第1話:異常値と終わらない雨
毎日1830に更新する梅雨時の青春ラブストーリーです。全10話。
まずはブクマお願いします!
六月の朝って、なんでこんなに憂鬱なんだろう。
傘を差しながら通学路を歩くたびに、毎年そう思う。雨のにおいが制服に染みつくし、靴の中までじんわり湿ってくるし、そもそも空が灰色一色なのが気分に直撃する。太陽どこ行ったの。出てきて。お願いだから。
でも、まあ。
私――瀬名陽葵は、そういう本音を顔に出すのが得意じゃない。
「おはよー! 今日も雨だね〜」
昇降口で靴を履き替えながら、隣のクラスの子に声をかける。向こうがちょっと困ったような顔をしてても、私の口角は自然に上がる。癖みたいなもんだ。数値を見ながら会話してたら、いつの間にかそうなってた。
数値、っていうのは。
私には、他人の頭上に「好感度」が視える。数字と色でだ。
たとえば今、靴箱の前で会釈してくれた同じクラスの田中さんの頭の上には、薄いオレンジ色で「47」と浮かんでいる。可もなく不可もなく、という感じ。悪くはない。声をかけるたびに少し揺れて、私が笑顔を返すとまた落ち着く。これくらいなら普通だ。
廊下を歩けば、すれ違う人たちの数値がちらちらと視界に入る。友達グループとして認識してくれてる子は60〜70台、仲のいい子は80を越えることもある。ほとんどの人はそのくらいの範囲に収まっていて、私はその数値を横目で確認しながら、相手に合わせた笑顔を選んでいる。
……我ながら、ちょっとどうかとは思う。
でも仕方ないじゃないか。数字が見えてたら気にするでしょ、普通。数値が低い相手に踏み込んで嫌われるのが怖いし、高い相手には期待に応えなきゃって緊張する。能力のせいで、私の「愛想の良さ」はどんどん最適化されていった。本音なんてどこにしまったかよくわからないけど、まあ、誰も困ってないからいいか、と思ってた。
思ってた。
その朝、教室に入るまでは。
◇◆◇◆◇
「え!?」
思わず声が出た。声に出したことに気づいて、慌てて口を押さえる。
七番目の席。窓際から二列目。うちのクラスで一番地味な席順の男子、時任蒼真の頭上に、私はそれを見た。
数値じゃない。
正確には、数値なんだけど、数値の概念を超えてた。
真っ赤な光を放つ「999」。
見たことない。こんな数字、見たことない。私が生きてきた十七年間で、一度も。
最大値って何なんだろうとぼんやり考えたことはあった。好感度が100を超える人も稀にいて、熱狂的なファンとかがいる有名人なんかは200台になることがあるって、なんとなく感覚でわかってた。でも三桁の上限が999だとしたら、この人は文字通り……
「カンスト」してる。
私の好感度が。彼の中で。
「…………は?」
今度は小声だったけど、さすがに聞こえなかったと思う。時任蒼真は窓の外の雨を見ながら、何か考え込むような顔をしていた。視線が宙をさまよっていて、まるで何百回も同じ景色を見てきたみたいな、妙に疲れた目をしていた。
私、あの人とちゃんと話したことあったっけ?
記憶を掘り返す。同じクラスになって二ヶ月。席が離れてるし、グループも全然違う。接点といえば、授業で同じ班になったのが一回あったくらいで、それも特に印象に残っていない。顔は覚えてるし名前も知ってるけど、それ以上の情報がほぼない。
なのに、なんで?
999、って!?
午前中ずっと、遠巻きに彼を観察した。
休み時間、時任くんは机に突っ伏して寝ていた。昼休みは一人で購買のパンを食べながら文庫本を読んでいた。誰かと話すわけでもなく、かといって陰気な雰囲気があるわけでもない。ただ淡々と、一日のコマをこなしているみたいだった。
でも、ときどき。
チャイムが鳴るたびに、深く息をついた。
どこか、憂鬱に。いや、憂鬱より重い何かを、飲み込むみたいに。
……気になる。
こんなに気になったのは久しぶりだった。数値じゃなくて、その人自身が気になったのは。
◇◆◇◆◇
放課後、私は意を決した。
「直接聞けばいいじゃん」という結論は我ながら雑だと思うけど、観察するだけで一日終わらせるのも性に合わない。廊下で荷物をまとめている時任くんの背中に向かって、一歩踏み出した。
でも、そこで止まった。
彼の頭上の「999」が、じっと私を見ているみたいだった。そんなわけないのに、そう感じた。
……これだから嫌なんだ。
先に数値が見えると、うまく動けなくなる。相手が自分に何を期待しているか、なんとなく想像できてしまうから。999なんて、見たことない数字を叩き出してる相手に、気軽に「ちょっといい?」なんて言えるわけがない。期待に応えられなかったら? 幻滅されたら? あの数値が崩れていくのを、見てしまったら?
結局、私は何も言えなかった。
時任くんは文庫本を鞄に突っ込んで、誰とも目を合わせないまま教室を出ていった。その背中を見送りながら、私は自分のことが少し嫌になった。
◇◆◇◆◇
帰り道は、もっと嫌だった。
雨はさっきより強くなっていて、傘を差しても肩が濡れた。すれ違う人たちの数値がぼんやり視界に入るたびに、意識してシャットアウトしようとする。できないんだけど。この能力、オフボタンがない。
疲れてるときはとくにきつい。数値って、ただ浮かんでるだけじゃなくて、なんというか……圧がある。高い数値は期待みたいに迫ってくるし、低い数値は見なければよかったって気分にさせる。今日みたいに頭を使った日は、帰る頃にはくたくたになってる。
でも誰にも言えない。「他人の好感度が見えて疲れた」なんて、言ったところで何がどうなるわけでもないし、そもそも信じてもらえないだろう。
ずぶ濡れになりそうな傘を傾けながら、私は「999」のことを考えた。
あの色。真っ赤な、燃えるみたいな赤。
今まで見てきたどの数値とも違った。
◇◆◇◆◇
家に帰りついた頃には、外は本格的な豪雨になっていた。
窓を閉めても雨音が壁を叩いて、部屋の中まで響いてくる。制服を脱いで、濡れた靴下を洗面所に放り込んで、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げながら、今日一日を巻き戻す。
あの数値はなんだったんだろう。私のことを、あんなに好きな人が、いる? ほぼ話したこともないのに?
考えれば考えるほど気持ち悪い。気持ち悪い、というのは怖いとか不思議とか、そういう意味で。
階下から声がした。
「陽葵ー、ご飯よー」
あ、夕飯か。起き上がろうとして……
視界が、真っ暗になっていた。
音が、全部消えた。
◇◆◇◆◇
スマホの画面は「6月14日(月) 6:48」。
昨日と、全く同じ時刻だった。カーテンの隙間から差し込む光の角度も、遠くから聞こえる雨音も、全部同じだ。
「どういうこと? ……夢、じゃない?」
声に出すと、少し現実になった。少しだけ。
窓の外では、雨がまだ降り続けていた。




