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ベルナス市の風景、前


メルワーレは、屋根の上に張り付いて平べったくなり、マキアートの薬屋の裏口を見張っていた。


アロッホを追いかけ、森の中で見失ったのは、もう半月ほど前の事だ。

あの後、メルワーレは酷い体調不良に見舞われた。

眠らされ、毒を盛られた。

意識がもうろうとするほどの高熱と体をえぐられるような腹痛に襲われて、三日ほどの間、身動きする事すら叶わなくなった。


小屋の中に飲み水が用意されていなかったら、そのまま死んでいたかもしれない。

だがメルワーレは生きていた。

衰弱しつつも動ける程度の体力を取り戻して、どうにかベルナス市まで戻った。


あらかじめ確保しておいた宿屋の部屋に籠って数日休みながら、モロトロス公爵にあてた報告書を書いた。


もしこれでメルワーレが死んでいたら、モロトロス公爵はアロッホを敵と認定しただろう。

だがメルワーレは生きて帰った。

森で起こったことを正直に報告すればするほど、メルワーレのポンコツさが浮き彫りになるばかりだ。


あれは、一種のメッセージなのだ。


アロッホはメルワーレを殺そうと思えば殺せた。

寝ているところに近づいて首を掻き切るとか、もっと強力な毒を使うとか、やり方はいくらでもあった。

だがそれをせず見逃した。


その一方で、トラウマを残すようなひどい目には合わせた。

そのダメージもギリギリ死なないように調整した。

生きて帰り、報告させるためだ。


これは一種のメッセージなのだと、メルワーレは理解した。

アロッホは追われたいと思っていない。

追われた時のために万全の準備がしてある。

今回は命までは奪わない、だが次は?


結局、メルワーレは全てを正直に記した。

嘘をついた所で、追跡調査されればすぐバレてしまう。

おそらく、モロトロス公爵からは失望されるだろうが、仕方がない。


暗号化した報告書を早馬に託してから、返事が来るまでの間、メルワーレはマキアートの薬屋を見張ることにした。

アロッホがもう一度現れるとしたら、そこしかない。


そうして、何の進展もないまま10日が過ぎた。



上から見張っていると、一日に数度、薬を買いにやってくる者がいる。

ホロム病はこの町でもいくらか患者が出ている。

マキアートの店に薬があると聞いて、助けを求めに来るのだ。


マキアートは、金さえ出せば誰にでも薬を売る。

ただし絶対に価格を変えない。

足元を見て値上げするような事はしないが、銅貨一枚たりとも値引きしない。


金貨五枚は、平民にとっては手が出ない金額。

正直、メルワーレでも全財産を処分しなければ買えないような物だ。

殆どの客は、悲しそうな顔で帰っていくことになる。


今もまた一人、子どもが道を歩いてくるのが見える。

恰好からしてお金がなさそうに見えた。

それでも、小さな財布を大事そうに抱えて、薬屋に入っていく。


金貨五枚ならあんな大きさにはならないし、銀貨だとしたらたぶん足りない。

もちろん、別の薬を買いに来たのかもしれないが……。


しばらく見ていると、子どもは残念そうな顔で出てくる。

やはり足りなかったか。


とぼとぼと歩く子ども。そこに大柄な男が二人、突然現れて、子どもを壁際に追い込む。


「おい、ガキ。おまえ金持ってんだろ」

「も、持ってません」


子どもは怯えながら否定する。

男たちは怖い顔で詰め寄る。


「嘘つくんじゃねぇよ。こっちは全部見てたんだ。薬は買えたか? どうせ買えなかったんだろ?」


なるほど、とメルワーレは感心する。

薬は平民にとっては縁がない高い買い物だ。

薬屋に入る人間は、絶対に大金をもっているに違いない。

あれは少ない労力で金を稼ぐならいい手段だろう。

恐喝が犯罪であることを無視すればの話だが。


男の一人が財布を奪う。


「か、返して。それは僕の……」

「なんだこいつ……銀貨かと思ったら、全部銅貨かよ。バカが。こんなんで薬なんか買えるわけないだろ」


状況は、思っていた以上に悲惨だった。

子どもが持っていた金額は大したものではなかったようだ。

それでも、あの子どもにとっては全財産に違いない。それを支払っても助けたい人がいたのだろう。


どうしようかと、とメルワーレは迷う。


恐喝は犯罪だ。止められるなら止めるべきだ。

そして、メルワーレは戦闘訓練を受けているし、武器も携帯している。

あの男たちがまとめてかかってきても勝てる自信はある。

どうせ今日もアロッホはこないだろう。ここに隠れている事など無意味だ。


だが、ここで姿を見せる事は、マキアートに自分の存在を教えるような物だ。

メルワーレの考えが正しければ、アロッホは自分の姿を見たが、マキアートはまだのはず。


ここで姿を現せば、メルワーレの任務の成功率はさらに下がる。

やはり見て見ぬふりをするべきか。


メルワーレが良心の呵責に苛まれつつも、見て見ぬふりを貫く事を選択しようとした時、未知の向こうから、何か青い物が矢のようにかけて来た。

矢ではない、人間だ。


それは青いフードを被った少女だった。

子どもと男たちに衝突するかと思いきや、その寸前で止まる。


「やめなさい!」


その10代前半ぐらいの少女は、見かけからは想像できないような大声で、男たちを制止する。


「なんだてめぇ? このガキのお姉ちゃんかなぁ? あれ? 結構かわいい顔して……」


男の一人が少女に手を伸ばすが、その手が手首から切り離された。


「あっ? ああああああっ?」


刃物などは見えなかった。魔術だ。

傷口は一瞬で凍り付いていて、出血すらない。


「なっ、なななななぁ?」


男は言葉にならない悲鳴を上げて、その場に尻もちをつく。

少女は、もう一人の男を睨みつける。


「そのお金を、返してあげなさい」

「ち、違う。この金は、えっと、こいつが俺らから盗ん……」


あまりにも出来の悪い嘘だったが、返す気がない事だけはよくわかった。


少女が何をしたのかはわからない。

その男は、一瞬で、氷の彫像に変わっていた。

少女は、その手から財布をもぎ取る。


一人残された男は、先端を失った手首を抱えて、しりもちをついたま、少女から距離を取ろうとする。


「ま、待ってくれ、俺には妹がいるんだ。病気にかかっていて、助けるためには薬が必要なんだ。だから金が……」


最後まで言い切る前に、少女の右足が男を蹴り飛ばした。


「それは嘘」

「ど、どうしてわかるんだ」

「仮に本当だとしても、あなたには人を助ける権利がない」

「いや、信じてくれ、本当に妹が……」


もしかして、病気の妹は本当なのでは、とメルワーレは思う。

あの男が薬屋に入っていくのを、一週間ほど前に見たような覚えがあった。

もちろん金が足りなかったらしく、最後は怒声を上げながら追い出されていたが。


少女は感情の混じらない声で告げる。


「安心して。あなたの妹が実在するとしても、すぐあなたと同じところに行くから」


ザシュッ


氷でできた槍のような物が、男の胸を貫いていた。

あれは即死だ。


少女は、奪い返した財布を返そうと子どもの方に足を踏み出す。

子どもは、ひっ、と声を上げて逃げようとする。

いきなり目の前で二人の人間が死んだのだ。

冷静ではいられないだろう。


まずいと思い、メルワーレは飛び出す。

屋根の上から道路まで十メートル近くあったが、レンジャー技能を持つメルワーレには大した高さではなかった。


任務の失敗など、もうどうでもよかった。

アロッホだろうがそうでなかろうが、こんな凶行が行われている道を通るわけがない。


メルワーレは子どもを後ろから捕まえると、荷物のように担ぎ上げた。

そして少女に言う。


「いくらなんでも、殺すのはやり過ぎですよ。場所を変えましょう」

「……」


少女も、それは自覚があったのか、無言で頷いた。



何も殺すことはなかったのでは

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