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魔法の死に際  作者: 藁草ワロタw
第一章『慈愛の死に際』
19/19

18.身体強化魔法

楽しくなって長くなってしまいました。

 

 貧民街スラムの一角を覆い隠した濃霧の中、ゼノは静かに術式だけを霧散させる。大気の水分に作用して発生させた霧は、魔力を失ってすぐに消えることはない。


「なんか、本当に伝承に出てくるような大昔の魔王を相手にしてる気分だよ。あ、君は知らないかな? 大魔王ノーゼのことね」


 動きはないが、レンゼルトの声が静寂を割った。それはそれはゼノにとって聞き捨てならない言葉が飛び出したが、


「今どきこんなのに翻弄される人はいないよ」


 一方的に言い切って霧の中で駆け出したレンゼルトは、まっすぐゼノの方へ向かって来る。

 彼の肉体強化は五感も含めて強化されているとみていいだろう。ただ、ゼノと違って痛覚が遮断されているか、無視できるほど肉体が強化されているかだが──もうどちらでもいい。


「────」


 位置が捕捉されているなら意味はないが、ゼノは息を潜めてレンゼルトの接近を待って、


「──万物をこの手に(パル・マテリア)


 《暴食のライラ》の権能を長杖スタッフを介した最大出力で放つ。

 ゼノを中心に発生した濃霧。僅かに位置を変えてレンゼルトを中心部分へと誘導した上で、空間全てを掌握する陰系統魔法が展開される。


「これは──」


 黒く染まった霧はレンゼルトの驚嘆ごとその姿を呑み込んでいく。

 音も光も温度すらも支配した領域で男は動きを止めた。しかしその周囲で黒霧は弾かれるように渦を巻く。


「やっぱりそうか……クソが」

「何かわかったみたいだね」

 

 ゼノの呟きに応じたレンゼルトの声は、この期に及んでなお感情のつけ方を間違えたような陽気さだった。


「魔法ではない。たしかにそうだな」


 ゼノは嫌悪を隠さず肯定する。

 魔法系統にはそれぞれ得手不得手がある。

 火が温度を、水が密度を、風が速度を、土が硬度を──。水系統魔法でも扱い方次第で温度を操作し、炎を発生させることはできる。しかし得られる効果は適性系統には遠く及ばない。


 そして身体強化魔法は『陽』系統が得意とする分野。

 その性質はライラの『陰』系統とは対極にある。


「よほど出力差がない限りは相殺するはずだが」


 レンゼルトの身体強化が陽系統魔法なら、ライラの権能を向ければ互いに打ち消しあって霧散するのが正しい反応だ。だが実際にはゼノの目の前で、魔法同士がぶつかることを拒むように反発し合った。


「まるで魔導具に対して相克の魔導具を向けたような反応じゃないか」


 相反する特性を持つ魔導具は反発する。

 魔法とは違い物理的、あるいは核となる部分に術式を直接刻むことで、強制的に出力しているだけだからだ。

 厳密にはぶつかった瞬間に霧散して再構築を繰り返していて、それが反発しているように見えるわけだ。


「ははは! すごい、その通りだ! 僕、生まれたときから陽系統の適性がすごく高いみたいなんだよね!」


 ゼノの推察に、隠す必要もないと言った様子でレンゼルトは快活に笑う。


「それが体に術式を刻む理由か? 正気とは思えないな」

「適性があっても魔法は苦手でさ。だから──身体強化アクセルクスの術式を貰ったんだよ」


 さらにレンゼルトは悪びれもせず「僕の方が上手く使えるから」と不穏な一言を付け加えた。


「この時代ではよくあることなのか」

「どうだろう。術式を渡す側は死んじゃうこともあるからか、反対派もいるみたいだね」

「────」


 つまりこの男は肉体に──あるいは魂に術式を刻むことで自身を魔導具へと改造しただけでなく、その術式すら元は誰かのものだったということなのだろう。


「人間を素体にした人型の魔導具か……悪趣味にも程がある」

「ん? 君の右手も似たようなものじゃない?」

「──ああ、そうだな」


 思わず力が入った右手のガントレット《暴食のライラ》も、倫理なき歪んだ正義によって作られた魔導具なのだ。

 その一点だけで見れば、ライラの力を借りているゼノが、レンゼルトの言い分に反論する余地はない。


 だからこそ──、


「……二度と間違わないように、魔法が何たるかをしっかり覚えて──逝けよ」


 ゼノは踏み込み、一瞬にしてレンゼルトへと距離を詰める。

 ライラの権能で支配した領域は、相手の動きを縛ることができる。残念ながらレンゼルトには効果がないが、裏を返せば領域内に限り自身の動きに作用させることも可能だ。


 それによってゼノはレンゼルトに匹敵するほどの速さを生み出した。


 ゼノは勢いをのせた長杖スタッフを、さながら逆手で持った剣の如く振り抜いて、男の顔を横薙ぎに叩きつける。


「君も、魔術師の誇りとかなさそうだけどね」


 魔法ではない杖の活用への挑発は無視し、次の手へと繋げていく。しかし、先の不意打ちのようにはいかない。


 躱され防がれ、超速で返される拳をギリギリで躱す。拮抗と呼ぶには、少しばかりゼノが劣勢だ。


 レンゼルトが放つのは、ただ圧倒的な質量と速度を誇る純粋な暴力。空気を切り裂く拳がゼノの横顔をかすめる度、五感強化された鼓膜が悲鳴を上げる。

 それをゼノは、黒霧の領域を収縮させて自身の背中を押し出させ、物理的な反動を利用することで紙一重の回避を続ける。


「すごいすごい! 魔術師にしては速いね」


 レンゼルトの無邪気な追撃。

 下段からの蹴り上げがゼノの懐を狙う。

 まともに喰らえば今度こそ内臓ごと肉体が弾け飛ぶ。ゼノは咄嗟に長杖スタッフを縦に滑らせ、蹴りの軌道に割り込ませた。


 かつて剣士と共同で魔法開発をした記憶。

 とてもレンゼルトと渡り合えるほどではないが、基礎的な動きならゼノも知っている。

 剣に見立てて振るった杖が蹴りとぶつかり、メキメキと悲痛な音を立てて大きくしなる。しかしゼノはその凄まじい衝撃をそのまま利用し、自ら後方へと身を躍らせて男の追撃から離脱する。


 激しい攻防で散りかける黒霧をライラの権能で強引に留まらせる。

 著しい魔力消費に、ガントレットに収めた魔力核を削りながら、ゼノの脳内は演算を止めない。


 ──『アクセルクス』。

 その歪んだ術式の正体が『陽の魔導具』であるならば、破壊する手段はただ一つ。


 同系統魔法による相乗作用、からの破綻を狙う。

 そのためにはどれほど肉薄されようと、奴の肉体に直接触れるしかない。だが、今のゼノの速度ではレンゼルトの防御を突破して触れる隙など、万に一つもない。


「流石にもう限界かな!」


 距離を取ったゼノを逃がさじと、レンゼルトが地を爆破して跳ぶ。霧を割って鉄拳が迫る。

 ゼノは避ける素振りも見せず、ここまで頼ってきた杖を手放す。それを見たレンゼルトは瞬時に身を翻し、

 

「──っ」

「もう剣は使わないと思った?」


 咄嗟に引き抜かれた騎士剣がゼノの脇腹を貫いた。

 防御魔法がないのだから、打撃である必要はないのだ。レンゼルトの判断は正しい。


「魔術師が近接戦闘で騎士に勝てるわけなかったね」

「……勘違いするな。俺は……ずっと魔法使いとして、戦ってる」


 手の内を明かし、剣士相手には分が悪い近接戦闘に持ち込んだ。これまでのやり取り全て含めて、魔法使いの戦い方なのだ。


「ぅ、ぶ」


 騎士剣が深く押し込まれる。

 短剣を胸に突き立てられた処刑の日を思い出す。

 けれどあの日とは決定的に違うことがある。

 顔に余裕を張り付けたレンゼルトの肩に、息も絶え絶えのゼノはそっと右手を置く。


「──《その胸に灯火を(アクセル・ルクス)》」


 肩に置いた手に力は入っていない。というよりもう、力が入らない。しかしそこから大量の魔力を流し込む。


 あの日とは違う。

 今のゼノには魔法がある。


「身体強化魔法は──狩りに出る仲間が無事に帰ってこられるように、肩を叩いて送り出すための魔法だったはずだ……」


 五感を強化する魔法。主に目、鼻、耳。少し敏感になるだけでも、迫る危険にいち早く気づける。武力がなくても人間は聡い。それだけでいくらでも己を守り強くなれた。

 そんな、ゼノを守ってきた五感強化の対象をレンゼルトへと切り替えたのだ。同系統の魔法なら強く反発はしない。


「……魔王特製の隠し味入りだ。これで、お前を送り出してやるよ、レンゼルト」


 五感強化は、ほんの少し恐怖心が増幅するよう設計している。仲間の無茶を止められるようにと願いを込めて。

 そんな儚い慈愛からゼノが生み出した魔法。

 さじ加減は、ゼノ次第。


「お前の行き先は──地獄だ」


 レンゼルトが頼り続けてきた身体強化は、純粋に肉体の性能を引き上げ、あらゆる感覚を麻痺させて人間の限界を超えた動きを可能にする。感情の欠落はその副作用だろう。

 そして五感の強化と恐怖心増幅は、レンゼルトに刻まれた身体強化によってさらに強化される。


 レンゼルトの五感は鋭く研ぎ澄まされ、恐怖心は麻痺した感情すら容易く上回る。

 さらにゼノはありったけの魔力を注ぎ、より強力な五感強化へと昇華させていく──。


 誰かを守るためにゼノが生み出した薬も、度が過ぎればただの猛毒だ。


「──へ……えぁ? は? なに、これ……!?」


 ゼノが触れた瞬間から完全に動きを止めていたレンゼルトの額に、脂汗が滲み始める。

 戦闘中、ゼノの耳に届いていたレンゼルトの骨の軋みや筋繊維の断裂。そんな微かな音が今ごろ、己の内側から強化された聴覚に叩き込まれているはずだ。

 そしてその壊れゆく体の音は、限界まで引き上げられた恐怖心によって、精神を切り刻む刃となる。


「──ぅぶ、っ」


 ゼノから騎士剣を引き抜き、レンゼルトは目を白黒させて後退る。


「は、はは……いやいや、そんなわけ──《身体強化アクセルクス》」


 震えの止まらない自身の手のひらと剣を持つ手を交互に見て、レンゼルトは荒くなる呼吸を抑えるように口元を手で塞ぐ。

 アクセルクス──。男の指の隙間から漏れたその言葉は、きっと詠唱などではなく使うか使わないかという、意識を切り替えるための引き金でしかないはずだ。

 だから、


「──は、あ゛あぁ? なんだこれっ!?」


 魔導具と同じ。指示があれば本人の意思など関係なく身体は強化され、それに伴い五感も強化される。

 五感に叩きつけられる膨大な情報量に、開ききった瞳孔は大きく揺れ、もうこちらの姿を捉えられているのかすらわからない。


「────」


 ゼノは鮮血を噴き出す脇腹を押さえた右手を、眼前のレンゼルトに向けて掲げる。


「……え? ひ──」


 驚愕はすぐに戦慄へと変わる。

 目を見開かせたレンゼルトは後ろに飛び退り、そのまま振り返ると転がるように慌てて去っていった。


「……っは、もう魔力、残ってないんだがな」


 最後のハッタリが決まり、自嘲気味にゼノは呟く。

 魔法が生んだ怪物の背中を見送り、その場に倒れ伏せた。


 ◇◇◇


 なんでなんでなんでなんでなんで──。


 なんだアレは。なんで死なない。なんで怖い。

 でもまだ負けていない。攻撃は全ていなせた。いや、当たったのもあるけれど、どれも致命傷にはなり得ない。実際、決定打もない様子だった。

 なのに痛い。体のいたるところが。おかしい。怖い。何かされた。何をされた? わからない。わからない。


「痛っ──!」


 足がもつれて盛大に転ぶ。

 ただ走ることが上手くいかない。世界が迫ってくるような変な感覚のせいで距離感がまるでわからない。


「──《身体強化アクセルクス》」


 けれどそんな事も言っていられない。

 きっと追ってきている。とにかく逃げなければ。

 どうしようもないほどの殺意だった。

 悍ましいほど憎悪に満ちていた。


「──が、っああ゛あぁァ!」


 もう夜なのに、針を刺すように眩い光が目に飛び込んでくる。転んだとき口に入った土の味が広がって鼻に抜けていく。なんだこれは。

 酷い耳鳴りを頭を押さえて必死に堪える。

 思わず蹲った肩にふと、微かな重みが乗っかり、


「──っ!」


 咄嗟に握り込んでいた騎士剣を振り抜く。

 はらはらと真っ二つになった木の葉が落ちた。

 肩が痛みを訴えているが、敵でなくてよかった。


 ここは──森だ。王都からこちらに向かった時にも通った道。グラトニアからは脱した。

 ここまでくればもう──、

 

「っ、はぁ……はぁっ」


 身体強化で息切れなどしないはずが、呼吸が落ち着かない。王都からグラトニアまで走って来られるくらい体力には自信があるのに。なんで?

 少し耳鳴りにも慣れてきた。周囲の音が鮮明になってくる。


『──ちゃんと殺してやれる……ッ!』


 煩い静寂に紛れて、あの男の声が脳裏を過ぎった。

 足を進めなければ。王都に戻って治癒師の元へ。おかしくなった身体強化を治してもらわなければ。


『お前の行き先は──地獄だ』

「うるさい──ッ!!」


 半狂乱に荒げた声が森に木霊し、鳥が飛び立ちあらゆる生命たちがざわつく。

 鼓膜に届く膨大な音で頭が割れそうだ。その中に森を駆ける足音が紛れている。


「っ! くっ──」


 踏み込んだ足に激痛が走る。どうして痛い。痛いってなんだ。ダメな音が聴こえる。肉体が壊れてしまう。怖い。薄く目を開ければ月明かりが嫌に眩しい。照らさないでほしい。見つかってしまう。見つかればきっと殺されて──、


「いやいや、そんな……」


 掠れて震えた自分の声が、怯えきった人間のそれだとよく知っている。飽きるほど見て聞いてきた絶望の声だ。

 負けるはずがないのに。頭ではわかっているのに恐ろしくて仕方がないのだ。そのちぐはぐさがまるで理解できないのに、ただただ恐れている。


「──《身体強化アクセルクス》」


 だったらそんなもの振り払ってしまえばいい。

 身体強化は心も強くする。これがあれば誰にも負けないと思えた。なのに、


「──っづああ゛ぁあア゛アァッ!」


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい──。耳を塞いでも耳鳴りが煩い。剣が邪魔で耳を塞ぎ切れなくて、どうしようもないから切り落とし、もう片方は引き千切った。


 顔の両側が熱い。脈打つ体温が溢れ出して、もう耳とは呼べない両の穴を塞いでくれる。まるで水の中のように音の輪郭がくぐもっていく。

 

 すると唐突に不安が押し寄せる。

 思わず目を開けてみれば、真っ白な世界に目が焼かれた。慌てて腕で顔を覆って、自分が涙を流していることに気が付いた。拭った拍子に勢い余って刀身が瞼を撫でる。

 一瞬真っ赤な世界に塗り替わり、すぐに真っ暗な闇に変わった。


「あ゛ぁ……! っは……!」


 今度は呼吸が上手くいかない。

 それでも走る足は止められない。

 息が吸えない原因がわからなくて、顔に手を伸ばせば粘性の液体が鼻と口にまとわりついていた。必死に腕で拭って大きく息を吸い込んだ。強烈な生臭さと鉄の臭いにむせ返る。


 足を止めた一瞬、規則正しく激しい振動が敵の接近を報せる。

 まだ追われている。それもかなり近い。


 ──殺される。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。いや死なない。殺されない。死ぬわけがない。殺せるわけがない。死ぬかもしれない。殺されるに決まっている。死にたくない。死ぬってなんだ。まだ生きているのか。ずっと生きていたのか。まだ生きていたいのか──。


 もう自分がどこを走っているのかもわからない。何も見えない。聞こえない。ぐるぐると思考しては放棄して足を動かす。痛みなど気にしていられない。もはや何が痛みかわからない。全身が痛い。全てが苦しい。

 そんな中でただ、激しい振動だけが鮮明に追い立ててくる。


「っ、ぶは──」


 また転んでしまった。

 ここはどこだろうか。わからない。

 わからないが、一つだけわかったことがある。


 ずっとつきまとってきた振動。敵の足音。どこまでも追い詰めてくるそれは、どうやら自分の胸にあるらしい。

 手を当ててみれば、激しく脈動して振動を撒き散らしているのだ。きっと索敵魔法に違いない。変な魔法を使う奴だったから、今さら驚かない。


 男は立ち上がらずに跪き、怖くて手放せなかった剣を己の胸に突き立てる。

 ゆっくり、ゆっくりと押し込んでずぶずぶと背中まで貫いて、ほっと胸をなで下ろした。


 ──あぁ、これでやっと静かになった。


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