草薙 零:弐
部屋に入ると、同じ黒ずくめの軍服を着た、仮面の男が座っていた。
「兄さん」
「零か」
「久しぶり、だね」
「面無しのお前には、外部派遣ばかり任せているからな」
この男は、いつの間にか研究所に居た。養父も神崩博士も、詳しくは説明してくれなかった。けれど深く聞こうとも思わなかった。あの場所も状況も、そんな事より味方を増やす方が大切に思えた。だから常に笑っていた。そんな笑顔も、今は貼り付いてしまったが。
「どうだ?」
「今は、まだ上演中だよ。兄さんは?」
「命ぜられた事を遂行するのみ」
彼の神託は『嘯く鳥』――綴は兄さんを、どう感じたのだろう。
「報告にもならんが、用件はそれだけか?」
「まあ、顔を見に来ただけさ」
神狩の動向を伝えに来たが、これでは意に介さないだろうな。
部屋を出ると、参謀の多層回路に声を掛けられた。
「何を遊んでいるのです」
「良いじゃないですか」
「その笑顔、流石は面無しと言っておきましょうか」
「どうも」
十中八九、持て成しと掛けた皮肉なのだろうが、知らぬ顔で返す。
「気を付けて下さい。好きに場を離れて何かあれば、隊長の評価が下がります」
「貴女は本当に、兄さんが大事なんですね」
仮面も手伝い名前すら分からないが、この女も正体が知れない。神狩で最初の成功例となっているが、神狩で最初の成功例は響子の筈だ。
「そう言えば、アナタの友人が黒嵐に入りましたよ」
笑顔の勘繰りに感づいたのか、彼女は話題を変えた。
「友人?」
「響子です」
「響子が?」
響子とは、百鬼夜行の助っ人で知り合った。それ以来、憎まれ口を叩かれてはいるが、何かと気に掛けてくれている。
「彼女は何処に?」
「別の任務へ就いているアナタに、教える訳にはいきません」
「つれないですね」
「友達ゴッコなら、ココではなくヨソでやって下さい」
「……ごっこ?」
「馴れ合いは不要」
彼女はいつもこうだ。普段は自分を隠しているが、兄に関すれば直ぐ感情的になる――依存型人間、か。
「友達に、遊びなんて在りませんよ」
「心にも無いコトを」
「いつも本気です。今も昔も、ね」
多層回路と別れ本部の廊下を歩く。広すぎる長方形の廊下は研究所を思わせ、言い知れぬ圧迫感を与えられる。兄と会うのは別に良いが、余り好きにはなれない場所だ。
黒嵐とは、神皇陛下が設立した私設部隊――日常的問題に至るまで、陛下の多岐に渡る指令のみを遂行する。どの命より優先される特権も与えられているので、当然ながら他の隊から煙たがられている。
『ゴミ捨て係』などとも囁かれているが、全く以て下らない。
人には、戯言を言いたい時が有るのかもしれない。だが、捌け口として他人を攻撃するのは間違っている。弱い人間のする事だ。その状況は、自ら下した行動の結果だろうに。
あの人のせいで。
時間が無いから。
家庭が有るから。
何を言っている。負け犬の遠吠えか?
いつまでも子供じゃあるまいし。
それを処理出来ない、己が無力を曝しているのだと気付け。
接する人が嫌いなら、その状況を作るな。時間を作れない自分が無能なだけで、時は誰にも等しく与えられている。家庭を失うのが怖いなら、弱いままで作るな。全て言い訳だ。責任転嫁する前に、もっと自分を責めるべきだ。
――やれやれ、他者を攻撃するなと言っておきながら、こうして自分も卑下している。口にしていないだけ良いが、苛立ってきた証拠だ。早く捜査対象である犯人を見つけ出し、八つ当たりしたい。
いやいや、待て待て。
暗い、暗いぞ。
犯人次第だが、陛下の助けとなるならば徴兵しなければ。
神皇陛下、か。
機会が有るならば、また会いたいな。
陛下の為に功績を上げ、才能の無かった神崩に手を貸した。そもそも研究記録など在る訳が無い。彼には、記録を遺せるほどの実力も無かったのだ。神崩の強化は自然発生したモノであり、彼は成功した振りをしただけ。しかしながら、神器は彼の功績だ。使える物は使わせて貰う。何せ、埋め込まれてしまったから、な。
本部から戻り校舎に入ると、何かざらついた感じがした。
何処かで、何かが起きている。
出掛けるに際し、百合さんに綴の護衛を頼んでおいた。
だがそれは、あくまで目的が綴の場合のみに適応される。彼女は他で何が起こっても、身内の綴だけ守るだろう。
彼女が動いている様子は無い。
だとすれば、単なる内輪的事情だ。
「――フッ!」
軽く息を吐き駆け出し、一気に広い校舎を抜けていく。
「……ッ!」
遠くから声が聞こえたな。
配属されて間もないが、既に敷地内の配置は把握した。
――今のは、屋内演習場か。
演習場に着くと、顔も姿も鏡写しのような二人の女子が居た。
おかっぱ頭の黒髪。まだ十代も中頃のような美しい顔には、大きな瞳が広がっている。
「止めて」「ください」
「まただよ、おもしれえ奴らだ」
何人かの男子に囲まれている。
強化手術を受けた女性は、贋作に近い存在へと変質する。身体能力と回復力が高まり、老化も遅くなる。神器は贋作を攻撃する為の物なので、強化を受けた女性は触れると軽い損傷を起こす。囲んでいる男子達は、それを盾にして神器をちらつかせていた。
「もっと喋ってよ」
……愚かな奴らめ!
静まっていた怒りが、再び心の中で首を上げる。勿論、顔には笑みを貼り付かせたまま。
世の男には、時にこういった勘違いする輩が居る。神狩製の神器では、強化された女性に敵わないと言うのに。しかも身体を痛める可能性が有る。全く分かってない。
「どうか」「助けて」「ください」
面白いな。
噴出した感情が、彼女達を見て沈んだ。女子二人は奇妙な話し方をしている。一文を交互に発し、文章を成立させているようだ。
「ほう」
感嘆の声に、その場に居た全員が振り返った。どうやら今まで気付いていなかったらしい。実力不足も甚だしいな。
「誰だ?」
彼らは昼間の訓練で見なかった。
研磨放置していたな、愚か者どもが。訓練しないで戦場に出れば、みすみす贋作に殺されるだけだと言うのに。
「真逆とは思うけど、自分達が強いとでも思っているのかな?」
「なにい?」
明らかに腹を立てている。こんなあからさまな挑発で感情を剥き出しにしているなんて、三下もいいところだ。
八つ当たりしてやりたいところだが、訓練生など本気で殴れば首が飛ぶ。社会的な首なんかではなく、彼らの首が本当に千切れ飛んでしまうのだ。
「眠らぬ子、だね」
両手を広げ肩をすくめていると、一人が近付いて来た。
「さっきから何言ってんだ?」
顎の下から覗き込んでくる。
やれやれ、これで威勢を放っているつもりなのか?
「お前らに、一つ教育してやろう」
「あん?」
「先手必勝がてら、な」
変わらぬ表情で、その顔を蹴り上げた。
グシャリと鈍い音を立てながら、彼の身体が数十メートル垂直に浮き上がる。続いて他の男子がその状態に反応するより早く、一瞬で双子の傍に移動した。
「頭を伏せなさい」
優しく頭を押さえ、その場に屈ませる。まだ周りの男子は判断が追いついていない。
素早く彼らの中心に入り、飛び上がって腰を捻った。
「ヒュッ!」
回転蹴りを放つと、奴らは派手な音と共に四方へ撥ね飛ばされた。壁に叩きつけられ、衝撃で意識を失う。
「味方殺しが」
骨折しているだろうが、死んではいないだろう。
もう少し強ければ、全身に骨折が及んでいた。
矢張り加減は難しい。
「大丈夫?」
状況が掴めていない二人に、再び優しく声を掛けた。
「あ」「ありがとう」「ございます」
馬鹿な男子と話すより、よっぽど面白いぞ。
「君達はこれから強くなる。だから大丈夫」
そのまま宿舎の前まで送り、二人と別れた。
何だが引っ掛かる。
名前を聞きそびれたし、また会ってみよう。