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奥手な二人は脱いだら淫ら(R15版)  作者: 矢崎未紗
第四章 淫らな我慢

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第20話 切なくて弾けそうな我慢(下)

「松浦、一つ提案があるんだが」

「はい、何ですか」


 週の半ば、宇津木教授の本だらけの小さな研究室を訪れた謙志は、宇津木にそう呼び止められた。


「夏休みの見学で、盛岡コーチが悩んでいた課題を憶えているか? バットの持ち方を変えたおかげでヒット数は増えたが、その持ち方ではホームランが打てない。でも本人は、ホームランも打てるようになりたいと言っている。さあ、どうする? ってやつだ」

「ああ、はい……最適な改善方法がまだ見つかっていないと」

「二カ月経った今も良策は見つかっていないらしいんだが、お前、この課題を卒論とは別に研究してみないか?」

「え?」


 謙志は目を見開いて、まじまじと宇津木を見つめた。


「卒論は四年次の一月までの期限だろ? それだと、四年次の四月に始まる就職活動には間に合わない。論文の形にはしなくていいから、今からこの課題を自分なりに研究して、就活のタイミングまでに何かしらの結論を出すんだ。そして、それを就活に役立てろ。野球経験者でないお前がプロの野球選手のトレーナーとして有益な人材かどうか、少しでもアピールできるだろ」

(たしかに……)


 謙志は視線を少し下げて考えた。

 プロの選手、コーチ、トレーナー。誰もが皆、謙志の想像する以上に細かく、そして多角的に上達のためのプロセスを考えていた。机上の理論を語るだけでなく、緻密にそれを実践して、そのうえでまだ足りない、どうしたらいいのかと、常に頭をはたらかせていた。

 ブリッジベル・カケラキーパーズの打撃コーチである盛岡が悩んでいたあの課題は、正直自分には難しすぎる――謙志はそう思っていた。プロの人たちはあの課題にどう答えを出すのだろうかと、他人事だった。

 だが、その姿勢ではいけない。答えもないような、「無理」という結果にしかたどり着けないような見えない道を、それでもプロの人たちは歩いていくのだ――いつか結果が出ると信じて。その覚悟を同じように持てない自分では、どんなに就職活動に真剣に取り組んだところで、あの人たちと同じ土俵には決して立てないだろう。


「宇津木教授からのサポートは、何かしていただけますか」

「ああ。盛岡コーチに連絡して、お前が研究するために使ってもいいデータがもらえたら渡してやる。ただし、確約はできない。向こうからしたら、学士になるための論文でもない、ただの学生の自主研究に大事な選手のパーソナルデータを渡すわけだからな。断られるか、せいぜい参考値ぐらいの簡単なデータしか共有してもらえないかもしれない。それに、データ共有をしてもらったお前が何かしらの成果を出せても、カケラキーパーズのチーム関係者以外に見せることは御法度にされるだろう。就活でのアピール材料にしろとは言ったが、先方の協力を得る以上、ある程度の制限がかかる可能性は高い」

「構いません。それなら、カケラキーパーズの採用面接だけで使うまでです」

「やってみるんだな?」

「はい」


 顔を上げてまっすぐに視線を寄越した謙志を見つめ、宇津木は確認した。


「わかった。やるなら全力でやれ。決して素晴らしい答えなんか出ないだろう。どんなに悩んで考えたところで、行き着く先はどの道も行き止まりかもしれない。そもそも、学生のお前に考えられることなんて、プロのコーチたちがとっくに考えたことかもしれない。それでも使える理論を使い、実践できる可能性を一ミリでもいいから探れ。必要なら、大学の野球部の協力も得てみろ。そのサポートもしてやる。プロのトレーナーになったつもりで、選手が求めるパフォーマンスをお前が創るんだ」

「はい」


 謙志は清涼な声で頷いた。



   ◆◇◆◇◆



「桃音、コンビニは?」

「うーん、寄ろうかな」


 宇津木から自主研究を提案された次の日、三時限が終わった謙志は桃音と待ち合わせて、二人で並んでゆりのき通りを駅に向かって歩いた。

 今日は桃音も三時限終わりで、午後の時間を謙志と一緒に過ごせる日。そこで今日もまた、二人はその短い時間を謙志の部屋で過ごすことにした。

 ゆりのき通りを歩いて東門の横断歩道を渡り、レンテバー駅構内を通る。そして駅前のコンビニに寄った二人は、まっすぐに謙志の部屋に向かった。

 少し気温が下がってきたので、桃音は濃紺の大きなショールを肩に掛けていたが、さすがに室内に入るとそれは暑いので、手洗いとうがいを済ませるなり早々に脱ぎ去る。


「謙志くんも、もう半袖一枚では過ごせなさそうだね」

「そうだな。朝晩の寒暖差が、結構あるから」

「でも、さすがにまだ毛布は出さない感じ?」

「毛布は……毎年、年末ギリギリに出してる気がする」

「そっかあ。謙志くん、寒さには強いのかな」


 ローテーブルを挟んで謙志と向かい合って座った桃音は、そう言って笑った。


「本……ずいぶんあるね。全部読むの?」

「え? ああ、それは……」


 大学名とバーコードの書かれたシールを貼られた本がローテーブルの上に積み上げられているのに気付いた桃音が尋ねると、謙志は一番上の本をひっくり返して表紙を桃音に見せた。


「打撃理論……野球の?」

「ゼミの教授から自主研究を提案されて、やってみることにしたんだ」

「夏の……プロ野球チームの見学をしたから?」

「ああ。ヒット数は増えたが、今のままじゃホームランが打てない……そんな選手がどうやったらホームランも打てるようになるか……たぶん、正しい答えなんて出せないかもしれないけど、考えられることは限界まで考えてみようと思うんだ」

「すごいね」


 真剣な眼差しで語る謙志に、桃音は深い声で返した。


「あ、いや、すごくなんかない……。プロのトレーナーたちでも難儀している課題なんだ。たぶん、学生の俺なんかが考えられることは、全然たいしたことじゃない」

「でも……それでも考えるんでしょう? 今の自分の目一杯まで真剣に頭を使って……それって、すごいことだと思う」

「いや、そんな……まだ……考え始めたばかりだから」


 桃音が全力で謙志の話を受け止め、そして本気の声音で返してくれるので、謙志は気恥ずかしいような照れくさいような思いがした。

 まだ成果らしい成果など何も出せていなくて、最初の一歩をどうしていこうか、どの方向に踏み出そうか考えているような、スタートを切れているようで切れていない状態なので、そんなにも心から感嘆されると、むしろ少しばかり居心地の悪さも感じてしまう。


「卒論は就活に使えないけど、自主研究なら就活でアピール材料にできるかもしれないから……なんていうか……そんな打算もあるんだ」

「就活……そっか、もう半年後にはスタートするんだね」

「ああ。それまでに何か……形にできればいいんだけど……」


 何かしらの答えを出せる、と自信を持って言えない自分が悔しい。だがそれでも、やってみるしかない。プロの選手もトレーナーも、皆そうやって進んでいるのだ。


「ふふっ……やっぱりすごいよ、謙志くんは。スポーツのこと、野球のこと……詳しいことは何もわからないから応援しかできないけど……きっと謙志くんにとって、とても意味のあるものになると思う。頑張ってね」


 桃音はそう言って、平積みされた本の背表紙を見やった。『スウィング理論』や『スポーツと物理の話』といった、決して桃音が読まなさそうなタイトルの数々。それらを謙志がどう読み込み、活用し、そしてどんな答えを出すのか。決して簡単ではない問題に取り組む謙志の姿勢を本当にすごいと思うし、なんだか自分も、同じように何かを頑張りたいと、桃音はそう思った。



   ◆◇◆◇◆



「あれ……え、ちょ、ちょっと麻衣子っ」

「なに? どうかした?」


 蓮花から話しかけられた麻衣子は、手に持ったスマホに視線を落としたまま、気の抜けた声で返事をした。三時限が終わったので、同じく講義が終わった蓮花と一緒に買い物にでも行こうかと、ひとまずキャンパスを出るところだった。


「あそこっ、松浦が女子と二人でいるんだけど」

「松浦?」

「ねえ、松浦ってたしか、大学近くに一人暮らしだったよね?」

「たぶん……華純はそう言ってたと思う」


 東門の横断歩道で足を止めた麻衣子は、蓮花と共に少し遠くの駅構内に視線を向けた。そこにはたしかに謙志がいて、そしてその隣にはスカートをはいた背の低い女子がいた。


「待って待って、あれって……」

「あ~……改札を通らないってことは……あれ、二人で松浦んちに行くんだね」

「えぇ~? ってことはあの子、松浦のカノジョなのかなあ」

「でも松浦、カノジョはいないって言ってなかったっけ」

「わかんないけど……松浦、華純に嘘をついたってこと?」


 三年次のオリエンテーションの日、謙志に話しかけた華純が「新しいカノジョでもできた?」と問いかけた際、謙志は否定していたように二人は記憶している。だが、華純はともかく蓮花も麻衣子も、謙志個人とはとても親しいというわけではないので、その時の華純たちの会話はほとんど聞き流してしまっており、記憶があやふやだ。


「とりあえず、華純に教えてあげたほうがいいよね?」

「そうだね。今カノがいるんじゃ、ヨリを戻すのは簡単じゃないかもしれないしね」


 二人はそう話すと、すぐさま連絡アプリで華純に連絡を入れた。



   ◆◇◆◇◆



「桃音……っ」


 その後、たわいのない話をしながらコンビニで買ったミルクプリンを食べた桃音は、容器を片付けてから、床に座っている謙志の太ももの上にまたがった。そして謙志の首に両腕を回すと、ちゅ、ちゅと音を立てながら謙志に口付けた。


「なあに?」

「何、って……」


 桃音は謙志の唇だけでなく、頬や鼻の頭にも、かわいらしい音を立てて口付けを繰り返す。そんなふうにキスをされるのは嬉しいし、それをしている桃音がとてもかわいく思えるので、謙志の頭の中はほんのりとピンク色に染まる。

 だが、これは罠だ。前回のように、桃音は謙志を煽るだけ煽って、その反応を楽しむつもりなのだ。


「今日、は……まだっ」

「そう、まだだよ? 今日もまだ、えっちはしないの。だから、謙志くんはまだ楽になれないの」


 眉をへにゃりと下げてとても残念そうな表情で確認してくる謙志に、桃音はくすりとほほ笑んだ。



   ◆◇◆◇◆

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