ポータブルコンピュータのつくりかた ―IBM 5100―
1972年、アメリカ。
机の上には書類が積まれていた。タカハシはその一枚を取り、予定表を確認する。
「午後から、コンピュータを使って計算してきます」
隣で本を読んでいたイチゴが顔を上げた。
「コンピュータで仕事するの?」
「はい」
「ここでできないの?」
「ここで仕事できればいいんですけどね」
「ここに持ってきたらいいよ!」
タカハシは笑った。
「ははは、そうですね」
向かいにいた父が顔を上げた。
「……そうだな」
タカハシの笑顔が止まった。
「それ以上はいけませんよ」
「作ろう」
タカハシはしばらく父を見た。それから、窓の外を見上げた。
空はよく晴れていた。
当時、コンピュータはすでに珍しい存在ではなかった。企業や大学では大型計算機が使われ、より小型のコンピュータも登場していた。
だが、計算したい本人の机の上に、必要な機能が全部そろったコンピュータが置いてある。そんな時代ではまだない。
IBMでは、科学技術計算などに使われるAPLというプログラミング言語を、もっと利用者の手元で使えるようにできないかという構想が動き始めていた。
1973年1月。
父は計画書を机に置いた。
「半年だ」
「何がですか」
「半年で、動くものを作る」
「なるほど」
タカハシは計画書をめくった。
「人員は?」
「これから集める」
「設備は?」
「これからだ」
「なるほど」
計画書を閉じた。
「半年という言葉の意味はご存じですか」
「もちろんだ」
「安心しました」
安心した顔ではなかった。
計画は承認された。だが、承認されたからといって、必要な技術者が突然机の周りに生えてくるわけではない。
ハードウェアを作る人間。プログラムを書く人間。必要な部品。必要な設備。
タカハシの机に紙が増えた。
「この人は?」
「別の部署です」
「借りましょう」
「こちらの技術者は?」
「別の拠点です」
「借りましょう」
「この装置は?」
「よそで使っています」
「……借りましょう」
イチゴが横から書類をのぞいた。
「借りてばっかりだね」
「返せば問題ありません」
人が集まり、開発が始まった。
試作機には、すでに存在している部品が各地から集められた。小型のブラウン管、カセット装置、キーボード、メモリーカード、処理装置。
全部を一から作っていては、半年では終わらない。
「これはどこから?」
「ドイツです」
「こちらは?」
「ボカラトンです」
「これは?」
「市販品です」
タカハシは机の上の部品と一覧表を見比べた。
イチゴも隣からのぞき込む。
「いろんなところから来たね」
「そうですね」
「コンピュータって、集めて作るの?」
「今回は特にそうですね」
「じゃあタカハシ得意だね!」
タカハシがイチゴを見る。
「なぜですか」
「人とか荷物とか、いつも集めてるから」
「……否定しづらいですね」
問題は部品だけではなかった。
APLを動かすためのソフトウェアを、すべて新しく書いている時間もない。
父と技術者たちが資料を囲む。
「一から作れば間に合わない」
「では、既にあるものを使いましょう」
「そのままでは動かない」
「でしょうね」
タカハシは椅子に座った。
「では、動くようにするしかありませんね」
考えられたのは、別のIBMコンピュータの動きを小さな機械の中で再現し、すでに存在するAPLのソフトウェアを利用する方法だった。
一から作れば間に合わない。
なら、すでにあるものを動かせばいい。
数か月が過ぎた。
イチゴが開発室へ入ってくる。
「できた?」
「まだです」
数日後。
「できた?」
「もう少しです」
イチゴは機械を眺めた。
「前よりできてる?」
「かなり」
「じゃあ、もうコンピュータ?」
「動けば」
父が振り返った。
「動くぞ」
タカハシも振り返った。
「……そういうことは早く言ってください」
1973年。
試作機は動いた。
名前はSCAMP。
画面があり、キーボードがあり、記憶装置がある。机の上で、利用者自身が計算を進められる。
実演を見た人々は、小さな機械が本格的な計算をこなす姿に驚いた。
イチゴは画面をのぞき込んだ。
「これがコンピュータ?」
「そうですよ」
「ちっちゃいね」
「以前と比べれば、かなり」
「持って帰れる?」
「イチゴ様」
タカハシは少し考えた。
「まだ持って帰らないでください」
「まだ?」
「まだです」
SCAMPは試作機だった。
動いた。構想も証明できた。
だが、実験室で一台動くことと、商品として世に出すことは別の話だった。
試作機をもとに、市販できるコンピュータへ仕上げる仕事が始まった。
「タカハシ」
父が新しい資料を持ってきた。
タカハシは見なかった。
「タカハシ」
「聞こえています」
「次だ」
「SCAMPは動きました」
「ああ」
「成功ですね」
「ああ」
「では、お疲れさまでした」
タカハシは立ち上がった。
「製品にする」
タカハシは黙って座りなおした。
それからさらに時間が流れた。
画面、キーボード、記憶装置、処理装置。そして利用者がAPLやBASICを使える環境。
必要なものを、一つの筐体へ収めていく。
目指したのは、巨大な計算設備そのものを小さくすることではない。
計算を必要とする人が、自分のいる場所で使えるコンピュータだった。
1975年。
完成した機械を前に、イチゴが目を輝かせた。
「できたの?」
「完成です」
タカハシは筐体に手を置いた。
「IBM 5100。完全に持ち運びサイズです」
「すごい!」
イチゴは画面をのぞき込んだ。
「家で仕事できる?」
「もちろんです」
「やったー! 持って帰ろ!」
タカハシは取っ手を見た。
「……一緒に持ちましょうか」
「うん!」
二人で持ち上げた。
少し歩いたところで、イチゴが言った。
「タカハシ」
「はい」
「これ、持ち運べるって言っていいのかな」
タカハシは少し考えた。
「……運んではいます」




