舞踏会(3)
この世界に来てから数週間が、たっていた。窓の景色が、暗くなっていく。
「お招きいただきありがとうございます」
「うむ。今夜は思う存分楽しんでくれ」
トビアスとマーシー夫妻が、話し合う姿を見かけ向かおうとする。すると、廊下の突き当りに手だけが見えた。その手は、手招きをしていた。
廊下の突き当りに出ると、元の世界でたまに見かけたことのあるごく普通の作業服の男が、立っていた。男が、口を開く。
「探し出すまでに時間がかかってしまった。さあ帰ろう」
作業服の男が、訳の分からないことを言って、私の手を引っ張った。
「いきなり何?ちょっと待ってよ」
「僕が君を元の世界に返してあげるよ。帰りたくないのか?」
前の世界…か
「少しだけ時間をくれない?」
「半月後、半月後だ。時間が経ちすぎると完全に帰れなくなるから」
そう言った男は、私に手を振りながら去っていった。
作業服を着た男と会ってから二か月が経った。 この頃は、農夫のマーシーの農作業の手伝いや町に散策に繰り出していた。
この日も朗らかな日の光が、温かく照らしてくれる。
「手伝ってもらってすみませんね」
「いいよ。暇だから」
「それより奥さんのところに早く行ってあげて」
「ありがとうございます」
マーシーは、一礼して愛する人の下に向かった。私は、おつかいの途中ということを思い出し、町へ向かう。
町の中心を通る道にある目的の店に着いた。
「お嬢さん、今日も綺麗だね。これおまけしとくよ」
「ありがとう」
店の奥からつかつかと恰幅の良い女性が、店のおじさんの背後に忍び寄る。
「あんたまた鼻の下伸ばして」
店のおばさんが、店のおじさんの頬を思いっきり引っ張る。
「いててて」
目の前で繰り広げられている光景に、笑うことを止められなかった。心の底から」
「このバカが、すみません。後、お嬢さんやっぱりあんたは、笑顔がよく似合うね」
店のおばさんに言われて気づく。前の世界で表情が固いとよく言われた私が、心の底から笑えたこと。本当の笑顔は、した方もされた方も気持ちがいいこと。そして、そのことに気づけた私自身を好きになれたこと。
その日の夜、まだまだ不格好な踊りだが、十二分に楽しめた舞踏会も終盤に差し掛かり、 私と領主家族とマーシー夫妻のテーブルに夕食が運ばれてきた。
「これお嬢さんが収穫したものなんですよ」
マーシーの奥さんの紹介で、頬を赤く染めた私は、目の前にあるものを頬張る。口に入れた瞬間、豊かな風味が口の中に一気に広がった。
「私こんなに美味しいもの食べたことない。どうやって作ったの?」
「お嬢、それはお嬢自身が汗水たらされて収穫して、食べ物に対しての感謝を持たれたからです」
「たったそれだけ・・」
持っている器に、目を落とす。
「だから、食事の前にいただきますって言うんです」
いただきます・・・。言葉の意味なんて深くも考えず、無意識に、無自覚に食事の度に唱えていた言葉。マーシーに言われたことが、心の底まで届く。
約束の日が近づく星が降る夜、トビアスに連れられ、馬に乗る。
「揺れますからしっかり捕まっていてください」
トビアスの背中から腕を回し、しがみつく。トビアスの体は、温かくてポカポカと私の体の中も温かくなった。少し眠くなってきた。
「着きましたよ。お嬢様」
トビアスの優しい声で、目を覚ます。馬上から降り立ち、ここまで連れてきてくれたトビアスの愛馬の顔を撫でる。
「上を向いてください。綺麗ですよ」
空を見上げる。二人と一頭を照らす大きく綺麗な満月があった。元の世界で見た月は、この世界の月のように光り輝いていただろうか。私は、あの世界で心の底からの笑顔を作ることを作ることが出来るのだろうか。
約束の日。雲一つのない青空が、私の背中を押してくれた。
いつの間にか彼は、私の目の前にいた。
「決まったか?」
「うん。私はこの世界に残る」
男は、何も言わず私を見ていた。
「驚かないの?」
「そう言うと思ってたから。理由だけ聞いても良い?」
「何で?」
「ただの興味本位さ」
「最初は、前の世界に比べて、何もなくて不便なこの世界が不満だったよ。でも、ここの人みんな優しいし、たくさん大切なことを教えてもらった。身寄りのない私に、ここの養子になって欲しいって言ってくれたし、それに・・・」
「それに想い人がいるからかな?」
顔が、急激に熱くなっていくのを感じる。
「うん。待ってもらったのにごめんね」
「お前は、今幸せか?」
「え?うん。とても幸せだよ」
「その言葉を聞けただけで良かったよ。末永くお幸せに」
彼が初めての笑顔を見せ、くるりと後ろを向き去ろうとした。
「待って!」
彼は、立ち止まり振り返る。
「ありがとう」
彼は、少し口角を上げ、再び後ろを振り向いて去っていった。
伝令が、慌ただしく入ってくる。
「先刻、隣国スターベンが我が帝国に宣戦布告を発しました」