この剣も魔法もない、どうしようもない世界で
何だか蒸し暑いな。
そう思い目を開けるとそこは見慣れた部屋だった。
何の変哲もない、しかしどこか安心する光景。
ああ、そうだ。ここは間違いなくゲームの世界ではなく現実世界の自分の部屋だ。
俺はずっと机の上で伏せて寝てしまっていたようだった。
机の上にはカップ麺やペットボトルなどが散乱している。
あの時から何一つ変わっていない。
ディスプレイにはアイディールワールドのタイトル画面が映し出されている。
何か変化は無いかと探ってみたが、何度やってもログインは出来なかった。
そんなことより、やっとすべての記憶が戻ってきたのだ。
そして、やっと元の世界に戻ってきた。
俺はただ一つ、今すぐ確かめたいことがあって、家から飛び出していた。
みんなが現実世界に戻ってきて数日後。
俺は学校の屋上にいた。
周囲ではセミの声が競るように鳴き、暑さと湿度のせいで着慣れないワイシャツから汗が染み出てくる。
こんな日に集まらなくてもいいのに、と俺は一人心の中でつぶやく。
夕方になっても太陽は橙色や黄色の配色を空に塗りたくって自分が夏の主役であることを主張していた。
暑いのは嫌だけど、この風景はどこかあの世界を思い出す。
あの後、俺は墓地の場所までたどり着くと、既にユウジとアリスが墓の前で泣いていた。
サキの墓に3人で一緒に来るのは思い出す限り、それが初めてだった。
白石早希。
俺たちはサキの本名を思い出していた。
その名前は紛れもなく俺たちの中学校の頃からの大切なゲーム仲間のものだった。
俺たちは早希との記憶を全て思い出した。
早希と中学生の頃にどう出会い、何を話して、何を伝えらなかったか。
目の前には白石家の墓があり俺たちはその墓の前でいつまでも泣いていた。
俺はあの世界でのサキとの出来事を思い出しながら、屋上から見える景色を眺めていた。
しばらくそうしていると後ろで「お、いたいた」という声がする。
「普段は学校に来ないくせに、こういうときだけ来るなんて変な奴だよな」
「ハジメはそういう人ですよ」
そこには制服姿のアリスとユウジがいた。
「こっちで会うのは久しぶりな気がするな」
俺は二人をまじまじと見てしまう。
「あの世界に居たのが長く感じたんでしょうね」
「夢みてぇだったな」
アリスとユウジは感慨深そうに言う。
そして生まれる会話の空白。
誰かが喋ってないとみんなの口数が少なくなってしまう。
「そういえば夏休みですよね」
アリスは沈黙に耐えきれず、取り繕うように話した。
「夏休みだし、みんなでどっか行くか」
「いいね、海とかバーベキューとかしたい」
俺は普通の高校生っぽいことをしたい気分だった。
それはあの時から止まった時間を取り戻したいからかもしれない。
「ずっと夏休みだったらいいのにな」
俺はそんなことをつぶやく。
今さら学校にも行きたくなかったし、こんな現実を直視したくなかった。
甘いと言えばそうかもしれないが、いきなり自分の考えは変わらない。
「そうだな。夏休みが終わったら、またつまんない日常の始まりだぜ」
ユウジは本当につまんなそうに言った。
「夏休み明けたら俺とユウジでアリスをいじめてきたやつを順番に殴ろう」
俺が冗談交じりで提案する。
何か派手なことをして、このつまらない世界を壊してやりたい気分だった。
「いいね、市中引き回しの刑とかも良さそうだな」
「いつの時代の刑罰だよ」
俺たちがしょうもない会話をして盛り上がっているとアリスがおずおずと話し始めた。
「あの、気持ちはありがたいんですけど解決手段が極端すぎますよ。他の方に迷惑をかけるのはやめてくださいね?」
俺たちの冗談を真に受けて、アリスは慌てたのかもしれない。
「私、変わるので。変わってみせるので。それまでは見守っててください」
アリスはその目に強い意志を宿して宣言した。
そう言うのなら、俺たちに出来ることは陰ながら見守ることだけだ。
あっという間に夕暮れの時刻になった。
あの時の世界を終わらせた光とは違う、現実世界の柔らかい光が空を包んでいた。
「俺たちずっと一緒にいような」
ユウジが遠くを見つめながら言う。
俺とアリスは静かに頷いた。
俺たちはずっと4人で生きて行く。
一度はバラバラになったかもしれないが、これからはずっと4人だ。
サキが亡くなってから止まった時間を4人で取り戻したい。
俺はときどき思うことがある。
中学生の頃、もしサキとあのゲームで出会わなかったらどうなっていただろうか。
アリスとは一緒にゲームをすることできず、ユウジとは今ほど仲良くなかったかもしれない。
そうなったら俺はあのまま一人で悩んで、一人でむしゃくしゃして、それでまた一人でゲームをしていただろう。
サキに出会ったことで一回俺は救われていたのだ。
だとしたら、今度は俺が誰かを救う番だろう。
これからはサキの願いやみんなの約束を守るために生きよう。
どんなことがあっても4人一緒だったら大丈夫だろう。
サキと交わした言葉と記憶があるだけで前に進めるんだ。
あいつの分まで真剣に生きて行こうってそう思えたんだ。
この剣も魔法もない、どうしようもない世界で。
終