ダンジョンと、パーティと、わたしだけ
ギルドの掲示板に、人が集まっていた。
ニャリエナは背伸びをして張り紙を眺めたが、字が読めない。ボッチルフの袖を引いた。
「勇者様、なんて書いてあるニャン」
「……えっと」ボッチルフは眼鏡を押し上げた。
「近隣のダンジョンに魔獣が巣を作ったようで……討伐イベントを……参加者募集、と……」
「行くニャン」
「い、いや……その……吾輩などが参加しても……ふごっ……Eランクでござるし……」
「行くニャン」
ニャリエナはすでに歩き出していた。
パーティ募集の受付に並んでいたのは、いかにも実力者然とした三人組だった。
前衛の大剣使い、後衛の魔法使い、それから斥候らしき軽装の男。
全員がボッチルフを一瞥して、それから顔を見合わせた。
「……お前も、討伐イベントに参加したいって?」
「は、はい……その……足手まといにはならないよう……ふごっ……」
「Eランクだろ」と大剣使いが言った。「冗談だよな」
「どう考えても足手まといだろ」と魔法使いも肩をすくめる。
「荷物持ちなら使えるんじゃないか」と斥候が笑った。
ボッチルフは小さく頷いた。
「荷物持ち……吾輩などには……その……ちょうどいいかと……ふごっ……」
ニャリエナは三人のにおいを嗅いだ。強い。でもボッチルフほどではない。
「この人、強いニャン。役に立つニャン」
三人がニャリエナを見た。
「……獣人奴隷か」と魔法使いが言った。
「まあ、荷物持ちが二人増えると思えば、悪くねえか」
渋々、という顔だった。
ダンジョンの入口は、街外れの丘の中腹にあった。
道中、ボッチルフは荷物を三人分まとめて背負わされていた。ぼそぼそと独り言を言いながら歩いている。
「この重量配分だと左肩に負荷が……いや右足で補正すれば……ふごっ……」
「うるさい」と斥候が言った。
「す、すみませんすみません……」
ニャリエナはボッチルフの隣を歩きながら、三人の背中を眺めた。
においを確認する。自信のにおい。油断のにおい。ボッチルフへの軽蔑のにおい。
ニャリエナには、軽蔑のにおいの意味だけがわからなかった。
ダンジョンの中は薄暗く、じめじめしていた。
最初の魔獣が現れたのは、入ってすぐだった。
大剣使いが一閃した。斥候が死角を刈り取った。魔法使いが残りを薙ぎ払った。
あっという間だった。
「はっ」と大剣使いが笑った。「Eランクの出番なんかないな」
「荷物持ちは後ろにいろよ」と斥候が言った。「邪魔だから」
ボッチルフは何も言わなかった。ただ眼鏡を押し上げて、小さく頷いた。
「……はい……すみません……」
ニャリエナは唇を結んだ。
次の魔獣も、その次も、三人があっさり片付けた。
ボッチルフは荷物を背負ったまま後ろを歩き続けた。一度も剣に手をかけなかった。
「なあ」と斥候がボッチルフに言った。「報酬の分配、聞いてるか」
「……いえ……」
「俺たちが九、お前らが一だ。荷物持ちの取り分としては破格だろ」
くくっと笑い声が上がった。
「文句あるか? Eランクの荷物持ちに」
「……ないでございます……吾輩などには……その……ちょうどよい扱いでござる……ふごっ……」
ボッチルフは静かに答えた。
ニャリエナはボッチルフを見た。ボッチルフは前を向いたまま歩いている。何も言わない。何も変わらない。
おかしい。おかしいのに、ボッチルフは何も言わない。
ニャリエナは口を開きかけた。
でもボッチルフが小さく首を振った。気づいているのかどうか、わからないくらい小さな動きだった。
ニャリエナは口を閉じた。
中層に差し掛かった頃、突然地面が揺れた。
「くそっ、何だ?」
動揺から立ち直る暇もなく、天井から、何かが落ちてきた。
それは、鱗に覆われた巨大な胴体を持つ魔獣だった。四本の太い腕、目が六つある。
討伐イベントの対象の魔獣より、明らかに格上だった。
「な、何だこいつは!」
三人が構えた。先手必勝とばかりに大剣使いが踏み込んだ。
ガキン! 刃が鱗に弾かれた。
「硬い——」
魔法使いが呪文を唱えた。
炎が魔獣を包んだ。でも鱗が赤く輝いただけで、ひるむ様子もない。
斥候が隙を突いて側面に回ったが、尾に薙ぎ払われ、吹き飛んだ。
斥候は壁に叩きつけられて、動けなくなった。
「くそっ、いったん退く——」
振り向いた瞬間動きが止まった。退路が塞がれていた。もう一体いた。
魔法使いが後退し斥候に肩を貸す。
大剣使いが盾を構えるが、魔獣の攻撃を避けきれず、尻もちをついた。大剣使いの真上で、魔獣の巨大な脚が持ち上がった。
足が、振り下ろされる。大剣使いは青ざめた顔で、目を閉じた。
「失礼……仕る」
声と共に、間に誰かが入った。荷物が地面に転がる音がした。
ボッチルフが剣を抜き、魔獣の脚を両腕で受け止めていた。
眼鏡がズレ、足が地面にめり込んでいる。
「……ふごっ……重いでござるな……」
そのまま、横に投げた。魔獣の巨体が壁に激突した。
ボッチルフの縮こまっていた気配が、すうっと消えた。
眼鏡の奥の目が細くなって、二体を静かに見渡す。重心が落ちて、足の運びが変わった。
「行かせて……もらいます」
ボッチルフの独り言が始まった。
「こいつの鱗の継ぎ目は頸部と脇腹……あと眼窩……六つ目があるということは視覚情報の処理が分散してるはずで……死角は真後ろじゃなくて斜め下……ふごっ……鱗に隙間が……そうでござるな、内部から氷結系で……」
最初の一体があっという間だった。
脇腹の鱗の継ぎ目に剣を滑り込ませて、そのまま魔法を流し込む。氷結の魔力が内側から広がって、巨体が力を失い倒れた。
二体目が反応する前に回り込んで、頸部に同じことをした。
静かになった。
他の三人は動けなかった。
ニャリエナの心臓だけが、速く打っていた。目が離れない。
ボッチルフは剣を収めて、荷物を拾い上げた。眼鏡を押し上げた。肩が縮こまった。
「……す、すみません……しゃしゃり出てしまって……吾輩などが……ふごっ……」
ギルドに戻った時、報告をしたのはパーティリーダーの大剣使いだった。
「俺たちが三人で仕留めた。想定外の個体だったが、問題なく対処した」
受付の男が頷いて、書類に書き込んでいく。
「ああ、強敵だった。危なかったが、連携でなんとかなったな」
「後ろの二人は荷物持ちだ。戦闘には関与していない」
魔法使いと斥候の言葉も後に続く。ボッチルフは後ろに追いやられた。
ボッチルフは何も言わなかった。
「……いえ」とぼそぼそと呟いた。「吾輩などは……その……たまたま……ふごっ……」
「勇者様」とニャリエナが言った。
「は、はい……」
「嘘ニャン。違うニャン」
ボッチルフは何も言わなかった。ただ眼鏡を押し上げて、小さくため息をついた。
ギルドを出ると、夜だった。
二人はトボトボと歩いていたが、やがてニャリエナは立ち止まった。
「違うニャン」
もう一度、言った。ボッチルフが振り向く。
「勇者様が倒したニャン」
声は小さいが、ハッキリとした口調だった。
「全部、勇者様ニャン。なんで誰も認めないニャン」
涙が零れ落ちた。
ボッチルフはしばらく何も言えなかった。それからぼそぼそと、絞り出すように言った。
「……ニャリエナ氏……その……吾輩は……本当に……大したことは……ふごっ……」
一度、言葉が止まった。
「……でも、その……ありがとうでござる」
その言葉を聞いて、ニャリエナは一歩踏み出した。そしてそのまま、ボッチルフに抱きついた。
「わたしだけはわかってるニャン」
強く、しがみつく。
「ちょ……ニャリエナ氏……! その……柔らか……ちが……胸を……離して……やばっ……ふごっ……」
鼻血が出た。
ボッチルフは前かがみになりながら、あたふたしている。
ニャリエナは抱きついたまま、首元に顔を埋めた。深く息を吸う。
ボッチルフの身体は汗でしっとりと濡れていた。汗の酸っぱいにおいと皮脂においが混ざった、いつものにおい。
「いい匂い。勇者様、かっこよかったヨ」
ニャリエナは小さくそれだけつぶやいた。




