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気ままに行こう!  作者: 空魚
希望の花
34/34

希望の花-1

 扉の中には闇が満ちていた。聞こえるのは自分の乱れた荒い呼気と、足が地面を蹴る音だけだ。風も匂いもなく、人の気配も何もない。

 様々な事柄が脳裏に浮かんでは消えてゆく。どうしても頭に浮かんでしまうのは自らが犯した過去の罪だ。あの出来事のことをわたしは一生忘れないだろう。がしかし、今はそのことばかり考えてはいられない。

「早くあそこに向かわないと……」

 全てが手遅れになってしまう。いや、もう既に手遅れなのかもしれない。わたしの勘が確かならば、先日ガルディナ城に忍び込んだ時点でかなり危ういところまで来ていたはずだ。

 時の試練で取り戻した記憶には幾つかの手がかりがあった。その一つ一つを事実と検証するたび、憶測は確信に変わってゆく。

「案内板くらいあればいいのに」

 闇雲に無音の空間を駆けて行くと、ようやく遥か前方に針の穴のような小さな光の点が見えてきた。どうやらあそこが出口らしい。

「まったく。何だってこんなに遠いのよっ」

 吐き捨て、足の動きを早める。シャグシェルシーでどれだけの時間を費やしたか。はっきりと判断がつかない。感覚的にはそれほど時間が経過したようには感じられなかったが、感覚だけで不安を拭いさることはできない。

 焦燥に胸を苛まれながら走り続け、ようやく見覚えのある透明な扉の前にたどり着く。息を整えながら、わたしは仄かに翡翠色に輝く扉に手をかけた。

 案内者はわたしが向かうべき場所へ道をつなげると言っていた。その言葉が確かならば、この扉はあそこへつながっているはずだ。

 グッと息を呑み、扉を力強く外へ開く。水晶の扉は音もなく外側へ開いた。眩しい日差しが闇に慣れた両眼に沁みるように突き刺さる。一瞬わたしは目を細め、次いで大きく目を見開いた。

 眼前に広がる白い砂浜。朝焼けに染まり、薔薇色に輝いている。

「やっぱり、ここよね」

 そこはゼンと初めて会ったフェイドゥの入り江だった。あの時は記憶を失ったばかりでここがどこかもわからなかったし、蜘蛛男に崖へ突き飛ばされたことも忘れていた。あんな状況でよくも死ななかったものだと思う。恐らくハーディーがどうにかしてくれたんだろうけど、さすがに気を失ってた時のことまでは覚えていない。

「さて、と。そんなことより先を急がなきゃ」

 わたしは島の中央にそびえる山ヴァルツベインを見上げた。岸壁を覆っていた霧が朝日に照らされ、瞬く間に晴れてゆく。その様は荘厳そのもので、息をのむ程に美しかった。

「フェイドゥがこんなに綺麗な島だったなんて、文献もあてにならないわね」

 独り言ち、潮騒を耳にしながら早足で歩き始める。もう少し風景を見ていたかったが、今は優先すべきことがある。

 ところがいくらも進まないうちに突然目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。あまりにも唐突だったため、危うくそこに頭を突っ込みそうになる。が、バランスを崩したわたしの体をふわりと抱きとめる者がいた。

「レーン、おはよう」

 声が頭の上から振ってくる。同時に両腕へ悪寒が走り、わたしは慌てて身を引いた。

「ちょっ……突然現れないでよ!」

 服の上から一瞬触られただけだったため、寸でのところでジンマシンが出るのは押さえられた。けれど、こいつはもうちょっと他人の都合というものを考えられないのか。

「試練はどうだった?」

 にっこりと笑いながら問いかけるハーディー。わたしはジロリと相手を睨み上げた。

「おかげで色々と思い出したわ。あんたの悪行の数々もね」

「悪行だなんて、人聞きが悪いなあ」

 黒衣の男は端正な顔をほころばせ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「俺はレンの力になりたいだけなのに」

 と言いつつ、さりげなく肩に手を回そうとするハーディー。言ってる側から肩を抱こうとするな。これだから信用ならない。

 わたしは相手の腕から逃れると、そのまま城に向かって歩き始めた。こいつの戯れ事に付き合っていたら日が暮れてしまう。

「力になってくれなくて結構。触んな」

 悪態を吐き、足を速める。が、ハーディーはすぐにわたしに追いつき、横に並んで歩き始めた。

「レンは恥ずかしがり屋だね」

「あんたは少しくらい恥を学んだ方がいいと思うわ」

 憮然として言い返す。一方、ハーディーはどこ吹く風といった面持ちだ。

「恥はかくものじゃない。かかせるものだよ」

 不遜な笑みを浮かべ、奴は続けた。

「それに女の子の恥じらう姿は可愛いけど、男のそれは痛々しいだけだしね」

 勝手に言ってろ。

「ところでゼンとマリンはどうしたの?」

 これ以上同じ話題を続ける気になれず、わたしは話題を変えた。がしかし、ハーディーの態度は相変わらずだ。

「やだなぁ、レン。俺の前で他の男の名を口にするなんて」

 言いながら前に回り込むハーディー。ふわりと黒い外套が風をはらむ。見ると、その瞳の色はいつの間にか翠に輝いていた。気付かないうちに飛翔を使ったらしい。

「二人きりなんだから俺のことだけを見てほしいな」

 端正な顔に妖艶な笑みが浮かぶ。相手の空気に呑まれ、わたしは思わず顔を赤らめた。

「バカタレ。あんたの悪ふざけに付き合うつもりはないわ」

「悪ふざけって具体的にはどんなこと?」

 誘うように問いかけるハーディー。突然の問いに一瞬戸惑う。具体的にって言われても、こいつのことだから抱きついてきたりとか、キスしようとしたりとか……

 想像して顔がさらに赤らんだのがわかった。その様子をハーディーは楽しそうに眺めている。こいつ、人を困らせようとしてわざとあんな聞き方したな。

「……はぐらかしてないで、二人がどうしたか答えなさいよっ」

 食って掛かると、ようやくハーディーはわたしの問いに答えた。

「二人はウェルネスのところにいるよ」

 黒衣の男は少しだけ態度を改め、続ける。

「でも、レンが知りたいのはそれだけじゃないでしょ」

 わたしは無言で先を促した。わかってるならさっさと教えろ。

「今のところは特に問題はない。ウェルネスが島中に植えさせた花のおかげさ」

「そう」

 少しだけホッとする。ガルディナに最初の異変が起きたのは凡そ半年前。すでに魔に引き込まれた人もいた。時間はあまり残されていない。

「もう、粗方わかってるんだ」

 ハーディーが感心したように聞いてくる。わたしは歩きながら頷いた。

「主犯はまだはっきりしないけどね。でも、何はともあれ土系魔法の禁呪、傀儡(マリオネット)の完成だけは阻止しないと」

 そう。それこそがガルディナに災厄をもたらした元凶の魔法の名だ。

「傀儡は人を操る土系列の魔法。けれど、あの魔法が禁呪に指定された理由はその効果のせいだけじゃない」

 ガルディナの人々の様子が脳裏に浮かぶ。苦々しい気持ちが胸に広がった。

「本当に恐ろしいのは副作用の方。傀儡は人の本質をおよそ六ヶ月ほどかけてゆっくりと変質させ、果てには泥人形(プッペン)という低級魔族にしてしまう厄介な魔法だわ。この進行を遅らせるにはデイアの花の花粉を定期的に摂取する以外にない。そして、その魔法を断ち切ることができるのは――」

「土の最高位魔法、慈悲(グナーデ)だけ」

 全て知っていたかのように続けるハーディー。何だか掌の上で転がされていていたようでムッとする。

「何よ。知ってたならあんたが処理したらよかったじゃない」

「ガルディナが地図から消えてもいいならウェルネスは俺に頼んでいたと思うよ。害虫は一匹ずつ潰すよりも、巣ごと駆除した方が効率的だから」

 男はさらっととんでもないことを口にした。けれど、魔王(ウェルネス)さんでもあるまいし、一介の魔族が単体で国を滅ぼすなんてできるはずがない。とは言え、妙な説得力があるのはこいつの得体の知れなさがなせる技だろう。

「……それに、俺もこれ以上待てなかったし」

「待てなかったって、何を?」

 独り言のように呟いた言葉を聞きとがめ、条件反射のように尋ねる。と、ハーディーは印象深い微笑みを浮かべた。

「レンとの出会いを」

 思わぬ言葉につい足が止まる。意図せず真っ向から向き合う形になり、わたしは息を呑んだ。一対の双眸がジッとわたしを見返す。その翠玉は静寂をたたえた深い淵のようで、目を反らすことを許さない。

「出会いって言ったって、あれはウェルネスさんがーー」

 言いかけてハタと気付く。まさかこいつ、今回の騒動にわざとわたしを巻き込んだのか?

「察しがいいね」

 にっこり笑ってわたしの腰に腕をまわすハーディー。軽い口調とは裏腹に真剣なまなざしを向けられ、ゾクリと肌が泡立つ。何故かアレルギー症状はなりを潜めていた。けれど、その時は狼狽していてそれどころじゃなかった。

「どんな口実を作ってでも、レンに逢いたかった」

 そう言ってハーディーはわたしの項にもう片方の手を添えた。そして、そうすることがさも当たり前であるかのように顔を寄せてきた。

「おい、ハルディクス。貴様、何をしている」

 がしかし、聞き覚えのある声が寸でのところでその行為を遮った。場の空気に呑まれかけていたわたしは、その言葉が聞こえるや否や正気に返り、慌てて腕を振り払った。

「まったくだわ。何考えてるんだか」

 取り繕うように声を荒げ、ハーディーと距離をとる。今起きかけたことを頭から閉め出そうとするが、かえって意識してしまい顔が紅潮するのを押さえられない。

「折角いいところだったのにね、レン」

 クスリと小さく笑い、後ろを振り返るハーディー。すぐ後ろには声の主が鬼のような形相で仁王立ちしていた。

「いいところも何も、嬢ちゃんは嫌がってただろうが」

 相手の胸倉に掴み掛からんばかりの勢いで抗議するゼンに対し、ハーディーは肩をすくめた。

「ゼンが来ていなかったらどうだったろうね」

 ハーディーは楽しそうに呟くと、クスクスと笑った。からかうようなその響きに顔が強ばる。こいつがどんなつもりでわたしに近づいてきたのかはわからない。けれど、安易に流されれば痛い目を見るのはわたしの方だ。こんな得体の知れない相手を信用してはいけない。用心しないと。

「ゼン、あんたもここに来ていたのね」

 気を引き締め、ハーディーの言葉はあえて無視してゼンに声をかける。ゼンは黒衣の男を牽制するようにジロリと一睨みするとわたしに向き直った。

「ああ。嬢ちゃんが次に向かうのはここだろうと、そいつがな」

 ハーディーの方へ顎をしゃくり、ゼンは続けた。

「マリンも連れて来たんだが、島の瘴気にあてられて今は城の一室で休んでいる」

 確かに彼女にとってこの島の魔力は濃すぎるのかもしれない。占術を得意とする魔女は感受性がすこぶる高いのだから。

「マリンのことも心配ね。急いで城へ向かうわよ」

 わたしは再びヴァルツベインを仰ぎ見た。あの場所には国を追われた王女がいる。そしてその傍らにはかつて世界を半壊させた魔王がいる。場合によっては交戦することになるかもしれないと思うと、膝が震えた。

「レンはレンの思うように動けばいいさ」

 緊張して武者震いするわたしの肩を叩き、ハーディーが微笑む。

「結局はそれが一番の近道だからね」

 そうだ。いくら表面上は幸せそうに見えても、このままでいいはずがない。

 わたしは肝を据えると白亜の砂を蹴り上げ、走り出した。

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