103 ご想像にお任せします
無数の星々が散りばめられ、観測や鑑賞をするにはまさに満点と呼ぶにふさわしい夜空に、小さな青い月と大きな赤い月が離れたところでそれぞれ輝いている。
月とはいっても、地球のそれと比べるとかなり小さいんだが。
開けた窓の下からは虫の合唱が聞こえてくる。 まだまだ合唱団の規模と音量は小さいけど、これからどんどん大きくなっていくんだろう。
俺はハンモックの上から触手を伸ばして、部屋の主であるお袋の弟――クレイグさんの本棚から適当に本を漁る。 お袋の四歳下だって聞いてるから十四、五歳か。
ちなみに、このハンモックは俺の触手製だ。 夏の夜、妹様も一緒に揺られながらの読書はなかなか乙なものである。
そういえば、こっちの世界は蚊が少ないね。 気候のおかげか蚊自体が少ないのかは知らないけど、非常に助かるよ。
俺、前世じゃけっこう刺される体質だったからなぁ……。
「えっと、つぎの本は……」
剣術書や冒険小説が多い中、俺はそれらを避けて、教科書をまとめてあるらしいエリアから高校の数学の本を見つけた。 普通の勉強も大事だからな。
間違っても、美少女剣士が違う意味で「冒険」をしている小説などを読む必要はない! ……面白そうだなと思って読んでたら、途中で噴いたわ。
「ふむ……うん。 はいセーレたん、ここを覚えてね」
「んに? は~い」
ちゃんと中身が健全であることを確認して、うつ伏せで半透明のハンモック越しに眼下を眺めていたセーレたんに手渡す。
九九の表が載ってたから、覚えるのにちょうどいいだろう。 十三の段まであるけど、頑張ってね?
「んと、いちかけるいちは……」
俺の横で音読を始めたセーレたんを軽くなでて、俺は俺で別の勉強をしようと思う。
「えー、魔法の本は……っと」
目を細めて、少し離れたところにある本棚にある本の背表紙を見てみるけど……どうやら教科書だけっぽいな。
セラさんは幼児相手ということもあって詳しい知識は教えてくれないので、ちょうどいいやと思い初等学校の教科書を手に取った。
パラパラと見てみると、魔導具の種類や取り扱い方、魔術に関係する法律と資格制度などが書かれているようだ。 自動車学校の教本みたいだな……。
「へー。 魔導具をかうのにも資格がいるんだ……。
セーレたーん、一のだんは読めたかな?」
「はぁい、よめたの~」
「んじゃ、一かける四はー?」
「えと……よん~」
俺は内容を目で追いながら、同時に妹様の勉強を見てあげた。
――翌日。 昼過ぎに仕事から帰ってきた師匠と、剣の修行に励む。
「ほい、ほい、ほいやー!」
「ぬわわわわっ」
強化魔法――正確には〈硬化魔術〉と呼ぶらしいが、術のかかった手刀の猛攻を受け流す俺。
殺気にも似た気迫がビンビン伝わってくるので、本当に必死だ。
「そうだそうだ! 何やってもいいが、まともに受けるなよー」
ポイントは、立ち位置を含めた体勢の確保と相手の太刀筋を読むこと。 素人の俺に「気配」を読むなんて芸当はできんが、魔力を感知すればそれも補える。
師匠の剣術は、魔術で強化された人間の攻撃や魔獣の怪力を想定したものらしく、いわく『んなもん、正面から受けたら武器ごと身体が真っ二つだぞ?』……とのこと。 よって、避けるか受け流すのが原則。
「うぎっ……てやぁ!」
左手に持った木刀を下向きにして剣先の方に右手を添え、真上からの振り下ろしを受け流すと同時に俺も左の手首を返して振り下ろしで反撃。 師匠はサイドステップで回避するが、そんなことは予想済み。
俺はすぐに木刀を止めて手元に引き寄せ、身体の向きを変えながら突きの体勢に――うわっ!?
「ほいさー」
「のわぁ!?」
当たったらダルマ落としみたいに頭が飛ぶんじゃないか、と思うくらいの横薙ぎが飛んできて、俺はとっさに飛び込み前転!
そしてすぐに立ち上がって振り返ろう……と思ったが、背後で土をける音と同時に悪寒が走って、もう一度飛び込み前転に切り換えた。 一瞬だけ上下が逆転した視界の中で、手刀を振り下ろしていた師匠と視線が交差する。 追撃するとか、容赦なさ過ぎだろっ!? 反撃してぇ……。
回ったときに小石が背中に当たって痛いのを我慢しつつ、更なる追撃がなさそうなのを確認して立ち上がり後ろを振り返った。 もちろん、木刀を正面に構えて。
見てみると、師匠は手刀を振り下ろした体勢のまま俺を見ながらニヤニヤしていた。
「ほっほー。 ジャス坊、やるじゃねぇか!」
「はぁ、はぁ……」
焦りすぎて呼吸を忘れていたことに気づいて、俺は酸素を欲しがる身体に急いで応える。
ま、マジで死ぬかと思ったぞ!
「はっはっはー。 ちと大人げなかったなぁ」
「はぁ、はぁ……し、ししょ~……」
ちょっとじゃないから! 怖すぎだよ……。
師匠が殺気を収めて頭をボリボリとかきはじめたのを見て、俺もようやく構えを解いて力を抜いた。 木刀を杖代わりにしてがっくりと片膝をつく。
「にしてもお前……さっき、あの体勢から何か狙ってたろ?」
「うっ」
あー、目つきでバレちゃった?
確かに触手なら前転しながらでも反撃できるし、チクショーって思ったから一瞬考えちまったぜ。 ……でも、やらない。
今の俺が使ったってズルにしかならないしなー。 基礎力が向上しないと意味がないんですよ。
「それ、やってみる気ねぇか?」
凄みのある笑顔。 それ、子供に向ける目じゃないですよ?
そして俺も、我ながら四歳っぽくないよなーと自覚のある笑顔で答える。
「……ねぇです」
「ちぇっ、やってみてぇのによー」
「やりません」
「ぉーーにーーーいーーーーーっ!!」
「ジャス様ぁぁぁああーーーーっ!!」
期せずしてバトルマンガのような漢の会話を繰り広げていたら、庭の隅の方から妹様とメイド様が走ってきた。
かなり慌てた表情に自分の身体を見てみる。 あーあ、土と草だらけ。
「おーーにーーいーー」
「ジャス様ぁああああ」
「まってまって、くっついたら汚れぐはあ!?」
両手での制止にも関わらず、ためらいなくマックススピードで妹様に抱きつかれる。
あまりの勢いに何十センチか後ろへ靴を滑らせた。 ぐふっ、呼吸が止まったぜ。
そして、後退したせいでハグを避けられた形になっちゃったマールちゃん。 身を屈めた状態で両腕を交差させて硬直している。
……ごめん。 その体勢、ちょっと面白い。
「おにぃ! いたくない? いたくない?」
「お、おう……だいじょうぶ」
「おにぃ~。 ふぇぇぇぇぇ~」
服が汚れることを気にする様子もなく、キスされるのかと思うくらいの勢いで迫ってくるセーレたん。 しかも、その瞳にはだんだん涙がにじんできて。
震える身体から切ないほどの気持ちがセーレたんから伝わってきて、俺は抱き返す腕に力を込める。 そして背中をさすりながら後ろから頭をなでる。
「えっ、あーよしよし。 だいじょぶだよー、心配ないからねー」
「うぅぅぅぅぅぅ~」
俺の方に顔を埋めるセーレたんだが、なんとか泣く一歩手前で回避できた模様。 だいじょうぶだよーと耳元でささやきながら、背中と頭をなで続けた。
その様子にマールちゃんも安心してくれたようで、苦笑を浮かべておもむろに両腕を下ろしながら立ち上がる。
しかし師匠の方を振り返ると突然両腕を勢いよく開いて、俺をかばうように立ち鋭い声を上げた。
「――ヴィンス様っ! 何を考えておいでなんですか!!」
「んぉ!?」
俺からは表情は見えないが、その声と毅然とした後ろ姿からマールちゃんが本当に怒っているのが分かる。
激しい剣幕に師匠は目を丸くし、妹様も身体をビクリと震わせた。 俺も妹様をなでる手が止まってしまう。
「いくら練習だからといって……ジャス様は、まだ四歳なんですよ!?」
「い、いや……そうだな。 すまん」
俺を心配してくれる気持ちがビンビン伝わってくる。 師匠も頬をかきながら気まずそうな表情を浮かべる。
まあ俺としてはむしろ望むところで、マールちゃんはちょっと心配しすぎかもとは思ったけど……。 確かに普通に考えれば、四歳児としては過激な修行だもんな。
だけど敢えて厳しくしてくれる師匠には感謝してるし、当然マールちゃんの気持ちも嬉しい。
だからそろそろマールちゃんを止めるために行こうとしたが、彼女が広げていた腕をゆっくりと下ろしたので踏み留まる。 セーレたんもくっついてるしな。
が、落ち着き始めるかと思った雰囲気が彼女の次の呟きによって妙な方向へ変化する。
「それに『やる』って、何をなさるおつもりなんですか……。
しかも、おと――かた――しで」
「ん?」
少し離れてるからハッキリと聞こえないんだけど、師匠は何やらあっけにとられたような顔をしている。
マールちゃんの肩を叩こうとしていたのか、真横まで来たセラさんの手も止まった。
「じゃ、ジャス様を、変な――誘い……――でくださいっ」
……ん? 声が小さくてマールちゃんが何を言ったのか全然聞こえなかったんだけど、師匠とセラさんが固まったぞ?
さすが夫婦というべきか、まるでカメラのレンズがズームするように頭をゆっくりとわずかにマールちゃんへ近づけ、それから夫婦で顔を見合わせた。
そしてこれまた同時に両肩を震わせると、いきなりお腹を抱えて大笑いし始めた。
「ぶふっ! わーはっはっはっはっは!! お、お前……おま……ぶはっ」
「ふはっ!? くっ……ふっふっふっふっふ! ちょ、さ……さすがに、それ、は……っ!」
「へぁ? ――――っ!?
くぅ……っ!!」
本当に地面を転がり始めた師匠と、しゃがみ込んでぷるぷる震えているセラさん。
マールちゃんも、なんか妙な声を上げるとセラさんの横でしゃがみ込んで頭を抱えてしまった。
「ふはっ! や、やべぇ、息が…………息が……っく!」
「ふっふ……ま、マールちゃん……き、きき、気にしな……くふっ」
師匠はとうとう身体を丸くして痙攣しだし、セラさんは頭を伏せて震えながらもマールちゃんの頭や肩をバシバシと叩いている。 どうやら、手が震えているせいで手の置く場所が定まらないらしい。
「いったい、どうしたんだろうね……」
「……わかんなぁい」
サッパリ訳が分からず、俺とセーレたんは抱き合ったまま三人の面妖なさまを口を開いて眺めていた。