1『ボーイ・ミーツ・オッサン』
「おっさん……ゲホッ……俺を置いて逃げてくれ……」
「そんなことできるわけないでしょうっ!」
偶然同じ道を歩いていただけの見知らぬおっさんが、大怪我を負って動けない俺を背負って必死に走っている。
背後から響くのは、鼓膜を震わせるズシン、ズシンという重低音。アスファルトがひび割れる音がする。ドラゴンのような怪物の足音だ。
「おっさんまで死んでしまうから……それはいやなんだよ……」
「っ! 魔法少女はまだ来てくれないんですかっ!?」
20年ほど前、世界に穴が開き魔力という未知のエネルギーが地球に漏れ出した。それと同時に特撮番組に登場するような怪物が世界に誕生することになる。
そして、超常的な力を得た人間も。なぜか年若い少女に限られ、彼女たちは魔法少女と呼称されている。
「ニュースを見ては『少女に戦わせるなんて』と憤慨したものですが、今だけは魔法少女に縋りたいです!」
「自衛隊も頑張ってるだろ……」
喉の奥から血がこみ上げてくる。
背中から感じていた激痛が少しずつ薄れ、意識は朦朧となっていく。……ああ、これはダメかもな。
「おっさん。俺を投げ捨ててくれ。俺が喰われてる隙に逃げろ」
「…………」
おっさんもきっと、本心では理解しているのだろう。このままではおっさんは無駄死にすると。
即座に決断できないのは、一度俺を助けると決めた自分に一貫性を持たせたいからか。俺を背負った時はまだ大分ドラゴンとも距離があったしな。
「すみません」
「いいってことよ」
ドラゴンとの距離はさらに縮まっていて時間がないというのに、おっさんは俺を丁寧に地面に下ろす。どうせ死ぬから一緒なんだけどな。
おっさんの顔が俺の目に映る。どこにでもいるくたびれたアラフォーの顔が、恐怖と罪悪感でぐちゃぐちゃになっていた。
「俺は結波彼方。おっさんは?」
「……七瀬晃一です」
「ありがとな、七瀬さん。助けてくれて嬉しかったよ。人間ってやっぱり、いい人もいるんだよな」
「……助けられてませんよ」
視界は霞み始めて、七瀬さんの姿は見えない。声が遠ざかっているのを聞く限り、彼はきちんと逃げてくれているようだ。
死にたくない。
その感情は紛れもなく本心だったが、生きてしたいこともなかった。俺が死んで悲しむ人もいない。……ああ、七瀬さんは引きずりそうだな。
あのおっさんは真面目そうだし、そう考えると、やっぱり死にたくはないな。ドラゴンの生臭い息とともに、ドチャリと生温かい唾液が俺の顔にこぼれる。
「気持ち悪いな。せめて不快な思いをさせずに殺してくれよ」
呼吸が浅くなる。心臓が早打ち太鼓のように肋骨を叩き、それに比例して背中の出血が増えているような気がする。
さっきまで感謝の気持ちでいっぱいだったのに、七瀬さんを憎む感情が芽を出す。
どうして俺を見捨てた?
どうせ助からないならなぜ希望を見せた?
どうして死ぬのが俺なんだ?
身勝手で醜い感情が俺の中を渦巻いていく。俺が七瀬さんの立場だったら、そもそも助けようともしなかったはずだ。
怪物に追われている中、赤の他人を背負って逃げるなんて一般人のやることじゃない。
「……ごめんな。七瀬さん」
おっさんの顔を思い浮かべて、俺は目を閉じた。
◇
私は彼方くんを置き去りにして、息を切らして走っていた。運動不足と乱れた食生活にこれほど恨みを抱いたことはない。
酒とタバコをやらないんだから健康的だなんて、日頃から健康を意識していたら彼を見捨てずにすんだかもしれないのに。
私は助けようとした。それだけでも偉大だ。
そもそも怪我をした彼方くんが悪い。
魔法少女がまだ到着していないことがこの事態を引き起こした要因だ。
自分勝手な考えが湧き出るたび、首を振って否定する。一度助けようとした人を無理そうだからと見捨てたのは事実なのだ。
そもそも人助けの動機が『表彰されれば社会的地位が向上し、私も結婚できるかもしれない』で、とても健全とは言えない。
動悸が激しくなり、駆けることが難しくなる。よろけながら歩きに落ちて、一度だけ後ろを振り返る。
彼方くんの顔の上にドラゴンの頭がある。ゆっくりと口を開き、唾液が彼方くんの顔にかかる。
「……っ!」
逃げるべきだ。そんなことはわかっている。けれど、足が言うことを聞かない。彼を助けたい。だが、私にはその力がない。
私がどれだけ足掻いたところで、彼は殺される。
「嫌ですっ! そんなの嫌ですっ!!」
駄々をこねる子供みたいだ。40を超えた男が言うセリフではない。それでも私は彼方くんの元へと進んでいた。
『まぁ待ちなよ。七瀬晃一』
「!?」
清涼感のある若い男性の声。慌てて周囲を見渡すが誰もいない。愉悦の色を含んだ声の主は、どうやら私の脳内に直接語りかけているらしい。
時が止まっているのか、私は体を動かすことができない。口だけは例外のようだが。
『理解が速くて助かるよ』
「それ以外に可能性がないので」
『そっか。で、結波彼方くんだっけ? 君は彼を助けたいんだよね?』
「……あなたは悪魔ですか?」
タイミングといい言上といい、私に彼方くんを助ける力を与えてくれることは間違いないだろう。その代償はなんだ?
『ないよ。そんなの』
私の思考を読むことができるのか。
『僕はただ、君たち二人に感動したのさ。確かな醜さを抱えながら、それを塗りつぶす善性を持っている』
「……ありがとうございます」
『だから特別に力を与えてあげる。魔法少女にしてあげよう』
「まほうしょうじょ?」
言葉の意味は理解できるが、男の自分が魔法少女になるということが理解できない。
『そっ。僕は女の子が戦う姿が好きだからね。男に力を与えた場合でも、変身フォームは女の子になるわけさ』
「本来の姿が男性の魔法少女もいるのですか?」
『いるよぉ。まぁ、男に力を与えるのは稀だけど』
とんでもないことを聞いてしまった。
男が魔法少女になるなど、正体が露見すれば社会的に破滅する。もしかすると、野良の魔法少女は男性なのかもしれない。
『どうする? 破滅のリスクを抱える? 彼を見捨てる?』
「……決まっています。私は、魔法少女になります」
『よろしい! それじゃあ、今日から君たちは魔法少女だ!』
ん? 今なにか、とてつもなく重要な言葉を耳にした気がする。
「君たちって言いましたか?」




