長女の場合
ドォォォォン……!!
「……今日はいつもより荒れてるね」
美しく咲き誇る大庭園の一角。
一人の美しい少女が小さな拳を握って古木に八つ当たりをしていた。
ベキッ、バキバキバキッ!
そしてとうとう少女の八つ当たりに耐えきれなくなったのか、不穏な音と共に何本目かの古木が地に倒れ伏す。
笑顔でそれを眺めていた少年は、先程までは貫禄をこれでもかと魅せていた大量の古木が、憐れただの倒木と化したところで頃合いか、と少女に声を掛けることにした。
「――落ち着いて、私の妖精。このままでは美しく可憐な手がひどく荒れてしまう」
「黙らっしゃいッ! 何度殴れば、その寒気のする言葉を止めて下さるのかしら!?」
「ごふっ……」
頃合いではなかった。
どうやら今回はそれほど簡単に荒れた感情を昇華出来なかったようだった。
一発で薄くなる意識と共に、「見事……」と満足そうに少年は呟いて笑顔で古木と同じ末路を辿った――。
◇◆◇◆◇
『――ああ、やはり妻に似ている』
許さない許さない許さない――。
『これからはここに住むことにしたんだ』
嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い――大っ嫌いッ!!
「なんて厚顔無恥。なんて非常識。なんて図々しいッ……!」
ヴィクトリアがこれほど荒れていたのは、母の葬式以来だった。
あの日、あの男を見た瞬間に暴れ損ねたのは記憶に新しい。
しくしく泣く双子がヴィクトリアの手をそれぞれ握っていなければ、衝動に任せてあの男を血まみれのボコボコにしていたはずだ。
そうなれば葬式もめちゃくちゃになって兄にも迷惑をかけたかもしれない。
あの時に発散し損ねた激情は、父が今頃になって頓珍漢なことを言い出したことで再燃することとなった。
――家に帰って来たのだ。母の死後に。
許せるわけが無かった。
認められるわけが無かった。
ヴィクトリアにとって、父は存在しないほうが良い存在だった。
けれど、存在しなくてはならない矛盾した存在でもあった。
「愛人と別れたからって許されるとでも?」
ガリッ
「今頃になって父親面しようとでも言うの?」
ゴリッ
「わたくしは絶対に認めませんわッ」
ボギッ
次第に強まる力に耐えきれず、片手で握っていた人の足ほどの枝がぽっきり折れたのを用済みとばかりに放り投げる。
どうにか少しは発散出来たのか、先ごろよりは幾分か冷静な思考を取り戻すことが出来ていた。
「気は済んだかい?」
「……先程は失礼致しましたわ、王太子殿下」
「いいよいいよ。ヴィーと私の仲じゃないか」
「それはなによりですが、……それよりわたくし、変態に愛称を許した覚えがありませんのですけれど」
「はっはっは。辛辣だね。そこが良いんだけど」
ギロッ、と王族に対してしてはいけないと理解している顔でついつい睨んでしまう。
わざとなのか天然か、この方と話しているとどうにも反射で顔に出てしまうのだから仕方がない。
「ふふふ、その顔も素敵だよ。公爵夫人を想い出すなぁ」
うんざりだ。
――母親に似ている。
そう言われたのは身内ばかりで、実は片手で数えられるほどにしかいなかった。
言われるたびに誇らしくも嬉しく思う言葉であったが、最近はどうにも苛つきが先に来てしまう。
それもこれも目の前の変態男と、先程まで思い浮かべていた大嫌いな男のせいであった。
嬉しい褒め言葉とは、好ましい人物から言われて初めて嬉しく感じるものなのだとヴィクトリアは学んだ。
「殿下にお母様のお話をしてほしくありませんわ。穢れますもの」
ヴィクトリアの言葉に、先程腹に一発本気で重いのをくれてやったはずのに、全く堪えた様子の無い様子で殿下がにこっと爽やかに笑った。
なぜだろう。無性に殴り飛ばしたい。……さすがに顔を殴ると問題になるのでやらないけれど。
「じゃあ君が荒れていた原因については話していいのかな」
その言葉に、思わず顔が先程までの凄まじい険しさに戻ってしまう。
殿下が爽やかだった笑顔をひきつらせた。
「……うん。少し暴れて疲れただろう。ひとまず座って喉を潤してから、考えてみようか」
「ありがたく頂戴いたしますわ」
避難していた侍女や侍従がどこからともなく現れて、ヴィクトリアの前に紅茶と茶菓子を用意していく。
準備が整ったところで、殿下を無視して紅茶で喉を潤した。
にこにこと笑う殿下からのお咎めは無い。
いつものことだったから。
――いつものこと。
そう、これはいつものことだった。
ヴィクトリアは小さな頃から感情の起伏が激しかった。
普通の人であれば軽い好き嫌いであったとしても、ヴィクトリアにとってはそれがまるで生死でも掛かってるが如くに極端な好き嫌いとなって表出し、持て余していた。
やっと、なんとか感情の制御方法を覚えられたのは、それほど昔の話ではない。
よく母が言っていた。
『あなたはとても、素直な子なのね』
子どもの頃であればずっとそのまま、それでも良かったのだろう。
けれど、大人になるにつれて嫌でも素直なままではいられないのだと分かってしまった。
この激しい感情はさっさと呑み込むべきだ。
分かってる。
母はあのろくでなしでしかなかった男を、心の底から愛していたのだ。
分かってる。
――それでも。
許したくない、認めたくない、受け入れたくない。
これは我儘なのだろうか。
正しくない思考なのだろうか。
『あなたはとても、素直な子なのね』
感情の発散方法も制御の仕方も分からずに、年々周囲にひどく当たり散らかすばかりだったヴィクトリアを戒めたのは、いつだって母だった。
母の言葉はいつだって、相手の心に直接届けるようなものだった。
『あなたがとても羨ましい』
何故? と問うたヴィクトリアへの返答は母のお茶目な笑顔だった。
『でもやり方は考えるべきよ。――悪役令嬢って知ってる?』
母の語る寝物語はいつだってどれもが壮大で、脈略も無くめちゃくちゃで、そのくせ完成されたように複雑で緻密であったりもした。
ヴィクトリアは時に感嘆し、畏怖し、教訓ともした。
母はヴィクトリアが素直であることは得難い美徳であるのだと常々言い聞かせてくれた。
その度、ヴィクトリアは素直な気持ちの伝え方を母から教わった。
――だからヴィクトリアは荒れていた。
「あ、考えはまとまった?」
「……あの男が、全ての愛人と別れたそうですの」
ぽつり。
殿下に聞かせるでもなく、誰かに聞かせたいわけでもなく、確認するように空を見上げてヴィクトリアは言葉を漏らした。
「へぇ、そうなんだ」
律儀に相槌を打ってくれた殿下を丸ッと無視して、あの男を久々に真正面から見やった記憶を掘り起こした。
――それは、あの男が母の私室に入ろうとする瞬間を目撃した時だった……。
『なにを、してるんですの……?』
自分のものとは思えないくらいに頼りなくもか細く、とても弱弱しい声だった。
たとえ遭遇が不意打ちだったとしても、もっと怒鳴りつけるくらいはすると自分でも思っていたから、あまりに自分が想像外で内心動揺した。
『――妻に、会いにきたんだ』
堂々と宣ったあの男は、それだけ言えば充分なのだとばかりにそのままヴィクトリアから視線を外して母の私室に入ろうとした。
瞬間、カッ! と頭に血が昇るのが分かった。
『そ、の部屋は……ッ! お母様の日記がありますのよッ! それを無許可で勝手に――』
『許可なら息子がくれた』
頭が真っ白になるというのはこういうことだろうな、と当時のヴィクトリアはどこか頭の片隅で冷静に考えていた。
それ以上、言葉が出てくることはなかった。
『――ああ、やはり妻に似ている』
そのとき、自らがどのような顔をしていたのかは全く覚えていないが、さすがに懐かしそうに、穏やかに見られるような優しい顔ではなかったことだけは確かだった。
――絶句した。それは覚えてる。
最後にその言葉だけを残して、あの男はさっさと母の私室へと消えていったから、どんな顔だったかなんて聞けるはずもない。
聞くような仲でもないが。
「その上、居候すると勝手に宣言して」
「うん。元々は一応、彼の実家だからね……」
歯切れ悪く言葉を返した殿下を、やはり丸ッと無視してヴィクトリアの回想は続く。
――あれは、納得がいかなくて兄に文句を言おうとした時だった……。
何故許可を与えたのだと、そう問い詰めた兄が白状したところによれば、全ては母の意思だったのだという。
そう言われればヴィクトリアには何も言い返せなかった。
だからせめて顔を合わせないようにしようと、どうせ居辛くなってそのうちまた愛人をつくって出ていくに決まってると。
心底業腹だったが、そう自身を無理やり納得させて短期間の我慢なのだと言い聞かせたのに……。
あろうことか、――。
『これからはここに住むことにしたんだ』
あろうことかッ! あの男はまたしても自分勝手に……!
パリッ……。
「あ……申し訳ございません」
「いいよいいよ。――取り替えて」
置いたまま握っていた取っ手を割ってしまい、回想から一時帰還した。
殿下に謝罪したわけではない。
心を配って用意してくれただろう侍女たちへの謝罪だった。
殿下も理解していて、これは侍女らの不備ではない、という意味で許しを与えたに過ぎない。
「よほど腹に据えかねているようだね」
「――――」
腹に据えかねている。
そんなちんけな言葉でまとめられるような大人しい感情ではなかった。
ヴィクトリアにとって、あの男は父であって父ではない。
……別の言い方をしてしまえば、父自体を知らないのだ。
家で会うことは稀であったし、何からしい会話をした覚えもない。
よく考えてみれば、ヴィクトリアが知っているのは父ではなく、周囲から勝手に伝わるセドリック・クライモルテという男でしかなかったのだ。
――つまり、何も知らないも同然である。
だからこそ、今頃になって父として身勝手にやってきたあの男が受け入れられないのだ。
……父は、想像していた人物像とは吃驚するほどに掛け離れていた。
噂に聞くような軽薄さは見当たらず、むしろ独りを好むようだったし。
飽き性なのだと思っていたのに、母の私室に一日中籠っては静かに同じ日付の日記をずっと見ていた。
社交的だと有名な筈なのに、家族とすらもあまり会話が続かない。
今までの素行からも、さぞかし感情が豊かな人だろうと思っていたのに、実際には己を含めて殆どのことには無関心で素っ気なかった。
だが、それでも唯一母の昔話となると、まるで急に生命が吹き込まれたかのように父は別人のように全てが色づいた。
……ヴィクトリアはそれが、一番気に食わなかった。
母が笑った顔を、ヴィクトリアは覚えていた。
母が呆れた顔を、ヴィクトリアは知っていた。
母が怒った顔を、ヴィクトリアは眺めていた。
――けれど。
ついぞ母が悲しむ顔を、ヴィクトリアは見られなかった。
悲しい時は泣いて良いのだと、教えてくれたのは母だったのに。
苦しい時は苦しいと叫ぶのだと、そう教えたのは母だったのに。
……どうしようもない。
もう、どうしようもないことだった。
母は悲しい顔も、苦しい顔も、何も見せずに逝ってしまった。
最期の瞬間まで、母は微塵もそんな顔を見せることはしなかった。
ヴィクトリアは、悔しかったし、腹立たしかったし、辛かった。
何も言わないで逝ってしまった母の姿が……。
幸せそのものだったと語る、母の最期の姿が忘れられない。
「……どうしてお母様は、あんな男を愛したのかしら」
もっと苦しめばいいのに。
もっと悲しめばいいのに。
もっと、もっともっともっと――。
母を語るときの父の饒舌が、嫌いだ。
母を想い出す父の輝く瞳が、嫌いだ。
嫌い嫌い、大嫌いだ。
母の日記を愛おし気に優しく撫でる父の手が、嫌いだ。
母の記憶が残る唯一の場所に居座る父の姿が、嫌いだ。
嫌い嫌い嫌い、大大大嫌いだ。
「なんであんな男をッ」
どうして……ッ!!
「ふぇ……ひっく……」
悲しい時は、泣くと良い。
「うぅ、ッうわあああああああああああん!!」
苦しい時は、苦しいと叫んで良い。
『あなたはとても、素直な子なのね』
素直になれば、やっぱりあの男は大嫌いだ……。
けれど、母にとっては――。
『――ああ、やはり妻に似ている』
そんなことは、あの男からわざわざ言われなくとも、自慢の母から生まれたのだから似るに決まっている……。
あんな男が父でさえなければ、こんなに激しい感情の板挟みに苛まれることもなかったはずなのに――。
「ひっく、ひっく、ひっ……」
子どもみたいに、嫌なものは嫌だとずっと泣き叫んでいたい。
「うぅ、……」
感情のままに、二度と近寄るなと、あの場所からすぐさま追い出してしまいたい。
「おかあさまぁ……」
――けれど、いつまで経っても、結局どちらも中途半端にも出来なくて。
「お、おかあさまあああ……ッ!」
悲しい、苦しい、悔しい、腹立たしい。
『――妻に、会いにきたんだ』
どうして今頃になって、母に会いに来たの。
どうしてそんな顔で、死んだ母を語れるの。
あなたは母のことなんて、なんとも思ってなかったはずでしょう。
あなたは母のことをずっと、裏切ってたろくでなしなんでしょう。
父としても、男としても、ろくに何かをしてくれたわけでもないのに。
それでもあなたが母の最愛だったのを知っていたから、
――これでも受け入れようと、努力したのに……。
「ぎらいぎらい、だいっっっっっぎらい……!!」
嫌いだから、許してやらない。
大嫌いだから、認めてやらない。
大大大嫌いだから、受け入れてやらない。
「うぅ、……ぅひっく……ッ」
……でも母は、――母ならば。
愛したから、父を許すのだろう。
愛したから、父を認めるのだろう。
愛したから、父を受け入れるのだろう。
「ぅぁぁぁああああ――ッ」
ヴィクトリアが何を感じたところで、それは変わらない。
そして当たり前のように、あの男は母の愛を甘受しているのだ。
「わあああああああああああん……ッッ!!」
何も知らないくせに。
何もしなかったくせに。
「やだあああああァァァ――ッ」
いつだって母は、あの男を想っていた。――最期の瞬間までも。
寝食も忘れ、顔色悪く傍を囲んでいた家族の未来は、明るく笑ってあまり心配してくれなかったというのに。
――あの男の話なんて、誰もしなかったというのに。
「なのにぃ……」
――ふと、垣間見えた母の顔には。
何も言わなくとも、――しきりにあの男の、その行く末がどうなるのかと案じている様子が、隠しきれないほどに溢れて尽きなかった。
……最期の最後まで、――ずっと。傍に居た家族よりも、ずっと。
「ど、してぇ……ッ!」
母の今までを無碍にしてきたあの男を、何故許さねばならない。
母の心配を取り除けないようなあの男を、何故認めねばならない。
母の愛を今更我が物顔で受け取るあの男を、何故受け入れねばならない。
「ひっ、……ぅッ、ひっぐ……――」
――母が愛していたから。
愛していたから、許さねばならないの?
愛していたから、認めねばならないの?
愛していたから、受け入れねばならないの?
「ぁあ……ッ」
繰り返す、自問自答を遮るように脳裏に映り込んだのは。
見たことのないはずの、今となってはあり得ない情景だった。
穏やかな顔で、幸せそうに微笑む元気な姿の母と。
それを、愛おしそうに見つめる父。
そこには確かに触れてはならない、二人だけの特別な空気というものがあって。
実の子どもであってもとても、一歩を踏み出せるような場所ではなくて……。
――ふと、母がこちらに気付いて。
おいでと優しく手招いてくれるのだ。
そうして恐る恐る近寄っても、相変わらず父は母しか見ていなかったけれど。
それでも母が居れば、それだけで会話は凄く弾んで。
いつの間にかそこに、兄たちや双子も加わって――。
なんだかんだと、母を中心に楽しくて幸せな空間が出来上がってしまうのだ。
そこにいたヴィクトリアも、どうしてか同じように父を凄く嫌っていたようだったけれど。
それでもなんだか満たされた、
――とても満足そうな顔をしている情景が、鮮明に。
「おがあざまぁ……」
どうして今頃になって、母に会いに来たの。
――もっと早く、会いに来てくれていれば。
「おがぁざまあ……」
どうしてそんな顔で、死んだ母を語れるの。
――失ってから、素直になっても遅いのよ。
「なんでぇ……」
母を語るときの父の饒舌が、嫌いだ。
――どうしてそれを、母には伝えなかったの。
母を想い出す父の輝く瞳が、嫌いだ。
――どうしてずっと、母の傍に居なかったの。
嫌い嫌い、大嫌いだ。
「ぎらいぃぃぃ……ッッ」
母の日記を愛おし気に優しく撫でる父の手が、嫌いだ。
――母の最期までずっと、裏切ってきたくせに。
母の記憶が残る唯一の場所に居座る父の姿が、嫌いだ。
――母の最期までずっと、逃げ続けてたくせに。
嫌い嫌い嫌い、大大大嫌いだ。
「だいッ、ぎらいなのにぃぃぃぃぃ……ッッ!!」
ああ、嫌い。大嫌い。あんな男。
今更父親面だなんて、とんだお笑い種だ。
何百万回殴っても殴り足りない。
……なのに、殴れない。殴り飛ばすことが出来ない。
だって、それでも母が、……愛した人だったから。
――どれほど最低で酷い男でもッ。
……最期の最後まで、ずっとずっとずーっと。
死に際にさえ、母の傍に寄り添わなかった男だとしてもッ。
――母が最期に微笑んだまま逝った、最大の理由だったから。
ヴィクトリアたちが最も尊敬し愛した母が、……心から愛し、幸せな顔のままに逝かせてくれた人、だったから――。
……それを母の代わりに、だなんて。
あの男への恨み言だなんて、……母から言われても聞いてもいないというのに。
母の気持ちをこうであればならない、などと勝手に想像し、決めつけようとして……。
――まさかそれを免罪符に激情のまま……勝手に父を殴ることは出来ない。
それは、母の幸せな最期を踏み躙る行いだ。
母の想いを軽視したのだと、勝手に慮った偽りの行いだ。
……どこまでいっても結局これは、ヴィクトリア自身の個人的で身勝手な憤りなのであって、母のものではない。
これはあの父と母には必要のない、お節介で余計な激情だった。
そもそも、たとえ己の鬱憤晴らしでいざ殴ろうとしてもどうせ、最期に見た母の姿がすぐに思い浮かんで足が竦んでしまうだろうに。
――けれどもし、もしも勢いのままに全て任せてしまえたらと思うこともあって。
……その度、もう会えない母に。
心から尊敬し愛した母に誇れる行いなのだろうかとつい、考えてしまうものだから。
ヴィクトリアは結局、あの男を遠くから睨むくらいしか出来ないのだ。
――もしあの男を本気で殴りたいのなら。
母以外での正当な理由を見つけてからでなければならない。
だから、……。
……だから、悲しくても、苦しくても、悔しくても、腹立たしくても、辛くともッッ!!!!
――この激情は、いま、呑み込まなければならないものだ。
母が最期まで、何も言わなかったから。
悲しいとも、苦しいとも、辛いとも。
……それが、母の答えなのだ。
母の気持ちを勝手に推し量ることなんてしてはならないから、母が残してくれた全てをありのままに受け止めなければならないのだ。
……それでも許したくなくて、認めたくなくて、受け入れたくなくて、ここまでみっともなくも激情のままに泣いて怒って苦しんで――。
気付けば、いつの間にか暖かな人肌に包まれていたことに気付いた。
というより、あまりに自然な抱擁で全く気配に気付かなかった。
「――ん。もういいのかい」
そう言った殿下は、胸元がびしょびしょに濡れていたし、服は所々無惨に破れてぼろぼろになっていた。
思わずびっくりして、とめどなく溢れる涙も、荒んだ感情も、一瞬で止まってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「うん。いいよ」
ヴィクトリアの乱暴をあっさり許した殿下は、そのまま泣いて感情を吐き出してすっきりしたことで、幾分か冷静になってしでかしたことに赤面するヴィクトリアを落ち着かせるよう、頭を優しく撫でてくれた。
暫くそのままそうしていたが、殿下が黙って聞いてくれたお蔭で大分治まった感情を確認し、ヴィクトリアは覚悟を決め立ち上がった。
ゴッ!
「殿下! 本日はこのままお暇致しますわ! 後日また、お礼を持って参りますことよ!」
「ゔん……待ってるよ。気をつけてお帰――」
顎下を抑えながら殿下が何かを言っていたが、ヴィクトリアは気にせず席を辞して、そのまま公爵邸への帰りを急いだ。
――女は度胸、ですわ!
若干、ズレた意気込みと共にヴィクトリアは目的地へと一直線に走り抜けていた。
途中、驚く兄たちをはじき飛ばしたような気もしたが、そんな光景がしばらく前まで日常茶飯事だったヴィクトリアにとってはとても些細なことであった。
バンッ!
「――お父様!」
勢い込んで飛び込んだ先は、母の私室のうちのひとつだった。
――最近、ここにいることは知っていた。
嫌っているからこそ、遭遇しないように逐一居場所を把握するのはヴィクトリアにとっては当たり前なのであった。
そして初めて父と呼ばれた張本人は、ヴィクトリアの勢いと声に少し驚いて目を瞬かせたが、大して大きな動揺は見られなかった。
そんな様子にもイラッとしつつ、ヴィクトリアは用件をささっと済ませることにした。
大きく息を吸って吐いて、一拍置いて高らかにヴィクトリアの声が響き渡る。
「わたくしッ! お父様のこと大っっ嫌いですわ!」
「……そうか」
娘の大嫌い宣言にも、やはり微塵も動揺の欠片が見当たらない父にまたまたイラッとしつつも、ヴィクトリアは言葉を続けることにした。
世の中の父親だったならば、……なーんて不毛な考えはこの父親の前では無意味なものなのだ。
「ですがッ! お母様のお話を聞いて下さるお父様のことは、嫌いではありませんことよッ!」
「そうか」
先程よりは幾分かマシになった反応に、ヴィクトリアはとりあえず言いたいことは言えたと父に背を向けることにした。
そして、呼び止める声はついぞ聞こえなかった。
そのまますたすたと真っ直ぐに自分の部屋に戻って、ヴィクトリアはよろよろと地べたに座り込んだ。
分かっていたことだが、どうしても納得できないことがあった。
「……はじめてお父様と呼んで差し上げたというのに」
特に反応無しとはどういうことだろうか。なんだあの男。
娘が頑張って歩み寄ろうと努力しているというのに――。
またしても、ヴィクトリアが父を嫌いな理由が増えたのだった。
パパなんて大キライ!
世の中の、大体のお父さんにはおそらくグサッと突き刺さる言葉ですかね。
これがツンデレに入るかどうかは読者の胸三寸……。
そして実は母が裏(手紙)で父をかなりディスってたって知った時のヴィクトリアの顔が見てみたいですね。
あ、もし母の日記(未公開)を今後読むことがあれば、内容がけっこうアレ……げふんげふん。
父の心、娘知らず。娘の心、父知らず。母の心、(以下略
でもこの父娘の場合、たぶん父が九割九分悪いと言われても仕方ないのかもしれない。
この二人はともかく、一般的に娘が父親を嫌う主な理由って遺伝子レベルなのだという話もあるので。
なのでもう、嫌われるのは仕方ないことと諦めるべきですね(無慈悲。
こうしてハッキリと好悪を物申したり、泣いたり怒ったり殴ったりと色々忙しいヴィクトリアですが、
激しい内面をそのままに書いたので、書き終わった後はちょっと本当に疲れました……。
たぶん、クスッと笑えたのは最後くらいですかね。
もしかしたら今回のお話を読んでいて、
同じように同調して感情を強く刺激された方も居るかもしれません(ちょっぴり泣きながら書いてた人。
そうであると、書いた甲斐があるというものです。
あ、王太子殿下ですか? 今回しか出ませんよ。
というか、この後はもう空気みたいなもんなので。忘れていいです(耳ほじ。
それでは次回、「次男の場合」
前話で最後のほうに登場した、眼鏡く……エドワード君が本当のところ何を思っているかの話です。
またまた明日の、同じ時間に予約投稿されます。
では、ヴィクトリアに殴られたい人、ヴィクトリアに泣かされた(い)人、
もしくは大嫌い! にひそかにダメージを負った方はこのお話に「いいね」を是非。(!?)
ついでに感想やらもらえると嬉しいです。
次回もお楽しみに!(後書きが長くなりもうした……)