桔梗 小夜子:弐
手に持った肉塊を頬張り、喉に流し込む。
「はあぁ……」
その甘美で背徳的な味わいに、わたしは思わず声を上げた。
美味しい。
この肉が、これほど美味しいとは思わなかった。周りには、さっきまで生き残っていた仲間が冷たく転がっている。血の泉に膝を浸し、ただ口に運ぶ。
わたしは勝った。初陣にして、目の前に立ちはだかった敵全てを皆殺しにした。
けれど、途中から一つの考えが頭から離れなかった。
喰いたい。
あの味を。
ぷつりと皮に歯を立てて。
柔らかい感触を。
贋作の思考に精神を侵された。リミッターなど外していたから、相手の行動は手に取るように分かった。勢いのまま共に戦った仲間を、尊敬していた隊長を、この手で殴り、貫き、引き裂いて敵の上へ積み上げた。
しばらく呆然と眺めていたが、どうしても美味しそうに見えて、それを手に取り貪った。
止まらなかった。日頃から世話してくれた先輩に感謝し、彼らの功績となるよう、違反など承知でリミッター解除したのに。
「おいしいぃ……おいしいぃ……」
「生き残りが居るぞ!」
だ……れ……?
「貴様、何をしている!」
――嫌だ。
「……せんせい」
止めて、捕まえないで。
「……よこ先生」
もう喰べないから。
「小夜子先生!」
「えっ?」
特佐に声を掛けられ、わたしは目を覚ました。
「大丈夫ですか? 酷く魘されていましたけど」
「す、すいません。大丈夫、大丈夫です」
自分に言い聞かせるように、言葉を繰り返した。
また、あの夢だ。
未だに、あの時の夢を見る。忘れたいのに、忘れようと思えば思うほど、気になって夢に出てくる。逃げたくて軍から抜けようとしたのに、厳格な父が許さなかった。抜けるには強化部分の返還を要求され、身体機能の大半を失う。まともには生きていけない。父はわたしの身体を心配したのか、自分の体裁を心配したのか判らない。
けれどそんな事は、もうどうでも良くなった。身体の不調を感じて精密検査を受けたら、脳の海綿化が発見された。医師の話によると、女性兵士において稀に見られるらしい。種内捕食した細胞が中枢神経に沈着、脳細胞がスポンジ状に変異し死に至るそうだ。
何だか、妙に納得した。
あくまで相手の精神に影響を受けただけで、移植されている贋作は捕食型じゃなかったからだろう。強化の体力向上で遅くなっているが、治療の術は無いそうだ。けれどわたしは、例え治療法が有っても頼るつもりなど無かった。これは仲間を殺した罰なのだから。
時間は戻らない。起きてしまった事は取り返しが付かない。
それなら残り少ない人生、わたしのような後継を生み出さないよう全うするんだ。
あと平和な余生。これ大事。
教官室の窓からは、既に夕日が差し込んでいた。訓練が終わってからデータをまとめていたところで、転寝してしまったらしい。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫です」
所詮は夢、覚めれば忘れる。
わたしは息を吐いて、気を取り直した。
「無理しないで下さい」
「ありがとうございます」
気遣いの言葉に心を落ち着けていると、一転して悪戯っ子のような笑顔に変わる。
「そうそう」
「え?」
彼が言葉を続けた。
「実は、先ほどまで学長がいらっしゃってました」
「が、学長が?」
「貴女が目を覚ましたら、自分の所へ来るようにとの事です」
「ええっ!」
「見られましたね。突っ伏して居眠りしている姿」
「お、起こして下さいよぉ」
「行ってらっしゃい」
慌てて教官室を出る。
平和という課題が、今にも消え入りそう。
学長室の扉の前で、再び胸に詰まった重い空気を吐き出す。
扉をノックすると、気持ちに比例して重厚な音が響いた。
「入れ」
「し、失礼します!」
強張っている四肢をブンブン振り回し、おもちゃのように敬礼。
そういえば、学長と二人きりで話すのは初めてだなぁ。
学長室は広い。二十畳ほどの空間に、応接用のソファーと、資料を入れるキャビネットが並んでいる。
わたしと特佐が居る実技教官室とは、広くて広くて豪く晴れやかさが違う。例えて言うなら、四畳半での闇鍋とホテル最上階での朝食。人数はこちらの方が上なんだから、少しは面積を分けて欲しい。
普段は入る事が無い学長室をジロジロ眺めていると、机を挟んで座っている人物の視線が突き刺さった。髪の中で鋭い目が光っている。例えて言うなら、日焼けしたコケシに睨まれているみたい。まじ怖い。
我が士官学校の学長であり、オリジナルの一人・神崩 綴だ。
「桔梗少尉」
「は、はい!」
「職務中に眠るのは、どんな理由があれ関心しないな」
「も、申し訳ありません!」
『たっぷり兄様と話せたから、別に良いんだけどね』
「……?」
「君は……幻の中で、規律を正す者か」
「えっ? まさか、それって神託ですか!」
気まぐれなのかもしれないけれど、二つ名でも無いわたしに神託が下されるなんて、棚から牡丹餅がずり落ちてきたとしか思えない。
「まあ良い、居眠りを不問とする代わりに条件がある」
はぐらかされてしまった。
牡丹餅が地面に落ちたわ。どうしてくれるの。
「……条件と、おっしゃいますと?」
「君には、特佐の任務を補佐して貰いたいのだ」
「……は?」
「は? ではない。言ったままの意味だ」
「しかし、任務とは?」
「いいか? 黒嵐が派遣されると言う事は、そこに何かしら任務対象が有る。曲がりなりにも二つ名かつオリジナルが、単なる実技教官など有り得ん」
『本当は僕が手伝いたいなぁ……』
この『声』って……まさか学長?
リミッターを付けていても聞こえるとは、かなり想いが強い。
「手伝うにも、自分では役不足かと思われます」
「上官に意見するか?」
「い、いえ、そう言った訳ではございません」
「今の状況で、傍に居て違和感が無いのは君だけだ」
『僕が行きたいのに……』
学長、本音が丸聞こえです。
「では、微力ですが自分が学長の職務を手伝い、学長が空いた時間で特佐の任務を手伝われてはいかがでしょうか」
『それナイスアイディア!』
学長の顔に、見て分かるほど喜びの輝きが浮かんだ。しかし一瞬で自分を制し、真剣な顔で考え込む。
「……いや、やはり私では目立つ」
『ああ……言っちゃった……』
「あの、本当に宜しいのですか?」
「良い、頼む」
明らかに項垂れながら、彼は力無く手を仰ぎ退室を促す。
「失礼します」
扉を閉めた後で、学長の声が聞こえてきた。
『僕のばか!』
学長、本当の本当に良かったんですか?
しかし……学長ってブラコンだったのかあ。