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怪談 しゃれこうべ  作者: 小山志乃
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やんぼしの噺


 東京を江戸と申した時分のお話。


 とある町内に物知りの隠居が住んでいた。しかし、いくら物知りとは言っても人間一人の知識などたかが知れている。当然世の中には知らぬことの方が多い。


 だがこの隠居、皆に物知りと持て囃されるうちに、知らない事でもつい「知っている」と嘯いてしまう癖がついていた。


 ある日のこと。


 男が一人、隠居の知恵を借りようと尋ねてきた。


「ごめんください。ご隠居はいますか」

「おお、粂ではないか。まあ立ち話もなんだから上がっていくといい」


 粂と呼ばれた男、正しくは粂八といって少々頭の鈍いところがあった。それでも好奇心は旺盛で、よくこの物知り隠居を尋ねてくる。得意がって知識を披露すると、素直に関心して褒めくれるので、隠居は粂八を大層気に入っていた。


 ◇


「旅に出ていたと思っていたが、無事に戻って来たんだな」


「ええ。お蔭さまで中々に楽しい旅路でした」


「結構結構」


 粂八は簡単な土産物などを出しがてら、物ありげに隠居に語り出した。


「生まれて初めて旅なんてものをしましたが、いやいや自分の料簡の狭さを思い知りましたよ」


「そうであろう。世界というのは広いものだ。ま、今度の旅で儂ほどとは言わなくても、多少の知恵はついたんだろう」


 粂八は照れくさそうに笑う


「へへへ。そうなれば良いなと思っておったんですがね。旅先でどうにもわからないことがありまして、どうにも引っかかっていけないんです。そこで戻ってきて早速ですが、ご隠居の知恵を貸してもらえないかと」


「ほほう、どうせ暇を持て余していたんだ。土産話と思って聞いてやるか。話してみろ」


「へえ」


 旅先で見聞きした話を、粂八は言って聞かせ始めた。


 ◇


 西海道のとある峠を歩いていた時、茶屋で化け物の噂を聞いた。


「お前さんは旅の人かい?」


「ええ。江戸に住んでおりやすが、死ぬ前にあれこれと見ておきたいと思いやして」


 旅は道連れ。粂八は茶屋で共に腰かけた初老の男と仲良くなり、少しの間共に歩くことになった。


 男は丹五郎と言って、峠を挟んで向こう側にある親戚の家に行く途中だという。日暮れ近かったのだが、道に慣れた丹五郎と一緒だったので強気で山道を歩いていた。


 黄昏時の夕焼けが山麓を照らしている。江戸にいたのでは見られなかったであろう景色に粂八は少々胸を打たれた。


 その時、丁度向こう側から人がやってきた。


「曽地村の六兵衛でございます」


 急に名乗りを上げた。夕日が逆光となり相手の顔はよく見えない。一体全体、何故名前を言ったのかが分からず、粂八はあたふたとした。が、隣の丹五郎は慣れたもので落ち着いて返事を返した。


「東風村の丹五郎でございます。隣は旅のお方で粂八さんと申します」


 そう言うと、あとは挨拶も世間話をするでもなく、そのまますれ違ってしまった。粂八は六兵衛と名乗った男が見えなくなってから訳を尋ねてみた。


「ああ、実はこの辺りには夜や夕方になると、昔から『やんぼし』という妖怪が出ると言われていましてね。追いかけまわされたり、ひどい時にはそのまま連れ攫われてしまったりするんです」


 小心者の粂八は驚いた。その様子を笑いながら丹五郎は続ける。


「それでですね、そんな事になっては敵わないから、この辺りでは夕暮れや夜になった後は、すれ違う前に名乗り合って相手が人間かどうかを確かめるんでうな。もし答えなかったら相手は化け物だから用心する・・・というのを昔からやっているんです」


「へえ。妖怪は名乗らないんですか」


「ま、そう言われておりますな。名乗らない奴がいたのなら、化け物でなくとも事情を知らぬ他所者かいたずら者ですから、結局は用心するでしょう」


「なるほど、尤もだ」


 ◇


 と、粂八は語った。


「ああ、やんぼしか。聞いたことがある。ということはお前さん、肝属の方まで足を伸ばしたんだね」


「お、分かりますか」


 隠居は得意気に笑った。


「当然だ。やんぼしという妖怪は薩摩やそっちの方で聞く名前だからね」


「流石ですねぇ」


「で、結局何が聞きたいんだ?」


「それがですね。始めは納得してたんですが、なんでやんぼしって化け物は名乗らないんだろうか、とふと思いまして」


「うん? どういうことだ」


「ですからね、『誰だお前は』と聞いておいて『俺はやんぼしだ』と答えるなら、妖怪だ、逃げろぉ・・・となるなら話はすんなりと落ち着くんですよ。痛いところを突かれてダンマリを決め込むなんて男らしくないじゃないですか」


「やんぼしが男かどうかはわからないだろう」


「そりゃそうですけど、結局名乗らないでおいて化け物だとバレるくらいならいっそのこと名乗ってしまえばいいじゃないですか。それとも名乗れない事情でもあるんですかい?」


 そう聞いて隠居はちょっとした洒落を思いついた。なので折角だから粂八の事をからかってやろうと考えた。


「ふふふ。粂八、お前さんの言う通りだ。やんぼしには名乗れない事情があるんだ」


「やっぱりそうですか。で、どんな事情があるんですか?」


「簡単だ。やんぼしには名前がないのだ。だから名乗りたくても名乗れない」


「え? だってやんぼしにはやんぼしという名前があるでしょう」


「やんぼしというのは、人間が勝手に呼んでいるだけだ。向こうはそんな事は知らん」


「そういうもんなんですか」


「お前だって猫にニャーと呼ばれても返事はしないだろう」


「まあ確かに」


「それに名前がないのはやんぼしだけに限らない。お化けの言うものには名前はないのだ」


「え。そうなんですか?」


「ああ、そうだ。考えてもみろ。幽霊だったり妖怪だったり、化け物というのは得てして姿形はあるが生きてはいないだろう。生きていない者は自分で名前を持つことができんのだ」


「なんでまた」


「簡単だ。生きていない者には、セイメイがないからだ」

読んでいただきありがとうございます。


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