15話 1か月
前回:――ありきたりなエルフ事情。魔術書も沢山――
「98……99……100っと」
彼は起きてすぐ、腕立て伏せとスクワットをする。動くたびに、おでこの毛が揺れて、その先に留まっている精霊が上下に揺られている。
基礎トレーニングの一環として、やるように言ったのは私なんだけど、
「ヴァンくん、30回でいいんだよー。回数増やしても、効果が薄くなっちゃったら意味ないんだけど」
「いや、充分25回あたりからキている状態なんだけどね、止めたらそれで負けだから、止めてあげないんです」
なんだろう、この考え方?負けな気がするんじゃなくて、負けなんだ。何の勝負なんだろう。ちょっとわからない。
「それよりさぁ、ヴァンくん今日ご飯作ってよぉ。前作ってくれた奴みたいなのをさぁ。できるでしょぉ?」
トレーニングの事は無視して、ダラダラしながら新聞を読んでいるエリナは、記事の内容より食べる事の方が重要みたい。まー、どうせ書かれている事と言えば、今度の商業ギルドのマスター選挙に誰が立候補するかとか、そのあたりなんじゃないかな。
それより、ノーブラタンクトップでミニスカートを履いた状態でソファで寝転がらないで欲しい。私たち以外誰もいないからって、だらしないなー……言ってもやめないんだけどね……
「そういえば、新聞が、木の板って、どうなのさ。耐久性、いいけど、堅くて、邪魔じゃ、ない?紙とか、代用、出来、無いの……キツイ……」
スクワットしながら喋っていたら、息苦しくなってきたみたい。やっぱり回数減らしていいんじゃないかなー。それで効果がなくなっても意味ないんだけど。
「そうは言っても、羊皮紙とか簡単に沢山作れないし、植物から作る紙にしてもいろいろ材料や手間なんかが問題あるかなぁ。作るのに凄い時間かかるしねぇ。作りが荒いと茶色いから、できれば漂白とかしたいけど、それにもお金も手間もかかるしさぁ。だから勉強に使ってるのも、黒板とチョークなんだけど」
量産できるならいいけど、できないんだよね。なんか言い訳みたいになってるけど……
「チョークだって、無限じゃ、無いでしょ。あれ?貝殻とか、卵の殻、使うんだっけ?なら、いいのか」
自分で自分の考えを否定した。否定するまで早くない?私もそうだけど、答えって中々決められないよね。優柔不断なのかな?
「それよりぃ、ご飯作ってよぉ。お昼ごはんでいいからさぁ」
朝食は、食べる時と食べない時がある。余り体を動かさない時には食べない。大体の人が2食。この街だとこれが普通なんだよね。里だと、3食だったけど。
「ダメだ……」
「なんでダメなのぉ?いいじゃなぁい、ケチィ。そんなんじゃモテないよぉ」
「もう、もたな……」
話が食い違ってるのに、なりたってる?多分、彼なら作ってくれるだろうし問題ないかな。
ちょっとしたお願いも今まで、嫌そうな顔をしている割に進んで何でもやってくれていたし、ちょっとシッポを振ってもいた。頼られるの、好きなんじゃない?
「プアア……60回でギブとは、情けない。で、なんだっけ?昼飯?まだ起きたばかりなんだから、仕事の事考えてください。その後ですよ」
なんか話が戻って来たと思ったら、お母さんみたいなことを言い始めている。本当に、どっちが育てているのか分からなくなりそう。オッカシーイ。
「リサぁ、笑ってないで、何とか言ってやってよぉ」
「私はヴァンくんが正しいと思うなー、なんて。最近エリナの仕事、私がしているじゃない?」
「お?なにこれ」
うめき声をあげてひっくり返ったエリナから、新聞を取ったヴァンくんが声を上げた。気になる項目でもあったのかな。1か月の間に随分読めるようになったみたいで、最近は新聞の難しい字も分かるようになってきたみたい。覚えるの、結構早いよね。
「うへぇ、こういう新聞でも、大安売りの広告とか乗っけるんだ。すげえ、主婦感激。生々しいわ……あ、でも卵半額は魅力的。チーズも3割引き。高級品が半額なんて素敵すぎる」
奴隷を雇わない限り、お母さんが料理するのは普通だけど……血眼になったお母さんや従者たちが押し寄せる光景が目に浮かんだ。行きたくないなー。私でも押しつぶされそう。
それより、ヴァンくんは前世主婦だったの?誰かに仕えていたとか言ってなかったと思うけど。日割りの仕事、だったよね?
「よし、エリナさんが卵かチーズを買って来てくれるなら昼食作ろう、そうしよう」
この子、悪魔なのかな?そういえば、自分で自分を悪魔みたいに言うことあるんだよね、この子。
「え、私が買ってくるのぉ?なんでぇ、厨房からもらってくればいいじゃなぁい」
「確か、俺の仕留めた何とかボアの金額残り……」
「う……わかりましたぁ」
うん、この子、悪魔だ。ちゃっかり一年前の事を覚えていて脅しにかかってる。
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朝の訓練、以前に比べれば随分動きがよくなってきたみたいには思う。
けど……
「アアアアアアアアァァァァァァァァ……」
また、飛んでった。多分以前より遠くに。今日はエリナが買い物に行っているから、特に騒がしくないけど、その代わりに……
「坊主、随分とまた派手に飛んでたな。ロイの時の威勢はどうした?」
ダントン、どうして……うん、自主練だよね。誰も使わない訳じゃ無いんだし。たまにここに来て、剣を振るう人はいる。魔法の試し撃ちは、大きいものになればここじゃ不安だから、草原を使うのが普通なんだけど。
それでも、話しかけてくるのは彼だけ。他に見ているのはロイだけだし。
ロイは、というと……
「…………」
2階から今も覗いている。よく覗いてるけど、そんなに気になるなら、降りてくればいいのに。実際、彼が決闘で使ったのは魔術だけだし、剣はほとんど振った事なかった子だから、勝負にならないのはおかしくはないんだけど。それでも、私が教えていると罪悪感が募る。なんでだろう?
「もう少し、手首を回して……」
「獣人は回せる範囲少ないんですよ。だから、腕や足の回転を生かさないと」
「ム、それなら、こういう動きはどうだ……」
ダントンは、彼にレクチャーを始めてしまった。まー、私も教えているし、それでいきなり変わるとは思えないんだけどね。
それでも、多くの人に話を聞いて手段を増やすなんて当たり前だし、引き出しを増やすためにも、彼の言葉をそのまま聞かせておこうかな。ちょっと、疲れちゃったし。
なんか最近息苦しい気もする。さらしきつく巻きすぎかなー?
「あれ、リサさん休憩?もう少し……」
「いや、休憩は必要だぞ。充分な休息を取らなければ、体が疲れて何もできなくなるだけだからな。体を休めることも体を鍛えることだ」
「なんか筋肉を育てるために生きてる人がどこの筋肉を休ませるか語っているみたいだ」
ヴァンくんの言う言葉が、分からないようで、すごくよく分かる。何しろダントンの体つきは、剣士というよりグラディエーターとか、ハンマー使いの体格だし。私も人の事、あまり言えないけど……見えてないよね?ドレスアーマー少し緩めに作ってあるし。
「それにしても、1か月の間に随分と剣の腕を上げたな。やっぱり師匠のおかげか」
「え、そんな……」
「当然のこと言わないでくれる?あんたと違うのよ、ふんだ!」
私が否定しようとしたダントンの言葉、彼に皮肉で返されちゃった。なんでか女の子口調だけど。怒る、よね?
「ああ、まあ。彼女は、おれより強いし、それに何というか……」
怒らないんだ。流石に彼にもプライドが少しはあるだろうと思ったんだけど。まあ、ダントンは優しいし、気を使っているのかもしれない。でも、ちょっと顔が赤いのはなんでだろう。やっぱり怒ってる、けど我慢してるのかな?
「確か、ダントンさんは魔法剣士側でしょ?聖騎士だっけ。剣士メインで、魔法補助とか聞いたけど。俺としては、そっち方面での助言が欲しいかなあ」
確かに、私はほとんど魔法が使えないし、エリナは弓は使うけど、剣は使わない。槍とかなら教えてあげられるけど、その中間はというと、素人だからなー。あれ、気を遣ってる?
「そう、だね。そしたらーダントンに魔法剣とか教えてもらうのもいいのかもね?」
「どっちかって言うと、俺は魔法格闘、だけどね?」
彼の刻印、命を対価にしていた、点火。
「あれは、あまり使わないで欲しいんだけどなー。どうしても使うの?」
「前に言ったとおり、普通の魔法を使っても勝手に出てくることがあるんです。抑えるのにも使い慣れないとではあるし、実際効果は目にしているでしょ?」
確かに、あれだけの爆発や炎上、氷の大地や人を縛る術式。ほとんど使わないらしいけど、雷を操る術式も作っているとか。雷は、あまり使いたくないらしいけど。理由は……エリナかな?
それでも、1つで詠唱無しにあれだけの幅があるのは、考えにくいらしい。1つの術式に対して、いくつもの術をつなげている、らしいのだけど。一見すると、複数の術を挙動なしで使っているように見える。
ストック、つまり先に詠唱して保有している、とかでもなさそうだし。でも、命削る技だからあまり頼ってほしくないな……。
「あれについては、流石におれもついていけんかもしれん。まあ、何かわからないことがあれば、力にはなるがな」
苦笑いで返されてしまった。そうだよね。あれを使った戦い方なんて、誰もやったことはないんだし。
「あと、跳躍をもうちょっとうまく使えるようになればいいんだけど、結局バウンドするくらいしか効果が出てないのがなあ。水切りみたいになってるし……あん?どうしたのイフリータさん?」
何か、大精霊が思いついたことがあるのかもしれない。それが変なことじゃないといいんだけど。
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「でぇ、結局卵は売り切れでさぁ。チーズしかないんだよねぇ。あと、適当な野菜とお肉を買っては来たんだけどさぁ。これで何かできる?」
エリナが買ってきた物を見せている。たしかに、大きいチーズの塊と、鳥肉、数種類の野菜が買い物用のバッグに入れられている。まー、簡単なものならできるんじゃないかな。エリナは自分で料理なんてしないから、何が作れるか分からないだろうけど。
「あと、小麦粉があったな。確かあれは強力粉と薄力粉で分けられていたし、それなら充分なものできるね。これは玉ねぎっぽいし、こっちはブロッコリー、肉は、鳥肉?ならこれは下茹でして、玉ねぎを炒めれば……あれだね」
1人でブツブツ言って、キッチンに立つ。きっとまた……
「まずは強力粉の山をほじってその穴にオリーブオイルを貯めて、少しの塩を混ぜた水を注いで、塊になるまで捏ねる」
……氷の調理器具、今回は出さないんだ。私たちがハラハラする一番の理由なのに。気にしてるのかな?
「固まってきたら捏ねて、耳たぶくらいの硬さだっけ?これで放置、その間に玉ねぎ炒めつつ、他の野菜と鳥肉を塩で湯がいて、玉ねぎがあめ色になったらバターを玉ねぎの鍋に落として薄力粉を入れて混ぜてミルクを少しずつ入れる。粘り気が少ないくらいになったら火を止めて、他の野菜と鳥肉を切り分ける。そして本題、生地を丸く広げてホワイトソース、野菜と鳥肉をトッピング、最後にチーズを上から削ってかけて、
オーブンへドーン!イフリータさん、お願いしていたの、出来た?」
出来たものを豪快にオーブンの中に投げ入れた。平らになった生地が、ちょっと回転しながら飛んでいったけど、チーズ1つ落とさずにオーブンに入った。変な特技だなー。
それにいつ、お願いしていたんだろう?もしかして、心で会話できるのにわざと声に出してたのかな。なんかドキッとさせられる。金属の板に、棒が付いたものが、空中を漂ってきた。今回は、金属なんだ。
「おろ、金属なんてどこから?廃材?うーん、一応洗っとく。使えるけどね。形状は完璧」
使うんだ。まー、洗うならいいけど。何の金属を使ったんだろう。
「でぇ、これなに?またパスタとかってヤツ?」
「いや、これはピッツァですよ。できればトマトソースとかの方が良かったんだけど。バジルソースなんかも作れるから、味のバリエーションはいろいろ出来る」
言いながらオーブンの中をのぞきつつ、さっきの道具でピッツアを回している。中のチーズのにおいが部屋に充満し始めた。部屋の外にも、結構漏れてそう。
「ほい、焼き上がり。あとはカットするだけだね」
「ちなみにー、いつものモードクックとかっていうのやらなかったのはなんで?」
やっぱり、気になる。いつも必ずやるのに。
「ああ、今日はスープのストックはあるし、並行作業があまり必要なかったし。なにより、イースト菌を使わない自然発酵だと、気温とか湿度で生地の出来が変わるから、充分な時間寝かせる為に間に必要な調理をして時間調整するためなんで。手順が増えれば使うけどね」
「使わなくていいんだけどなー。あれって、多少負担掛かるんじゃない?」
命を対価にする。その意味、彼はどれくらい分かっているんだろう。少ししか、なんて言っても、結局変わらない気がする。
「完全にゼロですよ?何しろ、防具の方が負担掛かっているし、自己修復付きだからマナが回ると防具回復するし。重いはずのモードフレアだって、今じゃ体の負担ほぼゼロなんですし。
調理用のモノも、イフリータさんが気を遣って、もともと消費ほぼゼロでしたから」
「えぇ、ちょっとは負担あるのかと思ってた。そうだったのぉ?」
意外。あれって、元々ほとんど体に負担掛かって無かったんだ。私たちは同じくらいかかるのかと思ってた。
いつの間にか、焼き上がったものを彼はできたものを取り出してカットし始めた。
「それより、冷めちゃうから早く食べてえ。あ、これコーン入れた方がよかったかな。今度入れとくか。あと、バジルソースも作って……」
1人で呟きながら、次のピザに取り掛かっちゃった。結局、作るの好きなのかな。私たちはカットされたものをかじってみる。これ、好きかも。すっごく蕩ける美味しさ!
「ファアアアア!これうまああーー、ビールに合いそう!」
言いながらビールを取り出し、飲み始めたエリナ。あなたは彼を見習って料理の1つでも教えてもらった方がいいんじゃないかな?洗濯物はしないのに、汚れたとか言ってすぐ着替えるんだし。1日に3度服を着替えるのもざらなんだから。
少しは家事をして欲しいかなー。
精霊のボヤキ
――あんた、もっとスクワット頑張りなさい!ブランコできないじゃない!――
人のアホ毛をブランコにしてたのか……




