第十三話『すばらしい新世界』
『人はおそらく、天国や地獄からは独立な善悪のシステムを考案することなしに、文明を救い出すことはできないだろう
-ジョージ・オーウェル-』
「ビッグ・ブラザーが貴方を見守っている」と、いう文言と共に位置情報が貼られた連絡をセオドロスは受け取った。
セオドロスがその位置を確認すると、アルデバランという国からは少し外れた位置にあるカフェのようだった。
セオドロスはどういった意図を持つものなのかをしばらく考えた時、同じ人間からメッセージが届いた。
「待ってるから、いつか来い」
どうやら待っているらしい。
セオドロスは少し悩んだ挙句に興味を持ったので会いに行くことにした。
ビッグ・ブラザーが貴方を見守っている__これはオーウェルの1984年での有名なフレーズだ。
送り主は1984年のファンか、それとも、この間フロイトが零していたように
「脱走者か…?」
セオドロスのその勘は当たる事になる
「やっと来た。メッセージを送ってから五日だ。ずっとウジウジと悩んでいたのかい?」
若干のノイズ混じりの声と共に、カフェの椅子に座っていた人物はそう言い出して手を大袈裟に振ってセオドロスを呼んだ。
セオドロスはそれを合図として、先客がいた四人席に座った。
目の前にはそのノイズ混じりの声を出して見せたテレビ頭の男と、車椅子に座っている痩せた男がいる。
車椅子の男には、輸血が繋がれている。まるで患者だ。
「貴方達は誰ですか?」
車椅子の男は少しの呻き声を出すと、言葉を出さないままテレビ頭の男を見た。
テレビ頭の男は、横の男を宥めながらゆっくりと被っていたテレビを外した。
「暑っつい!!…はぁ、ちょっと失礼!」
お冷を一気に飲み干すと、底に残った氷もガリガリと噛み砕きながら男性は自己紹介をした。
「私はオーウェル、ジョージ・オーウェル、横の人はハクスリー先生。分かる?オルダス・ハクスリー!」
名前を呼ばれたハクスリーはその勢いに気圧されたのか少し縮こまった。
「あぁ先生、怯えないで大丈夫……で、キミはセオドロスだよね」
「そうですけど…」
「よし、合ってるならいいんだ」
「脱走者…という私の予測も合っていますか?」
「正解。私は元教育チーム所属、思想-オーウェル……こっちは、あー…複雑な事情だ。気にしないで」
ハクスリーは知らない人を見るような目でキョロキョロとオーウェルとセオドロスを交互に見た。
やがて目が回って頭がクラっとしたのか頭を抑え始めた
オーウェルが「おっとまずい」と小声で言ったかと思えばハクスリーは思わず泣き始めた
「お…うぇる?おー…うぇる?……う…いな、いない…?」
オーウェルはハクスリーを宥めながら「ちょっとごめんね」と言ってテレビ頭を再び被った。
ノイズ混じりにテレビの画面が着くと、ハクスリーは「オーウェルだ!」と言って機嫌を取り戻した後に、再び何も言わずにぼーっとし始めた。
「…本当にハクスリーですか?」
「それが本当にそうではないというのを、キミは分かっているはずだけど、キミの欲しい言葉通りに言うならハクスリーだった。と言うべきかな」
ハクスリーは輸血の針が刺さっている部分が気になっているのか爪でガリガリと掻いている。しかしそれを丁寧に、頑丈に巻かれたテープが阻止していた。
「スターバーストのクソみてぇな部分さ。キミは一部の継承者が表舞台に出てこないことを知ってる。そうだろ?」
セオドロスはそれに対し処刑チームの話題を持って答えた
「そう、そんな風にね。上層部の連中は継承者の秘匿をするんだ。ハクスリー先生もその一人だったよ。
私が助け出した時時はね。もう今みたいになってた。幼児退行とでも言うべき?…どうしてこうなれると思う?偉大なディストピア作家であのハクスリー一族のオルダス・ハクスリー様の継承者が、だぞ?」
セオドロスは素直に「分からないです」と答えた。
オーウェルは赤裸々に語った。
ハクスリーは地下室で監禁されたまま、上層部が作り出したソーマを体内に投与した状態で情報を伝えれば答えを導き出す道具として扱われてた話を。
「ソーマと名付けられたソレは、ハクスリーの小説のものよりお粗末だ。いや、そもそもあの小説のように副作用が無い薬なんてあるわけないんだ。全てのものは毒であり、薬なんだからね」
セオドロスは「何故それを知っていたんですか?」と疑問を声に出した。
「フーコーから情報を貰った。いや、匿名だったけど最後に要らない皮肉を追記するやつはフーコー以外にありえなかったからね」
オーウェルは店員を呼び、飲み物を頼んだ。
「フーコーが、ですか」
「そう、フーコーが、何故かね。遊びの一つだ。アイツはパノプティコンに引きこもって映像を見続ける日々に飽きると自分で混沌を生み出そうとする。それで上手く踊らされたのが私というわけだ」
セオドロスはそこまでを聞いて、じゃあなぜ脱走したのかを聞いた。
「単純さ。あの環境が嫌いだった。頭の中のオーウェルと、私という自我は全く別。なぜ別人のために私があそこで子供たちを育てねばなるまい?」
セオドロスは言い返すことはなかった。
「まぁ、カミュやドストエフスキーなんかに会えなくなったのは寂しいけど…、別にいいかな」
オーウェルは運ばれてきた飲み物にストローをさしてテレビ頭の下の隙間から飲み始めた。
「それでは、なぜボクを呼んだんですか?」
オーウェルは半分以上飲み干すと、「先生が会いたいって言ったから」と、答えた。
「…なんで?」
セオドロスはハクスリーの方を見た。
ハクスリーは二人に興味を失ったのか、外を見ている。
「…脱走したんですよね?ボクのことをどうやって知ったんですか?」
オーウェルはただ一言「テレスクリーン」と言った。
そして質問をされる前に、自分から説明をした。
「テレスクリーンはジョージ・オーウェルの1984年からの権能だ。
本来の方は知ってるだろうから説明しないけど、私の場合コレは何かを映す為の映像機器の情報を遠くから見れるんだ。
簡単に言うとフーコーが至る所にしかけた監視カメラの映像を、私が盗み見したんだよ」
「つまりあらゆる映像機器は貴方の目だと?」
「偉大なる兄弟はお前を見ているよ」
テレビの液晶越しにオーウェルが笑った気がした。
自分を呼び出したハクスリーという人物はずっと外を見ている。
外には小鳥が飛び、男女問わず様々な年齢の人が歩いている。
動きのある日常というものは、動かない人間にとって非日常的なものであり、それは刺激となって興味のある物事になる。
「ハクスリー先生がお前の何に興味を持ったのか、私には分かる。憶測だが、確実だ」
オーウェルは立ち上がると、向こう側から体を乗り出してセオドロスの左腕の手首を掴んだ。
「何するんです?」
「お前、両性になったんだってな。私達もそうだ。私もハクスリーも、元は男の肉体だよ」
オーウェルはその掴んだセオドロスの左手を自分の胸に押し当てた。
男性のものではなく確実な柔らかさがある物が手に触れ、セオドロスは固まった。
「もう少し照れるというか、叫ぶというか、面白い反応してくれたら画面映えするんだけれどもねぇ」
オーウェルはセオドロスの手を離すと、横にいたハクスリーの方も服の上から分からせるように胸の膨らみを見せつけた
「まぁ、胸だけが男女の区別になるとは思わないが、それでもだ。いきなり股間を見せつけ合う訳にはいかん」
オーウェルはハクスリーから手を離して再びストローから飲み物を飲んでいる。
セオドロスもそれをトレースするようにストローから飲み物を飲んだ。
「いきなり人に胸を触らせるのもどうなんですか…」
やっと絞り出した返答がこれである。オーウェルはゲラゲラと笑った。
「いいか?ラッキースケベがある作品は面白いんだ」
「なんの??なにに???」
ハクスリーが外の景色に見飽きたのか、セオドロスの混乱とした声を外の景色よりも興味のある変化として受け取ったのかセオドロスの方をじっと見た。
セオドロスは改めて目が合った人物をよく見ることにした。
羊のような角が生え、右目からは黄緑色の液体が出ている。そちら側の瞳孔は小さく、ちゃんと目として見えているのは左目だけだろう。
「あー………んぅ……」
ハクスリーは邪魔そうに輸血が繋がれている手首をガリガリと掻いている
「その輸血は何のためにですか?…合法?」
「非合法。ハクスリー先生の権能の一つはね、ソーマを生み出すことさ」
オーウェルが説明をする。
ハクスリーは他者の血液を自身に与えられた時、鎮静効果を得るらしい。現在はその権能を使い、上層部の奴らの薬漬けされていた時の禁断症状を抑えている。それともう一つが他者にとってハクスリーの血液は幸福を生み出すものらしい。
オーウェルは自身で試すなどという愚かな行為はしたくないと他人で試したらしい。
副作用のない幸福とされるソレは確かに禁断症状も無かったが、幸福が切れて苦悩を再び知らされた相手はソーマに依存し始めたみたいだ。
その相手の行く末は聞いていないが、ろくなものでもないだろう
「依存性はあると?」
「無いはずなんだけどな。人の心は薬物一つで何とかなるような単純なものではないらしい」
「それではハクスリーさん自身も、他者の血液で鎮静させられ続けるほど単純ではないのでは?」
セオドロスはハクスリーを見ながら思う。
禁断症状が出るからと言ってずっと鎮静させ続けるのは緩やかな殺人なのでは?と
「それもそう。でもね、目の前で人が錯乱している様子は観客にはウケないんだよね」
「観客ってなんのことですか?」
「気にしないでいいよ」
セオドロスは飲み干したジュースの底の氷をガリガリと噛んだ。
「それで、ずっと脱線していましたけど、ボクと貴方達が同じ両性だと?」
オーウェルはあぁ!とわざとらしく思い出したフリをした。
「そう、そうだよ。そこだ。普通の継承者はそんなことにはならない。キミも見ただろう?女性の体に受肉した男性の偉人だって、女性の精神性を知ってるままに両方の釣り合いを持って生きている事を」
セオドロスは頭の中にコルトが出てきた。
コルトは確かに男性の偉人を継承しているが、ちゃんと自分が女性であることも分かっていた。
「では何故私達が両性のままなのか、が謎なんだよね。大昔にスターバーストを襲撃したらしい葬儀屋というテロリストもそうだったらしいし」
「それでは、似たもの同士を見つけたので話したかったと」
「私の推測としてはそう。でもハクスリー先生がなぜ呼んだかの真意は謎だ。頑張ってハクスリー先生の自我を取り戻してみせるさ」
セオドロスはハクスリーがずっと手首の輸血の為の針が留置されているテープを掻いているのが気になっていた。
「やはり、その輸血を一時停止させてみるのがいい気がします」
「それは何故?」
「勘です」
オーウェルは少しの沈黙の後、「その運試しもロマンだね」と液晶越しにニヤニヤと笑った。
「やってみようかな。今まで臆病だった自分とお別れでもしよう」
オーウェルは立ち上がり、ハクスリーが座っている車椅子のロックを解除した。
「私が奢るよ」と、伝票をオーウェルは手に取った
「当然ですが」と、セオドロスは腕を組んだ
「キミ意外と図々しいな」
「呼んだのはそっちですもん」
会計はすぐに終わり、三人は店の外に出た。
「オーウェルさんは普段何してるんですか?」
「先生と一緒に旅をしながら、世界を幸福にする計画を立ててるよ」
「それは永遠に無理でしょうね」
セオドロスがそう吐き捨てると、オーウェルではなくハクスリーが口を開いた。
「……すばらしき新世界は、自ら作るのではなく追い求めるからこそ価値がある」
ハクスリーはそういうと、セオドロスと目を合わせた。
「喋っ…た」
「私だって喋るが」
ハクスリーは車椅子に座りながら足を組んだ。
「えっ…先生正気に戻った?」
「どうやら今だけな」
ハクスリーは自分の頭をコツコツと突いた
「これも運が良かったと、思おう。もしくは体内にある核が何かに反応したんだろう
単刀直入に言う、セオドロス。私達と来ないか?」
「嫌です」
セオドロスはすぐに答えた。
「スターバーストに居ても君は窮屈なままだ」
ハクスリーは見透かしたように淡々と言い連ねる
「この世界には苦痛や絶望と言った悪がある。弱者は虐げられ、無様に死んでいく。堕ちた星だけでなくそれを使った戦争をしている国もある。スターバーストなんてもっと酷い。孤児を使って生物兵器を生み出している。それが将来怪物になるのを分かってだ」
ハクスリーは限界までセオドロスに顔を近づける
「セオドロス、君が何者か教えてあげよう
キミはね、他者の為に自分を殺せる存在だ。
それは他者にとって都合のいい存在と言えるかもしれない。悪く言えばだ。
しかしね。すばらしいように言おう
キミは人類を救える」
それを聞いたセオドロスは、身体の奥でなにかの鍵が開いた音がした
「……」
セオドロスはハクスリーとオーウェルに対し、貴方達の味方や仲間になる気は無いが、スターバーストには確かに居ない方がいいかもしれないと伝えた。
セオドロスは二人と別れた夜道でテスラに頑丈にされた端末を両手で持っていた。
カミュやサルトルから連絡でどこにいるのかを問われている。
セオドロスはわざと端末のGPSの機能を破壊して、電源を落とした。
セオドロスがふと上を見上げると、満月が見えた。
あの時見た至高天の光よりはずっとみすぼらしいその光は確かにセオドロスの瞳に光を与え、彼に使命を与えた。
「最大多数の最大幸福の為に__善を成す為に、悪は滅ぼすべきですよね」
「えぇ、えぇ、ボクはその為に、成し遂げますともこの誓いを」
「これからを生きる人間の自我は怪物にも、偉人にも食われてはなりません
また、戦争や怪物、搾取や実験なんて、あってはなりません
全てを滅して、お越しください至高天よ!」
その日確かに天使が堕ちてきた。
『すばらしい新世界(著:オルダス・ハクスリー)
ジョージ・オーウェルの一九八四年と並びアンチ・ユートピア小説とされるもの
遺伝子操作や洗脳教育をされた人間は階級によって分けられ管理されている。ソーマにより幸福を与えられ、人々は苦悩を感じること無く満足して生きており、そこには全てが安定したすばらしい世界がある。
ハクスリーはオーウェルに対し、自分の生み出した世界の方が実現する可能性が高いと予言した。』




