102 女の子は成長が早いのですよ
九五話から繋がっています。
■その三.クリムヒルトの場合。
暑い季節がやってきた。
快適さと羞恥心の天秤が揺らぐ季節。 それを横目にする異性の心が揺れる季節。
だが、彼らにはまだその意識は希薄だ。 特に男女の区別もなく、薄い服を着せられて幼児園の部屋の中を走り回っている。
部屋の隅でちょこんと座っている彼女も、そんな中のひとり。
黒い髪は短く服装も快適だが、大きく毛の深い耳と尻尾はどうにもできない。 額にうっすらと汗をかき、彼女の気だるそうな瞳には元気な子供達の姿が映っている。
だけど、その中に彼女が望むものは映っていない。
ただ耳を垂らし、絨毯に尻尾をつけないようにして少しでも暑くならないようにしているだけだった。
「……ふぅ」
目の前を子供が駆け抜けた風に前髪を揺らし、くりむは身体の中の熱をため息と共に外へ出した。
自分もその風のひとつになろう、という気にはとてもなれない。
――と、その時。
人一倍敏感な彼女の耳に、ドアの開く音が聞こえた。
夏でもあまり変わらない、見ている方が暑いワインレッドのエプロンドレスを着て平然としている、白銀のロングヘアの女性。 そして、その人と手を繋いでいるピンクの髪の子。
Tシャツにショートパンツ姿のその子は、男の子用の服を着ているのにも関わらず可愛い女の子にしか見えない。 また、暑さを感じていないかのような涼しげな表情は付き添いの女性と相まって、そこだけ気温が違うのではないかと錯覚させる雰囲気を漂わせている。
「……る」
その彼女……彼と、目が合う。
すると、人形に命が吹き込まれたように頬に紅が差し、柔らかい微笑みを浮かべた。 くりむの心臓もドキンと跳ねて、耳と尻尾もピンと立つ。 自分に微笑んだのだと勘違いした近くの子が二人ほど倒れたが、いつもの事なので誰も気にしない。
るーが髪をなびかせてまっすぐこちらにやってきたので、立ち上がって迎える。 倒れた子がビクンビクンしているが、気にしない。
「る……こんにちは」
「こんにち、は」
目の前に両手を差し出されたので、半ば反射的に自分もその手を取ったくりむ。 そして、いつものようにバンザイするのだろうと両手を挙げようとすると……何故か抵抗された。
バンザイしようとするくりむに対し、両足を開いて踏ん張ってまで抗おうとする、るー。
「るっ……ぅ……!」
「……?」
白くて長い耳が真上に立ち、朱い瞳は次第に潤み始め、頬はますます赤くなっていく。
何故そんなに必死なのかとんと分からないが、その様子が可愛らしくてくりむも何だか楽しくなってきた。 自分も尻尾と両足に力を入れて踏ん張ると、彼ごと持ち上げんばかりの気合で両腕を挙げにかかる。
「りゅぅ……っ、くぅぅ……!」
「……わぅ!」
最初は腰の位置だった両手が、ぷるぷると震えながら少しずつ高くなっていく。 頭ひとつ分の身長差があるのだから当然の結果と言える。
だが胸、首まで上がってくると、るーは体重をかけて手を下げにかかった。 これは、さすがのくりむも厳しい。
「んっ……ふふ」
「……ゎぅぅ!」
るーは真っ赤の顔のまま、いたずらっ子のようなしたり顔を見せる。 むっとして眉を寄せるくりむ……だったが、ふといい手を思いついた。 あの人が、思いつきそうなこと。
それをおくびにも出さず、ならば本当に身体ごと持ち上げようと力を更に込める、と見せかけて。
「りゅわあっ!?」
「わうっ」
ふっと力を抜くと、半分ぶら下がるような形になっていたるーは、後ろへころんとひっくり返る。
くりむは一緒に倒れないように足を斜め前に進めてしゃがみ込むと、るーの両手はバンザイの形になった。 今度はこちらがしてやったり、である。
「るぅ……まけた」
「かった♪」
「……さっきの、ジャスみたいだった」
「……ん」
いつも遊んでいると、尻尾が震えるようなことを思いついて実行する人。
同じイメージを描いていたるーと目を合わせて、微笑み合う。
そして離した両手を再び差し出されたので、くりむはその手を取ってるーを引っ張り起こしてあげた。
「きょうは、なにする?」
「……わかん、ない」
「じゃあ……おもちゃ、さがそ?」
「わん」
手を繋いで、オモチャ箱に歩いて行く。
ふたりとも軽く汗をかいていたが、暑さなんてすっかり忘れていた。
**********
■その四.ニコの場合。
張り切って家の手伝いをこなして、意気揚々と幼児園にやってきたニコ。
食器や洗濯物などを運んだりして一生懸命に手伝いをする彼を見て、母親も「おっ、最近ニコも根性ついてきたんじゃない?」と喜んでいる。
バシーンと背中を張り飛ばされてジンジンしているが、そんなことでめげる彼ではない。 今、彼は非常に燃えているのだ。
「ここ、こんにちはー!」
園長さんにもしっかり挨拶をして、ちょっとどもりながらも大きな声を出して部屋の中へ。
いつも彼女達が集まるあたりを見てみると、なんと今日は全員が揃っているようだ。 その場で踊り出したいくらいにテンションが跳ね上がるが、ぐっとこらえて駆け寄った。
今、彼は非常に燃えているのだ。
「……こんにちは」
頭には黒のカチューシャをつけ、丈の短いパープルのチュニックに太ももまでの黒いレギンスという女の子スタイルのるー。
さっそくの先制パンチに、開始一秒でクラクラ。 しかし、ダウン寸前で何とか踏み留まる。
「わん」
原色系の青が目を引くTシャツにショートパンツ姿で振り向いたくりむは、三人の中で最も露出度が高い。
眩しく見えて逸らした目に、左右に揺れる尻尾が映った。 まるで手を振っているみたいだ。
「うん、こんにちは」
丈が長めの、シンプルな白いワンピースで脚を隠して、落ち着いた表情のエミー。
両手を前に添えて静かに座っている様子は清楚ささえ感じさせる。 更に可愛らしく手を振られ、バイオレンスの一番の被害者としてはそのギャップに完全KOである。
「ぬっはーーーーーーーっ!! ばぶれがっ」
彼女達の目前で腰砕けになり、ニコは顔面から絨毯の上に倒れた。
鼻を押さえながら仰向けになって悶絶していると、彼女達が立ち上がって彼を囲み、心配そうな顔で覗き込む。
輪の中心となってしまった彼は、いろんな感情がごちゃ混ぜになり顔も頭の中も真っ赤に染まる。 完全に錯乱状態だ。
「ふんごーーーーーーーっ!!」
今、彼は非常に萌えているのだ。
「……るぅ」「……?」「おーい」
その様子を見下ろす三人の気持ちは、程度やニュアンスの違いこそあれどピタリと一致していた。
《大丈夫かな? ……頭》
三人の美少女たち―― 一部疑問が残るが―― に囲まれて心配されたとあっては、彼の心の中で生まれ始めた男のプライドが廃る。
今この場にいない、尊敬する師匠的なあの人は、更にもう一人を加えた四人相手でも決して怯むことがないのだ。
彼はかの人への敬意をまた一段階上げると共に、自分が頑張って彼女達を取りまとめねば! と使命感に燃えて立ち上がった。
「ふんがっ……がいにょーぶ! ……だひょ」
――ぽたり。
「る?」「あ」「わぅ」
片手で鼻を押さえ、もう片手でガッツポーズをしながら立ち上がった彼の足元に、赤い染みができた。
また一つ二つと増えていく染みを見て、彼女達はアイコンタクトで会話を交わす。
《……どうしよう?》
《ママに言う?》
《だれ、いく?》
《るーがいくよ?》
《ううん、わたしが行く。 ふたりは見てて》
《わん。 わかった》
刹那の間に結論が出た彼女達、ため息と一緒に再び気持ちが一致する。
《はぁ。 手間のかかる子だなぁ……》
「ふごっ……はれ?」
ようやく自分の状態に気づいてまた焦り始めた彼。
それをるーとくりむが座らせて落ち着かせようとしているのを見て、エミーは大笑いしている彼の母親――の隣で微妙な表情をしている、自分の母親の元へ急いだ。
今日もまた、彼のお守りである。




