10『おっさんの健康意識』
熱せられた鉄板の上で、肉厚な鮭の切り身がじりじりと縮んでいく。
皮目がこんがりと狐色に染まり、特有の芳ばしい匂いが部屋いっぱいに立ち込めた。
「七瀬さん。ちょっと早いけど昼飯できたぞ」
お味噌汁を器に注ぎながら、居間にいる七瀬さんを呼ぶ。
「家にお邪魔したうえにご相伴にまで預かって……すみません、彼方くん」
「いいっていいって。料理するのは好きだし」
今日の献立は、白米、味噌汁、焼き鮭にサラダ。
もう一品なにかおかずを追加したかったが、あいにく冷蔵庫は空っぽだった。
「ううむ、これを見ていると、つまみにチーチクが欲しくなりますね」
「チーチク?」
「ちくわの穴にチーズを詰めたものです。揚げたりするのも最高なんですよ」
自分の分の皿を運び終えた七瀬さんが、俺の分の皿もテーブルに運んでくれる。
「揚げ物って健康に悪いし、家で作るのめちゃくちゃ面倒なんだよな……」
「店で注文すればいいじゃないですか。週に二、三回くらいなら問題ないでしょう」
「いや、多すぎでしょ」
まったく。これだからおっさんは健康に無頓着なのだ。偏見かもしれないが。
「七瀬さんはもう立派なアラフォーなんだから、揚げ物はどれだけ多くても週に一回までにしといたほうがいいと思う」
詳しく聞いてみれば、七瀬さんの自炊レパートリーは「丼もの」一択らしい。
ひき肉を醤油と砂糖、みりんで炒めて白米に乗せ、さらに生卵をトッピング。
そこへ、雑な健康意識からコンビニの小さなサラダを追加する。まさに『男飯』の極みだ。
「朝はバナナとプロテインを飲んでいますし、昼は有名な定食屋を利用しています。ほら、すこぶる健康的でしょう」
「それは素晴らしいけど……絶対に野菜が足りてない」
「足りてます」
「足りてない」
「昨日、きゅうり食べました」
「一本?」
「半分」
「やっぱり足りてない!」
席に座りながら、俺はピシャリと断言した。
定食屋の弁当に入っている申し訳程度の野菜なんて、カウントに入らないのだ。
「時々リンゴを買えばそれで十分です」
「その根拠は?」
「健康診断で再検査になったことがありません」
「本当に?」
「……要経過観察ならありますが」
「あるじゃん!」
七瀬さんはわざとらしい咳払いをすると、強引に話を切り上げるように手を合わせた。
「い、いただきます!」
「……いただきます」
仕方なく、俺も手を合わせる。
七瀬さんは箸を取ると、真っ先に鮭へと手を付けた。対する俺は、当然ベジタブルファーストでサラダからだ。
『いやぁ……こういう尊い日常シーンも最高だよねぇ』
突如、脳内に直接語りかけてくる若い男の声。
男子高校生とおっさんを二人組の魔法少女にするという、狂気の沙汰を成し遂げた元凶――カミィだ。
「……プライバシーって言葉、知ってる?」
『僕がそんな高尚な概念を気にすると思うかい?』
気にしないだろうな、こいつは。
『日常回はキャラの意外な一面を知れて、愛着が湧くから大好きなんだよ』
「相変わらず、人の現実を物語扱いですか……」
「ほんと、趣味悪いよな」
せっかくの美味しいご飯タイムに水を差された。
俺は鮭の身をほぐして口に放り込む。控え目なしょっぱさが心地良い。
『でもさ、七瀬くんは「ちょっと味が薄いな」って思ってるらしいけどね?』
「カミィさんっ!? い、いや! 美味しいですよ、彼方くん! 本当に!」
「……まぁ、七瀬さんが元気になってくれたなら何でもいいよ」
慌てるおっさんを見て、少し毒気が抜ける。
『そうだねぇ。同僚が行方不明になって、一時は死にそうな顔で落ち込んでいたもんね』
カミィの言葉に、食卓の空気が凍りついた。
七瀬さんの職場の同僚・吉川さん。先日のグリフォン襲撃の後から、行方不明となっていた。
七瀬さんはここ数日、「自分の力が足りなかったせいだ」と激しく思い詰めていたのだ。
「吉川さんが避難所に向かう姿は、確かに確認していたのですが……。一体、何があったんでしょう」
「怪物の襲撃の際の行方不明はよくあることだから……」
『そうだよ。七瀬くんは最善を尽くしたと思うよ。……ふふっ』
何がおかしいのか、カミィが含み笑いをもらす。
その笑い方に、背筋が少し寒くなった。
「……そうでしょうか。私がもっと強ければ、一瞬でグリフォンを倒せていたわけですし」
七瀬さんが、また自分を責めるモードに入りかけている。
真面目で責任感が強い人だから仕方ないとはいえ、これ以上自分を傷つけてほしくない。
俺は強引に、本題へと話を切り替えた。
「だからこそ、これからについての話をしよう。俺たちはこれからも野良の魔法少女として活動する。その上で問題になってくるのは、怪物以上にノーラだ」
「はい。前回彼女から逃げられたのは、ただの幸運。次は捕まる可能性が高いです」
ノーラの身体能力は圧倒的だった。
『ノーラ……というより、政府公認の正規魔法少女はちゃんと訓練を受けてるからね。魔力で肉体を効率よく強化しているんだよ』
「なるほど、だからあんなにスピードに差があるのか」
『あとは単純な基本スペックの差だね。君たちの身体能力を数値化すると、ノーラが【100】。それに対してエレナが【60】、シルバが【20】さ』
「足して80……二人合わせてもノーラ一人に届かないじゃん」
『あの子は近接特化だからね。しかも君たちは、一つのスペックを二人で分け合っているバグ状態だし?』
「これじゃあ、仮に身体強化を覚えたとしても逃げ切れない……」
『そこは、七瀬くんのワイヤーを駆使して何とかしなよ』
ぐうの音も出ない。
文句を言ったところで変わらないのだから、知恵を使うしかない。
「どちらにせよ、まずは魔力の扱い方を学ばなければならないのは事実です。ですが、我々に教えてくれそうな人なんて……」
「ノーラは出会った瞬間、問答無用で襲いかかってくるだろうしな」
国に属さない、俺たちと同じ野良の魔法少女を頼るしかないが、当然そんな伝手はあるはずもない。
『迷える子羊たちのために、心優しいカミィが導きの手を差し伸べてあげようじゃないか』
「……心優しい?」
七瀬さんが、あからさまに目を丸くする。
『僕以上に慈悲深い存在なんて滅多にいないよ? ……まあそれは置いておいて、君たちにはプロメテウスをお勧めするよ』
「プロメテウス?」
「……前にカミィさんがおっしゃっていた犯罪組織ですよね? どういうつもりですか?」
カミィは俺たちを魔法少女にした挙句、今度は犯罪者の仲間に引き込む気か?
『誤解だよ。プロメテウスに加われって言ってるわけじゃない。彼らが運営している掲示板を利用したらどうかって話さ』
「掲示板、ですか?」
『そう。プロメテウスはアプリの他に、完全非営利で野良の魔法少女たちのためのコミュニティサイトを運営していてね。いわば、お互いを助け合う互助会さ。プロメテウスからの勧誘や仕事の依頼はうるさいけど、断っても実力行使はしてこないよ』
カミィの解説によると、そのサイトは元々プロメテウスとは何の関係もない、ノクシアという野良の魔法少女が個人で作ったものらしい。
彼女のように、訳あって政府の犬になりたくない魔法少女たちのための情報交換の場だった。
だが、彼女にはネットの知識が致命的に欠けていた。
あろうことか表層ウェブにサイトを作ってしまい、あっさりと日本政府に補足・監視されるハメになったという。
そこで困った彼女がプロメテウスに依頼し、アクセスを秘匿できるダークウェブに作り直してもらったのだそうだ。
今でもノクシアが多額の維持費を払い、プロメテウスにサイトのサーバー維持を任せている状態らしい。
ノクシアが多額の金を払う引き換えに提示した条件は、たった一つ。
『サイトに来る野良をプロメテウスに勧誘するのは自由。だけど、それ以上の強制や干渉は一切するな』。
「その掲示板、本当に利用して大丈夫なのか? 閲覧しただけで警察に捕まったりしない?」
『法的にはグレーゾーンじゃないかなぁ? 詳しくないからわからないけど』
「相変わらず無責任……」
けれど、現状そのサイト以外に手はなかった。
政府に魔法少女のトレーニング方法が独占されている中、唯一、魔力の扱い方などが転がっている場所なのだ。
「……どうする、七瀬さん?」
俺の問いかけに、七瀬さんは小さく息を吐き出し、力強く頷いた。
「リスクはありますが……やりましょう。強くならなければ誰も守れませんから」




