154 この先はバキューンバキューン
六月も後半になり、気温が少しずつ高くなっていく。 朝晩はそれが顕著で、日の出ていない時間でも温かく感じることが増えてきた。
今日は特に湿度が高かったから、窓を開ければ人口の明かりが星のように見える夜の闇の向こうから、少し湿り気を帯びた生温いような空気が流れ込んでくるのだろう。 しかし今は、開けない方がいいだろう。
「さあ、四つんばいになって」
「……はい」
妹様とエミーちゃんがお風呂に入り、セラさんが師匠とリビングでくつろいでお酒を飲んでいるその間。
俺はチャロちゃんと、俺が寝ている部屋で二人きりだ。
「もう少し、脚を開いて」
「は、はい……」
今日の夕飯はセラさんが作り、チャロちゃんは早めにお風呂に入った。
メイド服からパジャマ姿になった彼女は、床の上に敷いたスライム製の少し固めのマットの上で、俺の言いなりになっている。
俺はその様子を、ベッドの上から見下ろしている構図だ。
「そう。 腕を突っぱって、自分のおへそを見るような感じで……」
「うう……んっ……」
まだ少し湿っている、オレンジがかったピンク色の髪の間から出ている白い耳がぴくぴくと震えている。
そして、パジャマのおしりの少し上。 円錐状になっている生地の先端から伸びる同じく白いしっぽは下を向き、軽く開いた膝の間からふくらはぎの方へと流れていた。
「じゃあ次は、軽くおしりを突き出すようにして」
「んはっ……!」
大きく息を吐いたチャロちゃん。 垂れ下がっていたしっぽは曲線を描き、その先端を天井に向けて持ち上げた。
「はい、あごを上げて首を伸ばすー」
「んんんんん……っ!!」
彼女は自然と目を瞑り、長い睫毛を震わせて頬をかすかに赤らめた。 同調するようにしっぽの先も震え始め、耳は真横へ伸ばすようにして倒れていく。
「そのまま、もうちょっと頑張ってね」
「はぁ……い……ぃ!」
これこそ――。
ヨガの『ねこのポーズ』である。
「――はい、もういいよ?」
「っぷはああああぁぁぁ~~~~~~っ♪」
「ほらほら、まだ腕は曲げちゃダメだって!」
「ひゃ、ひゃいっ! ……んん~っ」
四つんばいで意識して深く呼吸をするチャロちゃん。
今日の仕事が終わった彼女は、リラクゼーションとシェイプアップを兼ねた異世界エクササイズの真っ最中なのである。
「ふにゃああぁぁっ、はあああぁぁぁぁ~……」
「どう、チャロちゃん?」
「な、なんだか……すっごく……きっ、効きそうですぅぅぅぅぅ」
腕を前に伸ばしておしりを突き出したまま、まるで失敗した土下座のようになっている。 これも当然、流れの一つだ。
別に力尽きたわけじゃ……あるかも? もう十回くらいやったから、それも仕方ないか。
それにしても、幼児体型が気になるとこぼしてたから教えてみたんだけど、チャロちゃんにねこのポーズとはこれいかに……。
「さてチャロちゃん、仕上げをするよー」
しばらく休んでからなんとか身体を起こして、女の子座りに戻ったチャロちゃんに声をかける。 それからもう一本触手を伸ばして、腹巻きのように彼女の腰に巻き付けた。
ツボ押しマッサージ、スタート。
「ひゃっ!? ……ちょ、ちょっと待ってくださぁ、ああっ!!
今はまだ……ふあっ!? いやっ、だめっ! あっ……。
ひにゃああああぁぁぁあああぁああ~~~~~~ぁんっ♪♪」
――次の日。
精霊の日の今日、俺とセーレたんはまた朝からセラさんに連れられて石畳の道を歩いていた。 戦闘魔術の練習場へ行くためだ。
エミーちゃんはいつも通り家で師匠と稽古。 そしてチャロちゃんは半日休みで、孤児院で特に親しかった子を誘って遊びに行くらしい。 とっても晴れやかな顔で、しっぽ飾りの鈴を鳴らしながら出かけていった。
「ぴっかあ~っ、びゅ~ん♪ ぴっか、びゅんびゅ~ん」
昼になるにつれ暑くなっていきそうな太陽の下、妹様は何となく前にも聞いたようなメロディで、ちょっと危険な香りのする歌を口ずさんでいる。 俺と繋いでいる手を勢いよく前後に振り、とっても嬉しそうだ。
ちなみに恐らくだが……この前買ってもらった魔導具の属性である、光と風をモチーフに歌ってるんだと思う。
だから許して?
「ふふふふふ、セーレちゃんは本当に嬉しそうね」
肩に掛けたカバンのヒモを直しながら、ちらりと振り返ったセラさんも喜色満面だ。 ……もちろん、俺も楽しみですよ?
魔法を使った戦闘といえば、ファンタジー世界の花形でしょうが!
でもなぁ~。 最近、触手能力の発展があんまりないんだよな……。
「ぼくも楽しみだよー?
やっとあの魔導具が使えるんだもん。 ねー?」
「ね~っ♪」
増やせなくはないけど、操作性を考えると同時に出せるのは四本まで。 手の指のように展開するのも二本が限界で、しかもその間は他の触手の操作がおろそかになる。
これは、手足と同じなんだろうな。 人間族である俺にチャロちゃんみたいなしっぽや耳を動かす感覚が分からないのと同じように、触手も手足の感覚を超えた本数を動かすのは脳がうまく働かないんだろう。 ……トレーニングでどうにかなるかな?
射程距離やパワーは伸びてるけど……能力的に目立った変化というと、オドの高密度化が楽にできるようになったくらいか。 そのおかげで、強化プラスチックみたいなものをかなり高速で作ることができる。
オド球の実験と活性化のおかげかな、これは。
「セーレちゃん。 風と光、どっちから使いたい?」
「うゃ? ……う~ん」
活性化というと、新しく分かったことがある。
やっぱり、活性化と触手は相性が良くないのだ。 動かすと内部の流れが瞬間的に狂ってしまう。 伸縮させると特に激しい。
でもこれには抜け道があって、活性化を発動させる前にプラスチック化させた分については大丈夫なんだけど。
「う~ん、う~んと……ん~っ!」
あとは強化系能力でよくある「部分強化」……これもダメだった。
できなくはないけど、循環させた部分とさせていない部分の境目がすっごく痛い。 まるで、高速回転する鉄製の二つのローラーで挟まれるような、そこからちぎれちゃいそうな痛みだ。
一瞬だけ発動させてすぐやめたからよかったけど、もしまともに戦闘なんかで使ったら、筋組織とかがズタズタになりそうな気がする。
全身を活性化する魔力が残っていなくて、かつ手足の一本でも犠牲にしなきゃ死ぬような状況でもなければ、とても使いたいとは思えないわ。
「ふふふ♪ そんなに悩まなくても、すぐに交換すればいいんだから思いつきでいいのよ?」
「そうそう」
悩んでいるセーレたんも可愛いんだけど、あまりに真剣だったのでセラさんが助け船を出してくれた。
「はふぅ~。 ……それじゃあ、風がいいの」
「よしきた。 んじゃ、お兄ちゃんは光から使うなー」
「うんっ! えへへ~」
ちょっぴり顔が赤くなるほど悩んだ妹様。 納得のいく答えが出て、なでてあげたら蕩けるような笑顔を見せてくれた。
さあ、いろいろ考えたり喋ったりしているうちに見えてきた。
先日も見たばかりの、コンクリートの四角い建物……初学校だ。
「戦闘魔術の練習をしたいんだけど……」
「はい、魔導具はお持ち……あっ」
休日で閉まっている昇降口の横の玄関から入って、セラさんが受付で手続きをする。 見ると、受験の時にも受付にいたお姉さんだった。
セーレたんと笑顔で手を振り、認定証を見せてから今回も入館証を受け取る。 どうやら有料みたいで、セラさんがいくらか支払っていた。
「では、直接地下へどうぞ」
「はーい!」「は~いっ♪」
次の人が並んでいたので、すぐに校内に入った。
地下へ続くコンクリートの広い階段を歩いていると靴音が反響し、これぞ地下だなーと思えてきてワクワクする。 これで薄暗かったら完璧なんだけど、さすがに照明がちゃんとついている。
声を響かせてみたくなるけどガマンガマン。 セーレたんだって、これからやっと練習できるんだという期待をグッと堪えているのが繋いでいる手から伝わってくるんだから。
足取りは軽く、もしスカートを穿いていたらひらひらさせていることだろう……今日は当然、パンツなんだけど。 うっかり歩幅を大きくして、階段を踏み外してしまいそうだ。
そんなことを考えているうちに、地下体育館が見えてきた。
「確か、奥の部屋って言ってたわね」
「うん」
高い高い天井からは強い照明の光が降り注ぎ、上の壁沿いには通路がある。 床はタイル張りだけど、本当に前世の体育館のようだ。
やや狭いように見えるものの、それは壁で区切られているからだ。 換気のためか、あるいは上から全体を見るためか……天井に比べると壁は低いので、全体の広さがけっこうなものであることが窺える。
入ってすぐの場所には誰もいないが、奥の部屋では他の人が魔術の練習をしているようだ。 元気な子供の声や指導しているらしい大人の声、そして何かをぶつけたような衝撃音もときどき聞こえてきた。 俺達の期待が更に高まる。
駆け込みたいのを抑え、俺達はセラさんに続いて『射撃訓練室』と書かれているその入口へ向かった。
「お早うございます」
「お早うございます、この子達の攻撃魔術の試し撃ちに来たんだけど」
「はい、では資格認定証を拝見します。 あと、魔導具の方は――」
入ってすぐの所に立っていたジャージ姿の男性とセラさんが話をしている間、俺と妹様は室内を見回した。
入口からすぐの左右は一直線の通路になっていて、壁沿いにはベンチが置いてある。 座っている人もちらほらと。
それからベンチの反対側には二、三メートルくらいの間隔で区切られているスペースが十ほど。 中には小さなテーブルがあり、更に十メートルくらい奥には何重もの丸が描かれた的が設置されていた。
俺達から見えるすぐ側のブースでは、懐中電灯型の魔導具を両手で構えて光弾を発射している、少し年上らしい女の子もいる。
まさに、前世の映画によく出てくる屋内射撃場……そんな感じである。
前世の記憶では、射撃ブースから奥に壁はなくて開けていたと思うんだけど、ここは的の手前数メートルくらいまで壁がある。 それが少し圧迫感を生み出していて、そこだけが違うかな。
セーレたんも感激しているようだが、俺はきっと違う意味合いで感激していた。 まるで自分が、映画の世界に入り込んだかのような……。
「おお~っ! すごいの~♪」
「ふへー」
少しの間は適当に見回していたが、俺達の視線はすぐに練習中の女の子の後ろ姿に注がれる。 構え方も拳銃みたいだ。
その子が音のない光弾を数発撃ち、奥の的の中心からややずれた所に当たって赤い色がつくのを見ていると、話が終わったらしいセラさんから声がかかった。
「はいお待たせー。 それじゃあ、始めましょう」
「は~いっ! 早くやりたいの~♪」
「はーい!」
俺達は二つ並んで空いているブースへ、それぞれ走っていった。
「こら! 走っちゃダメだって」
「……ごめんなさーい」
長さの都合で、また次回に続きます。