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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第一部
2/43

第一章(1)

「よっしゃあ! そこの棚にある酒、片っ端から持ってこいっ‼」

 賑わい始めた酒場にて、赤い髪の女性が実に男らしくそう叫んだのは今から二時間前の話だ。窓の外は夜の帳が落ちて久しく、壁やテーブルに取り付けられた数々の燭台が明々と店内を照らしている。

 様々な職業の人間が集まる空間。仕事帰りの人々が至福の一杯を楽しむ中、店の一角を陣取った集団の一人、銀髪の少年、キール・カウンティは椅子に座ったまま天井を仰ぎ見ていた。深呼吸をして腹から湧き上がるものを必死に抑え込む。

 同じテーブルに着いた少女がそんなキールに声をかける。

「ねえ、そんなに辛いなら寝てたら?」

「だ、ダメ……。下、向いたら出ちゃう……」

 テーブルの上に乱立する酒瓶の数々。たったの二時間でこれだけの量を消費すれば気持ち悪くなるのは道理だった。胃の中の酒がいつ逆流を起こして床にぶちまけられても不思議ではない。

「おまえはなんでそんな平然としてられるわけ? 本当に飲んでるのか?」

 視線を下げると一人の少女と目が合った。意志の強そうな光を宿した目。どちらかと言えば凛々しいという印象の少女だ。服装はズボンとスカート、ネクタイとリボンと違いはあるが、胸には同じ刺繍が施されている。

 フィーネ・スクラウド。仕事が終わってからここに直行させられたキールの同僚である。

 そのフィーネは軽くグラスを持ち上げて答える。

「飲んでるわよ。あんたはもちろん、あそこで陽気におっさんたちと肩を組んで歌ってる教官よりもね」

 フィーネは人差し指でキールの背後を示してからグラスに口を付けて傾ける。

 キールが振り返ると、そこには二十代半ばの赤毛の女性が筋肉質な中年の男性に囲まれている光景があった。一見すれば性質の悪い男たちに女性が絡まれているようにも見えるが、事実は逆だ。彼女があのテーブルに乱入し、乱痴気騒ぎを始めたのである。

 彼女の名前はアイン・フォルセティ。キールたちにとっては直属の上司とも言える存在だ。その赤ら顔と呂律の回らない舌で歌っている姿にその威厳はまるで見られないのだが。

「まったく、頼んだ本人があの調子ってどういうことよ。もったいないじゃない。あんたも回復したらもう少し頑張ってよね。これだけの量を処理するのは時間がかかるんだから」

 成人して一年と少し――要するに現在十六歳のフィーネは、キールと同い年とは思えない飲みっぷりで酒を淡々と消化し続ける。肝臓が鉄でできてるのではないかと本気で疑いたくなる。

 キールはフィーネとアインを順に見て、自然とこの場にいない一つ年下の女の子のことを思い浮かべた。キールとフィーネ、それからその年下の女の子はアインを筆頭にして一つのチームを組まされている。改めて考えると歪な組み合わせだと思う。この国でなければおそらくは成立しない組み合わせだ。

 三大大国を筆頭に様々な国が集まる『アイロシオン大陸』。海を挟んで東側にある島国、そこを『リルアルド』と呼ぶ。王政の国で、島の広さは大陸最大の帝国『クロムガルド』の半分ほど。島国なので必然的に他国に渡る手段は船に限られ、島内にいくつかある港町からは交易船が頻繁に行き来している。

 リルアルドの現在の国王は七代目。酷い税制を引いているわけでもなければ、他国への侵略願望もない人格者でこの国は比較的住みやすい国だと言える。移民しやすい国で人口は結構多いが、古くからの森や山などの自然がたくさん残されている。

 キールたちが今いるこの町はリルアルドの王都。島内で一番大きな港町からも近く、最も栄えた場所だ。この酒場の外に出れば、王が住む城も見える。

 キールがこの町に住み始めて四年が経つ。最初は初めての町ということで不安も多かったが、今では手に職も付けれたので、この国にやってきてよかったと感じている。

「教官、そろそろ止めた方がいいんじゃないの?」

 フィーネはテーブルの上に置かれた酒の肴をつまみながら言った。彼女の視線を追って振り返ると、へべれけになったアインが中年男性の口に酒瓶を突っ込んで無理矢理酒を流し込んでいた。さすがに周りの連中が止めているが、アインは「うるへーっ」と呂律の回っていない言葉で一喝してやめようとしない。それどころか止めに入った屈強な男たちを投げ飛ばした。

「……国王に直談判して、あの人に酒を飲ませちゃいけないって法律作れないのか?」

「無理ね。教官と国王って飲み友達だって話だし。あの人がこの町にやってきた時からの付き合いらしいわよ」

「げぇ。マジかよ。どうやって知り合ったんだ? そりゃ教官は有名人だろうけど、気軽に一国の王に会うなんてできるわけないだろ」

「騎士として雇ってもらうために深夜に王の寝室に忍び込んだらしいわよ。それで一晩飲み明かしたんだって。噂だから本当かどうかは知らないけど」

 城に潜入するなんて隠密行動が得意なキールでもやすやすと達成できることではない。フィーネは噂だと言っているが、あの教官ならばできるかもしれないと言っている辺り恐ろしいものを感じる。

「それなら諦めるしかないのか。あの人が酒飲んで暴れるのは王公認ってことじゃねえか」

「王が許しても、この店の王である私が許さないわよ」

 すぐ側から声が聞こえ、キールとフィーネは揃ってそちらに目をやる。そこにはエプロン姿の長身の女性が立っていた。この酒場の店主だ。美人なのでこの女性を目当てに通う男も少なくないし、キールも鼻の下が伸びてしまいそうになることもあるが、その端正な顔が今は鬼の形相になっている。その手には水の入ったバケツ。

「毎度毎度これだけ暴れられるとさすがに迷惑なのよね。グラスは割られるし、椅子は壊されるし、床は血とゲロで汚されるし……っ!」

 どこか寒気を覚えさせる声で呟き、彼女は酔い潰されたり殴り飛ばされたりして、男たちが死体のよう倒れている戦場に足を踏み入れた。

 それから一切の躊躇なく水をアインにぶっかけた。酔いが完全に回っていたことと予想外の攻撃に一瞬怯んだアインの手を掴む。さすがは柄の悪い男たちがやってきても一人で対処できる女性だ。アインの体を背負うようにして投げ飛ばし、ドアから外に放り出した。

「あんたは当分出入り禁止だから」

 冷たく言い捨て、店主はキールとフィーネに視線を移すと顎でドアを示した。『おまえらも出て行け』ということなのだろう。仕事帰りに無理矢理連れて来られた上に、酒の許容量もすでに限界のキールとしてはその命令は願ったり叶ったりだ。

 キールは酒代を置いてフィーネと共に店の外に出た。酔いのため足元がふらつく。気分は最悪だが、冷たい夜風が微かに酔いを癒やしてくれる。空は真っ暗だが、この王都には火を灯す街路灯が大通りを中心にいくつも設置されているので明るい。また人口も一番多いので、こんな時間でも行き交う人は少なくない。

 そんな大通りで大の字になって倒れているアイン。

「教官、大丈夫ですか?」

 一応声をかけたが、彼女に限って『大丈夫じゃない』ということはあり得ない。それでも一応おぼつかない足取りで近付いて確認すると、アインはいびきをかいて眠っていた。やはり問題ないようだ。別の意味で心配したくなるが。

「……よくこんな場所で眠れるわね。女としては致命的なんじゃないの?」

「概ね同意だが、あれだけ飲んでおいて酔う素振りすらも見せない女の子ってのもどうなんだろうな。これぐらいの年頃の女の子だったら、酔って甘えてる姿がかわいいってラッセルが言ってたぞ。――ああ、だけど、おまえが酔って甘えてる姿ってのも普段とのギャップがあり過ぎて気持ち悪いよな。くっ、想像したら笑える……」

「うーん。実際、酔ってるのかもね。あんたの腕に抱き付きたくなっちゃったし。まあ、足元がおぼつかないから転んで腕とか折っちゃいそうだけど」

 笑顔でこめかみに青筋を立てるフィーネ。これ以上余計なことを言うと、本当に腕を折られかねないので、キールは口元を引き締めてアインに目を移す。

「教官、帰りますよ……」

 このまま放置したとしても、女性の品格としてはともかく命の危機はないように思えるが、後が怖いのでキールはフィーネの体を起こす。肩を貸すと、酒の臭いが鼻を突き、胃が思い出したように吐き気を訴えかける。

 それをどうにか落ち着かせた時だった。すぐ近くから悲鳴が聞こえたのは。

 そちらに目をやると、三人の男たちが走っている。そのうちの一人がバッグを抱えている。ごつい腕には似つかわしくないかわいらしいものだ。そのすぐ近くには身なりのいい女性が驚いたように口元に手を当てている。一目でひったくりだとわかった。

「フィーネ、教官を頼む」

 若い女性が困っている。年頃の男としては放っては置けないものだろう。

 キールはアインを乱暴にフィーネに押し付ける。フィーネが「ちょっ!」と抗議の声を上げそうになったが、無視して走り出した。幸い仕事帰りなので、商売道具は腰に差したままだ。

 キールは窃盗団の位置を視認する。夜だが、大通りに人はまだたくさんおり、普通なら彼らに追い付くのは難しい。だが、キールにはその程度の距離も障害物もあってないようなものだ。

 意識を集中させると、右肩が疼くような錯覚に陥る。その感覚に身を浸らせながら、キールは一歩足を踏み出した。

 瞬間、視界が切り替わった。先ほどまでは窃盗団の後ろ姿が見えていたのだが、今は彼らの驚いた顔が視界に映っている。キールは一瞬で彼らの前に回り込んだのである。

「なんだてめえっ‼ どこから現れた!?」

 窃盗団の中の一人、一番若いと思われる男が突然現れたキールに怒鳴るが、そんなものに怯むほど繊細な神経は持ち合わせていない。キールは唇の端を持ち上げて言う。

「あんたらさ、か弱い女性から強盗なんて恥ずかしくないわけ? 同じ男として最低だと思うけど」

「けっ、ガキのくせに! 下らねえ正義感を振りかざしてたら死んじまうぜ! おらっ‼ 怪我したくなかったら道を開けろ‼」

 三流以下の台詞をほざく若い男の隣で禿頭の男が腰に差した剣を引き抜いた。それはどこにでもある一般的な両刃の剣だ。そんなものが大通りで抜かれたものだから、通行人が悲鳴を上げる。

 その切っ先を前にしてキールは「なるほどねぇ」と呟いた。

「あんたら、どこかの国の元兵士、あるいは傭兵ってところだろ?」

 指摘すると、髭面の男が「ああ」と頷いた。鞄を持っているところから察するに、彼がリーダーのようだ。

「俺たちはいくつも戦場を経験してるんだ。おまえみたいな成人したての小僧だって殺してる。だから、さっさと道を譲った方が身のため……」

「あー、悪いけどそういうハッタリ、俺には通用しないから」

 キールは耳の穴を小指でほじりながら言った。戦場に出たのは本当かもしれないが、彼らの実力は大したことはない。まず剣の構え方がまるでなっていない。その時点で素人に毛が生えた程度の実力だとわかる。

 それに何より彼らからは血の臭いがほとんどしない。それが見抜けるキールにそんな脅しが通用するはずがなかった。

 怯える様子も道を開ける気配もないキールに業を煮やしたのか、一番下っ端らしき若者が石畳の地面をダンッと踏み付けて威嚇する。

「いいからさっさと道を開けろってんだ‼ 騎士の連中が来るだろうがっ‼」

 その言葉を受けてキールは獰猛な笑みを浮かべた。

「ああ、その心配はもう遅いぜ。あんたらが恐れる騎士は目の前にいるんだからな」

 キールは腰に手を回して、商売道具を引き抜いた。

 禿頭の男が持っているものよりも刀身が短く小回りが利く剣。それがキールの両手に一本ずつ握られていた。

 その言葉といきなり武器が握られたことに困惑していた禿頭の男の剣を払いのけ、キールはその鳩尾に剣の柄を叩き込んだ。これ以上ない完璧な位置に打ち込まれ、男の意識を一撃で刈り取る。

 目にも止まらぬ早業で崩れ落ちる男を前にして、目を見開く二人。髭面の男も鞄を地面に落として剣を抜いた。若い方は実戦経験がほとんどないのか、未だに剣を抜こうとしない。

「おまえ、騎士なのか!?」

「あ、ごめん。自分で言ってなんだけど、ちょっと訂正。俺は騎士見習いなんだよ」

 キールは両手に持った剣を逆手に持ち替える。

 リルアルドは広大な敷地を誇るアイロシオン大陸に比べればちっぽけな島国だが、ここを攻めるには相当な覚悟が必要になる。海を渡らなければならないという立地条件もそうだが、何より騎士の練度が高いこともその理由として挙げられる。例え大陸最大の軍事力を誇るクロムガルドの騎士団であっても、簡単に負けたりはしないだろう。

 リルアルドの騎士が強いのにはもちろんそれなりに理由がある。

 リルアルドには騎士学校と呼ばれるものが設立されている。そこに在籍をする生徒――騎士見習いたちは様々な訓練や任務をこなしていく。三年間、そうして濃密な時間を過ごすと、自然と質の高い騎士が作り上げられるという仕組みである。

 一年以上もそこで任務や訓練に明け暮れてきたキール。髭面の男ならまだ見込みがあるが、この期に及んでも剣を抜こうとすらしない若者に怯む道理はない。もちろん、剣を抜くように忠告してやることも、その暇も与えるつもりもない。

 キールはたった一歩で若者の背後に回り込んだ。若者には何が起きたのかわからなかったのだろう。驚いた顔で振り返り剣を抜こうとしたが、その手を抑え込み、顎に剣の柄で強烈な一撃を食らわせた。

 若者の体は空中にわずかに浮き上がり、糸が切れた操り人形のように地面に倒れる。気を失ったのは手応えでわかっていたので、わざわざ確認したりしない。それにそんなことを悠長に気にしている暇もなかった。キールの首があった場所に剣が振るわれたのだから。

 身を反らしてその攻撃をかわすと、キールは剣を構え直す。

「おいおい、なりふり構わずか? 万が一、俺が死んじゃったりすると、かなりの罪になるんだけど?」

「戦争屋のリルアルドの騎士見習いだろ。殺す気でかかったとしてもそう簡単に死んだりしねえよ。それにかわいい部下たちが倒されてんだ。簡単には引き下がれねえ」

 髭面の男は剣を片手で握ったまま、何も持ってない左手の手のひらを見せつけるように突き付けた。

 それが意味するものを悟りキールが舌打ちをするのと同時に、赤いものと熱風が生まれた。

 火だ。紅蓮に彩られた炎がキールを飲み込もうとする。

 何もない場所から炎を出す。それを可能としているのは一つの技術だった。

 目には見えないので確認する術はないが、この世界にはコアと呼ばれる不思議なものが浮かんでいるらしい。それは世界のあらゆる場所、山頂だろうが、海中だろうが、このリルアルドの王都だろうが存在している。

 ちなみに目に見えるコアも存在しており、それが『妖精』であるとのことだ。

 そのコアを別の事象に変換して外に放出できるようにするもの――それが『紋章』である。

 今の時代、この紋章というものを入れている人間は少なくなく、それを彫る職業の『彫り師』も大勢いる。このリルアルドにもそういう彫り師が何件も店を構えていた。

 紋章を入れた人間――『紋章師』は珍しい存在ではない。特に戦闘の役に立つことが多いので、騎士のほとんどはこの恩恵を受けている。この髭面の男がそうであるように、キールだって花を模った紋章が右肩に入っている。

 その炎がキールを飲み込み、周囲の人々が悲鳴を上げたが、肉が焦げるような臭いはしなかった。キールは自身の紋章の特性、『紋章術』を発現させ、その場から消えていたのだ。

 そのキールが現れたのは髭面の男の背後。その首筋めがけて剣を走らせる。所詮はちんけな窃盗団。極刑にまでは値しないので、刃の方は使用しない。

 だが、背後に現れたことに寸前で気付いたのか、男はとっさに前転するようにしてキールの刃を避けた。

 振り返りながら髭面の男は舌を鳴らす。

「やっぱりてめえも紋章師か。その特性で移動してやがるな。ってことは二級か」

「そういうおっさんの方は実にわかりやすい。三級だもんね」

 紋章はそれぞれ一級から三級に振り分けられ、その等級は彫り師によって決まる

 一番多いのは三級だ。この等級の紋章はどんな町でも簡単に入れてもらうことができ、また価格も安い。二級の紋章はあまり彫り師がおらず、また価格も高いので一般人には手が届きにくい代物である。そして、一級の彫り師は長い歴史の中で存在こそ確認されているが、仙人よりも見つけるのが難しいとされている。

 三級の紋章の大きな特徴は『火』、『風』、『土』、『水』の世界を構成するとされる四大元素、そのいずれかの特性が付与されるという点だ。それ以上の等級になると、その枠組みに捕らわれることなく、様々な特性が与えられる。

 この髭面の男の特性が『火』ならば、キールの特性は『移動』だった。この男の紋章とは違い、攻撃性皆無に等しいが、一定の範囲内であれば距離があろうと、高低差があろうと一瞬で移動できる便利な特性だ。

「二級の紋章師とはな。ガキの小遣いで入れられるようなものじゃねえ。ということは、国にでも入れてもらったのか? だがな、三級の紋章が二級の紋章に劣ってるとは限らねえ!」

 髭面の男は手のひらを再びかざして炎を灯す。

 この男の言うことは正しい。三級の紋章は四つの特性に縛られるのでその対策が取りやすい。例えば『火』の特性を使う相手には『水』の特性を使う相手をぶつければいい。しかも、三級の紋章師は多いので集めようと思えば簡単に集められる。

 だが、それだけの話だ。使い方次第でいくらでもその対策は覆せるし、等級が上の紋章師であっても勝てるようになる。

 灯された炎が軌跡を残して投げられた。速度は平凡なのでキールは体を傾けてそれを避けた。周りに被害が及ばなかったことを確認しようとして、キールはギョッとした。先ほど投げられた炎の軌跡がキールに横から襲いかかってきたのだ。どうやら炎の塊ではなく、それは鞭だったようだ。

 キールはその場で側転して、それを空振りさせる。

「すばしっこいガキだな! だが、俺の炎はまだ消えてねえぞ!」

 髭面の男が炎の鞭を振るい続ける。振られる度にその精度は上がっているように思えるが、キールの実戦経験は並ではない。この程度の使い手ならば過去に何人も戦ってきた。それを全て見切り、避けながらキールはかまをかけてみる。

「あんたさ、もしかして騎士採用試験受けたんじゃない?」

 騎士学校を卒業することだけがこの国で騎士になる方法ではない。最初からそれなりに実力がある人間は、年に何度かある採用試験に合格することで騎士になれたりもする。ただし、リルアルドの国の性質上、その合格率は他国よりもはるかに低い。

 その指摘は見事に的中したらしい。自尊心を傷つけられたのか、男は鋭い眼光でキールを睨んだ。自分の投げた餌に食い付いたことを確信したキールはさらに挑発する。

「その感じじゃ落ちただろ? そりゃそうだよ。実戦経験があったとしても、あんたぐらいの実力者だったら下手すれば騎士学校の一年生にだっている。そんな奴をわざわざ採用したりするわけないだろ」

「うるせえんだよっ‼」

 男が大きく腕を振るい、炎の鞭を一閃させるが、その攻撃は隙が大きい。そして、キールの紋章の特性は『移動』。挑発で警戒心まで怒りに飲み込まれて、それを失念したようだ。

 その一瞬でキールは男の背後に移動し、今度こそその首筋を剣の峰で叩いた。

「それに何より、あんな見え透いた挑発に乗って冷静さを失う。そんな奴じゃこの国の騎士にはなれないと思うよ」

 白目をむいて倒れているので聞こえてはいないだろうが、キールは男にそう忠告した。

 キールが両手の剣を鞘に戻したところで、騒ぎを聞き付けた騎士が二人やってくる。気絶した連中を彼らに引き渡して、キールは地面に落とされた女性用の鞄を拾い上げた。

「お疲れー。でも、あんな窃盗団、他の連中に任せておけばいいじゃない」

 戻ると、いつの間にか目を覚ましていたアインがそんなことを言ってきた。

「ダメです。ああいう連中は見つけたら捕まえるのが騎士の役目でしょ。つーか、教官、起きてたんなら手伝って下さいよ」

「やーよ。めんどくさい。ま、酔ってする喧嘩はこの時間帯だってのは認めるけどね」

「あれを喧嘩って呼ぶのは教官ぐらいですよ。どう考えても剣を抜いてするのは喧嘩の範疇を超えてると思うんですけど」

 キールは辟易してしまう。しかし、こんな女性でもこの国の立派な騎士だ。しかも、普通の騎士よりも階級の高い上位騎士と呼ばれる存在。有事の際は騎士たちを指揮する立場だ。真っ直ぐに歩けないほど泥酔していたとしても、あの程度の連中ならば片手であしらえるほどの実力者だ。

「それよりあんたは大丈夫なわけ? あれだけ気持ち悪いって言ってたのに」

「うっ……。思い出しちまった……」

 フィーネの言葉を受けて口元に手を当てるキール。胃の中のものをぶちまけそうになったが、どうにかそれを押し留める。せっかく格好を付けたのだから、今更無様な姿は晒せない。

 キールは青い顔しつつも、貴族風の若い女性に近付いて鞄を差し出す。

「はい、どうぞ。あなたのですよね?」

 近くにいてあんな反応をしたのだから当然そうだと思いながらも、キールは一応確かめる。しかし、意外にも彼女は「いえ……」と首を横に振った。それから、体を横にずらして自分の背後を示した。そこには小柄な少女がしりもちをついた状態で座り込んでいた。

「この子のものですよ。びっくりしちゃって私が声を出しちゃったんですけど……」

 女性は苦笑して頭を下げると、その場から立ち去った。

 その場に残されたへたり込む少女。金色の長い髪に整った。はっきりとした二重まぶたはどこかぼんやりとした印象を与える。だが、何よりも目を引くのは上質な宝石でも埋め込まれたかと思うほど美しい深緑の瞳。その目がキールを捉えて離さない。

 大多数の男友達の意見を総合して『女の子には優しくした方がいい』という見解を取り入れているキール。しかし、別に女性に免疫を持っているわけではない。初対面の、しかもかなりの美少女にここまで熱っぽく見つめられた場合、どうすればいいのかわからない。

 そんなキールの困惑をよそに少女はキールを凝視し続ける。このままでは埒が明かないので、キールは戸惑いながらもどうにか声をかける。

「えっと、その、大丈夫? どこか怪我でもし……」

 たのか、と続けようとしたが、最後まで言えなかった。その途中でキールがしりもちをついたからだ。どういうことなのか、さっぱりわからないが、少女がキールに抱き付いてきたのである。

「――え? は? ええ!?」

 女の子の甘い香りや色んな部分の柔らかさにパニックに陥るキール。少女はそんなキールの困惑に気付いた様子もなく、胸に顔を埋めた。どうやら匂いを嗅いでいるようで、スンスンと微かな音が聞こえてくる。船の中でお湯ぐらいは浴びたが、さすがにここまで露骨に匂いを嗅がれると恥ずかしい。

 それをやめさせようとキールが華奢なその肩を掴む。すると、少女が口を開いた。

「やっぱり本物のキールだ。キールの匂いがする……」

 その呟きにキールは眉をひそめて彼女を胸から引きはがした。匂いを嗅ぐ好意を止めさせる意味もあったが、その顔を確認するために。

 今度はキールの方がじっと彼女を見つめる。

 その深い緑の瞳には実は最初から見覚えがあった。それは一生忘れることがないもの。こんな場所にいるはずがないと思い、頭から除外していたが、こんな言葉をかけられたのだ。もはや疑う余地はない。

「おまえ、もしかしてイヴ?」

「うん。そうだよ」

 キールにとっては懐かしい少女――イヴ・ハーデルラントは「えへへ」と笑いかけた。背丈や髪の長さ、その他もろもろ違うところは多いが、その締まりのない笑みは昔と変わらない。キールの記憶にあるものと同じだ。

 キールは立ち上がり、ついでにイヴも起こす。それからしりもちをついた時に落とした鞄を拾い、イヴに渡した。彼女は「ありがと」と礼を言ってそれを胸に抱え込んだ。

「で、あんたら知り合いなの?」

 まだ酔いが残っているようでふらふらした足取りのアインが近付いてきて訊ねた。その一歩後ろからついてくるフィーネはなぜか不機嫌そうな顔をしている。その表情に疑問を覚えつつも、キールは「はい」と頷いた。

「はー、あんたにこんなかわいい知り合いがいるとは思わなかったわ。――あれ? でも、すぐに気付かなかったってことはここで知り合ったわけじゃないんでしょ? その子、うちの制服着てるみたいだけど」

 アインは焦点の合っていない目を擦って改めてイブを見る。それに促されるにキールもイヴの姿を再確認した。

 サイズの違いはあるが、その服はフィーネと同じものだ。胸の部分にはリルアルドの騎士学校の人間であることを示すエンブレム。男はネクタイ、女はリボンの色で学年を判断でき、それによると彼女はまだ一年生のようだ。

 その事実を前にキールの顔は自然と難しいものに変わる。

「おまえ、騎士学校の生徒になったのか?」

「うん。何日か前の話だけどね。……もしかしてキールも?」

 キールが首肯すると何が嬉しいのか、イヴは『にへら』と締まりのない擬音が聞こえてきそうな笑みを再度見せた。

 まだ数日しか経っていないということは編入試験を受けて入ったのだろう。リルアルドの騎士学校の試験ではそれぞれ得意な武器を選択して、その扱いを披露する。キールは今、腰に差してある小回りの利く二刀、フィーネは槍と言った具合に。もちろん、それだけで合格が決まるわけではないが、重要な判断材料になるのは間違いない。

 イヴはおそらく弓を選んだと思われる。彼女は山育ちでその扱いに長けていた。一度見せてもらった時は遠くになっている果実を傷一つ付けずに枝だけを貫けるほどだ。あの腕前ならば入学試験よりも難しい編入試験でも突破できるだろう。

 だとしてもキールとしては複雑だ。

「なんだって危ない騎士なんかに……。性格的にあんまり向いてるとは思えないぞ。おまえ、結構ぼーっとして注意力散漫だし」

「……へえ。ずいぶんと詳しいじゃない。ただの知り合いってわけじゃなさそうね」

 どこか寒々しいフィーネの口調。あれは本気で機嫌が悪い時のものだが、直す術も原因に心当たりもないのでキールは話を先に進める。

「友達だよ。まさかこんな場所で再会するなんて思いもしなかったけど」

「ん。だけど、ただの友達じゃないよ。キールは私にとって『初めて』の人なんだから」

 胸を張って付け加えるイヴ。昔とは違ってその胸は成長しており、大きく揺れたのがまた意味深だった。

 どこか誇らしげなイヴの態度とは裏腹に空気が完全に凍てついた。大通りで人通りもあるので決して静かではないのだが、その言葉が放たれた瞬間、キールたちの耳にはその喧騒すらも届かなくなっていた。

 その状況から一番早く立ち直ったのはアインだった。顔が若干笑っている。

「えっと……それは『一夜を共にした』という意味で?」

「ん。けど、一夜だけじゃないよ。何日かうちに泊まって……むぐっ‼」

 ようやく金縛りが解けたキールは慌ててイヴの口を塞ぐ。社会的信用なども心配されたが、これ以上喋られると命の心配をしなければならないと判断したキールの行動。

 しかし、それは遅過ぎた。すでにイヴの口から放たれてしまっている。色んな意味で致命的となる言葉が。

 それを聞いて、アインが「ひゅー」と口笛を鳴らす。

「やるじゃない、キール! あたしはてっきりチキンなのか、不能なのかのどっちかだと思ってたけど、よそに女を作るぐらいの解消はあったわけね! で、どの任務の時に乳繰り合ってたわけ?」

 アインはやけに嬉しそうに絡んできて、イブはキールの手の下で「ふがふが」と口を動かしている。だが、そんな二人に何らかの反応を返してやる余裕が今のキールにはない。アインの一歩後ろに立つフィーネの一挙手一投足に注視しなければならない。

「ふふふっ。そっか、キール。ずいぶんと私の知らないところで羽目を外してたみたいね」

 笑ってはいるが、目の奥が少し笑っていないフィーネ。

 フィーネとの付き合いもいい加減長くなりつつある。長期の任務も短期の任務も一緒にこなすことが多い。だからこそわかる。自分の命が消えかかっていることに。

 その予感は見事に的中した。不意に彼女の手が動き、スカートの中に手が突っ込まれた。無駄な贅肉の付いていない瑞々しい太ももが見えるが、それに目を奪われている場合ではない。そこに括り付けられた箱のような入れ物。そこからナイフのような小さな刃物が取り出された。

「お、おい、ちょっと待て! こんな町中で……!」

 それが何なのかわかっているキールはその暴挙を止めようとするが、フィーネは構わずにそのナイフのようなものを横に強く振った。風を切る音とも共にその刃物の柄が伸び、それは一本の槍に変貌を遂げた。この折り畳める槍こそが彼女が扱う武器である。

 路上で凶器が抜かれ、通行人が再び悲鳴を上げて逃げ惑う。そんなもの意に介さずにフィーネは槍の切っ先をキールに突き出した。

「この……不潔っ‼」

 イヴの小柄な体を脇に抱えて、キールは紋章術で移動する。フィーネの背後に移動し、振り返るキール。先ほどまでいた場所を槍が貫通している。

「ちょっとおま……! 殺す気か!?」

 冷や汗を流すキールにフィーネは「ふふふっ」と笑い声を漏らして答える。まるで聞いていない。

 上位騎士であるアインはこの教え子の暴挙を止めなければならない立場にあるのだが、そんな気はさらさらないらしく、腹を抱えて笑っている。

「うふふ。きっと『今度の任務、奥さんには内緒なんでしょ? びっくりするでしょうね、任務ついでに私と会ってたことがバレちゃったりしたら』『おいおい。任務ついでにキミと会うんじゃない。キミと会うついでに任務をこなすんだよ。まったくいけない女だな。体だけの関係のはずが本気になってしまった。こんな場所にまで俺を連れてきてしまうんだからな』とかって会話が行われてるんでしょうね。――死ねっ!!」

 フィーネは再びキールに向かって槍を突き出した。どこぞの不倫貴族のような会話が作り上げられているのは間違いなく本の虫である同居人が原因だろう。

 フィーネはお世辞にも育ちがいいとは言えない。その反動のせいか、こういう話題に対して非常に潔癖だ。そういう話をされるとすぐに顔を真っ赤にしてしまう。親しい間柄のキールの場合はそれに加えて手が――というか槍が出る。

 キールはイヴを脇に抱えたまま走り出した。誤解を解く必要もあるが、何より生き残ることが先決だ。なりふり構わずキールはこの場から逃げ出すことを選択した。

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