第九節『発見』 Abschnitt Ⅸ: “Entdeckung”
第玖節『発見』
Der neunte Abschnitt : “Entdeckung”
ブリュンヒルト皇女への施術準備期間として2ヶ月の準備期間を貰った……。だが、ツェツィーリエ男爵令嬢の施術前の2ヶ月が、美容整形手術の手技の開発のための期間であった事に対して、今回はその必要がなかった。ブリュンヒルト皇女は超肥満体質では有ったが、素材そのものが悪くなかったので、手術計画の立案・策定には1週間もあれば事足りた。だが、『1週間で準備が終わりました……。』と、素直に言ってしまうのも、却って手を抜いたように思われそうだし、今後軽々しく色んなコトをポンポン言いつけられそうだし……チョット逡巡われたので……そのまま放置して、2ヶ月弱の時間つぶしをすることにした。
テルマの実験室・研究室・資料室に未整理のまま山積してあったアカデミア時代からの資料やら、遺跡から発掘された貴重な考古學的古書の寫本やら、姚精族やら地靈族から入手したとされる怪しげな咒紋文献やら、……の整理がてら、その見直しをボチボチとやりながら、お茶を啜ったり、メイド達とダベったりの毎日だったが、こうした何もしないに等しい空白の時間は、思考実験をするための貴重な時間なのである。
その時……意味不明……と、思われていた地靈族の文献の一つ……とある『表』……が、ふと、目に止まった……以前のテルマには全く理解できなかった『表』だったが、輝真には……その『表』の意味が直感的に理解できた。
この『表』は……周期律表だ……。
……『咒紋』と『元素』の対応表だ……。
地靈族は、この世界の人間族がまだ持っていない『元素』の基本概念を所有し、咒紋術に利用している……。
直感的に輝真の部分は理解した。
その直後からてるまの脳裏で妄想の歯車が回り始めた。猛烈な勢いで……。
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数日が経過した。
テルマの館に大量の『炭』が運び込まれる。
「帝國伯令嬢……予定の荷が届きましたが、これを一体何に使われるお心算で?……」テルマの懐事情を一手に掌握しているエルメンガルトが、眉を潜めながら女主人にその疑問を投げかけた。
「ん?チョット咒紋術の実験にね……。実験室の横に運んどいて。」
エルメンガルトの質問に適当に対応して……再び書類の方に振り返るてるま。彼女の前に広げられたその紙には、エルメンガルトには全く理解できない幾何的な圖形がびっしりと描き記されていた。
「木炭に……石炭……冬場でもないのに、質を問わずに山のように買い漁るなど……私には理解できません。」
「実利には無縁の実験……いや、逆に非常に実利本位の実験の為かな。冬場には炭の値段が高騰するから今の内に……と思って。ま……兎に角、実験室に運びこんでおいて、後は、暫く一人にさせて。」意味深な口調でそれだけ呟いて再び黙りこむ。エルメンガルトも、そんな女主人の樣子に少し呆れ気味に溜息をついてその場を離れた。
或る咒紋式を描き込んだ特殊な炉窯に、適当量の炭を投入した後、咒力を流しこんで咒紋式を作動させる……複雑な式ではないが、非常に緻密な動作をする式である。
この炉窯の咒紋式の基本構造は①②③の三つの部分から構成される。一つ目、①のパートは炭の炭素Cを主成分とする有機物を空気中の酸素O₂と反応させ、二酸化炭素CO₂とエネルギーを得る部分。二つ目、②のパートは、①で抽出したエネルギーを利用して炭の炭素Cを精製する部分。最後の一つ、③のパートは、②のパートの咒紋式によって無定形炭素の形態で集めた炭素を、①で抽出したエネルギーを更に利用して最密充填構造の立方晶構造を持つ炭素へと組み替える部分。
要するに自動的に……酸素を消費して炭からダイヤモンドを作ってゆく咒術式である。科学の力でこれを実施しようとすると、無酸素狀態で高温高圧を作り出すことが必要で、とてつもなく困難な作業になるのだが、咒紋術では咒紋式を直接の触媒としてエネルギーを分子に直接伝えて、そのエネルギーで分子構造をダイレクトに組み替えることも可能なのだ。
空中の分子を使って水を作り出したり、炎を生み出したり……という基本的な咒紋術も、こうした触媒的な分子操作が基本になっている。そのちょっとした応用だ……地靈族の咒紋の作用を細かく調べようとしていた昔のテルマの研究資料が役に立った。咒紋術は魔法にも似た神祕の技術ではあるが、決して物理法則や化学反応を無視して成立しているわけではない。いや……むしろ、非常に科学的な構造を有している……それが理解できれば、咒紋術の化学的・物理学的利用は比較的簡単である。(非常に面倒くさいが……それでも一から科学技術を開発するのに比べると非常に安易である。)
咒紋式を改良してゆき、その過程で試作品の結晶体が幾つも出来上がる。……それぞれに見事な大粒のダイヤモンドなのだが……結晶内に無数の小さな傷があったり、不純物が多かったりで、実はてるまの使用目的には適しない失敗作。……咒紋式の改良の過程で出来た試作不良品である。だが、見た目には、完全なダイヤモンドだ……何らかの形で売却すれば研究費の足しにはなるだろう……。ダイヤモンドの合成速度と結晶の純度・均一性を向上することが今後の課題となる。
ま、研究の目的達成まではまだ少し時間が掛かりそうである。炭の酸化の過程で出来た凄まじく臭い煙に閉口して、実験室の窓を開けてパタパタと換気しながらてるまはそう考えた。
「その前に換気システムを充実させないと、一酸化炭素中毒やら酸欠やらで死んでしまうことになりかねないな……ははは……。」自嘲気味に呟く。また、この不完全燃焼ガスの発生に代表されるように、炭の燃焼効率の悪さもこの咒紋式の課題である。
「取り敢えず、大量に外気を取り込むために気流を起こす咒紋式を最初に組み込むのと、副産物については硫黄:S・リン:P・マグネシウム:Mg・鉄:Feなども炭素:Cと同時に分離精製することにして……窒素:N₂と、水:H₂Oは……外に直接排気……塩素:Clは……極力塩化ナトリウム:NaClの形で分離……後は……水に溶かして塩酸にでもしておくか……。あと、ダイヤモンドの構成部分の咒紋式は極力単位を小型化して対応してみるか……。」ブツブツと呟きながら咒紋式の改良に取り掛かる。
……と、まあ……
そうした毎日を、結局2ヶ月ギリギリまで続けてしまったてるまである。
さてと……咒紋學者の本分としては、本来こうした咒紋學の基礎研究が非常に大事になってくるのだが、現在のテルマは、アカデミアの研究生でもなければ、皇女の家庭教師でもなく、皇室美容顧問官……とやらなので、公的な業務としては、わがまま娘の美容整形が今のところ主たる業務ということになる。いつまでも、こうやって研究三昧の日々を送っていたいが……そうもいかない。そろそろ、刻限だし……お姬樣のお相手に戻ることにしましょうか……。