勝負と彼女のお願い
声を掛けてきたのは彼女の母親である藤野綾香さん。
三十前半と実際若い人ではあるけど、見た目は二十前半や大学生に近い若さで、うちの母親とは老化のメカニズムが根本的に違うとしか思えない。
「お久しぶりです、相変わらずお若いですね」
「香坂くん、私にその褒め言葉は定型文じみて聞こえるのよ」
本心ではあるけどたしかに、その通りだ。
「同棲生活はどうかしら香坂くん」
「まあ今のところ問題なく過ごしていますよ」
(とはいえまだ数日でなんともいえないが・・・・)
綾香さんはうんうんと頷いて「良さそうね」と言ってからふとなにか思い出したかのように口に出す
「香坂くんと涼香は一緒にゲームとかしないの?」
「ゲームですか」
隣で彼女はハッとしたような表情をしたのに気付く。
「そうそう、香坂くんは昔からよくやってるじゃない?」
「まあ、かなりやってる方だと思いますけど」
「良かったら、娘ともやってあげてね、楽しみにしているみたいだから」
彼女は何も言わない。これは意外といえば意外だった。俺はともかく彼女はどちらかといえば、そういったデジタルコンテンツよりも読書や勉強にしか興味がないイメージだったから。
「それじゃあ、何かあったらいつでも連絡してね」
綾香さんはそう言って連絡先の書かれた紙を俺に渡して帰っていった。
マンションに戻り、リビングの電気をつけると俺はティーカップを二つ出して紅茶を入れソファー前のテーブルに置いた。
俺と彼女は紅茶を飲みながら夕飯にパンを食べる。袋の中から出てくるパンはかなりの量でよくまあこんなに買い込んだもんだと思うのと同時に自炊の手間が省けて助かったなとも思った。
パンと紅茶に手を付け終わった後、突然彼女がテレビの下の棚にあるゲーム機を指差して言った。
「香坂くん、勝負をしましょう」
「勝負?」
「ゲームで勝った方のお願いを常識の範囲内でなんでも一つ聞く」
「面白いけど、それ俺に有利じゃないか?」
「香坂くんあまり自分を過大評価するのは良くないよ」
彼女のあおるような口調で放たれたその言葉で俺は一気にやる気になる。
「その勝負乗るよ」
俺はソファーから立ち上がると棚からゲーム機を取り出す。
テレビに接続しながら、俺はかすかに違和感を感じていた。
明らかに勝ち目がないのに、彼女の態度がどこか自信に満ちていることに──。
一体どういうことだ・・・・。
目の前のピンチにコントローラーを持つ手が震え、冷や汗が止まらなくなっていた。
勝負に使ったゲームは俺が昔からやり込んでいる対戦格闘ゲームで正直このゲームを選んだこと自体少し大人げないかなと思ったぐらいには勝算があった。
「じゃあ先に三回勝った方の言うことを聞くで良いね?」
それでも彼女は自信のある態度を崩さず勝負しにかかってきた。
「ああ、負け惜しみはなしだぞ」
そんなやり取りをして、なんだかこれぞ幼馴染同士の距離だなと微笑ましくなっていた。
彼女も同じことを思ったのか、顔に笑みを浮かべていた。
そんな和やかな空気の中、一回戦がスタートする。
開始、数十秒で彼女の動きが初心者のそれではないことに気が付き、次の数秒で一気に体力をゼロにされてしまった。
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと・・・・。
「ありえない・・・・」
「さあ、次」
俺の驚きと戸惑いが入り混じった声をさえぎるように彼女は先を促す。
二回戦も流れるようにコンボを決められ何もできずに負けた。
俺も後がなくなったことで、集中状態に入り込み──半分削ったが負けた。
「香坂くん、この勝負は戦う前から結果が決まっていたんだよ」
テレビの前でうなだれる俺に彼女はからくりを明かす。
「私は香坂くんに学力でも運動でも対策なしで勝てる」
「まあ、そうだろうな」
言い方が神代みたいで鼻に付くところはあるが、事実だ。
「この勝負は前から計画してた、いつか香坂くんと幼馴染として遊ぶ機会が来た時のために」
「付け焼き刃の強さじゃなかったんだけど」
「そこは幼い頃から私と居た香坂くんなら分かるでしょ」
(やっぱり、世の中不平等だよな・・・・)
「で、お願いは?」
「今日は布団共有で」
それは常識の範囲内なのか・・・・。変な気があるわけではないけど、過去一で心臓に悪そうだ。
彼女は俺のそんな心境を見透かしたように言った。
「同棲生活なら常識の範囲内、それに昔はよくそうしてたでしょ」
(もう大昔の話じゃないか・・・・それ)
とはいえ、そこまで計算のうちだったのかもしれないけど、あれだけ余裕の態度で受けた勝負の結果を受け入れないのは恥だ。
逆に考えてみれば良い、これは千里の距離を一時的にゼロにするイベントなのだと。
「・・・・分かったよ」
相手の好意がどれくらいか未知数な状態で片思いしていることを悟られないようにしなければ。
お互い、諸々の寝る前にしなければいけないことを済ませて、布団に入る。
彼女はこちらを向いて横になっているが、俺は外側を向いて寝る。
緊張を誤魔化すためだった、俺は素直な疑問を投げかけてみる。
「どうして、もう接する機会がなくなってたのに、同棲なんか承諾したんだ?」
「断って欲しかった?」
眠気が来ているのだろう、彼女の声は語りかけるかのように穏やかだった。
「そういうわけじゃないけど」
「どっちよ」
ふふっと彼女は笑って続けた。
「機会が欲しかった、周りに人が沢山集まるようになって世界は広くなったけど、今までの閉じた関係は薄れた。そうじゃない?」
「・・・・そうかもね」
スッと俺の背中に彼女の手のひらが触れているのが分かった。
「でも、切れたわけじゃない。きっかけが必要だっただけ」
それは、親も分かっていたのかもしれない。
「俺のことなんて目に入ってないと思ってたけどな」
また彼女はクスりっと笑って言った。
「私を追って模試判定合格圏外から猛勉強して同じ高校に入ってくる人なんて忘れるわけないよ」
(なんだ、ちゃんと認知されていたのか)
俺は意を決して彼女の方を向いた。思った以上に近く眠気からか、うとうとしている顔が眼前に現れる。
「どうしたの急にこっち向いて、褒められたから嬉しくなった?」
「まあ、嬉しいに決まってる」
ふふふっと笑みを浮かべて彼女は俺の頭を小さな手のひらでそっと撫でた
「素直でよろしい」
今の彼女が俺をただの仲の良い幼馴染以上に思っているかは分からない。
ただ俺と彼女の前にそびえ立っていたかのように見えた壁は完全に溶けた、そんな気がした──。




