↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】真実の愛とやらで婚約破棄されたので白い結婚で辺境伯に嫁いだら、氷壁の旦那様の契約書の追記が止まりません  作者: フトダマノミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/18

第1話 真実の愛だそうです

 王宮の大広間は、千を超える燭台の光で昼間のように明るかった。


 楽団が奏でる円舞曲に合わせて、色とりどりのドレスが花のように回っている。


 その輪から少し離れた柱の陰で、オリヴィア・ハートレイは一人、果実水のグラスを手にしていた。


 婚約者のエドガー・ラインフェルトは、まだ来ていない。


 開始の鐘が鳴ってから、もう一刻が過ぎている。



(今日は迎えに来るとおっしゃっていたのに……いいえ、きっとお忙しいのね)



 そう考えてから、オリヴィアは小さく首を振った。


 エドガーが忙しいはずはない。


 侯爵家の書簡も、領地の収支報告も、取引先との契約書も、この五年間ほとんどオリヴィアが代わりに仕上げてきたのだから。


 昨夜も遅くまで、南部の商会と交わす小麦の契約書を整えていた。


 明日の昼までに侯爵様の署名をいただかなければならない。



「まあ、ご覧になって。ハートレイ子爵令嬢、今夜もお一人よ」


「ラインフェルト様は、また別の方とご一緒なのかしら」



 扇の陰の囁きが、わざと聞こえる距離で交わされる。


 オリヴィアは聞こえないふりをして、グラスに口をつけた。


 慣れている。


 笑い方が控えめで、感情が顔に出ない。


 そのせいで「可愛げがない」「人形のよう」と言われるのは、昔からのことだった。


 そのとき、入口のほうがざわめいた。




 現れたのはエドガーだった。


 金の髪をきちんと撫でつけ、正装に身を包んだ姿は、誰が見ても見栄えのする青年だ。


 そしてその腕には、薄桃色のドレスを纏った令嬢がしなだれかかっていた。


 シャルロッテ・メイズ男爵令嬢。


 最近、社交界で人気を集めている華やかな娘だ。


 エドガーはまっすぐにこちらへ歩いてくる。


 人々が道を空け、楽団の音がいつの間にか小さくなっていた。



「オリヴィア・ハートレイ」



 名前を呼ばれて、オリヴィアは静かにグラスを置いた。



「はい、エドガー様」



「今夜をもって、お前との婚約を破棄する」



 広間が、しんと静まり返った。



「僕はようやく、真実の愛を見つけたんだ。シャルロッテこそ、僕が生涯をかけて守るべき人だ」



 エドガーは得意げに胸を張り、シャルロッテの肩を抱き寄せた。


 シャルロッテは大きな瞳を潤ませて、オリヴィアを見上げる。



「ごめんなさい、オリヴィア様……。わたくし、エドガー様をお慕いする気持ちを、どうしても止められなかったのです」



「お前のように冷たい女とは違う。シャルロッテは僕の話を、いつも笑顔で聞いてくれる。お前は帳簿だの書類だの、面白みのない話ばかりだったな」



 周囲から、くすくすと笑いが漏れた。


 オリヴィアは、しばらく黙っていた。


 傷ついていないわけではない。


 五年間、婚約者として尽くしてきたつもりだった。


 けれど胸の奥から最初に浮かんできたのは、悲しみよりも別のことだった。



(……明日締めの、南部小麦の契約書。あれは誰が仕上げるのかしら)



 自分でも呆れるほど、頭は冷静だった。



(それに、来月の領地の収支報告。北の街道の修繕費の見積もり。商会への返書が三通……)



 数え始めると、きりがない。



「何とか言ったらどうだ、オリヴィア」



 苛立ったようなエドガーの声に、オリヴィアは顔を上げた。


 そして、教本どおりの美しい礼をとった。



「承知いたしました。婚約破棄の件、謹んでお受けいたします」



「……は?」



「これまでお世話になりました。お二人のお幸せを、お祈り申し上げます」



 泣き崩れるとでも思っていたのだろう。


 エドガーは口を開けたまま固まっていた。


 シャルロッテの目元からも、潤みがすっと消える。



「お前、少しは……」



「侯爵家でお預かりしている書類につきましては、後日きちんと引き継ぎをいたします。それでは、失礼いたします」



 オリヴィアはもう一度礼をして、背を向けた。


 背中に突き刺さる視線も囁き声も、もう振り返らなかった。




 大広間を出ると、夜の回廊はひんやりとしていた。


 一人になったとたん、ようやく指先が小さく震えだす。



(大丈夫。泣くのは家に帰ってから。……いいえ、泣く暇なんて、きっとないわね)



 お父様は、間違いなく激怒する。


 侯爵家との縁談は、ハートレイ子爵家にとって何よりの誇りだったのだから。


 ため息をついて歩き出したとき、回廊の柱の向こうに、大きな人影が立っているのに気がついた。


 夜会の客にしては飾り気のない、黒い軍装の男だった。


 燭台の光が届かず、顔はよく見えない。


 ただ、ひどく背が高い。


 男はオリヴィアを見ていた。


 ……ように、思えた。


 オリヴィアが軽く会釈をすると、男はわずかに頭を下げ、そのまま闇の奥へ消えていった。



(どなたかしら。……警備の騎士様かしら)



 それ以上考える余裕もなく、オリヴィアは迎えの馬車へと急いだ。


 その夜、王都の空には、北の方角から冷たい風が吹いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。