」
左頬に熱い湿り気を感じながら、俺は可愛い妹と春の朝の風景を楽しんだ。
――しかし、どうも俺の人生ってヤツは平穏とは程遠いらしい。
頬に触れた熱の回数を忘れた頃、後ろのドアがノックされて聞き慣れた声が聞こえてきた。
『ジャス様?』
「はーい!」
振り返ると、空色のポニーテールを揺らすメイドさんがドアの隙間から優しい笑顔を覗かせていた。
……だけどその笑みは、かすかにだけど曇りが見られる。
「下に、るーちゃんとツェリさんがいらっしゃってますよ?」
「るーちゃんが?」
「る~ちゃん来たの~?」
セーレたんが嬉しそうな声で応える。 お姫様どうし、本当に仲がいいもんなぁ。
だけど二人は先週も遊びに来たから、そんなに珍しいことじゃない。 なのに、マールちゃんの様子がおかしい理由は――すぐに明かされた。
「それと……ジャス様に、お客様です」
「お客?」
その人自体は俺もマールちゃんも、そしてお袋も知らない人らしい。
しかし聞いてみれば白銀さんの紹介だというので、俺はこの部屋に通してもらうことにした。
「――失礼致します」
「こんにちは~」
一旦マールちゃんがドアを閉めて階段を下り、少し経つと再びノックされた。
俺が返事をすると、ドアの向こうからよく見知った主従コンビが姿を現した。 ……今日のるー君は、普通に男の子しているようだ。
「る~ちゃん、こんにちはなの!」
「お~!」
部屋の真ん中で妹様とるー君が、パントマイムのように両手をぺたぺたと合わせて挨拶している。 けっこう早いのに、よくタイミングが合うよな……。
ツェリ先せ――じゃない、ツェリ元・先生は、相変わらずの見事な直立姿勢で入口の靴を脱ぐ場所に立つと、ドアの向こうにいるのだろう来客という人の紹介を始めた。
「突然で申し訳御座いません。
実は、ジャスパー様に是非お会い頂きたい女性がいますので、本日連れて参りました。
――ちなみにですが、既婚ですのでご注意を」
「は、はあ」
思わず気の抜けた返事をしてしまう俺。
いやまあ、信頼している白銀さんが会えと言うなら会いますけど……突然なのは、きっと俺をビックリさせたかったからなんだろうね。
ていうか、人妻さんだからってナニに気をつけろとおっしゃるのか。
俺の反応になぜか目を瞑ったメイドさんは、そのまま軽く頭を下げるとドアの向こうに「お入り下さい」と声をかけた。
すると。
『は、はいいいいっ!?』
ミョーに焦りまくった声が返ってきた……。
声が裏返ってますよ?
『しししし、しっちゅれーしまっしゅ!』
「……」
姿を見る前から既に不安な気持ちでいっぱいになるが、取り敢えず頬が引き攣るのを我慢して笑みを浮かべる。 パントマイムしてたお姫様ズも、きょとーんとしている。
そんな、なんともビミョーな空気の中。
半開きだったドアから入ってきたのは、ツェリさんより頭一つくらい低い、飴色のショートカットの美人さんだった。
「はっ、ははははは……はじめました!」
慌てまくりなわりに、見た目は大人っぽい女の人。 タイトスカートのビジネススーツ風の服を着たその人妻さんは、一瞬笑ってるのかと思うようなどもりっぷりで謎の挨拶をしながら……。
「ちょっ!? 靴、靴ーっ!」
「へっ? はわわっ……ふびゃっ!!」
靴を履いたまま部屋に入ろうとしたので注意したら――両手をバンザイして、顔面からコケた。
下は絨毯なのにもかかわらず、なかなかハデで痛そうな音がしたよ?
「……」
「……」
言葉が出ない俺と、眉ひとつ動かさずに倒れた女性を見ているツェリ先生。
「んに?」
「痛そうだねっ」
俺よりも近くで目の当たりにしたセーレたんは可愛らしく小首をかしげ、そしてるー君はなぜか微笑みながら、妹様と同じ方向に首を傾けた。
「えぐ……痛ひ……」
漢字の「出」みたいな形に手足を曲げて倒れていたお姉さん。 声をかけるのも忘れて眺めていると、片手で顔を押さえながら比較的すぐに起き上がった。
……見かけによらず、丈夫らしい。
「ず、ずびばぜーん……ぐすん」
それからお姉さんは額をさすりながら靴を脱いで、赤い顔をして部屋に上がる。 紫色の瞳は、ちょっとだけ潤んでいた。
「ええっと、あのあの!
わ、わたしっ! ケンスルック社の方から来ました、す、ステイリア、ぶ、ぶりぶりぶり……」
見た目だけなら落ち着いた感じの残念系美人さんは、絨毯の中に肌色のストッキングに包まれた細い足を数歩踏み入れると頭を下げながら、非常にツッコミどころがいっぱいありそうな自己紹介を――。
「ぶぶぶっ、ブリートといいますっ! よ、よろよろです!」
「……んにゃ?」
俺ではなく、セーレたんに向かってし始めた。
「ステイリア様。 ――その方は、妹のセレスティア様です」
「へっ? はわわわっ! ごごごめんなさああーーーーいっ!!」
「る?」
「その方はるー様です」
「はわわわわわっ!?」
「……」
ツェリさんのツッコミを受けて、お姫様ズに向かって頭を下げまくるお姉さん。
こ、これはまた、キャラの濃い人が来たな……。
「申し訳御座いませんジャスパー様。
ステイリア様は視力が良くないのです。 更に、眼鏡をかけると目が回るそうで」
「は、はあ」
視力だけの問題でもないような――いや、何でもない。
このままではラチが明かないと思い、俺の方から彼女の方へ行くことにする。
「お姉さんお姉さん」
「ひゃい?」
キツツキみたいな速さで上半身を動かしているので、俺はやむなくお姉さんの腰のあたりを軽く叩いて話しかけた。
そうすると、ぶりぶりなステイリアさんはようやく俺の存在に気がついたようだ。
「ええっと……?」
「ぼくがジャスパーです」
「え」
「ジャスパーです」
「えっ?」
「ジャスパーです……」
「……ああっ!」
「ぅわ!?」
俺が名乗ると、お姉さんは真剣なお顔をぐぐーっと目と鼻の先まで近づけてきた! ……こ、こうして見ると、本当に見た目は美人だな。
比較的大きな瞳はちょっと目つきが鋭いが、それはそれで仕事ができるお姉さんって感じで、薄い化粧に赤いルージュがバラの花のように鮮やかに映る。 彼女の顔が完熟トマトみたいに真っ赤でなければ。
香水らしい花の香りが漂ってきて、俺の顔も赤くなりそうだ。
「あ、あああああああ」
そして、俺の鼻に食いつきそうな勢いで口をパクパクし始めると。
「ご、ごごごご……」
「ご?」
「ごごご、ごめんなさああああああーーーーぶきゃっ!?」
「ぐべぺっ!?」
モーレツな速さで、俺の鼻に向かってヘッドバッドを繰り出してきた!?
「いだあっ!?」
「んごぉぉぉぉぉおおおお~~~~~~っ!?」
「お、お兄ちゃあん!?」
「ジャスっ!?」
視界が一瞬真っ赤になり、後ろに倒れる俺。 鼻を押さえながら、俺は黒くなった視界の中で両脚を宙に浮かせて痙攣した。
セーレたんとるー君の心配そうな声が聞こえるが、今はちょっと返事をする余裕がない!
「んぐぅ~~~~~~~っ!!」
「おにいちゃあああああ~~~~~~~んっ!」
「ジャスぅぅぅぅ~~~~~~~~っ!!」
「――大丈夫ですか、ジャスパー様?」
どうやらツェリさんも来てくれたようで、いくつもの手が俺の身体をいたわってなでてくれるのを感じる。
俺は涙がにじむ目を閉じたまま、じんじんと痛む鼻を押さえてなんとか痛むが収まるのを待ち続けた。
うあっ……鼻血、出てきたかも。
「はひぃ……痛かったぁ」
「ぐぅ……っ!」
もう痛みが引いたらしい声のする、石頭のお姉さんをちょっと恨みながら、俺はひたすらに耐え続けたのだった。




