第十三話 久しぶり、いやはじめまして?
不知火会長の喧騒が遠ざかり、ようやく手に入れた放課後の静寂。
俺は図書室の騒動で乱れた心拍を鎮めるため、自動販売機の影で冷えた缶コーヒーを頬に当てていた。
だが、その安らぎは、背後から響いた「一年前と全く同じリズム」の靴音によって、一瞬で凍りついた。
「——やっぱり。その、何かを値踏みするような猫背。透だよね」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
指先が、自分の意思に反して細かく震え始める。
ゆっくりと顔を上げると、そこには俺の「信じる心」を粉々に粉砕した、あの笑顔があった。
「……新納、夏輝」
喉の奥が引き攣り、声が掠れる。
新納 夏輝。
中学時代、俺が唯一「親友」と呼び、将来の夢まで語り合った男。そして、俺が密かに寄せていた想いを、最も残酷な形で嘲笑の的に変えた、悪魔の脚本家。
「久しぶり……いや、君にとっては『はじめまして』の方が都合がいいかな? 同じ札幌の高校だけど、まさかこんなところで会うなんてね」
夏輝は相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて、一歩、俺のパーソナルスペースへ踏み込んできた。
(——逃げろ。今すぐここを……。ステップ一……ステップ、一……っ、クソ、思考が)
いつもなら瞬時に作動するはずの脳内フィルターが、重度のシステムエラーを起こしている。計算式が成立しない。夏輝の視線に晒されるだけで、俺の防壁は紙細工のように崩れていく。
「何の用だ。俺はもぅう、お前とも、過去とも……関わるつっもりは、ない」
言い返した言葉は、震えて情けなく響いた。夏輝はそれを見逃さず、愉悦を隠そうともせずに目を細める。
「そんなに警戒しないでよ。俺も反省してるんだ。……でもさ、透。最近、可愛い女の子たちに囲まれてるって噂、本当? 斉木雫さんだっけ。あの有名人と仲良くしてるなんて、随分と『成長』したじゃないか」
夏輝の指先が、俺の制服の襟元に触れる。
その感触だけで、中学のあの「拒絶」の感覚がフラッシュバックする。
胃の底からせり上がる吐気。俺は思わず、持っていた缶コーヒーを地面に落とした。
ガチャン、と無機質な音が響く。
「……っ、触るな!!」
「おっと、怖い怖い、透の中の『 』。……でも、哀れだな。君が必死に築いたその妄想の『 』も、結局は俺が与えた傷跡の上に建ってる欠陥住宅だ。君は一生、俺の手のひらの上で『誰も信じられない自分』を演じ続けるだけなんだよ」
夏輝の毒を含んだ囁きが、耳の奥にこびりついて離れない。
俺は、激しく上下する肩を抑えることしかできない。
理屈も、法律の知識も、ガンプラの精密さも、この男の前では何の盾にもならなかった。
「……斉木雫は、君が思ってる以上に『 』と同じような人間だよ。……じゃあ、また。今度はもっと、ゆっくりと近くで話そう。君の新しい『お友達』も交えてさ」
夏輝は軽く俺の肩を叩き、人混みの中へと消えていった。
俺は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
地面にこぼれたコーヒーが、泥のように俺の靴を汚していく。
「……あ、……ぁ、……」
言葉にならない嗚咽が漏れる。
鼓膜が破れそうな女の名前。止まらない過去の侵食。
俺は今、再び、あの終わりのない地獄の入り口に立たされていた。




