体調不良と看病1
俺が彼女に感じた綻びはその日の夜の夕飯前に具体的に現れ始めた。学校からマンションに帰宅した俺は、お風呂を掃除してから提出期限の近い課題をこなす。
彼女ほど勤勉ではないが、出される課題の提出期限は大体覚えていて、これくらいに始めれば確実に間に合うだろうという逆算をして進めている。
ゆえに遅れたことは高校入学以来、ない。
まあ、かといってテストで良い点が取れるわけではないのだが。
(それにしても・・・・遅いな)
課題に集中していてあまり意識が向いていなかったけど、時計を見ると俺が帰ってきてからもう二時間近く経過している。
外はもう茜色から薄暗い青色に変わっていて、窓から見える街並みの明かりが際立ち始めている。
文芸部ってこんなに長引くことがあるのだろうか・・・・心配だ。
そう思った矢先、ピンポンとチャイムが鳴った。
扉を開けると顔を赤くした彼女が立っていた。いや呼気は荒く今にも倒れ込みそうな様子でそれでもなんとか立てているという感じだ。
「ただいま帰りました・・・・遅くなっちゃった」
彼女は力なく微笑んで見せたけど、それが限界だった。
前のめりに倒れ込む、俺は慌てて彼女の身体を受け止めてからおでこを触る。
「明らかに高熱じゃないか、まさかこの状態の身体引きずって帰って来たのか?」
「うん、途中までは良かったんだけどね・・・・」
「寝室まで歩けるか? 無理なら背負ってくが」
「肩貸してくれるだけで大丈夫、ごめんね」
彼女がベッドに横たわると俺はリビングから彼女の衣服が入ったカバンを手に持って戻る。
「着替えられそうか?」
「ちょっと難しいかも・・・・身体起こせないや」
これから夜が更けていくにつれて酷くなるって考えると今の段階でこの状態はまずいか。
「綾香さんに連絡して病院に行った方が良いかもしれないな」
「お母さんは・・・・あんまり頼りたくない。少し寝れば大丈夫だから」
「そうは言っても、いや分かった。でも、どうしても酷くなっていよいよって時は連絡する。いいか?」
こくりと頷いて、彼女は目を閉じてすぐに小さな寝息を立てた。
幸いだったのが明日から休日に入ることだ。彼女は無遅刻無欠席をずっと貫いているが、この休日の間にしっかりと身体を休めれば欠席することもないだろう。
リビングに戻りキッチンに立ち、さて何を作ろうかとしばらく考えて思いついた料理を作り始める。
作りながら、昔も似たような状況で同じ料理を作ったっけと少し懐かしくなった。
勤勉で真面目な彼女はよく無理をする。本人にとって無理じゃないと思っていても身体は正直で体調を崩すことはないこともなかった。
(まあ、そんなストイックなところも魅力なんだが)
俺は作った料理をおぼんにのせて、寝室へそっと入る。寝ていたら後で暖めれば良いと思っていたが、彼女は起きていて、しかも付箋が大量についた参考書を眺めていた。
「こら、なにしてるんだ」
「ちょっと良くなってきたから」
そう応える彼女の声は相変わらず弱々しい。
うどんをベッド横のテーブルに置くと彼女の手から参考書を取り上げる。
「今日教えてもらったところの復習したい・・・・」
軽く頭を抑えて言った。これは筋金入りだ。
「あのな、とりあえず落ち着いたのと良くなったは違うんだぞ」
「でも・・・・テストも模試も近づいてるし」
「数日やらないだけで落ちる学力なら本番でも使い物にならないんじゃないか?」
俺のこの言葉は彼女に刺さったらしく「たしかに」と呟いてうつむいた。
テーブルからうどんの入ったお椀を手に取り、うつむく彼女の前に差し出す。
「食べられるか?」
「おお、懐かしの香坂うどん」
「いつからそんな名前がついたんだ、ただの卵うどんだよ」
彼女が勢いよくうどんを食べる様子を見てひとまずほっと安心する。どうやら食欲はあるみたいだ。
「じゃあ、俺はリビングに居るから食べ終わったらちゃんと寝るんだぞ」
踵を返そうとしたら袖を掴まれて静止する。
「一緒に食べるからうどん二つ持って来たんじゃないの・・・・?」
「それは・・・・」
「夕飯の時間だけでも一緒に」
そう言う彼女の顔はどこか寂しさのようなものが出ていた。これは無視できない表情だ。
「分かった、夕飯の時間だけだぞ」
「ありがと、嬉しい」
俺はテーブルからもう一つのうどんを手に取ってベッド横の椅子に座って彼女と一緒にうどんを食べる。
風邪がうつるリスクよりも彼女と一緒に食事を取る時間の方が俺の中でははるかに優先順位が高いのだ──。
「ごちそうさまでした」
俺は彼女から食器を受け取って椅子から立ち上がると、布団を被ったのを見てから再び勉強し始めないように参考書の入ったバックを片方の手に持つ。
「それじゃあ、ちゃんとゆっくり休むんだぞ。リビングに居るからなにかあったら言ってくれ」
「うん、ありがとう・・・・その、おやすみ」
寝室を出ていこうとする俺を見る彼女の目はどこか寂しそうで「おやすみ」
と言った声色からもそれは読み取れた。
気持ちは痛いほどよく分かる。俺らの両親はよく仕事の都合で家を空けることが多かった。そんな時に彼女や俺が風邪を引いた時、お互いが傍に居て看病する機会もあった。
リビングに戻り皿を洗いながら、俺も中学入りたての頃に看病されたことがあったなと、思い出す。
熱にうなされる俺の頭を彼女はひたすら撫でてくれたっけ。
両親は両親で出来る限りの愛情を注いでくれていたし、家を空けることが多くても俺たちのことを決してないがしろに考えていたわけではない。
それでも、同年代の子供と比較して接触は少ない方だった。
俺たちはその分の寂しさをお互いに共有することで埋めていたところもあるのだ。
皿を洗い終わるとそのままキッチンで紅茶を入れてソファーに座って飲もうとした・・・・けど。
(見過ごせないよな・・・・あんな顔)
キッチンへ引き返し、もう一つのティーカップに紅茶を入れて、棚から風邪薬を取り出して寝室に向かった──。




