1話 出発
身体に伝わる電車の規則正しい揺れ。
それが程よく眠気を誘う。
車窓から覗くのは延々と続く住宅街。
それが急にフッと途切れる。
「海だ」
思わず言葉が漏れる。
朝日に照らされ、散りばめられた宝石のようにキラキラと輝く海。
まるで映画かドラマのワンシーンのような美しさだ。
(これからあの海を越えて、これを渡しに行くことになるのか)
僕は両足の間に挟んだリュックに目を落とした。
――――
「おい叶都」
「何? どうしたのおじいちゃん」
「ちょっと儂の部屋に来い」
言うだけ言っておじいちゃんは僕の部屋から足早に出て行った。
何の用かさっぱりわからない。
けど急にしかもこんな夜に来たと考えると、あまり良い予感はしない。
また家の仕事の手伝いか。それとも……。
動画を流していたスマホをポケットに入れ、一階にあるおじいちゃんの部屋に向かう。
思い当たる事は、改めて考えてみてもまったくない。
酒蔵の清掃は終わったばかり。
だからまだしばらくは暇なはずだ。
そうなると仕事以外のことだろうか。
町内会の手伝い、近所のドブ掃除。思い浮かぶのはそれくらいだけど、どれもわざわざ夜に呼びつけるような内容ではない。
はぁ。
こんな生活を送るくらいなら、東京でバイトでもいいから仕事を探してもう少し粘るべきだったかな。
「それで何の――なにこれ?」
おじいちゃんの部屋に入ると、そこには何本もの新聞紙製の柱が立っていた。
その奥におじいちゃんが腕を組んで座布団に座り、新聞紙製の柱の中央辺りをジッと見つめている。
柱の数はザッと数えて十本以上。
それがボーリングのピンみたいに綺麗に並べられている。
どれも高さは同じくらいで、跨いで簡単に越えられる高さしかない。
今から何かの儀式でもするんだろうか?
うち、無宗教だったはずだけどな。
「見てわからんか? 酒瓶に決まっとろうが」
「ああ、この新聞紙の中身って酒瓶だったんだ」
「長い年月をかけてようやく出来た酒でな『刻の雫』と名を付けた」
おじいちゃんは新聞紙を剥がし、二合瓶サイズの酒瓶を僕に見せる。
青い瓶の中には透き通った透明のお酒が入っていて、貼られたラベルには『刻の雫』と達筆な文字で書かれていた。
「それでこんな数どうするの?」
また包み直したってことは、とりあえずこの場で飲むわけではなさそう。
見せびらかすだけなら一本でいいはずだし、おじいちゃんの性格からしてそんなくだらないことをするために用意したとは思えない。
やっぱり嫌な予感がする。
「渡してこい」
「渡す? 誰に?」
「儂の知人たちにだ。本当は儂が直接行くつもりだったが儂ももう歳だ。だから叶都、お前に任せる」
なるほど。
大人バージョンのお使いってことね。
でも歳っておじいちゃん、まだまだ元気なはずだけどな。
地域のマラソン大会に毎年出場してるくらいだから。
意図はどうであれ断れば家を追い出される可能性がある。
再就職先もまだ決まってないし、それだけは避けないと。
まあ酒瓶を届けるだけなら、肉体的にはそれほど疲れないだろうし、ちょうど良い気分転換になるかもしれない。
「わかった。でもまだ蔵掃除の疲れが残ってるから、もう少し後でもいい?」
「駄目だ。五月になればまた忙しくなる。今のうちに行ってこい」
「五月ってまだ四月の中旬だよ。そんなに急がなくてもいいと思うけど」
僕の問いにおじいちゃんは、静かに首を横に振る。
「もう来月には販売が決まっとる酒だ。それにさっき知人たちと言っただろう。届け先が何件もあるから一日、二日じゃ終わらん」
「ふーん、そんなに掛かるならいっそのこと郵便で送ったらいいんじゃない?」
「馬鹿もん。こういう物はな自分か家族が届けるもんだ。それに儂はな生の感想を聞きたいんだ。物だけ送ったらわからんだろうが」
唾を飛ばすような勢いでおじいちゃんが言う。
それならビデオ通話なりしてもらえばいいと思うけど。
でも言ったら、きっとまた怒鳴られるんだろうな。
反論するだけ面倒くさいし、こうなったおじいちゃんが仕事関係で折れたのを見たことがない。
ここは素直に従っておこう。
「んーそうだね。言われるとおじいちゃんの言う通りかも。わかった、行くよ」
「さすが儂の孫だ。そう言ってくれると思っとったぞ」
ほんと、都合のいいときだけ褒めるんだよな。
満足そうに頷くおじいちゃんの姿に思わず呆れ笑いが出る。
「それでどこに届けるの? 関東とか?」
「最終目的地は九州だ。途中四国や中国地方にも寄ってもらうことになると思うが」
「九州か……。旅費って出る?」
問いにおじいちゃんが頷く。
「安心せい、十分な額を後で渡す。その代わりしっかり届けるんだぞ。儂の代理で行くんだからな」
「わかってるって。出発は明日でもいいよね?」
「まあ、いいだろう。ただ明日の朝八時には神戸駅に着くようにするんだぞ。人が待っとるからな」
神戸駅に?
一体誰だろう。
「わかった。それでその後はどうしたらいい? 九州の何処に行くとか詳しく教えてもらわないと届けようがないんだけど」
「届け先は神戸駅の待ち人が知っとる。詳しい事はその人に聞け」
「そう、わかった」
行く前から不安しかない。
それにしても八時に神戸か。
調べなくてもわかる。
高島からだとほぼ始発確定だ。
さっきの言葉から考えると、もう相手には伝えてるだろう。
行くという選択肢以外は残されていない。
幸いまだ二十二時前。
今から寝ても余裕を持って起きられるはずだ。
「用件はもうこれだけだよね?」
「ああ。酒は儂がリュックの中に入れて朝までには玄関に置いておく。あと途中で飲んだりするんじゃないぞ。届け先で勧められてもだ。届け終わってもし余ったなら構わんがな」
「はいはい、わかったよ。じゃあもう十時だし寝るね。おやすみ」
「おや――いや待て」
「何?」
振り返るとおじいちゃんが手にノートを持っていた。
「酒の感想はこれに書いてもらってこい」
「わかった。じゃあおやすみ」
「ああ、おやすみ」
挨拶を交わして部屋を後にする。
普通のキャンパスノートだな。
おじいちゃんに渡されたノートを何度もひっくり返しながら眺める。
もしかして中に何か書いてるんだろうか?
「あっ、ごめん」
階段の前に差し掛かったところで、誰かとぶつかりかける。
反射的に謝りながら顔を上げると、そこには母がいた。
だが怒り顔ではなく、何故か笑みを浮かべて僕の顔を見ている。
……嫌な予感しかない。
身体を捻って進路を変え階段に足をかける。
だが母が手すりを持ち、強引に進路に身体を滑り込ませた。
「叶都。ちょうど良かったわ。お弁当の仕込みがまだ終わってないの。今から手伝ってくれる?」
「ごめん。今日は無理」
「どうして? あなた暇でしょ」
「実は――」
おじいちゃんから、面倒な頼み事をされたことを簡潔に説明する。
「へぇーそうなの。お酒を届けに……ねぇ。なら仕方ないわね。でもお父さん、どうして自分で行かないのかしら? 昔はあんなに旅行好きだったのに」
「おじいちゃんが?」
「そうよ、意外でしょ。私が子供の頃は北は北海道、南は沖縄まで日本各地色んなところに連れてってもらったわ」
「そうなんだ」
意外だ。
僕の中ではずっと酒造りで忙しそうにしてるイメージしかない。
子供の頃を含めて一度も遠くに連れて行ってもらった記憶はないし、近所ですら数える程だ。
母さんの言うことが事実だとしたら、いつ何が切っ掛けで今みたいな感じになったんだろうか。
「とにかく事情はわかったわ。それじゃあ手伝いの代わりに旅行中に駅弁とか地域の料理を色々食べて、感想を聞かせてくれる?」
「まあそれくらいなら別にいいけど、どうして?」
「お店で出す料理の参考にするからよ」
「ふーん、でもそれくらいならスマホで調べたらいいんじゃない? ネットに口コミとか載ってるし」
僕がそう言うと、母が首を振ってため息を吐いた。
「わかってないわねぇ。滋賀県民のあなたが食べた感想を聞きたいの。どこの誰かもわかんない感想なんて参考にならないでしょ。だからやってくれるわよね?」
「はぁ、わかったよ」
「素直なところはさすが私の息子。出来れば写真もよろしくね。それとついでに彼女も見つけてらっしゃい、パパに似て顔は良いんだから。そろそろ孫の顔が見たいわ」
面倒な旅になりそうだ。
機嫌良さそうに手を振る母に雑に手を振り返し、何故かさっきと比べてやたら重く感じる足を動かして階段を上った。




