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連環魔道術②



 空の上、あれよあれよと言う間に連れて来られたベロニカは、初めて見る上空からの景色を堪能する間もなく、連れ去った相手に噛みつく。


「離して!」


 そして暴れる。

 両脇をガッチリと抱えられ、滅多なことでは落ちないと覚悟を決めたベロニカは、腕や足を盛大に動かす。

 まな板の上の鯉のようにジタバタと抵抗するベロニカに、連れ去った翼人はとうとう悲鳴をあげる。


「あわわ! あんまり動くと落ちちゃうんだ!!」

「にゃっ、その声は……!!」

「ローニャ、ごめん。でも僕らの目的の為に、ローニャの身柄は譲れないんだ!!」


 ベロニカはなるべく下を見ないよう心掛ける。

 数秒前は勢いよく体を揺らしていたが、橋から数十メートルは身体を竦ませるには充分な高さである。どれだけ状況を脱したいと願っても、根源的な恐怖に打ち勝つには相当な勇気を必要とする。

 ベロニカを攫った翼人、リルエットはベロニカを抱えたまま旋回する。

 遠くには何隻か船舶が見え、その内の一隻は『紅燕の旅団』が用意した撤収用である。橋の上での襲撃、例えベロニカを捕えても橋門都市で奪い返されては意味がない。逃走は大河から、後は依頼主に近い岸辺から上がればいい。


(どうしよう。どうしたらいい?)


 幾分か猶予はあるが、逃げる方法は思いつかない。


「……ねえ、リルエットは、オレーサの時から気付いてたの?」

「全く知らなかったんだ」


 ベロニカは背中のリルエットに問い掛ける。

 顔見知りが実は敵だった――なんて、別段珍しいことではない。情報の伝達が遅く、陰謀渦巻く世界では、然るべき時に正しい情報を得ることは出来ない。

 しかしリルエットの場合、それは度を越していた。


「それ以前に、あの時はローニャを移送する話も知らなかったんだ」

「……どういうこと?」


 リルエットは口が軽い。

 レッドブラフやオーガスタのような旅団員はある種のプロ意識を持ち、些細な情報も口外にしない。けれどもリルエットはベロニカの問い掛けに答え、剰え本人しか知らない情報を落とした。

 地上を浚った手腕とは微塵も関係ない。中身はあの、少し抜けた部分のあるリルエットのままだとベロニカは察する。


「僕は団長だけど、依頼はレッドブラフやチェサ、フリントやオーガスタ……隊長たちが独自に取って来るんだ」

「私や無頼は顔馴染みだけど、途中でやめようとか思わなかったの?」

「……目的の為なんだ」


 リルエットが声を詰まらせる。

 ベロニカはどうにかして続きを聞き出そうと口を開くが、言葉を紡ぎ出すより先にリルエットは零す。


「剣竜山脈から同胞を救い出して、無事に暮らせる国を作るんだ。その旗印にはローニャ、皇帝の血筋が必要なんだ」


 ベロニカは幼い記憶を呼び起こす。

 王宮の噂話に叔父王と大臣の密談、クーデターを望んだ家臣たちの建前――どれにも、必ず現れた単語。


「初代皇帝の血筋……黄金色の瞳……」


 思いもよらぬ方面からの切り口に、ベロニカは言葉を詰まらせた。

 戦争の最中にベロニカを攫った相手が、自分たちの国を創る為の旗印に利用しようとしている。リルエットたちの国とは別口かもしれないが、それでも攫ってから協力をお願いするのは、あまりに都合が良すぎる。


「でもさ、どーやって剣竜山脈を突破するの? 山越え? 谷越え? どっちのルートでも厳しいと私は思うにゃあ……」

「僕もそこが不安だったんだ。だから、腕利きの魔道士を借りるんだ」

「山越えの出来る魔道士?」

「谷越えなんだ。向かってくるドラゴンを、片っ端から落とせる魔道士なんだ!」


 リルエットの口調は、何処か誇らしげであった。

 確かに竜の巣に飛び込んで進む道は簡単だ。ドラゴンさえ退けることが出来たなら、後は平坦な一本道で、危険は少ない。けれども剣竜山脈に住まうドラゴンは半数以上が飛竜であり、飛竜は巨大な躰を持ち、獰猛な性格をしていると有名だ。

 それらの飛竜を倒して進むには最低でもミロシュに並ぶ破壊力で、アーデルハイドに負けない速射性を実現しなければならない。

 それを可能にする実力を持つ魔道士は、ベロニカが知る限りでは祖国の王宮魔道士ただ一人のみである。


「でもさ、リルエット」


 高高度に慣れてきたベロニカは、真下の戦況を確認しながら会話を続ける。


「今まで幾つもの国が挑んで失敗した魔境だよ。そんな簡単じゃにゃいと思うけど」

「うん、それは良く知っているんだ」


 剣竜山脈の奥地に冒険者バーネットの秘宝が隠されているという伝説は、全世界に知られている。子供の頃に夢見た金銀財宝を忘れられない大人は多く、彼らは幼き夢と実利の伴った目的を掲げ、剣竜山脈に挑んでいった。時にそれは一介の冒険者であり、一国の王であった。


「失敗した人たちも、僕らと同じ間違いをしてるんだ」

「にゃ?」

「大切なのは、パーティのバランスなんだ。必須なのは竜を撃墜できる魔道士くらいで、後は水と食料を運ぶ人員。空飛ぶ相手と戦うのに、地上で剣を振り回しても意味はないんだ。多くて四、五人……それで充分なんだ」


 リルエットの言葉は、剣竜山脈攻略を掲げた『紅燕の旅団』の存在意義を否定する。

 彼らの多くは剣や槍、騎乗を始めとした陸上戦闘を主とした騎士で、魔道士と競えるまで魔道術を極めた者はいない。


「でも僕は、僕の目的について来てくれた皆を連れていきたい。だから、バインデールと取引をしたんだ。彼は……、出来ると言ったんだ」

「バインデール?」


 リルエットの言葉を、ベロニカは思わず復唱してしまう。

 特に意識して誘導していた訳ではない。会話を交わす中で、無意識の内に出てきたらいいな、と思う程度であった。


(まさか、本当に喋るとは思わにゃんだ……)


 流石のリルエットもまずいと思ったのか口を噤み、その反応がベロニカの想像を裏付ける。


 バインデール。


 その名前の人物が自分を欲しているのだと、ベロニカは脳裏に焼き付ける。


「リルエット、その人に私を連れて来いって言われたの?」

「あ、あのね、ローニャ……」

「リルエット、私は諦めが悪いの」


 ベロニカは真下を眺め、大きく息を吸い込む。


「誰が私を狙おうと、絶対に逃げて、生き延びるんだって決めてる」


 ただならぬ決意が籠められた言葉にリルエットは気圧され、ベロニカはあっと言う間に拘束を振り解く。


「だから私を、殺さないでね」

「え……、ローニャ!!」


 ふわり、とベロニカの体が浮き、重力に逆らわず落ちていく。

 地上から数十メートル。

 大の字に手足を広げたベロニカは、目を閉じる。白銀の髪が靡き、ぐんぐんと終着点である橋が迫る。


「ローニャ!」


 地上に衝突するまで残り数メートル。

 必死に戦う騎士や無頼たちを横目に、ベロニカの躰は再び旋風に浚われる。


「なんて無茶を!」


 間一髪でベロニカを拾い上げたリルエットは、華麗な羽捌きで体勢を立て直す。


「無茶しないと、終わっちゃうでしょ?」


 リルエットの腕の中で、ベロニカが微笑む。


「スペちゃん……《少しだけ、使って良いよ》」


 そしてマントの中に隠れた水精スペリオルに、自らの生命力(まりょく)を分け与える。

 スペリオルが生み出した水はベロニカの躰を包み、リルエットの腕とベロニカの合間に明確な隙間が生じる。

 リルエットがそれに気付いた時には既に手遅れで、細身のベロニカは僅かな隙間から抜け出していた。


「この高さなら、怪我もしないよ!」


 足から一直線に落下するベロニカは、再び捕えようと迫るリルエットを制する。右手には黒短刀を握り、暗殺者のマントとローブはバタバタと風を受けている。

 リルエットは体を捻って軌道を変える。

 足場のない空中で、ベロニカが突き出した短刀は虚しく空を切る。

 しかし命を賭け金に、ベロニカはリルエットの拘束から脱したのだ。


「レッドブラフ! チェサ!」


 リルエットの澄んだ声が戦場を切り裂く。


「《僕らは唯の渡り鳥。風の流れには逆らわない》」


 けれど、『紅燕の旅団』との戦いは終わっていない。

 地上では無頼がレッドブラフやチェサと刃を交え、ミロシュとラウトが前衛の無頼を盾に他の騎士と位置取り合戦をしている。


「無頼、ミロ、ラウト」


 ベロニカが降りたのは、奇跡的に生まれた空白地帯――両陣営、手を伸ばせば容易に届く距離である。


「《我は手繰る者》」


 ミロシュが早口で触糸魔道術を展開する。

 己の魔力核を犠牲にしたオリンピアほどの量はないが、ミロシュの意思を受けて蠢く魔力糸の束を警戒して騎士たちは近づかない。

 華麗な着地を披露したベロニカは上空を警戒しながらも、一番狙い易い着地時を見過ごした騎士たちを訝しむ。


「ぼさっとしないで、ローニャ!」


 退いた騎士たちを囮に、魔力糸の影から二人の騎士が迫る。距離はみるみる内に詰まり、ベロニカは反射的に振り返る。


「スペリオル!」

「がってんしょうち!」


 水精は水の塊を二人の騎士に向けて飛ばす。

 けれど騎士は無造作に手を動かして魔力の籠った水塊を振り払い、ベロニカを捕えようと迫る。


「ローニャ、伏せて!」


 ベロニカは頭を下げ、その真上をミロシュの短槍が薙ぎ払う。

 手を伸ばした騎士たちは慌てて足を止め、引っ込めた腕にミロシュの魔力糸が絡みつく。


「《収束せよ》」


 魔力糸に絡め取られた騎士は体勢を崩し、二人の騎士は肩と太腿をそれぞれ射抜かれ後退する。


「にゃ、ミロ、大丈夫、大丈夫だから!」


 ミロシュはベロニカを抱きかかえ、前線から離れる。

 ベロニカは頻りに大丈夫、と口にするが、躰は微かに震えている。事実騎士が迫った時も、ベロニカの足は竦んで動かなかった。


「ラウト、ローニャをお願いします」


 端まで戻ったミロシュはベロニカを放り投げ、無頼を援護しようと詠唱を始める。

 ベロニカの近くでは『紅燕の旅団』の騎士が二人倒れ、ピクリとも動かない。

 ミロシュの背中からは然とした焦燥が滲み、前で孤軍奮闘する無頼はチェサとレッドブラフの猛攻に押し込まれている。


(戦況が変わった……?)


 ベロニカは改めて戦場を見渡し、様変わりした戦力図を吟味する。

 旅団の人数は着実に減っている。けれど無頼とミロシュが圧倒していた個人技に翳りが見え、そこから突き崩されているのだとベロニカは察する。


(慣れた? いや、ひょっとして……)


 ベロニカは空を仰ぎ、大翼を広げ旋回するリルエットを睨む。


(うーん、難しいかにゃあ……)


 頭上を脅かすリルエットが作用して、『紅燕の旅団』本来の力を引き出すとしたら、それに対する有効的な方策はないに等しい。

 地上に立つ四人に、上空のリルエットを落とす手段はないのだから。



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